年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

厩橋1-4

2020年01月23日 | 陸軍特別操縦見習士官1期

昭和10年頃、発行された漬物・佃煮の同業者名簿で本所区(今の墨田区)の厩橋1-4という住所で黒川屋本店(支配人伊藤寛太郎)がある。父の写真帳に黒川屋本店という名前のある前掛けをしている写真がある。ここに高等小学校を出てから勤めたと思われる。同じく本所区業平橋2-6に黒川屋があって支配人は栗原米次郎という名前があった。父の戸籍を確認すると親戚となる。多分父の親族のつてで漬物業に入ったと思われる。
 厩橋1-1には昔ののライオン歯磨きがあったようだ。墨田区緑図書館で戦前の地図を見るが震災・戦災で当時のことを知っている人物は皆無と思われる。今のライオンは本所1-3で父の勤務していたところは本所1-4にあたる。面影はない。
緑図書館で地所の変遷を知る。昭和31年6月の資料によると。
区画整理につき昭和5年10月15日
外出町と番場町が厩橋1丁目・若宮町が厩橋2丁目・3丁目となり、荒井町が厩橋1丁目に加わったようだ。江戸時代の本所の地図は込み入っていて、関東大震災で区画整理され今に至る。

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1 コメント

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Unknown (足軽)
2021-08-26 20:19:41
本所1-4に十数年程前まで暮らしていたものです。
ただし、移ってきたのは戦後の祖父の代からで、台東区で職人をやっていた祖父が復員してから家を建てたもので、ご記載の漬物屋に関しては残念ながら存じ上げません。

以前墨田区郷土図書館でみた地図によると、この周辺は戦中に防火地帯として平地にされたように見えます。

ただ、十数年前に家屋を廃却した際に父から聞いたのですが、ここは借地で三井の大番頭、三野村利左衛門の会社の所有で、清澄庭園近くの三野村株式会社にはなにか記録があるかもしれません。
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