春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

武尊山麓に 春の風物 群馬県川場村

2023-04-10 22:33:47 | 群馬県の社寺仏閣


4月2日、
見なければよかったのに、
記入した資料に、つじつまが合わない項目。
群馬県川場村にある武尊神社の彫刻は、
石原改乃助知信・1858年と・・している
まさか、で3日、群馬県川場村に出向きました。
現地で白黒つけられる訳では無かったけど、
気晴らしに、春の陽気が後押しして・・。



















この日の昼飯は、
相変わらず握り飯、具はちょっと趣向を変えて、
ワサビ茶漬けをまぶして、
ゆかりをまぶしてシンプル。
武尊神社、この辺りには20社ほどあって、
石原改乃助の彫刻は、
川場村ではなく、水上町だと気づいたときは、
握り飯を食い終わって煙草をくゆらした時。

訪ねた川場村の武尊神社の彫り師は3年前に書いてた👇
長いので、スルーも ‼


間違えていい情景に出逢った。
👇 武尊山の早い雪融けに、土壌殺菌をする人たち。



殺菌剤を巻いて、ビニールでしっかり囲む。
しばらく見学させていただきました。









跳んであちこち
川場村から、ちょいと
下発知の 👇 枝垂れ桜
いい春でした

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長純寺の鬼瓦と彫刻。群馬県高崎市。

2023-03-01 20:21:12 | 群馬県の社寺仏閣

群馬県箕郷町に国の史跡に指定され、
日本100名城の箕輪城。
1500年代、この地を支配していた、
長野氏の家紋が 👆 檜扇。

訪ねた上野氏ゆかりの長純寺に、
長野業尚が?築城したときの、
鬼面鬼瓦が2つ。

1598年廃城になった時の鬼瓦だったら、
いいですね ‼









👇 長野氏の檜扇・・





前掲した、この地近くの善地村の彫刻家が、
居たことに嬉しくなりましたが、
長純寺さんには欄間と、本堂の祠の彫刻があり、
どっちなのか‥。
両方を何点か・・。
近いうち、判明すると思ってます。


👆の部分拡大、丁寧な彫りですね。


眼が点
柱と彫刻が同じ色なのですがと、質問したら
前住職が柱と一緒に欄間も同じ色にしてしまって・・
多分いろんな色があったと思うのですが。







👇 鎮守様
1736年に彫ったのは 👇 ?








箕輪城主、長野業政公のお墓は、
👇 不動様の道を登り、本堂の後方にありました。


箕輪城祭りは、毎年10月の最終日曜日で、
甲冑を付けての攻防戦を見た後、
長純寺さんに立ち寄るのもいいかもしれませんね ‼

思いがけない、
めぐり逢いに、出会うかもしれません。





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長純寺。頭あっちに、こっちにいったり。 群馬県箕郷町。

2023-02-26 21:09:04 | 群馬県の社寺仏閣




👆相馬山(1411m) 
榛名白川の水源に相当。「黒髪山」の異名をとる、
雷様が宿る神域でもあります。

私が見ている看板は、
暴れ川の異名をとった榛名山系から流れる、
車川の中流辺り、








この善地村👇に昔、彫り物師が居た。



車川は、下流は箕輪城の下あたり、
10月に『狐の嫁入り祭り』会場になる、
ふれあい公園の脇を流れる、榛名白川に合流する。
その白川も、昔は暴れてたよう・・。

1497年に箕輪城主が、
『狐の嫁入り祭り』会場の下方に創建した、長純寺、
のに、翌年には、白川の洪水で流され、後年、
洪水を避けて、現在の地に再建したのは1557年。

白川の河岸段丘に建っている、箕輪城。
上杉謙信や、武田信玄・織田、北条との戦にも、
ひるむことなく、敵陣を唸らせた、
城主・長野信業、業政、代々の供養塔が、
長純寺にある。

👇約束の午後1時30分、
2時間前には、車を乗り入れてしまった。



👇 雨の日の奪衣婆・閻魔さん













そのお寺さんに、
1736年に彫った彫師の名の、棟札が見つかった。
建築学会に40年ほど前、論文を報告し、
調査団が入り、棟札を発見した、揺るぎない証拠。
上州彫り物師が一番最初に、記録に残した棟札。

住職の許可を得て訪ね、2週間前に撮った写真で、
頭はあっちにいったり、こっちにいったり。
後で気づく阿呆さ加減は、これからもで・・・。



鎮守様👇






彫師が彫ったのは👆の境内にある鎮守様の中の彫刻か
本堂外陣の👇欄間か・・
住職も苦渋の顔つき・・・。



早く白黒つけないと
彼らの棟札の行き場所が無くなる
👇
木崎小八・善地
小林又七守常・見崎
清水熊次郎・室田
赤見吉三郎・室田
久保政右衛門・室田
松本善助・室田
彫刻の画像は次回に

👇榛名山と向こう、とんがり帽子の相馬山
長純寺さん以外のファイルは
2017年です

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杉の木の杜、三夜沢赤城神社。群馬県前橋市。

2023-02-15 21:58:41 | 群馬県の社寺仏閣


群馬県前橋市、
博徒の父から生まれ、15歳で他国の博打打ちを追っ払い、
ひょんな殺傷をして、しばらく他国を流浪。
いっぱしになって、侠客同士の揉め事を、
ひょいひょいと、丸く収める度胸と頭の切れは、
侠客一家から、莫大な信頼を得て、
もらい受ける、縄張りは、200とも言われ、
『関東一の親分』と崇められ一目を置かれた。
その大前田栄五郎は、三夜沢赤城神社に献塔していた。
前橋市大前田町、栄五郎のお墓から車で10分ばかり。



👇夜明け前、宿を出て着いたときは、日が登り始めた時刻。
大前田町の住民が1600年代、寄進したという、
杉の木に囲まれて、まるっきり黒い景色。

やめた・・ひとまず不動大滝へ移動です。
写真は、陽が当たる午後3時ごろ。
👇それでも暗い。


👇十六葉一重菊が施されている。



👇八本の鰹木







平安時代から歴史があると知るのですが、
赤城神社として成立したのは13、14世紀と、
あるのですが、
ほとんどの記録は・・らしい・・の表現です。
ながら、400年以上の杉の木の杜、
シンプルな建物の周りを散策は、気がしまります。





👇本殿前の四脚門。




👇本殿。


👇写真では見ずらいのですが、
小さい祠が、あちらこちらに。



👇この日2月12日は、防寒服が要らないくらいの陽気で、
参拝者が沢山いました。







階段途中で、参拝の人たちがペットボトルを抱えて来る
私はこの後、数年前の冬
赤城山の黒檜山の尾根を歩き
山頂で暗くなり、ライトの灯りに気づき
2時間ばかり道路に車を止め

私の下山を待っていてくれた
赤城バイブルキャンプの
カナダ人の女性に会うのに、大沼へ
けど1100メートル辺りの道から
夜になればアイスバーン
Uターン禁止の道でしたが、
やむなく、途中で引き返しました。

亦、いつかです。

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錫色の日暮れに柳沢寺。北群馬郡市榛東村。

2023-02-10 12:45:21 | 群馬県の社寺仏閣

男やもめに雪が降る、
8時に目覚めた八王子の景色は、雪。
7時ごろから降り始めたという。
出かける先までの高速は、通行止めも有るといいう訳で、
今日は取りやめ、明日のことは状況を見計らって・・。

ちょっと前なら、この位の雪なら、と、
出かけたのに今は、ちょっと臆病になってきた。

👇船尾山・柳沢寺の山門
敷地内の建物は1600年代後期から、
1700年代、中期に建てられ、
上州七福神 毘沙門尊天霊場として、
隅々まで歩くと、いつか宝物に出逢うと教えられた。

船尾山と船尾滝
榛名山の麓、水澤観世音ちかくに
落差72メートルの滝で、
下方には2股に分かれた滝、バリエーションに富んだ,
船尾滝があって、柳沢寺の榛東村は、
滝の真下方に位置してる。







 







もう、陽は落ちて、
野武士が今夜の寝床にしたかもしれない、本堂へ。








👇人で言えば体を支える足、
寒さでひび割れてきた踵・・
















も、帰ります‼
戦国時代、戦禍で家は焼かれ
飢餓と多くの人を失った人々が
救いを求めて、作られた社寺は
この地区にたくさん

散歩・歴史の重さを肩に
錫色の景色になった
1月31日の日暮れ、榛東村、西明屋町
今日はこれで、 さよならです
八王子、道路も白くなりました




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