年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

満開の桜の谷中墓地

2012年04月08日 | 福神漬
行動メモ
谷中墓地の墓石の脇で花見の宴会をしている。日暮里で電車を降りて、加波山事件の刑死者の墓に詣でる。処刑されたのは明治19年9月.10月のことである。福島事件を裁いた玉乃 世履(たまの よふみ)の墓の碑文を見る。読めない漢文。
 日暮里駅に戻り、韓国料理店の多い地区を通り、荒川区立日暮里図書館にある吉村昭記念図書を見る。布の道を通り、台東区の中央図書館まで歩く。
 下谷教会80年史を読む。山中牧師の経歴を確認する。明治28年5月より明治33年5月まで下谷教会で牧師をしていて、低迷していた教会活動の再建を行なっていたようである。ただ気になるのは阪急グループを創った小林一三の伝記を読んでいると、この時期小林は下谷のメソジスト信者と結婚し、破談している時期と重なる。また小林一三の事業の師とも言うべき岩下清周の妻もキリスト教信者だった。何かあったのだろうか。
 山中笑(共古)は今では民俗学者と知られているが牧師として任務をこなしながら資料収集をしていた気がする。「なた豆」は共古随筆に出てくる。明治の時はどんな意味があったのだろうか。
 山中笑は人生の最後をメソジスト系の青山学院の図書館長として終わっている。
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