のんびり屋の私、いつも気にするのはカレンダーで、
何事につけ、後何日あるかと、あせるのですが、
まあまだいいか、と、
手抜きをすれば、
のんびり屋、当然四苦八苦してしまいます。
気づけば、今年も幾日もなく、月日があっという間でした。
6月から、眠っていたファイルは彫刻の作者不明の神社。
関口文治郎という、武芸も達者な人物が彫刻が、
デビューしたのは、上州桐生から、日光に抜ける、
日光裏街道、黒保根水沼信号から4キロばかりの、
医光寺の本堂の欄間。1753年の事でした。
その医光寺のお墓の最上段近く、
赤城神社があって、正確な資料を観ないまま、
数か月がたちましたが、まもなく年も暮れ、
蔵入りするわけにはいきませんので、
説明できないままですが、投稿させていただきます。
洗練された彫刻、1700年中期では見かけられません。
文治郎亡くなった1808年、
海老紅陵、榛名神社の龍の動きに似ているなど、
それより後年に作られたものと思うのですが・・。
早く、新しい資料が見られることに期待してです。
👇 医光寺本堂の欄間、
関口文治郎22歳の時の彫刻、抜粋です。
写真 2018.6.23 上州 黒保根水沼、医光寺