春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

少女の見た・・・バラと棘!・・・・そしてルーシー・節三に投げキッス!

2016-06-30 20:23:01 | 節三・Memo


原作・「食物はすごい」・中央公論新社・田中修】
【脚色・toyo0181】

バラの花を見ていた、幼稚園の少女が、

なぜ、バラには、棘があるの?
 植物に詳しい先生の眼を「じぃーっと」と見つめていた。

バラは、枝を折られたりね花を取られたりしないように
鋭いトゲで体を守っているのです。 
君はどう思うの?

きれいな花を咲かせるバラが、痛いトゲをつけていてかわいそう!
 バラのトゲを覗いて、じーっと見ていた。

先生はバラの花と、棘についての説明が子供には理解したと、思えなかった。
「バラは自分の体を守る為に、自分でトゲをはやし始めたのかもしれない
それとも、誰かに頼んで、つけてもらったのかもしれない」
と、云いながら、一緒にバラのトゲを触ったが、少女の眼は、棘を見つめたまま。

心の中では
事実は正確に伝えなければならない、
「鋭いトゲで、外敵から自分を守ってる事実と、バラのトゲは“すごさ”の象徴」
なのに、この少女は自分の説明に納得していない、どうしてだろう!

乏しい子供の反応に
「ひょっとすると、バラがあまりにきれいな花を咲かせるので
腹を立てた何者かが、恨んでつけたのかもしれない」

と?・・・・子供の顔が少しほほ笑んだような気がした。

大人のそっけない答えは、植物を優しく見る目を摘み取ったり、
植物をいとおしく、感じる、心を傷付けたりすることになる。
ひょっとすると、私たち大人が考えている答えも、「それが正しい」
と思っているだけかもしれない。

「子供の思いは、なぜバラには、棘があるのですか」と聞きつつ
「バラの花があまりにきれい過ぎるので、それを嫉妬した何者かが、あんな
トゲを付けたのだろうか」と
思い掛けない、想像をしていたのかもしれない。

「棘は昔から、ついているので、どうしてついているのか知らない!」
などとそっけなく答え、子供の想像力をしぼませることの無いよう!
気を付けたいものです!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【節三・ルーシーの投げキッスに】

1924年(大正13年)10月10日
節三27歳、アド・サンテルとの戦いは、先輩諸氏の遺恨を晴らす、
絶好の檜舞台になる。
排日気運が高まる、アメリカ。
邦人の多い、ロサンジェルスやシアトルでもただならぬ、
雰囲気が漂っていた時代。
日本の柔道とアメリカのプロレスの対決。
興奮のルツボと化した、中に
大輪を咲かせたような妖艶な年増の美人が観戦していた。
ルーシー・バニング・ロッス。

試合は60分3本勝負。
1本目、脇固めで、サンテルをぐいぐい、締め上げ、先制の勝利。

日本びいきのルーシーは、「アメリカ人の多い観衆の中で、
「ファイト・オオタ」と熱い声援と、投げキッスをしただけである・・・・が

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事故!・・・花火大会・・・・そして節三、望みかなうか・・サンテル戦!

2016-06-29 20:28:12 | 節三・Memo


今日はさんざな目にあった。
ポンコツ車のサイドブレーキを引き忘れ、スーパーの駐車場の車に・・・・。
車を離れて、数秒後のことで振り向いたけれど、遅かった。
警察に連絡、保険会社に連絡、人身に被害はないものの、ドアーを、ガリガリ。
帰り際・「気を付けて!」と言われ、「不注意の反省の度合いがドンときました」

明日は降車には「細心の注意」をし、外出いたします!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【節三・興行師の話に乗る】
節三に大きな試練。
1924年(大正13)10月10日。
ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムで
プロレス世界ライトヘビー級チャンピオン、アド・サンテルと闘うことになる。
“オオタ人気”に目を付けた興行師が対決をプロモートしたもの。
サンテルは、この試合の前(大正10年)日本に遠征し、
東京・靖国神社の相撲場で、永田礼次郎らを破り、
早大の庄司彦雄3段(後、代議士)とは引き分けた、猛者である。
節三の先輩道場主である、板井大輔4段、伊藤徳五郎5段らも、
サンテルと闘い、破れている。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間もなく八王子祭り・・・。そして・シアトルで、ちょいと名士になった節三!

2016-06-28 18:05:21 | 節三・Memo





昨日、八王子の信号待ちをしていたら、
囃子が聞こえてきました。
かすかに胸がときめきました・・・。
八王子祭りの囃子の稽古のよう・・・・。
「祭り」が好きで、太鼓の音が聞こえると、じっとしていられない。
その「祭り」昨年から今年にかけては、見物する機会が少なかった。
今年の八王子の「祭り」は、
なんとしても見物人の一人になる為に「あの手、この手であります」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【シアトルでは・ちょいとした名士に節三・メモ】
1919年。
カナダに近いシアトルの板井大輔4段の道場で、「師範代」となり、
そして1920年(大正9年)板井の帰国(日本で、代議士になる為)
とともに、道場主に収まった。
節三はすらりとした長身、端正な顔立ちにきれいに刈り込んた、
髭がよく似合うなかなかの美男子。
社交家であり、前道場主を上回る、猛者とあれば、
人気のでないのがおかしい。
シアトルの、太田道場は、前道場主板井、その前の、
伊藤徳五郎5段(秋田県仙北郡出身・昭和14年61歳没)
の比較にならないほど、人気を集め、青い目の弟子たちが、
倍増した。特に女性の弟子が目立ち、
「セツ・オオタ」と騒がれて、シアトルではちょいとした名士になった。

{講道館で・嘉納師範の女子に稽古をつける風景・講道館資料から}

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

べイブリッジに四季がない!・・・・そして節三・シアトルへは流行り半纏で!

2016-06-27 19:59:16 | 節三・Memo



こんばんは!
今日は、梅雨の合間、高速道路、ベイブリッジから見た、
景色に、「情緒」という言葉は、いらないのだろうな!
高層階のビル、見えない自然、幾何学模様BAY、
ただ、通り過ぎるだけ!
そう思って、八王寺に着いたら、対面者の顔、顔が「どぉ~おん」と
浮んできました。
その総括に僅かながら時間をいただくことにしましょう!

その間、日本のルートとは違うこの歌で、待っていてください!


【節三・半纏姿でシアトルの土】

1919年渡米した、節三の目的は、

某小説のアメリカと、日本の懸け橋に意気を感じて、というのは、
残念ながら、きれいすぎました。
当時、腕のある柔道家は、体格のいいプロレスラーと「他流試合」で
勝、というのが流行であった。
向う見ずな節三は、寝食、お世話になっていた、「三船久蔵師範」が、
眠っている間に、ヘタな字で「一流になるまで、日本には帰りません」と
置手紙を書生室の「机」において、横浜港へ向います。
半月あまり後、流行り半纏姿の節三が、アメリカ、シアトルの土を踏みます。
一説では、
スタンフォード大学に入学したということですが、この説は、この当時の
アメリカと日本の事情から、無学な節三が入れるとは思えません。
向う見ずなところが多い節三が選んだのはアメリカへの憧れではなく、
アメリカの「強いプロレスラーと闘う」というのが、目的でした。

プロレスラーとの戦いを終えた節三は、ルーシーという女性と知り合い、
柔道への志が少しづつ・・・・・・・・

{某小説で、太田節三すごい男と、思われた方、残念です!}
{虚飾された節三ではなく、裸の節三を知ってもらうまでは、書きましょう!}

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜜より蜜!・・・・たまには初恋の味・ね!

2016-06-26 21:20:15 | Extra




アカシヤの蜂蜜を・・・こうして・・スプーンですくってと・・・。
付ける筈のパンがない。
側に置いたのは渦を巻いた広告の蚊取り線香の箱。
そのまま、口に入れたが「甘すぎる」

(大正8年)1919年、節三がアメリカに渡った年だけど、
口にしないで異国へ行ってしまった。
7月、七夕の祭り日に、空色に白の水玉の包み紙。
「初恋の味」のキャッチフレーズ、「カルピスが発売された。
空色に水玉はその誕生を記念して、
天の川ー銀河の流星を形どったもの。
第一次大戦のブームで、好景気の日本、
陽気で弾んだ、人々の心にぴったりマッチしたちまち全国に広がった。

大正12年1923年は関東大震災の年。
震災直後の殺風景で、すさんだ人々の心を和ませたのが、
ドイツの図案家がデザインした、黒人が首を傾げて飲むポスター。
このポスターが東京三越をはじめ、異常なほどの反響が・・・・。

この文章{『趣味の飲食物史料』昭和7年・1932年刊}よりです。

飲んで空を見上げる、さわやかさ・・・・か。
明日は都心まで、「来い」との勅令。身も細る心地での今宵です。

明日の帰りはカルピスでも・・・でも、昔のカルピスならなぁ~口に合うけど・・・。
また、あした!

{慕情・ジェニファー・ジョーンズ}

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする