春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

飲み過ぎ、丸太から滑った
徳利、背中の与太郎河童
花見の色香に、プハァ~川から顔出し
キョロ、きょろきょろ!

雪解けの河口湖畔散歩

2019-12-31 06:59:18 | 散歩

昨日で仕事の一区切りを終えて、
背筋を伸ばしている朝です。

「大叔父・太田節三の慕情」から、脱皮?し、
ブログタイトルは「春・夏・秋・冬・河童の散歩」に
替えて、清水崑さん・小島功さんの漫画の河童のように、
ひょうひょうと時を過ごしていこう、
と、思ってるところです。


👇河口湖オルゴール美術館の、
階段の壁にあった「荻須高徳」さんの素描です。
ブラマンクの影響を受け、
佐伯祐三さんらと荒々しいパリの街角を描いた作家。






👇美術館内の展示(なんのための衣装だったか忘れました)






















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オルゴール美術館、河口湖。歳の瀬「無事これ名馬」

2019-12-28 21:50:10 | Extra

オルゴールの蓋を開いて、音色にうっとりするという、
感覚が理解できない・・・音色に好きという女性が、
嫌いということにではなくて・・・・で・・・・。
と、書いて、コーヒーを入れながら、
今年を振り返ってみたら、
サッパリ思い出さないことに、目をパチクリ。
今日と明日の予定は判るけど、
昨日のことまで忘れてる。
気にしていない、今始まったことではなく、
来年は仕事をセーブして、
山に登ろう、などぽっかり登山姿の自分が、

浮かんでくるあたり、
「無事これ名馬」と頬杖ついて自賛。
一年、元気で過ごせたと・・・。。

本題・河口湖に出かけて寄ったオルゴール美術館。
自動演奏機なら、持っていた。
寝返りを打つたびに音程が違う、目覚まし時計。

中世の王侯貴族が癒しの
音楽を楽しむのに呼んだ、演奏家たちからの、
プライバシーを守るために多額の出資をして、
オルゴールを造ったとパネルで知った。
1200万円で売り出していたオルゴールの響きは、
金属音キンコ、カンキン、カンとは程遠く、
オーケストラの生演奏のような地響きがした。

👇これは絵で「木漏れ日」の題でした。







FOR SALR 価格、4,860,000とあった。
蓄音機とオルゴールの兼用で、マホガニーの材で,
アメリカのコロンビア社が制作したもので,
資料としても貴重なものらしいです。
ノンアルコール、45,000本飲めると下衆を丸出し。
























👇男性に手を伸べている姿、
私はこういう場面には、何時でも、ジィ~ッ、と見る、
癖があります。







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母の白滝は部富士山の身祓いの滝。浅間神社・河口湖

2019-12-26 21:38:41 | Extra

昨日25日、ケーキスポンジの香りを一つ、
買わない、近所の洋菓子店のケースを覗いて、
美術館のラウンジでなら、
食事の後の注文できると、
出掛けた河口湖のオルゴール美術館。

甘かった、周りは女性と家族、カップルで、
王子の貴公子、コンビニの菓子パンを買って、
母の白滝神社へ。
湖畔の浅間神社で、富士登山の安全の祈願する前に、
平安時代の頃から身祓いをしていたという、
「母の白滝」

雪が残る登山道を登る若いカップルは数組。
観光気分の女性には、
気の毒になるほどの距離です。
登坂、私の車を避けて雪の上によけてくれたカップルの、
下山には二人の見物を待つて、

サンタクロース、贈り物とばかり、
声を掛けずにはいられなかった。







母の白滝・水量が少なかったようです。


















神社の周りには、樹齢800年以上の杉の木ばかり、
壮観でした。
今年もあと数日。体調に気を配って・・と。


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メリークリスマス。配達に疲れてサンタ。

2019-12-25 19:31:38 | Extra


昨日は、いっぱい子供たちに贈り物を届けた。
そりに乗れないので、荷車を引いて・・・。
今年のクリスマスもあと後数時間だけど・・
チョット眠くなった。





甲州のワインをちょっと飲んだら・・
ますますねむくなつて・・・
明日の夜まで、寝かせてほしい!

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赤レンガ倉庫に、水墨画、四季を彩なす花物語。

2019-12-22 21:43:21 | Extra


雨上がりの横浜、
一時、通い詰めた赤レンガ倉庫へ出かけました。

gooブログでは、ご存知の方も、
いらっしゃるのではないでしょうか。
各地に、水墨画の教室を持ち、
ラジオのパーソナリティーも務めていらっしゃいます。

横浜の建物で一番好きな「横浜開港記念館」を、
一枚だけ撮って、


赤レンガ倉庫に降りてくるサンタは今年も降りようとしていました。
今年も綱を引いてです。



121組のアーティストが参加した、
「聖夜に燦めくアートの光」

👇新聞紙で作っていた、よく見ると、株式のページで、



👇若者が、じっと見ていた水墨画、




作者のコメントがありました。

四季を彩なす花物語

中井悠美子
墨彩画
見慣れた水墨画ですが、書を添えると、そこに和文化が息づきます。
ただ咲いて、ただ散って行く花々。驕らず、嘆かず、今その時を
生きる花々。花に教えられながら描きました。



昨年11月に上野美術館で初めて作者の原画を見ました。
作者は後日談で、何か変わらなければ、と言ってましたが、
その1年後、私は絵画に評価する言葉を持っていませんが、
感じ取れます、
見せるという意気込み・・
書を加えたというだけでなく、彩色にメリハリでしょうか・・。
 👇一年前に見た作品。









引っ張ってもダメ。
左足宙に浮いて、右足滑っても
チーズ屋台の前。


駐車場は、何時も「横浜新聞博物館」がある、
横浜情報文化センターへ・・。



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川場村、吉祥寺。(3-3)

2019-12-20 23:57:55 | 関口文治郎/神社仏閣
パソコンで投稿した記事の誤字を、
出先で、携帯から直そうとしたら、記事が飛んでしまい、
迷惑をかけてしまいました。今後は誤字は誤字のまま、
パソコンでの訂正が、私の良策とすることにいたしました。
投稿記事を読まれた方には、
同じ記事を見られますかどうか・・。

 
初めて訪れた、群馬県川場村。
 
木箱の角で出来た脛のカサブタの周りが痒く、
ついでに掻き始めて取れたカサブタに、快感「気持ちいい〜・・」
茶をすすり、パラりと開いた歌集のページに、
快感の余韻が、
凍り付いた。
 
胃の痛み耐えて朝仕の厨べに何かはかなく涙にじみ来ぬ
 
氷割りて汲む水清(さ)やにつぶら砂水底にかすかうごきゆく見ゆ
 
誰がために保ついのちぞ相見じと誓いし面に紅ひくあわれ
 
大正時代、博徒の父のくらし、生計の圧迫に耐え、
潔癖でありながらも、昏迷になるまいとし、
有名歌人が見せた、格調も、語彙の数さえ無くも、
男にはない情操の細やかさを、自然に、日々の生活に
人生の機微を死の直前、
七年間で千首を詠った歌集。
短歌に疎い私でも、捨てられなくなった、
「武尊の麓」より、「江口きち歌集」
 
兄、妹、父の生活を支え、
日を追うごとの困窮にあって不労の父を嫌い、
温泉に送り出し、
脳性麻痺の兄29歳の身体を丁寧に拭き、命を停め、
純白のドレスに着替えて、
大いなるこの寂けさや天地の時刻過たず夜は明けにけり
詠んで、青酸カリで、
自分の命さえ停めた「江口きち」25歳。
生れたのは群馬県利根郡川場村。

👇菩提寺ではないのですが、
 川場村吉祥寺の宝物館。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇釈迦堂
 
 
 
 
 
 
 

 
本堂、
正面障子を開いてくださった和尚さん、
「彫ったのは京都の人と聞いてます」と。
口を閉じた追い打ちの質問は自重するのが、
マナー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 

とうとうと流れる・・水の吉祥寺、花の吉祥寺。

 
「 拝啓
 花の時期の訪れは失いましたが、
 枯れた樹々に枯山水も又、歴史の物語が鮮明に浮かび、
 深い感銘を受けました。
 私がしゃしゃり、描くでしょう記事の隙間を作って、
 誘いくださったこと、何時も乍ら感謝、感謝しております」
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煩悩なくしたくない、群馬県・吉祥寺(3-2 )

2019-12-18 15:56:09 | 関口文治郎/神社仏閣

身体の疲れが、思考能力の限界を過ぎて、
両手を伸ばし、横になったら3秒も持たず、
特効薬、「寝る」の世界を満喫した昨日。
目覚めて曇ってた眼鏡にをかけて、
「視力が弱くなった」と、ボヤキ・・、
気づいて「わしも、焼きが回った」と、
ぼ~っと、生きてる晴天の午後です。
 
 誘いを受けて、
訪れた群馬県の川場村「吉祥寺」
禅宗、「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」となれば、
煩悩に生きる私には、
楼門迄、なんとなく歩幅が狭くなります。


禅宗の楼門は、聖地と俗界の境界。
入り口の両サイドに、金剛力士か、四天王を祀り、
楼上には16羅漢を祀っている。
👆吉祥寺の楼門も立派。
👇勅額「青龍山」は鎌倉時代の最後の天皇、
後光巌天皇(1338~1371年在位)の直筆なのだそうです。
 

👇金剛力士が、
 
 
 
 
 
 
👇楼上には、
仏の正しい法を長く世に居て、
迷う人々を導けと、
お釈迦様を真ん中に、
煩悩をすべて断絶した最高の境地に達した16人。
 
 
 
 
 
 
 
 
頭を下げながら、煩悩、煩悩、煩悩無くなれば、困る。
今夜の「牡蛎雑炊」がいいと、決めたばかり。
 
 
楼門の階段で、
チョット嬉しい気分に・・。
木鼻の殻獅子が、ずり落ちないように支える  かすがい  が見えた。

 
大工棟梁と彫刻家の寸法取りの手違いか、
角の唐獅子がぴったり合わない施工。
精巧技術を誇るといわれる日本の技にあって、
不謹慎ながら、どこか親近感が生まれます。
 
 
 
 
👇唐獅子の指がクイット丸めたデザインも、
生まれたての赤ん坊の指を見た時の、
あの嬉しさが・・。

 
👇彫ったのは長野県小諸町から馳せた、
石工・小林虎之介さん。
長野県にはかなりの数の石工が、いたようですネ!
伊那高遠石工は集団化し、1187年、源頼朝から、
代々石細工職人として
日本国内で仕事が出来るとの許可をもらった、由緒書があり、
由緒に基づき、全国を行脚し、
青森県から山口県まで旅稼ぎをしている。
江戸城築城には、
八王子近郊にもかなり定住していた記録があります。
 
 
 
 

 
雪の武尊山の麓、頼朝と阿波姫の子、
大友能直の子孫が創建した吉祥寺は、
小高い山の向こうに・・。
 
 
👇川場かるた散策 ・・ 枝分け巨(おお)き、姫子松。

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白百合を手に、武尊山の麓、阿波姫の吉祥寺。(3-1)

2019-12-15 21:48:33 | 関口文治郎/神社仏閣



 



流謫のあなたとは云え、あなたのやさしさに、
心惹かれ、顔見ぬ命を持つ私に、
命令となれば従わざるを得ないのは判っていても、
古庄郷の他家に、嫁げとは余りに心ない仕打ち。
 
煌々と冴えわたる月夜の庭。
嫁ぐ前夜、最後の別れの挨拶に訪れ、
「私の子と分れば、その子の命はない、
お前の親御にも非が及ぶこともあろう、
わしはつらい!阿波姫!
この世からお前がいなくなることがつらい。
生き伸びて、会えると思えば、何年この島に暮らそうとも、
辛抱できる。生きていてくれまいか!」

頼朝の真意を理解し、
阿波姫の顔から悲しみと恨みが消えた夜。

源頼朝は伊豆の蛭が島に流され、
近侍者の娘の、

高く盛り上がった細い目は潤んで、
川のさざ波を思わせる美しさに、
 こころを奪われた利根局を、
頼朝は「阿波姫」と呼び親しんで親しんでいた。

 
榛名山から遠くかすむ武尊山、
1192年鎌倉幕府を開き、日本の顔になった、頼朝、

日本武尊が碓氷峠に登り、東国を眺めたと聞いて、
翌年、武尊山の麓にと馬に鞭をあてる。
夕闇の武尊山の麓、群生している白いユリの芳香に、
一輪の百合を持つ女。
阿波姫。

二人を遠ざけた、20年の歳月を風がさらい、
阿波姫の頬に、光る伊豆の蛭が島で見せた「月の雫」が、
溢れた。

『源氏復活のために、旗印の白に、願いが届きますようにと、
百合を植えました、
もうこんなに増えてしまいました』

頼朝の妻、北条政子の二番目の子、乙姫の乳母に、
中原親能の妻が呼ばれた。
阿波姫の子、大友能直を養子にした方。
頼朝は、乙姫の乳母から、
わが子の様子を秘かに聞いていた。

大友能直から八代目の、
大友氏時。
武尊山の麓、群馬県川場村に1338年、吉祥寺を創健する。

花の吉祥寺。
訪れては、と、山の師匠の好意を受け、
訪ねて良かった、心、改まった12月8日。
枯葉が雪だまりを覆っていた日でした。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 


 
 
 

 




 


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四季の耕作図、鹿沼の彫刻師。二柱神社。

2019-12-13 22:44:06 | 関口文治郎/神社仏閣
 
栃木県の南に位置する人口11万5千人が住む佐野市。
1684年に創建された神社。
二柱神社。
日光東照宮が創建されてから67年後。
もともと、
仏教・歓喜天を祀っていた神社。
明治の神仏稀釈で、歓喜天を安楽寺に移して、
国土、人物、万物を創造したという二柱、
神皇産霊神(かみむすひのかみ)と、
高皇産霊神(たかみむすびのみこと)を祀って、
1873年に、名を変えた。


1600年代神社の彫刻は、
ほとんど地紋の彫りだつたのが、
1700年代に入り、軒下の彫刻が見られ、
中頃になると、壁面に彫刻をはめ込むようになる。
彩色となると、1700年代後半、
彫り物が多い割には、色付けの彫刻は少なくなり、
もっぱら、欅材を使用した素木の彫刻が目立ちます。
 
1783年再建された、彩色した二柱神社は、
神社の素木彫刻と、彩色彫刻のハザマかもしれません。
 
彫ったのは、東照宮に通じる例幣使街道の、富田宿に住む、
磯部儀左衛門(3代目)秀重さん。1760年生まれ。
実弟に、一回り年下の、
1818年一度焼けた日光東照宮五重の塔を、
再建した大工棟梁がいます。
後藤家を名乗った、後藤周二正秀さん。
儀左衛門さんの初代はもともと、群馬県沼田の出身。
真田昌幸の家臣、彫刻家になった、
花輪彫刻集団、高松又八さんの流れを持つ。

幣殿から本殿の胴羽目に彫られた、
色落ち、塗料の剥落した彫刻・・・、
寺社の彫刻は素木がいいと思う私には、
佐野市郊外の平地に鎮座する二柱神社、
「しめた」の喜びです。

 
 
 
 
 
👇社殿中に、二股大根の絵馬があるのですが、
写真に収められなかった。
 
 

 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇幣殿の農耕図
 
 
👇本殿の向拝の胴羽目の彫刻は、周の慶王にまつわる説話は、
後からはめ込まれた、と、云われ、
じっと見れば、
そうだ・・・とうなずいたデザイン。

 
 
 
 
 
1783年天明の大飢饉が襲った日本、
7月6日、群馬県の浅間山が噴火し、ますます関東は、
生活に疲弊する住民が生死をさまよう。
 
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浅田神社の狛犬、鞍掛神社に負けず劣らず。佐野市。

2019-12-11 22:01:08 | 関口文治郎/神社仏閣
 
バックミラーに映った鳥居は、
訪ねる予定の無かった神社。
訪ねた神社と目と鼻の近さ。
栃木県佐野市、浅田神社。

藤原秀郷(俵籐太)が将門を討った功により武蔵守となり、
深く感謝してこの社を修復したと伝えられ・・・、と知った。

鞍掛神社の滋賀県で大ムカデを退治した、
俵籐太の伝説を彫刻した神社とは趣きが、ちと違い、
こうなると、生々しい当時のチャンバラ場面を、
想定してしまいます・・が。

当初の浅田神社は小さい祠。
インターネット、
『下野神社沿革誌』明治35年では、
1244年再建をし、
境内には、1000年の鬱蒼とした幹の太さ15mの、
ケヤキの木が茂っていたという・・・。
うぅ~ㇺ!
彫刻師の名前も判らず、手も足も出ません。

落ちた葉の銀杏に、実は無く雄株。
ひとつみ、神社の正確な歴史が見つけられました。
それは・・・

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇虫食いの額。
 
 
狛犬・・・。
前々回投稿した、ムカデの・・神社。
俵籐太の伝説の彫刻の鞍掛神社の狛犬は、
1793年から座りっぱなしでしたが、
ここの狛犬も、
負けず劣らず、1795年正月から、座りっぱなし。
220年以上、このまんま、
今度訪れるときは、
狛犬用の座布団を車に目いっぱい詰めて・・・・。

新たな資料を待たれる神社でした。

 
 
 
 
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「花と竜」 砂漠に緑と食料、中村哲さん。

2019-12-09 09:00:26 | 医師、中村さん

👆 2019.12.8 群馬県川場村  吉祥寺。

福岡県で沖中仕をしていた、やくざと言われた、
玉井金五郎氏。
清貧にして気骨のある、明治の男。

玉井金五郎氏の長男が、
作家・火野葦平さん。
葦平さんの妹の子が、

アフガニスタンから、亡骸、無言で帰国した。
建築機材を自分で操作し、利水工事をし、
砂漠に緑を回復させ、食料を作れるようにした、
中村哲医師。

その背景、知らなかった!

👇2016年8月6日、投稿した、記事を見なおしました。

      ※※※

「チェリオ」!・・・火野葦平・・・「花と竜」

焼け跡をもたらした、戦争の終戦日が近くなり、
戦争を知らないからこそなのか私は、この時期に来ると、
幼いころへ“タイム・スリップ”してしまう。

この写真は、1925年当時国電大森駅の
「親不孝通り」ガード下のゴミ捨て場の風景ですが、
現代では、想像できない光景であって、何とも近寄りがたく、
看板「バー・チェリオ」の看板も、一気に横文字、何となく、いかがわしい
写真の育ちのいい女性に見えるのは掘っ建て小屋チェリオの「マダム」。
旦那さんは、絵描きで、仲のいい友達は、
反骨の文士、「火野葦平」や写真家「林忠彦」

火野葦平は林忠彦氏とこの「チェリオ」に毎晩のように通い、
「カストリ」を飲み、梯子をする。。
1927年「読売新聞」に約1年、掲載された「花と竜」
この時すでに、「花と竜」の大河小説の、構想を練っていたのかもしれない。

👇林忠彦氏 撮影 2019.12.9 追記


やくざの世界を描いた火野葦平の作品『花と竜』、
モデルは火野葦平の父、「玉井金五郎」氏。
刺青を入れた父、金五郎は、
戦後に全てを失った日本において、裏切りや屈辱の境遇にあっても、

人としての品位を守ろうとする、玉井自身の理想を「花」とし、
「竜」の刺青を入れた理由は、
男としての虚栄心と詰まらない意地は、
人生に拭えない影を落とすという自戒の徴である。

映画化され、藤田進氏、中村錦之介氏、高倉健氏、石原裕次郎氏、が、
「火野葦平」の父、「玉井金五郎」氏を演じて、
唄では村田英雄氏の「花と竜」があって
昭和の時代を彷彿とさせるものでした。

テレビでも放映されていると知ったのは最近で、
辰巳柳太郎氏、島田正吾氏共演、渡哲也氏、高島政宏氏。
テレビには疎かった私の失点。

『火野葦平』
1960年安保発令の、5日後自宅書斎で、
「・・・すみません。おゆるしください、さようなら」
53歳、反骨の小説家が・・さようなら・・・!
芥川龍之介を敬愛していた53歳の反骨の小説家が・・
さようなら・・・!

13回忌で明かされた、事実!

「チェリオ」のマダムと絵描きの夫婦は
その後、
九州に帰り、紙人形を作って大成功した。{写真家・林忠彦氏後日談}

焼け跡で生きた人の言葉には、どこか「花」があるけれど、
今は、何が、「花」なのだろうか!


花と竜を気取って、見物に出かけてみようか・・・!
     ※※※

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ムカデを退治した豪傑、佐野市鞍掛神社

2019-12-06 22:10:12 | 関口文治郎/神社仏閣
 
滋賀県三上山、500m足らずの富士山の形に似た、
山を見た平安時代の女史、紫式部。
「打ち出でて 三上の山を 詠れば 
雪こそなけれ 富士のあけぼの」と詠んだ、
近江富士を7巻半もまく大ムカデがいた。
大ムカデは湖の龍族の仲間をさらい去っていくという。
困った龍族の長老は、
瀬田の唐橋で大蛇に姿を変え、
蛇をまたいでいく豪傑、俵籐太にムカデ退治を頼み、
竜宮城に招待する。

豪傑の名は藤原秀衡。
下野在庁官人から、土着した下野の貴族、豪族の武将。
弓矢の名人で、ムカデの目を射り退治し、
お礼に、竜神が差し出したのは、米俵、釣鐘、絹で、
米はいくら食しても減らなかったと、
別名,俵籐太。

その伝説の男の子孫が、
足利の武将と下野佐野赤見の戦いで、
左目を矢で射られた。
子孫の名前は、佐野中宮亮有綱。
戦いの後、傷口を清水で洗うも、
老体でもあった有綱、目は治らず、
日光市猪倉鞍掛山で、自ら命を絶つことに・・。

佐野の住民が、武勇人有綱の霊を祭る祠を造る。
1186年。
以降、繰り返し3度の再建をし、
1745年、裏胴羽目の龍族を救った藤原秀衡の彫刻が、
秀衡に退治された大ムカデが、東側の胴羽目にと、
滋賀県の出来事が、物語として、彫られている。
鞍掛神社は佐野市田園のこんもりした高台に。


 
 
 
 
👇佐野市鞍掛神社から12月3日の景色。

 
 
 
 
 
👇杮葺き屋根。
建築基準、今はこの施工は許可されていない。
十分な保存を願いたいものです。

 
 
 
 
 
 
 
 

神社を創建したのが、
住んでいた人たちと、分ると、
少し、立ち去りがたいものがあります。
 
👇私はずっと座りっぱなし。

 
1793年からです。
 
 
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夕焼け小焼けの長福寺。まもなく明治。町田市。

2019-12-04 22:10:08 | 関口文治郎/神社仏閣
 
町田市長福寺、
詳しいことが判らず訪れたお寺さんで、
夕焼けの境内、一人、
随分長いこと生きてきたなぁ~などと、
悦に入ってたのですが、
俄か仕込みでは、長福寺の本堂の天井には、
「江戸名所図会」「東都歳時記」の挿図を描いた、
長谷川雪旦の子、1842年の秋に長谷川雪堤が描いた、
35種の草花を描いた天井画が、配されているといい、
款記も明記されているという。(町田市教育委員会」
ちと、抒情に浸っている場合ではなかったようで」
来週の8日頃には、さらに訪れてみようかと・・・。

 
 
 
 
 
👇文珠堂。
優雅かつ精緻を極めている芝増上寺の山門を手がけた、
下相原村(地元)の青木勘次郎易直が携わったのだそうで、
シンプルな施しにちょっと研ぎ澄まされた優雅さも。
1862年の作。

同時に、山門👆も本堂も👆手掛けているのですが、
江戸中期の建築や彫刻と比較すれば、
いずれもシャープな感覚になっているのでしょうか。
まもなく明治。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内を歩けば向こうは神奈川、相模原、
ここは県境、東京町田市の多摩丘陵、
夕焼け小焼けの歌に、柄になく抒情に誘われた、
長福寺(開山1631年)は2ページでした。
 
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着た切り雀、町田市で夕焼け小焼け

2019-12-02 23:02:38 | 関口文治郎/神社仏閣
 
隣の町まで出かけた1日の夕刻、
寺の屋根を照らした夕刻の陽に
普段なら寄ることは無く、
家路に急ぐのに、つい立寄ったお寺。
東京ではあるけど、
ほとんど神奈川県との交流が多い町田市、
👆少し下った道路を挟んだ向こうは相模原市。
長福寺。



参拝する人は無く、暮れるまで一人。
これが心地よかったけど、
♪♪夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手々つないで みな帰ろう
・・・・・・♬
お寺にきて気持ちが落ち着くのは、
夕焼け小焼け、
この歌があったからかもしれない。
何十年、見向きもしなかった、
お寺の散歩が気に入ったこの日。
着た切り雀が、門の前で我に返った。

幕末誰が彫ったか、詳細もない龍の彫刻。
めらめらと好奇心が鎌首をもたげたけど、
手掛かりがない。
昨日の夜は、
洋装店で服をあつらえている夢を見てしまった。
高台にある神社もあって、その彫刻も又、
好奇心をそそられました。
次回辺りで投稿できればと思います。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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菜の花畑を応永寺、桜門の天女と力士。

2019-12-01 00:48:07 | 関口文治郎/神社仏閣
 
11月が終わる。
慣れない資料まとめに、目はへっこみ、
幻聴ならぬ幻匂は階下のすき焼きか、
20時からうつら、うつら。
気を取り成してシーツを換えては、
付けっ放しのテレビの画面に気を取られ、
これでいい仕事ができる訳な~い、12月になった。

万之助は、30年まえ、欄間に彫った宗本寺に寄り、
本堂を無表情で見た歩いた後、
茶うけにと、寺が焼いてくれた残りの餅を半紙に包んで、
吾妻川から見上げる岩櫃山👆の絶壁を見ながら、
1里半、応永寺へ。

高瀬万之助、忠七親子が、
応永寺の山門の木鼻に取りつける彫刻を、
寺が用意した掘っ立て小屋で、彫ったのが1781年。
宗本寺の欄間を見た檀家たちが、依頼したもの。
今は、檀家たちが育てている名の花畑や、
桜を見に来る人たちがいるよう・・。
ここから1時間も歩けば、切り立った荘厳な吾妻渓谷を、
楽しめるが、高瀬親子は、見学したかどうか・・・。

の「力士」天井の「天女」が、
小高いのどかな田園風景に、
光って見えた。
 
 
👇菜の花畑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇灑水観音。
流行する大悪病のときは、楊枝と浄水を献じると、
観音は衆生を哀れみ、三宝と観音の名を称えることを教え、
さらに神呪を説いて、
これを受持する者は病気を免れることができるという。

 
👇吾妻川、昭和昭和10年の水害、
土砂崩れに洪水、被害に遭った方々を弔んだ、
慰霊塔を見過ごすわけにはいかない・・

 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇電車の尻尾は終点草津まで。
 
 
 
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