年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場は欲恩園の跡地

2014年12月18日 | 福神漬

平成28年11月上旬の引越しということであとの時間が決まった。そのあと更地にするのだが隠れた難問があるかもしれない・。 

寛政の改革をした松平定信が引退後暮らしたという、欲恩園は今の築地市場の下にあった。

ナポレオンのことを缶詰の関連で今調べているといつの間にか日本に於けるフランス語の始まりを調べるようになった。村上英俊。築地付近に住んでいたこともあったようだ。

 今の栃木県の街道の医者の子として生まれ、複雑な経緯を経て、日本で始めてのフランス語辞書を作った人となった。この村上に慶応3年花香恭次郎がフランス語を習っていた。

 村上英俊の父は地方医者の生活を捨て、江戸に出た。18歳になった村上英俊は宇田川榕菴に蘭学を学んだという。英俊の父は街道の人からの情報で蘭医が興隆していることを知り、江戸で子供を蘭医にするべく行動をとった。

 宇田川榕菴は三菱東京UFJ銀行築地支店のところにあった蘭医桂川家に出入りしていた。築地周辺は江戸に於ける蘭学の中心でもあった。

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