春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

冬の逢魔時4時20分。 八王子市

2020-12-04 16:50:11 | 医師、中村さん

晴れた金曜日、絶好の外出日、
大阪府は家から出るな、人と会うな、
ウン!
都内は高齢者の自粛自制・・・。
コロナの感染者の苦しみ、
医療従事者の大変さのテレビ画像を見たのは、
2度。
そのどちらも、自分の明日に恐怖を覚えたもの。
一緒に見ていた、若い仲間と目と目が合って、
言葉を失っての沈鬱な顔が、忘れられない。

だから、今日は家にいることにしました!

八王子市、奥多摩町に次いで市区町村、
都内で2番目に大きい面積に58万が住んでます。
織物産業が衰退してから、商業都市として、
一気に衰退してしまった。
と同時に、大学、短大などを誘致し、
23校、学生11万人が代わりに町を闊歩するように!

小一時間も車を走らせれば、自然に会える、
いい街なのですが・・、
ニワトリを飼えない環境が、ずら~、ずら~。
11月29日の日曜日、
飲食店の時間短縮の報道に、中心街に出かけました。

薄暮、江戸の時代では魔物が出没する、合言葉に、
いそいそ帰宅を急いで家路につく頃。
八王子の薄暮、コロナ魔物が住み始めて、
去年の賑わいがすっかり消えてた。



























今日はアフガニスタンで亡くなった、
中村哲さんの命日。12019.12.4
砂漠、食料のない飢餓から、
小さい子が、膝をついて泥だらけの雨水を啜り、
感染症が蔓延するを目にして、
重機を操作し、水路を作り、
3年で砂漠を緑の村に変えた医師。


昆虫を目にして嬉々とし、山に登るを、
計画する日々から、
飢餓の現実を目にして、アフガンに住み続けた。

この仕事辞めたいときはなかった?
質問に、
現地に戻るとき武装集団に囲まれたとき、
これで、ここで死ぬ、と思ったとき、
かすめた思いは、
これで楽になる・・。
彼はいう・・・。
「私の後継者は水路」
皮肉でもある、彼が不意の銃撃でフロントガラスに、
体を預けたことで、急速に、
アフガンの飢餓が少なくなり、水路が伸びているのは・・。

73才、朽ちかけの椅子で、壁に背で、
バッハの曲を聴き、
砂漠で見つけた昆虫に目を細めた。


コメント (2)
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「花と竜」 砂漠に緑と食料、中村哲さん。

2019-12-09 09:00:26 | 医師、中村さん

👆 2019.12.8 群馬県川場村  吉祥寺。

福岡県で沖中仕をしていた、やくざと言われた、
玉井金五郎氏。
清貧にして気骨のある、明治の男。

玉井金五郎氏の長男が、
作家・火野葦平さん。
葦平さんの妹の子が、

アフガニスタンから、亡骸、無言で帰国した。
建築機材を自分で操作し、利水工事をし、
砂漠に緑を回復させ、食料を作れるようにした、
中村哲医師。

その背景、知らなかった!

👇2016年8月6日、投稿した、記事を見なおしました。

      ※※※

「チェリオ」!・・・火野葦平・・・「花と竜」

焼け跡をもたらした、戦争の終戦日が近くなり、
戦争を知らないからこそなのか私は、この時期に来ると、
幼いころへ“タイム・スリップ”してしまう。

この写真は、1925年当時国電大森駅の
「親不孝通り」ガード下のゴミ捨て場の風景ですが、
現代では、想像できない光景であって、何とも近寄りがたく、
看板「バー・チェリオ」の看板も、一気に横文字、何となく、いかがわしい
写真の育ちのいい女性に見えるのは掘っ建て小屋チェリオの「マダム」。
旦那さんは、絵描きで、仲のいい友達は、
反骨の文士、「火野葦平」や写真家「林忠彦」

火野葦平は林忠彦氏とこの「チェリオ」に毎晩のように通い、
「カストリ」を飲み、梯子をする。。
1927年「読売新聞」に約1年、掲載された「花と竜」
この時すでに、「花と竜」の大河小説の、構想を練っていたのかもしれない。

👇林忠彦氏 撮影 2019.12.9 追記


やくざの世界を描いた火野葦平の作品『花と竜』、
モデルは火野葦平の父、「玉井金五郎」氏。
刺青を入れた父、金五郎は、
戦後に全てを失った日本において、裏切りや屈辱の境遇にあっても、

人としての品位を守ろうとする、玉井自身の理想を「花」とし、
「竜」の刺青を入れた理由は、
男としての虚栄心と詰まらない意地は、
人生に拭えない影を落とすという自戒の徴である。

映画化され、藤田進氏、中村錦之介氏、高倉健氏、石原裕次郎氏、が、
「火野葦平」の父、「玉井金五郎」氏を演じて、
唄では村田英雄氏の「花と竜」があって
昭和の時代を彷彿とさせるものでした。

テレビでも放映されていると知ったのは最近で、
辰巳柳太郎氏、島田正吾氏共演、渡哲也氏、高島政宏氏。
テレビには疎かった私の失点。

『火野葦平』
1960年安保発令の、5日後自宅書斎で、
「・・・すみません。おゆるしください、さようなら」
53歳、反骨の小説家が・・さようなら・・・!
芥川龍之介を敬愛していた53歳の反骨の小説家が・・
さようなら・・・!

13回忌で明かされた、事実!

「チェリオ」のマダムと絵描きの夫婦は
その後、
九州に帰り、紙人形を作って大成功した。{写真家・林忠彦氏後日談}

焼け跡で生きた人の言葉には、どこか「花」があるけれど、
今は、何が、「花」なのだろうか!


花と竜を気取って、見物に出かけてみようか・・・!
     ※※※

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「チェリオ」!・・火野葦平!・・・『花と竜』・・

2016-08-06 23:46:43 | 医師、中村さん

焼け跡をもたらした、戦争の終戦日が近くなり、
戦争を知らないからこそなのか私は、この時期に来ると、
幼いころへ“タイム・スリップ”してしまう。

この写真は、1925年当時国電大森駅の
「親不孝通り」ガード下のゴミ捨て場の風景ですが、
現代では、想像できない光景であって、何とも近寄りがたく、
看板「バー・チェリオ」の看板も、一気に横文字、何となく、いかがわしい
写真の育ちのいい女性に見えるのは掘っ建て小屋チェリオの「マダム」。
旦那さんは、絵描きで、仲のいい友達は、
反骨の文士、「火野葦平」や写真家「林忠彦」

火野葦平は林忠彦氏とこの「チェリオ」に毎晩のように通い、
「カストリ」を飲み、梯子をする。。
1927年「読売新聞」に約1年、掲載された「花と竜」
この時すでに、「花と竜」の大河小説の、構想を練っていたのかもしれない。


やくざの世界を描いた火野葦平の作品『花と竜』、
モデルは火野葦平の父、「玉井金五郎」氏。
刺青を入れた父、金五郎は、
戦後に全てを失った日本において、裏切りや屈辱の境遇にあっても
人としての品位を守ろうとする、玉井自身の理想を「花」とし
「竜」の刺青を入れた理由が
男としての虚栄心と詰まらない意地が、
人生に拭えない影を落とすという自戒の徴である。

映画化され、藤田進氏、中村錦之介氏、高倉健氏、石原裕次郎氏、が、
「火野葦平」の父、「玉井金五郎」氏を演じて、
唄では村田英雄氏の「花と竜」があって
昭和の時代を彷彿とさせるものでした。

テレビでも放映されていると知ったのは最近で、
辰巳柳太郎氏、島田正吾氏共演、渡哲也氏、高島政宏氏。
テレビには疎かった私の失点。

『火野葦平』
1960年安保発令の、5日後自宅書斎で、

「・・・すみません。おゆるしください、さようなら」
53歳、反骨の小説家が・・さようなら・・・!
芥川龍之介を敬愛していた53歳の反骨の小説家が・・さようなら・・・!
13回忌で明かされた、事実!

「チェリオ」のマダムと絵描きの夫婦は

その後、
九州に帰り、紙人形を作って大成功した。
{林忠彦氏後日談}

焼け跡で生きた人の言葉には、どこか「花」があるけれど、
今は、何が、「花」なのだろうか!


花と竜を気取って、見物に出かけてみようか・・・!

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