春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

大叔父・太田節三の慕情を新装しました・・・。

冠稲荷神社 2

2018-10-27 23:35:50 | 関口文治郎/神社仏閣

 

1767年、
彫刻大工、前原藤治郎と小倉弥八が
本殿胴羽目が背面を彫った後、冠稲荷神社をあとにする👇。


1815年、本殿側面の胴羽目を彫ったのは、
飯田仙之助、藤原義長、小久保仙五郎。
45年後、本殿の3方が彫刻で埋まる👇。


まもなく、明治。冠稲荷神社は、
後世、天皇家の仕事をするとは思いもしない、
彫刻大工に、日高聖天宮を彫らせる。
1857年
伊勢崎下渕名生まれの弥勒寺音次郎、音八親子。
飯田仙之助の門人で腕前はたしか
音八はこの神社を胴羽目を彫った跡の4年後、
笠間稲荷神社を任され、
明治になって皇居賢所造営の棟梁にもなって、
表玄関車寄せの正面に「菊花紋」を彫るまでになった。
絵師の腕前もあり、号を「向松新椿雪」としている。






300年を超える木瓜が、
近くに住んでいた、高山彦九郎が日々、訪れ、
彦九郎が久留米で自害の後、
彦九郎の家は、社務所になった経緯、
冠稲荷神社は新田義貞、高山彦九郎と切り離せない神社。
義経の平泉下向の際、冠に入れた勧請
伏見神社の分霊を鎮座したという・・・。

キャスト
源義国  ❝1125年❞ 創建
源義経  ❝1174年❞ 
新田義貞 ❝1333年❞ 必勝祈願・冠の名付け親

協賛
高山彦九郎

背景制作
1767年・前原藤治郎・小倉弥八、
1815年・飯田仙之助・小久保仙五郎・藤原義長、
1857年・弥勒寺音次郎・弥勒寺音八。
          花輪彫刻集団系列





 

 

 

写真 2018.10.7 太田市・ 2018.10.23 花

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冠稲荷神社は、朱かった。

2018-10-26 20:27:29 | 関口文治郎/神社仏閣

 

先の長い話となると、
極めるまでには、強固な意志と忍耐が必要で、
挫折する場合もある。
幸い、私には、一生にやるべきことを考えるという、
思考のページは破って捨てる、信条があって、
物事を知るのに、
期限は1年、半年、3か月と区切ってしまうので、

挫折する余裕がないわけであります。

そんな私だから、生涯一つをめざし、
成している人を見ていると、

自分の身の愚かさを棚に上げて、
人間として、叶わないなぁ〜と、

今度生まれた時は、生涯一つのことに執念を燃やそうと、
彫刻大工、一人一人の軌跡を、
心の中にスケッチしておくわけです。

明治近くなると、
社寺には墨書を残す大工棟梁、彫刻大工がいて、
ブログ投稿も楽です。
太田市の細谷に新田義貞、源義経ゆかりの、
四方の位置に鳥居のある、神社「冠稲荷神社」が、
沢山の参拝者で賑わい、
訪れた10月7日は休日、七五三の祝いの
家族も子供の将来に願いを架けていました

と、続けて書いていたら能書きが長くなったので、

冠稲荷神社の{1}にさせていただきます。











 



写真 2018.10.7 太田市

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すすきの草原、箱根。

2018-10-23 23:14:49 | Extra


寒いと言葉が出た、陽の当たらない朝、
予定を1日伸ばした、箱根。
行きの箱根裏街道(正式名です)は
崖崩れの復旧工事で通行止め、
迂回路は細い山道で、すれ違いに要注意でした。

箱根の映える紅葉は、11月に入ってからでしょう。
箱根湿地園の花を・・・。






キリシマリンドウ(青色)


ヤマラッキョウ(赤いのですが・・・)


十文字草



十文字草


ホトトギス


ウメバチソウ






黄金色になる見ごろ、少し早かったかもしれません。

 
仙石原入り口にある茶屋


写真 2018.1.23

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タヌキ、それいけえ〜化学復興。高畑勲の窓

2018-10-22 21:08:03 | Extra

 

最近、隣町多摩の町が寂れている。
こんもりした山の木を伐採し、キツネを追い出し、
住みよいベットタウンにしたけど、
最近、老人ばかりになって、灯りが消えた窓が多くなった。
タヌキの反対に押し切られ、
開拓をやめればよかったかもしれない。


最近タヌキが道を横切ると、会話に出た。

秋の陽ざし、まさか工事に反対したタヌキが、
それ見たことかと、ハチマキ、たすきに変えて、駆け足、
昔住んだ、多摩の山、
住みよい街になるか、
仲間に知らせる情報を集めているのだろうか。

 畑勲・宮崎俊の窓、ジブリ。





 

 

 

 

 



ぽんぽこ

 昔の映画で、日付は今のものでは、ありませ〜ん。

 

 

写真 2018.7.12 井の頭公園・高畑氏追悼の日

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いけぇ〜男一匹、暴れ者・カマキチ!

2018-10-20 23:14:56 | Extra

 
陽を受ける、朝の一杯のコーヒー、味は格別。
変わっていくさまざまの雲を楽しめる余裕は、
秋の陽ざしあれば、と。
出かけたいけど、今日は本読みと訪問者の相手で、
この時間、陽ざしの残像に、あの山、この山、
今年は叶いそうもないけど、想像だけでも良しとして・・。

 

 

 

 

 

 

昆虫物語 みつばちハッチ~勇気のメロディ~

女房、娘を助けてくれたハッチなのに、
逆恨みで、ハッチを狙ったが、
ハッチの身の上を聞いてしまったばかりに、
誘拐されたハッチの母を助ける、
義侠心に・・・・・・。

男一匹暴れ者・カマキチの壮絶な闘い・・・。
〜 男が見る物語 〜


 

 

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長瀞渓谷の、天女!

2018-10-18 22:20:33 | 関口文治郎/神社仏閣

 

あらぁ〜 困った!

昨日、ブログを中断と、書いたばかりなのに、
ブログの新規投稿のテンプレートが、元に戻っていて、
これでは中断する理由がなくなってしまった。
舌の根も乾かないうちに、
回れ右!です。

シンプルなテンプレート、手っ取り早い機能、集中ができる。
少なくとも、私とは「うま」が合います。
いいものは崩さず、守り・・・ですね!

10月15日、観光をメインにして訪れた、
景勝地長瀞渓谷、舟下りの観光客でにぎわう宝登山麓
舟を下りて、宝登山神社、
玉泉寺は歩いて10分ほど。
ここは、👇 玉泉寺。

 

 


👇 国道20号相模湖付近、小原本宿では、
この葉に切手を貼ってはがきにできると、
展示していた記憶があります。

 

👇 発煙筒です。

 

 

 

 

 

👇 玄関の天井
彫刻大工、塗師の名前は、誰も知らない!

 

 

 

👇 本堂の天井の天女
25人の天女、見ごたえがありました。

 

 

 

未掲載の天女も、投稿させていただきます。

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秩父・宝登山の投稿で、困った!

2018-10-17 21:16:30 | 関口文治郎/神社仏閣

 

宝登山1847年から1874年、長い年月をかけて、再建した社殿。
彫刻大工は、上州花輪彫刻の系列、飯田仙太郎の倅、
飯田岩次郎。
完成時は56歳。
岩次郎は、父の仙太郎の兄、宮大工・飯田和泉藤原金軌の元、
武州熊谷宿に住み武州に多くの彫りを残している。
昨日のブログ、小林源八郎とは、
小林流の同門同士になるのでしょうか。
明治、玉泉寺の住職は、神仏分離令が出る前に、
神官になって、玉泉寺の敷地に建てたもので、
神仏とともに敬い祀る、いい関係を作ったのは、
太田の高山新九郎にすれば、晴天のへきれき、だったかもしれません。

 

 

 

 

 

ブログ中断を思っています。
現在の変更されたテンプレートでは若干、手間取り、
眼の不自由になりかけている私には、黄色い画面は、
疲労が増し・・書きやすいものではありません。
沢山の方が、ポチっとしてくださいます、
中断を決めましたら、お伝えいたしたく存じます。
前の編集画面がよかったのですが・・・ネ!

 

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源太郎、箕郷町生原で、鑿を置く.

2018-10-16 23:55:31 | 関口文治郎/神社仏閣

 

 

タバコをくゆらせ、いつも長い時間椅子に坐って、
参拝する人たちを眺めている。
そびえる岩、ポロリと落ちはしないかと思わせる、
巌の上に坐っている岩に食い込むような榛名神社の双竜門。
社殿は関口文治郎、上州花輪彫刻集団の異才。
海老紅陵をの龍が、彼の最後の仕事。
のち、1856年、文治郎の師、石原吟八の門人、小林源八の息子、
小林源太郎(長谷川源太郎)が、
双竜門の龍を彫った。
その源太郎が、最後の仕事になったのが、
高崎市箕郷町生原にある「北野神社」

箕郷の鳴沢湖の近く、原山の大工棟梁清水和泉と、
双竜門を仕上げてまもなく、そのままコンビを組んだの。
小林源太郎は、北野神社を仕上げた1861年、
熊谷宿に戻り、越後で彫物大工になって名を挙げた、
倅、小林丑五郎には会えず、近所の皆に看取られる、
63歳。
まだ活躍できた年齢でもあった筈。

小林源太郎、最後の作品、北野神社。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季節が違う、今は秋、でも山ツツジ。

 

写真 2018.10.8 榛名湖&箕郷町  

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私、河童の与太郎、宝登山で恋をしました。

2018-10-15 23:24:48 | 関口文治郎/神社仏閣

 

私、河童の与太郎、秩父で恋をしてしまった。
だ、三面記事、エロを期待なさる方は、ここでUターン、
読む記事このブログじゃない、コンビニの書籍コーナーへと。

宝登山に登って
晴れか雨か、昨日サイコロ振って、出た目で、
来ることになった、バカな私、河童の与太郎。
ふらり寄った、宝登山神社隣の、玉泉寺。
暗い天井見て、腰が抜けた。
羽衣ひらひら、25人の天女。
よくもまぁ描いたものと・・・。
しばらく眺めていて、社務所の袴をはいたおっちゃん、
電気をつけてくれた。
灯りがついて、私の眼にもめらめらと燃える炎が、
離れがたい時間。
どうも、この胸騒ぎ、はるか昔、通じない恋をしていた時に似ている。

 

 

 


そこで頭を冷やしに、宝登山の真正面の長瀞、岩畳へ。
猫と目が合ったけど、
こちらは食い気との闘い、
恋の炎、散らした後では・・・・いやはや・・。


 

 


 

 

 

 

 

 

 

今日はここで、おすみなさい!

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陽に燃えた2代目常八主信、終焉の鑿。

2018-10-14 21:51:13 | 関口文治郎/神社仏閣

雨が降るといえば、臆病に、
家に籠り窓を開ければ、素足に秋の深さが、
足袋をはき、履けば暑くてまた素足。
なんとも、いでたちに面倒な八王子の天気。

明日の予定にテレビの天気予報を
あちこちチャンネルを横目に、
チンチロリンで、決めようと・・。
2度降り、勝ったほうに明日の行き先を。
1度目が勝ったら秩父宝登山、2度目が勝ったら部屋の片づけ。
チンチロリン、
勝ったのは1回目の賽の目、4.5.6で.宝登山に、
買い出しに小走りした日曜日でした。

こんなんでは怒られる、
安中市板鼻の長傳寺
1861年公武合体のため、
徳川14代将軍・家茂に嫁ぐ、和宮内親王が、
大行列をした中山道、板鼻宿。
上州の7つの宿場で一番賑わったところだという。
宿泊所から5分、和宮が立ち寄ったのは長傳寺。
開山1532年。
1596年現在の場所に移してから、3度の焼失の憂き目に会い、
庫裏は1847年から再建工事を始め、
1856年には彫物師が欄間を彫り始め、
荘厳な庫裏が完成したのは1868年

1861年和宮が訪れた時、
欄間の彫刻の出来に、眼を光らせていたのが、
上州花輪彫刻の花形だった2代目石原常八・主信。
75歳の時。この2年後、
庫裏の完成を観ずに、77歳の生涯を閉じ、
長傳寺の彫刻が最後の作品となる。
彫物大工の多くの乳呑児は、
仕事が終わるころには、ここで元服し、引き上げた、と。

長傳寺、至る所に彼のまろやかな、鑿の跡が刻まれている。



👇中山道

中山道マップ




 

 

  
安政4丁巳年正月吉辰
大間正面極彩色欄間
三牧施主
勅使河原源右衛門好昌
彫工
当国勢多郡花輪在
石原常八主信 七十一歳作
金子文五郎宣信 
  👇

 

 

 

     ☝  欄間総数14面

👇 須弥壇

 

 

 

 

この本堂に入って、彫刻を見ているときが、
いちばん、休まります。
長傳寺の大黒さん。判るような気がしました。

 


👇 幾度の火災に会って、焼失を免れた山門には、焼け焦げの跡が・・。

 

写真2018.10.9 安中市

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塗師・石原一喜、向拝の化粧。

2018-10-11 22:09:09 | 関口文治郎/神社仏閣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イメージ 5

 https://blogs.yahoo.co.jp/xpointx07からお借りしました。


 

黙して語らずに嬉しそうに一言、
ヤブカがすごかった。
家の合間、姉も手伝ってくれました。
10月9日、この日で彩色の仕事を終わらせた、
石原一喜さん。
大変だったのは、☝この模様だったと。
成した仕事に奥さんが、云います。
初めての仕事、「心配でした」と、笑顔。
資料の無い上での仕事、塗色の調べは雲をつかむよう!
多くを語ってくださったのが、
お母さん「よくここまで仕上げてくれました」と。

氏子総代が、ぽつり。
氏子の皆さんの、出し合ったお金、
市にも協力してもらいたかった・・・。

安中城の鎮守、熊野神社に459年を経て、
彩色を蘇らせた、塗師、石原一喜さんは、
素木の洗い出しは大切なことでした・・と

目くるめく思い、
古葉の隙間の射す陽へ、
ふと・・・口角を緩めた姿、
仕事を成し終えた安堵に、
彩色に独自の観念、揺るがず決断した、
彼の姿勢。

高速の窓、安中の黒い山のシルエットに、
拝殿で手を合わせる塗師・石原さんの姿が、
浮かんだ、熊野神社での、出会いでした。

 


平成の塗師 石原一喜

 

名称      熊野神社
御祭神     大穴牟遅命、少名毘古那命、櫛御気野命
創建      永禄二年(1559年
所在地     群馬県安中市安中3-689
最寄駅     JR信越本線 安中駅
最寄IC    上信越自動車道 松井田妙義IC、富岡IC

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マラソンの発祥地、安中市の熊野神社。

2018-10-10 19:53:51 | 関口文治郎/神社仏閣

 

群馬県安中市、50歳以下の家臣は、
明け六つ(午前6時頃)の太鼓を合図に安中城を出発し、
中山道を碓氷峠の熊野権現まで、
7里余り(約29キロメートル)を走った。
1855年のこと。

到着には凡そ3~4時間程かかったようで、
熊野権現には班毎に初穂料が奉納され、
代わりに餅や切り干し大根、キュウリ、御茶などの昼食が与えられ、
小休止した後に安中城に帰還したそうです。
(往復約58キロメートル)。
出発は「安中城」
マラソンの始まりは安中市と知りました。

実施したのは、
安中藩主板倉勝明。
古文書「安中御城内御諸士御遠足着帳」に書いているそうです。

その安中城祉から歩いて10分ほど、
碓氷川と九十九川の間を走る、国道18号、
「城下」の信号を曲がって、細い道に、小さな鳥居、
1000年の、けやきの木と熊野神社があります。
昔は大権現様。
熊野神社になったのは、明治の初め。

👇絵馬は「狩野法源永秀知信の筆」1861年のもので、
熊野神社の起源は永禄2年(1559年)
安中城の鬼門の守護神として建てられた社殿。
いずれの彫刻師の文献は無いものの、
本殿の胴羽目は花鳥のデザイン、
上州花輪彫刻の系統ではない、そう思えます。

 



1000年のけやき。
白い建物の方から撮れば、目を見張るのですが、
撮ってないと、おでこをゴツンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝殿の向拝は極彩色で、
本殿は白木の彫刻・・・・?
ここで北群馬郡吉岡町の家族と、
感動の話を聞くことになりました。

 

 

 
👇このファイルは、午前榛名神社の、鳥居の側で見た、トリカブトです。

 

 写真2018.10.9 

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吾妻川、流れの傍で咲いていた!

2018-10-08 23:43:30 | Extra

 

もともと、頭の中、知識の収納スペースが狭く、
いろんな方に教えて頂いたのに、
収納スペースを超えてしまうと、途端に眠くなり、
寝たら最後、入らなかった知識が、しばらく戻ってこない。
あそこも、ここもと、時間惜しさに宿をとって、訪ねてみるものの、
計画の半分も物にできない始末。
電話の向こう「年」です、はっきり言われます。

今日は、群馬中之条町「吾妻川」沿い、
鳴く水音を追って送り、岩を見つけて川風に朝の一服、
きょうは、いい日でした。

👇こんもりした岩井堂山の下には、岩井堂が、洞穴の中に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、一番蛇を見た後の、タイムスリップ。
とうとう、幻想まで見るようになったかと・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

吾妻川、河原の傍に咲いていた花!

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群馬県、鏑川に響く、諏訪神社の踊り!

2018-10-07 22:54:05 | 関口文治郎/神社仏閣

 

 

参拝の後、ご利益いただく本殿の彫刻を眺める足元から、
川の流れが伝わってきます。
群馬県下仁田町、諏訪神社真下を流れる鏑川。

10月6日、7日はお祭り。

諏訪神社・社殿の棟梁は、
宮大工大隅流の流れの、矢崎房之進、善次郎、
彫刻は矢崎善次郎、房之進の次男坊。
宮大工で彫刻にも優れていたといいます。
上州花輪彫刻集団には名は無く、
新しいページが作られて・・・。
創設は1836年から10年かけた1846年。
現存する資料が無いのは残念ですが、
彫物大工の腕の跡が、残っているのは嬉しいことです。

山車の上の女性の珍しいクネクネの理由も探せません、
何時か、折に触れて・・・。

下仁田銀座通り、祭りの見ものは、
待っている山車に、正面によって10センチばかり。
囃子を競うのも、珍しく、
山車止める、男衆の技には拍手を送ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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群馬県下仁田、諏訪神社の祭り

2018-10-06 23:48:02 | 関口文治郎/神社仏閣

 

群馬県大仁田諏訪神社のお祭りが、今日と明日7日。
ひと段落した仕事の開放感が、
車を飛ばさせました。
大通りにどっしりした、大崩山(467m)が見えて、
山あいの風情があります。
ここの山車は女性がメイン、
山車に乗る女性は、引手をあおるのではなく、
くねくねと腰を左右に振り、後へ突き出す踊りで、
官能的でもあります。
それでも、女性、なかなか上手とは・・・。
狭い道路で、勾配もあり、引手は大変。
それでも、静かな町は囃子と山車の上の女性で、
すこぶる賑わっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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