春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

払沢の遊歩道、「馬あぶ」の瀬音。ショスタコーヴッチ。

2019-06-29 17:54:08 | Extra


顔に大きな切り傷、
手の指を2本失い片足を引きずる、
謎の男。
イタリアに渡って敬虔なカトリックとして
成長した青年。

イタリア統一運動のさなか、
再興に投じる人々を見て、

地下活動家になったが、
信頼する神父への懺悔が、

逮捕という裏切りに遭い、
出所後は仲間を売った汚名を着せられ、

宗教を捨て、イタリアを捨て、
傷心から立ち上がって、
姿を現したのが謎の男、アーサー。
その後

統一運動の英雄が、辿った最後は、
任務の失敗で、銃殺の刑に・・・。

英雄だったアーサーに秘めた恋。
若いころ女性と山々を歩いたのは、
幼馴染のジェンマ。

獄中で書いた手紙が、アーサーの死後、
ジャンマに、
ウィリアム・ブレークの詩の一節を添えて、
変わらなかった愛を告白に、
掌の手紙を、胸に押すジェンマ。

 


あぶ」を書いたのは、
エセル・L・ヴォイニッチ(1864-1960)
アイルランドのコークから、アメリカに渡った
イギリス人で、

題名邦訳「あぶ」絶版書。



あぶは、青年アーサーのあだ名。
権力に立ち向かう者・・
あぶ(五月蠅い・うるさい)

作者の夫もポーランドの革命家でもあり、
シベリアへ流刑されている。
生涯5冊しか書かなかった作者の本は
劇場に、映画に・・・。


〜 馬あぶ、檜原の遊歩道・払沢の瀬音 〜

1928年、1955年、1980年と3度の映画化
1955年の映画では、
ショスタコーヴィチが作曲しています。

金星のクレーター、ヴォイニッチの名は、彼女の名に因んで・・!

 

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パット見える画像はどこから・・払沢の滝。

2019-06-27 21:28:43 | Extra

 
おいしい二貫5000円の烏賊の握り、
「もう一丁」と頼んだら、これから釣りに行くという。
あきらめて、自宅で、イツパイ600円の烏賊を買って、
たらふく食べた。
そんな例えに、
昨日のブログ投稿した画像、
解析のいい画像は良かったのですが、
ブログに投稿した画像は、パッと姿を現さない。
一枚一枚の貼り付けは諦めることにしましたが、
やはり捨てがたい画像の解析力。
別な方法で取り入れたく思っています。
画像解析が良く、パッと表示されたら、
この上もなかったのですが・・・。

東京の北端、檜原村の「払沢の滝」
昨日は、奥多摩地方をぐるり一周してきました。
私は男の子、やはり外がいい!
 
 
 





喫茶「やまびこ」から350m、

8月12日、13の夜はライトアップもするのです。
 
 
 
 
 
 
 
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画像の貼り付け元を変えて、富山湾。

2019-06-26 09:46:55 | Extra

 明日から大雨、台風が各地に上陸するのだそうで、
日照りの続いた地区には、
恵みの雨だけにしてほしいものですが・・。

夜10時には眠り、朝は空腹で悶絶‥?
体調を整える柔らかい食事から、
何でも食べるメニューに変わりました。
めっきり衰えた体力を回復できるように、
今日は自分で運転をし、出かけよう・・と
出がけに拝見した長野県の方の、
画像が劣化しない・・試しました。
手間はかかりますが、眼からうろこです。

投稿できる画像ファイルが手薄です。
5月末に訪れた富山湾の、お蔵寸前の写真が、
生きたような気がします。

👇 岩瀬海岸にある北前船の船主、
森家に飾られていた、棟方志功さんの版画です。

 

 

 
昭和22年の火事後、漁師が参拝する、
コンクリート造りの諏訪神社、
海岸が200mくらいにありました。

 

 
港湾の見晴しの塔。
富山湾が一望できます。

 

 
・・・・・ロシア船。
中古車が積み込まれていました。

 

 
工事車両も・・・。

 
最も、気に入った番付。

 

 

富山と岩瀬を結ぶ神通川の運河は、
スエズ運河のように、水深を変えて、
クルーズ船が、運航しています。
コースは片道60分で3コースがあったのですが、
私は残念、乗らなった・・!

 

 

 
 
富岩運河環水公園はとかく、きれいに整備されていました。
今日の画像は教えて頂いた、 https://imgur.com/  からです。

感謝!
公園内の「まゆみ」
 
 
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富山岩瀬の森家の畳は、粋な・川の流れ!

2019-06-24 07:36:35 | Extra

 

小さな新聞の切り抜きの記事があった。
富山のかまぼこは、板についてない。
そして、たらこやニシン、鮭やマスの昆布巻きの、
程よい甘じょっばさは、
酒のつまみに、軽い茶漬けに、絶品。
水深深い富山湾で獲れた魚介類は、
身がしまって旨い。
北海道から運んだ昆布が一層美味さを引き立てている。


650軒を消失した、明治6年富山岩瀬の大火、
京都から大工職人と材木を運んで再建した、
北前船の船主、森仙太郎氏の廻船問屋が、
完成したの明治11年。

 

江戸初期から活躍した廻船の船主の悲劇は、
明治、大型汽船の電信が発達したことで、
荷物の運搬料や、商売用の荷の値段が、遠隔地でも、
容易に知れることで、
取引額の儲けが目減りしてしまったこと。

明治以降、財をきずいた船主の多くは、
銀行を創設したり、海上の保険会社を作ったり、と、
莫大な費用の掛かる汽船の新造には手を出さなかった。

かつては、加賀藩主、大聖寺藩主の参勤交代の往還道、
肥料商の大家が並び、年貢米の米俵を馬に付け、
肥料を買う農民がごった返し、
食べ物や、茶屋、宿屋も繁盛した岩瀬のメイン通り。

昭和25年北陸の名家廻船問屋「森家」も時代に押されて、
倉敷の麻や木綿、絹に変わるレーヨン製造を始めた、
人物の手に渡る。

 

 

 

 

 

森家が残したかんざしが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

粋な「川の流れ」をあらわした「畳」

 

 

 

 

1枚岩・50トン、
船で運んでここまで押してきた、

大勢の人夫達の光景が、
北陸船主の心意気が、
腕を組んで見ている姿が、
浮かんできます。

コメント (2)
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廻船問屋「森家」と古い町並 富山市岩瀬 ①

2019-06-21 14:01:19 | Extra

 

お腹が空いていても、眠くなって、
目覚めると、また眠くなる、
今朝の料理?は
16穀を混ぜた御飯に鳥ガラスープ?で味付けした御粥、
小粒のトマトが8個、
短い間頼んだ、気が置けない友の賄い、
シャワーを浴びてる間・・・
机に置いといた煙草・・・・
小鉢の灰皿・・・
きれいに片付けてしまって・・た。

5月の末、富山市岩瀬の港に行きました。
富山湾。
加賀藩直轄の港で、
岩瀬(東岩瀬)は富山藩の年貢米を貯蓄する蔵が、
沢山ありました。
年貢米は若狭湾敦賀まで船で、
琵琶湖の北辺までは馬で運び、
大津まで船で運んだ。
米俵の破損、馬が運べる米俵2表は1石。
一気に500も800石も運べる、
船を岩瀬の森仙太郎が造りました。
下関を経由し瀬戸内海を渡り、
大阪堺まで航海し売る。
夢のような儲けをし、

船の新造に加賀藩は、大いに融資をし、
ますます、加賀藩は豊かになり、
船主は、湊、港で商いをする商法で、
巨額の富を得るようになる。




















👇廻船問屋「森家」


👇森家家紋



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