今日は、鉄砲洲神社から、佃島、石川島、築地本願寺、京橋、八丁堀、日本橋の旧跡を、
尋ねる予定でしたが、旧跡で現存するのは、
神社仏閣だけ。武家屋敷など、ゼロ。
これも、武家とはいえ、何ら旧跡を残せなかったのかと、
少々残念です。
「鉄砲洲稲荷神社」
1624年に創建され、水除けのご利益があるとされる、神社で、
南八丁堀の総鎮守。
江戸時代米や塩、酒などあらゆる消費物質は、鉄砲洲の湊に、
入る為、氏子だけではなく、全国の船乗りから信仰されたという
今は、海が埋め立てられて、ビルばかりですが、
昔の地図では、5分も歩けば海のようで、
時代の流れは想像を超えています。
が、それから3日経った昨日の夜、今度は彦兵衛が、大川へ突き落された。
「昨夜と言いますと、たしか雨が降り出していて・・・・」
るいが膝を乗り出した。
「左様でございます。暗くなってから降り出しまして、・・・・・・旦那様は夕方から、
鉄砲洲稲荷の近くへ揉み治療にお出かけになりました」
「御宿・かわせみ」・「ほととぎす啼く」平岩弓枝氏から
作中、御宿・かわせみ」は、この場所から7~8分、大川端に・・・・・。
神社の後、築地本願寺へ向かうのですが、このあたりのビルの谷間で、
ひときわの存在感です!
それでは、また!