年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

コロナの戦後文学が生まれる気がする

2021年09月09日 | 宅老のグチ
今は出版業界は紙離れで苦境という。その中でコロナの戦後文学が生まれる気がする。そこにはオリンピック開催年という2020年の正月からひと月も経たず暗転した日本を誰も予想していなかった。2019年暮れには知る人は中国で未知の病気があったことを知っていたようだ。日本でも一部の人が知っていたが、オリンピック開催で4000万人の観光客を日本に集める声には中国人観光客を水際で阻止するという判断は誰もできなかった。
 日本の感染病報道が一般に知られたのは、札幌雪祭りと中国春節休暇の観光客から北海道で感染が広まり、北海道知事の学校閉鎖騒動から、今度のコロナ内戦が始まった。過去の中国由来の感染病の恐怖を煽った日本で比較的蔓延しなかったことがワクチン開発予算の減少という油断した。
 10年も前の日本と外国人観光客の数が異なり、感染者の追跡調査も追いつかなかった。その上、過去の感染制御体験で何もしなくても、日本で広まらなかったので準備も緩くワクチン接種の失敗のトラウマで仮許可を厳密にした。今から思うとこの措置がワクチン接種開始を遅らせ、デルタ株で効果が薄れ、今でも苦戦している・
 その結果、コロナ対策戦は悲惨な敗戦となり、菅首相の退陣となった。先進国と言われた日本が二流国に下がった瞬間でもある。欧米はワクチン接種の促進ですでにコロナ以前の状態に戻る目途がついたが日本はオリンピックという金肥(税金)を撒いても、自国民でさえ観客席になく、施設は全て税金の無駄の象徴となった。オリンピックの経済効果を招致した時計算していたが、今はどのようなリスクがあったか天災扱いとなってだれも責任はとることはない。先の戦争で軍事指導者の多くは無罪を表明していた。自決した人も記録を残さず、無責任ともいえる。どこから戦争に行って、どこに敗北の原因があったか記録を残さないと後世の批判に反論できない欠席裁判となる。

 先の戦争後に無頼派と言われる作家がいた。坂口安吾の文を読んでいると、戦後に書いたように見えるものが戦前・戦中で書いてあったことを知ると検閲という時期に良く書いたと思う。今強行行事が終わって、反オリンピック派は開催したら、コロナ感染者が一日で2万人増えるといってたが無観客で減りつつある。逆に愛知の音楽イベントでオリンピックで感染者が増えなかったので油断し、感染拡大があった。自宅でも感染するので、今後は家でも沈黙食になりそうだ。
 他国の例から、コロナの制御から共存の関係に持って行き、経済を活性化しないと、鎖国にするしかない気がする。今までと違う人との関係があって、ここから何かが生まれる気がする。
 震災や戦災と違って、不意に来たコロナは過去の知見を次々と否定し、心の破壊を静かに行っている。これを打ち破る希望の文学はないのだろうか。

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