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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

心に残った、北関東社寺 ① 宿稲荷神社 ②-②

2022-05-31 21:13:27 | 心に残った北関東の社寺

宿稲荷神社、畑の向こうに秩父連山、
地元の人たちだって、お参りにと
歩いていくには、ちと遠すぎる。
なのに、訪れるたびに境内は整備されてる。
氏子さん・隣接地の墓地を管理している人たちが、
休憩所を置いて、宿稲荷を守ってます。
そんなところも、眼に焼き付いてます。






👇拝殿の向拝には、
須佐之男命が櫛名姫を守って、
大蛇を退治している彫り物を。



奉納された額は、
諸流射術とあって、元治2年(1865)
弓射の理法の修練で、
人間形成の道を基本理念とした弓術者の名が
200名ほど、
まもなく明治、激動の江戸末期、貴重な物かも。



榛名講の人たち、榛名神社に出向くとき、
皆、立ち寄ったといいます。

👇本殿には、
北関東(群馬・茨木・栃木の三県に・・埼玉県)
の社寺には、江戸中期から、胴羽目いっぱいに、
故事の彫物を施すのが特徴で👇脇障子も、
わが子を谷底に落とす獅子を彫り、
見る人たちが、徳を刻むように、






彫り物師も勉強したのでしょうね。













群馬・埼玉の広域から
信者の寄進で造営された
宿稲荷神社
石原常八親子が
田んぼを見ながら、掘っ立て小屋
鑿袋から鑿を手にして

掌に、口から気合の滑り止め
・・・・・・
浮かんできます



誰? しっぽ、折ったのは・・













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心に残つた、北関東社寺 ① 宿稲荷神社 ①

2022-05-29 22:43:20 | 心に残った北関東の社寺

群馬県北群馬郡榛東村広馬場3971 
関越自動車道 前橋I.Cより車で約19分 
柏木沢農協前バス停・下車徒歩約7分

花輪彫刻集団のひとり
石原常八・親子3代が
渾身の彫りを残した
神社




 








1861年の灯篭


松井田領主
儘田武右衛門さん寄贈






長谷川家に養子になった
一族・小林源太郎
榛名神社の双竜門の扉に
影響を与えた宿稲荷の扉









紹介されて飛んで行った
榛東村の田園景色に
想いでは人との思い出も重なり
忘れられない
宿稲荷神社
続けます
ファイルは5月29日今日です

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鬼気迫った鑿裁き。

2022-05-27 23:21:03 | 房総の彫り物師
山に咲く駒草👆はもっと可憐に見えると思うのですが、箱根湿地花園

寝惚けて朝飯まで45分。
布団の中で、グダグダ。
定番、卵に塩鮭と紫蘇昆布をかき混ぜて、
目が覚めたのは、ベランダの風景。
仕舞い忘れて、踊る狂う雨に、洗濯物が、
シッチャカメッチャカ。



江戸の半ば庶民の生活、
雨乞いや火事から守るのは龍と相場、
江戸の半ばに流行った、社寺の彫刻は、
皆、庶民の生活を守るために彫られたもの・・と。

宗教の精神は別物で彫り物師は、
自由な発想で鑿裁きに、技を競い・・。





江戸の頃の彫り物師の地位は、
物を彫る、職人さん。
佛師は、根付師は、雛師は、宮彫師は、
堂宮の装飾品を作る、腕のいい職人、
けど・・装飾彫刻が流行すれば、
職人も人気商売、技を磨き、
誰にも真似ができない彫り物をと思う・・ウン ‼
そう思わせた武志伊八郎・波の伊八さん、
職人技を超えて、
孤高の彫り物師の厳しい顔が・・。
千葉県いすみ市の飯縄寺の、
欄間3枚と向拝の飾り。








👇紹介誌にあった、内陣の、
欄間の牛若丸と大天狗伝説、


👇は、撮ったファイルの部分拡大です。
空想の生き物とは言え、
鬼気迫る素描力に圧倒されます。
装飾を超え、本尊を差し置いて、

彫り物師の鑿裁きだけが、
焼きついた堂宇の欄間でした。





♬ 👆2枚の転載は、控えくださいますよう ‼ ♫

明日は夏日
夢で聞く、ラブソング
夜中の眼ざめで、消えないように
軽く一杯、
今日も
キリンビールは
350mm





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飯縄寺 いづな てら ②-① 千葉県いすみ市。

2022-05-25 21:44:19 | 房総の彫り物師

ミヤマハナシノブ・・・?

Haagen-Dazs、バニラ風味のカップを掌にかざし、
足のくるぶし腫れてて、見世物になって、
ぶにゅッと押して、悲鳴に近いソプラノの響き、
二度押して・・・キャッ雪見大福・・ ‼
全く、人の気も知らず・・に。

社寺の境内に入るとき、
多くの知識を持っていると、
社寺を、俯瞰した心地になって、
社寺の良さを見失う時がたくさんあります。

知識を無くして、門を、鳥居をくぐり、
樹木を観て花を見て、社殿・本堂を見て・・と。
そんなときは、社寺の優劣?を超えて、
一社寺、一社寺、心に響くものがあります。

訪れた飯縄寺、千葉県いすみ市では、
武志伊八郎さんの彫刻に度肝を抜かされました。
10年近く、飯縄寺に逗留して彫ったという、
江戸時代の本堂。





アヤメやツユクサ咲く池があって、



枯れた始めたアヤメに、産毛?があって









👇本堂までは境内は、茅葺屋根の山門からで、

👇フォルムも斬新な仁王さんを撮り、









👇




👇鐘楼には
動物や植物の彫刻が、施されてて、
蜘蛛の巣を払って、
内部に入ってしまいました。












武志伊八郎さん・波の伊八が彫刻は
本堂の向拝、内陣にあって、
それはそれはでした
撮影禁止なので、
許可範囲の部分を次回のページで



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油の乗った彫り師の、波。②-② 千葉県市原市。

2022-05-22 18:18:39 | 房総の彫り物師

参道横の駐車場から、民家は見えず
田んぼに優しい、5月の雨


👇鎌倉仏教のひとつである日蓮宗
市原市の真光寺。



明治戊申の役で焼け残った山門に、
武志伊八郎山さん・通称波の伊八が、
ひと月に2躯体彫ったという
角獣、鯉、兎と枇杷などの彫り物がありました。

目立たないので、どこだ、どれだと・・。
20躯あるのですが、選んで👇・・。

どれを見ても波が彫られていて、
海の傍で育った彼には、
波が、魅力だったのでしょうね‼

 

































エイには 背びれ、胸ひれ、尾びれがな~い
テレビで、ギョ・ギョギョの魚博士が
テレビで叫んでる

風呂上り、いまから
水タコで一杯となります





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伊八、仁王に株取られて真光寺 ②-① 千葉県市原市。

2022-05-21 21:49:36 | 房総の彫り物師

雨が降った千葉県市原市の5月16日。

江戸中期、千葉県に畏怖とライバル心を、
多くの彫り物師に与えた、波の伊八こと、
武志伊八郎さん。
代々名主の長男坊で、
怖いもの知らずの、多分やんちゃで、と思えて・・
けど、龍を彫るときは、
鬼気迫る人を寄せ付けない形相で・・。
41歳、年を重ねれば、子を持つ父になれば、
子の心に沿うような優しさの彫りも・・。

市原市で、彼が彫った作品が残ってるのは2寺。
真光寺と高厳寺。

明治、戊申の役で、  
1453年からの歴史の伽藍を焼失した真光寺、
唯一焼け逃れ、屋根を2重にした山門。
蟇股に武志伊八郎・波の伊八41歳の時の彫刻が、
施されてると・・訪ねました。


👇写真を撮るときは、傘は写らないように・・



👇面構え、筋肉、世界一のボディービルダーだって
適うまい ‼

伊八郎さんの彫刻も、この迫力には・・。


👇憧れついでに、もう一枚👇


山門天井には👇の龍が、作者や画法など、
わたくし、ちょいとギブアップです。






👇仁王像の後ろ側に、








👇四国八十八尊像の石塔が2碑
1795年に建てたようですね。



市原市真光寺の山門の蟇股、
伊八郎さんが彫った、
ほっこりモチーフの10数枚の一枚が👇




👇本堂の横に座る木造、
こんなんも、なんか嬉しいです。





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波に龍・・長福寺②-② 千葉県いすみ市

2022-05-19 22:04:33 | 房総の彫り物師


後期高齢者の健康保険証を貰って、
5日目、提示しないで済んだ怪我の回復、
今日から職場に復帰して帰り際、
どこから仕入れたのか、
小さなヤリイカの刺身が入った手提げ袋。

山積みになってた仕事を浮かべ、
ブログ投稿が終われば、ビールで一杯、
まもなく梅雨、晴れた日の八王子です。


千葉県鴨川で生まれた武志伊八郎さん、
通称・波の伊八の彫刻を見学しました。
いすみ市・長福寺。






本堂で、ご本尊様に手を合わせてから、
欄間は周りを見てから、ゆっくり拝見します。
ご本尊の隣の部屋に、
👇中央に毘沙門天立像が、
左に薬師如来座像を祀ってました。
薬師如来座像の膝裏には、
建長2年(1250年)の修理銘があるといい、
11世紀の部屋と勝手に呼んで・・。



👇本堂の欄間、
武志伊八郎さん30歳37歳、
1789年の時の彫刻3点。



中央欄間に、波に龍・・
大胆なフォルムは当時、同業者彫り物師に、
衝撃を与えたかもしれません。
田畑作業に疲れて、訪れた庶民も、
すごい彫り物があったぞ ‼
お前も、行って見てこいや ‼
と、畔で泡を飛ばす、
光景が浮かんできます。

師匠島村貞亮さんが、
20代後半の伊八郎さんに
独立を許したのが、判るような気がします。


👇不謹慎ですが、キリンビールの
ラベルで見た雲に乗った麒麟。



👇須美壇の彫刻も伊八さんの作と・・。
一部です。







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長福寺 ②-① 千葉県いすみ市。

2022-05-18 21:38:52 | 房総の彫り物師


千葉県に いすみ と呼ぶ地名があって、
市と郡、いすみ市はひらがな、
郡は夷隅郡、脚のけがで思いがけない情報。

江戸彫り物師の中で、名を馳せた、島村流。
島村流の初代が住んでいたのは、
江戸神田紺屋村、染物屋が繁盛していた村。

千葉で有名な彫り物師は、鴨川生まれの波の伊八さん。
植埜うえの村で修行したとあって、
師匠は島村貞亮さん。
貞亮さんは、江戸島村流を相続した、
初代から、4代目辺りになる?初代の血を引いた、
彫物師。
その貞亮さんは夷隅郡植野村で、
生まれてた、ことがわかり、
師匠島村貞亮さんのもとで、
波の伊八さんは修行してた裏付けが取れ・・・。

貞亮さんの同門に島村源蔵さんがいて、
2人の師匠が、島村唐四郎(
俊実)さん、
この方も鴨川市の清澄寺に彫り物を、
唐四郎さんの父、円哲さんは
市原市の高源寺に、不動明王坐像を彫ってた。
今月15・16日の訪問で、
気が付かなかったのですが、
ファイル整理中、唖然としました。




👇、波の伊八さんが30歳、
師匠のもとを離れて、まもなく、
畔の草刈りしてた、おばさんに見惚れて、
いすみ市長福寺。
御開帳の立て札、けど誰もいなかった。



👇足さすりの仁王さん、
足の痛みを吸い取ってくれるというので、
深々とお辞儀をして・・。



👇伝説、頼朝さんが訪れた時、
筆をここにかけたという、槇。



👆807年からの歴史を持つ古刹ですが・・、




👇本尊 阿弥陀如来
造像は室町時代と伝わる座像の仏様で、
本尊の背、光背は江戸時代の物といわれ、
後に取り付けられたものと伝わっているそうです。






元来、本尊様は写真を撮るものではなく
手を合わせ拝むものですが・・

本堂の中も撮りました
明日は
波の伊八さんの欄間彫刻を

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1年1枚の絞り染めにトンボ玉。一竹美術館 ③-③ 山梨県河口湖。

2022-05-16 21:18:52 | 散歩


昨日、朝食を済ませて6時、
貧乏ゆすり式のリハビリが済んだ時、
足が云います。
どこか、連れていけぇ~・・

足を産んだのは私の母ですが、
育てたのは私、その育ての親に命令します。
育て方が良かったのか、幾分頑丈な足。
その分、我儘に育ってしまい、
じっとしてられません。
つい、子供可愛らしさに、千葉鴨川市まで。
夜は、海の幸で一杯なんてどうでしょうか、と・・ぬかし、
親の心をくすぐる、
も持っていて、
それはつい、乗ってしまった。


👇庭の散歩は河口湖、辻が花一竹美術館、















👇牛乳とコラーゲンを使った新感覚のスイーツ
群馬県水上町の大トロ牛乳、
幟につられて、



























👇また一口頬張ってから・・・。
食べ終わったら、自分でトレーを戻し口に・・。









長い時間、見学しましたが
ブログ記事も長い
まっ、いいっかです。
帰りは、玄関で迎えてくれた馬に
今度来るまで・・さよなら、と






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辻が花、どんな花・・久保田一竹美術館 ② 山梨県河口湖。

2022-05-14 22:46:52 | 散歩

鎌倉由比ガ浜から鶴岡八幡宮に通じる、
若宮大路に、民芸品の織物を売る店ができたのは、
2か月前、店の名前を紬屋といった。
新聞社に勤めている四郎が出会ったのは、
紬屋に勤めている遠野夕子
フランス文学者と1年で離婚して7年。
お茶でも飲んでいかない・・
この時四郎が目に停めたのは、
大絞りの紺地に、花の描き絵や、
刺繍、箔をほどこした多彩な帯だった。
四郎がそれが辻が花の帯と知ったのは
翌年の春であった・・・

なんて、こんな出だし辻が花を小説に紹介したのは、
故・立原正秋さん。
八歳年下の四郎と四日間の旅行は、
夕子が仙台の男性に嫁ぐことが決まって・・。


辻が花はどんな花ですか・・
散歩から帰ってきた夕子に、
寝起きから覚めて聞く四郎に、
四郎さんそれは調べない方がいいですよ・・
調べても無駄です・・




伊万里鍋島焼に着物型で・・。



練り物・椿を半分頬張ってから、
👆の皿の着物型に乗ったみそ味の煎餅で、
抹茶を・・。



👆👇ここの部屋は、展示室の奥にある
一竹さんが商談や打ち合わせに、また憩いの場として
使ってた小部屋








アフリカで収集した女性用のベットも、


一回り大きい男性用のベッドも、
今は陳列台にして、










姿勢変わらない
パティシェさんに手間取らせました、
そろそろ場所を変えます

自然もモダンに見えた
木造の一竹美術館
ちょっと小腹が・・・
カフェーに






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