稜線の深けた八王子
満月、おぼろでもまるく、
真夜中のシャワー、乾いた素肌が心地いい。
きょうは、まもなく眠りにつきましょう!
☝ 写真 2018.4.29 箱根湿地園
稜線の深けた八王子
満月、おぼろでもまるく、
真夜中のシャワー、乾いた素肌が心地いい。
きょうは、まもなく眠りにつきましょう!
☝ 写真 2018.4.29 箱根湿地園
今年の5月の休みは、誰もから誘いが、無く、
無ければ無いで、やはり少し寂しい。
得意なのは、誘われて「忙しい」と断るのが、
至福の瞬間だったけど、
無いとなると、やはりネ・・・つまらない。
必ず無謀な誘いだと判っても、声をかけてくる、
気が置けない仲間も今はおらず、
先方も、私が黄泉の国に行かなければ、
声もかけられないわけで・・・。
そんなこと、ふと浮べ、箱根湿地園まで出かけました。
花を見て名前を言う、
後であんちょこ・・ウン。
少しは利口になっている。
そんな一日、撮ったり、あんちょこ見たり、
ほとんど、家族連れ、一人は見当たらない、が、
のんびりと、仙石原を散歩です。
👇 姫シャガ
👇 オダマキ
👇 アメリカローバイ・においなし
☝ 写真 2018.4.29
建長寺を見学した後、道路を挟んで向かい側の、
こじんまりしたお寺に寄りました。
ここは長寿寺で、足利尊氏が邸宅跡に、建てたお寺で、
金、土、日曜日しか拝観できません。
簡素なたたずまいで、
小方丈から眺める庭のボタン、つつじやシャガ、が満開、
坐って庭を眺めていますと、
不謹慎ですが、ゴロリ、横になって肘枕で過ごしてみたくなります。
足利尊氏の遺髪を埋葬したお墓。
向こうに、観音堂が。
☝ 写真 2018.4.22
☝ 長寿寺の花 写真 2018.4.22
ムラーノ島
15世紀から19世紀
ガラスの可能性に挑戦し
奇跡のガラスを生んだ
パロヴィエール一族展
4月28日~11月25日
箱根ガラスの森美術館
高水準の透明ガラスが生み出されたのは、
15世紀中頃のヴェネチア。
アンジェロ・バロヴィエールは、
哲学者で錬金術に携わっていたパオロ・ダ・ペルゴラの下で、
ガラスの成分を研究し、透明なガラスの中でも、
より純度の高い「クリスタッロ」(水晶を意味するイタリア語)
と呼ばれるガラスを生み出しました。
アンジェロ・パロヴィエールや娘マリアの発明や研究は、
ヴェネチアン・グラスの礎となり、
その後の約3万色とも言われる色彩表現や、
透明なガラスと乳白色ガラスを捻じり合せて作られる
繊細優美なレース・グラス技法の発明につながり、
豊かな装飾に彩られた
ヴェネチアン・グラスの黄金時代を築き上げました。
※
取材で世界を撮っていらっしゃる、プロ写真家がいます。
針さす指に、漁を獲る夫の帰りを待つ、情景が、
ムラーノ島、数キロ先の海に浮かぶブラーノ島の、
レース編みの伝統を鮮やかに・・・。
お借りいたしました。
fujikuma-junさん
JFK-world世界の撮影・取材地トピック
Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン
♫~♪
な~べ な~べ
そこぬけた~
そ~こが ぬけたら
かえりましょ
~♪♫♬
茶~壺 茶~壺
茶壺にゃ~蓋がない
底とって蓋にしょ
♪♫♬♪~
息づかい・所作
茶
すべてを敬い、もてなし清廉に日々を過ごし、
満開の花に、野辺の一輪。
雪間の緑の葉もまた春待つ緑の葉。
呼吸整え、見上げる半月も、また麗し。
・・・か・・・。
☝ 鎌倉・建長寺 写真 2018.4.22
ムラーノ島
15世紀から19世紀
ガラスの可能性に挑戦し
奇跡のガラスを生んだ
パロヴィエール一族展
4月28日~11月25日
箱根ガラスの森美術館
ヶ
建長寺、御深草天皇が定めた、
建長❝1249年❞の元号を頂戴したというもの。
三門を抜けると、仏殿があり、
写真現在の仏殿は、
徳川秀忠夫人の亡くなって20年、
芝増上寺の霊屋を造替した1647年の折に、
建長寺が譲り受けた建物、と。
贅沢に施された漆塗りの剥がれには、歴史の重みを感じます。
仏殿の後ろには、関東では最も大きい法堂が建っていて、
天井には、やや新しめの「龍」が輝いている。
聞けば2002年、日本画家が描いたとのこと、
ここで一服し、「未来・連福プロジェクト」収益で、
福島の子供を支援している、ボランティアの方が販売をしてた、
麦ごはんの酢飯と、柴漬け、切り干し大根、卵焼き、大福豆をおかずに、
お茶で腹ごしらえします。
唐門、本院寺務所を後にして、得月楼の
やはり「未来・連福プロジェクト」
裏千家・水野宗典氏を招いて、チャリティーお茶会に。
足を曲げ膝を折ることができない、私は、椅子に坐るのですが、
収益金は8月に福島の子どもを鎌倉に招待するイベントの費用として、
活用する、この会の趣旨とは別個に、
お茶の所作に、目を奪われて行きます。
後5日で箱根ガラスの森美術館の、パロヴィエール一家の作品展示ですが、
展示作品の掲載は本日、休みます。
👇 鎌倉、建長寺、
見上げて眩しく足もとが、ふらついてしまった三門。
三解脱門、この三門をくぐると、空、無相、無作、
あらゆる執着から解き放たれるという。
半分くぐり、もともと飽きっぽい性格ながら、
煩悩捨てるには、まだ年が若く?
あれもこれもの執着、一つくらいは何か残したい。
実存を優先し、
困った、小走り逆戻りをして、通り抜けることなく。
それでも建長寺。
魅力たっぷりでした。
👇 鐘楼が向こうに。
夏目漱石の1895年9月6日の「海南新聞」
建長寺を訪れて、
【 鐘つけば銀杏ちるなり建長寺 】
故郷松山の親友、正岡子規、11月8日の「海南新聞」
奈良の宿先で
【 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺 】
夏目漱石がたたずんで読んだ俳句が、建長寺のこの鐘。
造った時期は1255年だそうで・・・。
俳句、なんとなく正岡子規ののほほんとして、達人?
入り口から、、シャクナゲ?ボタン?の花が赤、白、黄色。
赤い花もいいし、白もいい、黄色はひよこ色、
色の鮮やかさは、オクラの花とどっこいどっこい。
一際、観光客の目を引いていました。
このあと「東日本大震災」の復興支援のお茶会に。 ☝ 写真 2018.4.22
まもなく、あと6日。
ムラーノ島の、バロベィエール一家の作品が、
箱根仙石原の、❝箱根ガラスの森美術館❞ で・・・。
煩悩・・・・ウン?
貪,瞋,痴,慢,疑,悪見の6種。
私の生涯、煩悩1000万本の薔薇に匹敵する煩悩だらけ。
が、これだけは清貧、譲れない少年時代の心。
無神論者ながら、消したい煩悩「悪見」
これだけは、
座禅組んでも、すがすがしくなる修業。
後は、肩にあざができ、膏薬貼れども、失神。
「修業が足りません」と。
ふてくされて、岩間のノスミレに、心を奪われ、
ウン、あしたがあるさ、あしたがある~と、ハミング。
花、覚えるのに必死、とにかく必死。
庭に咲いた、山に咲いた、花、花、花、は~な。
♬♪~すみれのは~な咲くころ~♫・
氷嚢額に当てて、スミレは私の眼には百変化、
すみれ。
ちがいが判るまで、歩けという~のか!
ヘェック・ション!
スミレを見ると、これもスミレ、それもスミレ?
あれは・・・スミレ、うん、スミレ。
来年は、きちんと、言える。
高尾の◎〇スミレの皆さん、
待って、くれる?
148・・・年、忘れた。
ヴロヴィエール一家のムラーノ島に渡った先代。
マリア、パロヴィエールは、女性の感覚で、現代の私たちの美観に、
素直に受け入れられる、文鎮をつくっていました。
画像は、マリア・パロヴッティエールではありません・・・・。
Making an Implosion Marble in Soft Glass
一の谷の戦い。
海の中に「敵にせを向けるとは卑怯者なり・・」
いざ覚悟、逃げた16歳平敦盛。
追いつき、顔を見れば美しき美少年、16歳と名乗り、哀れ、
逃がそうとして、手を抜いた熊谷直美16歳。
源氏の追っ手を知り、泣く泣く敦盛を手にかけ、
熊谷直美、やがて、
武家の無常を悟って高野山へ。
クマガイソウ、熊谷直美が背負った幌(母衣)に似ているところから、
付いたものです、と。
平家物語、よく知らないので、ここまでです。
☝ 写真 2018.4.17 高尾山
私は、ジュゼッぺ・パロヴィエール。
まもなく、ムラーノ島から、みなさんと、日本の森と湖の町箱根で、
お会いすることになります。
パロヴィエール一族展・あと9日。
まもなく私の作品と
パロヴィエール家の名工たちの、作品とともに、
森と湖の箱根でお会いできる日が来ます。
すでに『風にそよぐグラス』は
現代作家のディル・チフリー氏が、制作した美術館の池にある、
パラッツォ・ドゥカーレ・シャンデリアのを見下ろす、建物に、
常時飾られ、
私が1893年の肖像画を描いていただいた、
2年後、
芸術家集団「パロヴィエール」が、
1895年、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品した作品で、
当時、ガラス工芸の常識を破り、技術は奇跡のグラスと、
世界の注目を集めたものでした。
それが、
宙吹き、
高 24.1cm 幅 22.8cm
わずかな風にもゆらゆら、ゆれ動く、淡いピンクのグラス。
八王子、予報通り雨。
感情押し殺して流される一粒の・・涙のしずくに比べれば、
こんな雨「へ」でもない、とばかり、出かけた高尾山。
山頂付近はさすが寒く、背中に雨の冷たさ、
身震いするも、犬の身震いには到底及ばず、
3度のくしゃみに、元気いっぱいの登山者、
振り向いて「風邪ひかないで!」と
ニッコリ!
噂のくしゃみでもなく、花粉症のくしゃみでもなし、
下種の後知恵、せいぜい 「温かい風呂につかる」程度の知恵!
ベランダに出れば、奥高尾連峰・・・南無、南無、なむ~!
☝ 高尾山 写真 2018.4.17
あと10日 4月28日 パロヴィエール一族展 箱根で
ガラスの歴史は5000年前、
西アジアで青銅器が作られ、
日本では、
世界に誇る、新潟の火焔型土器が作られた頃と一緒。
天然ガラス黒曜石の鋭い破片が狩猟に使われたと、
解明されているけど、人間が、どのようにしてガラスを創ったかは、
タイムスリップをし、古代に戻らないと、記録に残せない。
ムラーノ島に渡って500年、バロベィエール一家が残した、
最大の技法、クリスタル・ガラス。
色を排除した、透き通るグラス。
ジュースを水をワイン、カクテルと、オールパーハス、
最も使用頻度の高いグラス。
今も変わらないのでは。
玉脚コブレット
17世紀
宙吹き
高 14.5cm 幅 8.7cm 新潟・火焔型土器
☝ 円覚寺 仏殿の天井の龍
近くのスーパーまで、歩いて買い物。
普段、車で通り過ごす景色に、足を止めていた時間、
あまりの穏やかさに、
公園、向こうで子供が遊んでいるのに、
つい、ポケットから煙草を取り出してしまった。
👇 円覚寺・・・・・・・・懺悔!
☝ 円覚寺を除いて 写真 2018.4.16
ムラーノ島、華麗なるパロヴィエール一族展は、4月28日から箱根で。
ヴェネツィアン・グラスの一技法として創出されたのは、
レース・グラス技法のほかに、ヨーロッパの、
貴族に人気があった、アイス・クラック技法があって、
行程は溶融状態から冷水の中に瞬間、投入して仕上げたグラス。
16~17世紀初
宙吹き、モール装飾、アイス・クラック
高15.3cm 幅11.4cm
錫色の隙間につゆ草を染めたような青空から陽がさした朝、
コーヒーカップ、受け皿代わりの掌が、奇妙に落ち着いていて、
こんな日は、パソコンの中の資料を整理しようと・・・。
背伸びしたり、肩をゆすったり、机の上に足を伸ばしたり、
結構な数量で、今はやりの言葉、
商標登録(断捨離)があるため、ここは「だんしゃり」
気分がよかった一日。いま23時少し前。
そろそろ、久しぶりの夜更け酌です。
地蔵さんと、さしつさされつ・・・ダメですよね・・・。
明日も、いい日でありますよう・・・南無!
☝ 円覚寺 2018.4.7 境内の花たちと地蔵。
4月28日から箱根で、奇跡のガラスを生んだ、
華麗なる、パロヴィエール一族展が始まります
👇 ミルフィオリ・レース双耳瓶
1915年。 ヴェネツィア
エルコレ・バロヴィエール作
宙吹き、
ミルフィオリ・グラス
熔着装飾、
レース・グラス、
高 19.8cm
ヴェネツィアン・グラスの中で、
最も難しいレース・グラスとミルフィオリ・グラスの技法の
併用は不可能としながら制作した作品。
作者、エルコレ・パロヴィエールは、
ムラーノ島の500年の伝統を伝えるガラス職人一家で、
名門パロヴィエール一族の、今世紀初めに活躍した生え抜きのガラス作家といえます。
※ ミルフィオリ・グラスとレース・グラスを合わせることは、
パロヴィエール一族の名誉をかけて作った製法は不明で実験的な価値がある
ミルフィオリ・グラス・・金太郎飴のような模様が入っているガラス棒を、
短く切って、使用して作った製品のこと。
イタリア語の Millefiori は直訳すると「千の花」。
椿の花を撮るとき、椿の花にレンズを合わせるとき、
脳裏から消えない、決まって浮かんでくる、光景があって・・・。
2015年10月の11日のブログ記事を読んでから。
❝縁側から、悲しみの言葉をのんで、椿を見ている姿❞
母が亡くなった日、一輪ぽっと花を開いた山茶花(椿)。
母の死を優しく、精一杯お見送りしているようだった。
と30年前を回想した作者の姿でした。
今は少しだけ、花の名前が分かってきました。
花の写真も撮りました。
けれど、撮る前から、
花に情景を浮かべて撮ったのは「椿」
そして、散り落ちた花辨は、
私のブログには載せまいと決めていました。
今日、その方のブログの記事に戻りました。
庭に毎年咲く、母のにおいの花は「山茶花」だった。
でも、思う。
作者の、母を見送った山茶花で、
30年前の回想を呼んだのは、今年も咲いた喜びが、
私のファインダーに浮かべた情景は、
悲しみを言葉に変えられるようになって、
花を優しく見ている、作者の姿。
母が坐っているような、母をおもう、姿。
私はその情景を大事にしまって忘れることは無いのでしょう。
秋、カメラレンズに、山茶花が咲いたら・・・、
そう、忘れない!
落花の刹那も花の命、つばき、地の花辨も、脈うつ椿。
☝ 鎌倉円覚寺、弓道場 芍薬。セッコク。椿。引用 Mrs.fuyou❝花守❞
私はぞろ目のまっちゃん。
遊びがが好きで呑べぇ~のぐーたら、
が、一歩外に出れば、正義の味方にして大盗賊、怪傑ゾロばりの、
剣術よし、馬術よし、話術よし、紳士で優しい。
昭和の終わり、そんな雰囲気だったが、
今は、部屋にいれば、ぞろ目のまっちゃんのまま、
外に出ても、ぞろ目のまっちゃんのまま。
怪傑ゾロのりりしい姿、さ~らさら、全く面影全くなし!
今は300万人の観光客であふれる、
ヴェネツィア・カーニバル。
90キロほど離れたアクイレイアの抗争に勝利した、
1162年。
勝利のお祝いに、サン・マルコ広場に集って踊り始めたのが始まり、だといいます。
その後、
素顔では知れる、貧富の差、身分の格差を仮面の中に隠し、
仮面をかぶれば、みな平等、と、楽しく街を歩く、至高のお祭りが、
1797年、
ナポレオン・ボナパルトにヴェネツィアが降伏することで、途切れています。
森と湖の箱根。
「箱根ガラスの森、うかい美術館」では、
売店の商品はすべて、ヴェネツィアで制作されたもので、
👇仮面際の衣装も仮面もヴェネツィアで作られたものを無料で貸し出したものです。
👇 この方・・・すがお
このヴェネツィアのカーニバルは、
2013年、世界を撮っていらっしゃる
JFK-World 世界の撮影・取材地トピックさんが、
私にはない感性と、技術で現地のカーニバルを撮ってます。
以前、美術館の☝ 池のガラスを制作した、チフリー氏の素顔を撮ったのを機に、
掲載許可をいただき、快くうれしいお応えをいただきましたが、
今回はまだ、お願いをしていません。
近いうち、お願いをし、ご紹介できればと思っています。
写真 2018.3.31
☝ 檜原街道頂上、月夜見峠から奥多摩湖
朝からどったんぱったん。
風呂場、台所、居間の換気扇の力を借りて、
花粉症退治。
布団叩きで、ちょっとだけ床を叩いて舞い上がらせは、くしゃみ。
藁にもすがる持久戦です。
通行止めだった、山梨大月までの道路が一部解除された松姫峠。
場所は、東京最西部、山、山、90パーセントのヒノキの里、
ひらり、ヒノキの子が舞っている、檜原村を通って、
山梨県小菅村まで。
のどかな春の景色に、
適わない背中。
武田信玄の六女、松姫が、
兄、武田勝頼の4歳になる貞姫、武田一族・小山田信茂の4歳になる香貴姫、
仁科盛信の嫡男・仁科信基、従者15人(不確か)と、
3月11日勝頼自刃、甲州武田家滅亡から、
3月23日武田刈りを逃れて辿った道は、
塩山・向獄寺を発ち、武田の宝物を避難させた雲峰寺を経由し、
大菩薩峠を越え、小菅村まで奈良倉山を遠回りし、
西原峠に登り、檜原村経由で鶴峠を越え、
陣馬街道、和田峠(案下峠)までの山の中。
人目を避けて八王子・上恩方にある金照庵に辿りついたのが3月27日。
👇 大菩薩峠山麓の雲峰寺 写真 2018.3.18
大菩薩峠から松姫峠・小菅に通じる登山道。
道を横切り、奈良倉山へ
美人といわれた松姫、登山靴のない時代、わらじで山の中。
武田刈りの人影を避けて、なお人影に息をひそめた山道、
某人の口車に乗って飽きっぽい性格ながら、一年半。
出来上がったアウトラインまで、あっちの道、こっちの道、消去法。
長かった。
ここが松姫峠から檜原村に下る、山道の終わり。
☝ 松姫 20歳 ☝心源院の松姫・信松院 2016.4.13
峠から降りた道、真向かいに九頭竜の滝、
道から見えないけど瀬音、
姫たち、のどを潤し、むすびの紐をほどいたに違いない・・・。
花粉退治、試合放棄で私の完敗、
窓、開けても地獄・閉めても地獄
地獄の ❝鼻水の滝❞ 五月まで枯れることなく・・。