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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

松風に長谷寺(ちょうこくじ) 厚木市。

2021-07-27 20:19:28 | 坂東札所

小田原勝福寺から丹沢山系仰ぎながら、
40キロ、今は白山自然公園が中腹に、
厚木市長谷寺(ちょうこくじ)
ソメイヨシノやヤマザクラなど約3千本
梅雨時には、紫陽花が斜面を青く染る、
 飯山観音、坂東三十三カ所札所の第六番目。

訪れた時には、
紫陽花の色に陰りが見え始めてはいても、
小雨の紫陽花ロードは、やはり紫陽花。




仁王像 1709年の金剛力士が、
2020年改装した仁王門で、にらみ!









仁王門の棟飾りが👇



👆の説明の棟飾りが👇



納経所の門の前には、
今の観音堂が建立される前から、















👇18世紀に再建された、飯山観音・長谷寺。
高台、静寂の中に、
小さかっただろう、源頼朝が秋田城介義景に命じて、
造営された観音堂の十一面観世音菩薩。
御詠歌、
飯山寺 建ちそめしより つきせぬは いりあいひびく 松風の音

小田原からの疲れに木々を揺らす風は、
巡礼者の心に染みたことでしょう。



👇銅鐘、1442の年紀を有して、
飯山、麓の金剛寺の僧が多くの信者から寄付を募り、
同年の4月5日に完成したといいます。 







👇3段の三手先に伸びる、
尾垂木の長さは少し下向きに、
けれんなく清楚で美しい・・。







👆👇境内に坂東観音の
石像が白山ハイキングコースに、見られ、
第31番 は、千葉県長生郡にある、
日本唯一の四方懸造りの観音堂・国重文
大悲山 笠森寺(笠森観音)


今日も長い記事・・御免・・!

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お万の方、白糸の滝。赤沢宿。

2021-07-25 11:07:12 | 散歩

昨日までの3日間、
群馬県の特別開場してくださった、
鋳物工場での高炉で浴びた熱しゃで、
今日はカーテンを閉め切り、
クーラーの冷気を絶やさず・・。

こんなことを言ってたら、徳川家康さえ、
頭が上がらなかった「お万」👆のお方に、
怒られる!
千葉(安房)勝浦城で生まれたお万のお方、
22歳の時、
身延山久遠寺第20世、日重、
身延山久遠寺第21世、日乾を師事した後
日遠(1572~1642)の説法に心服した、
徳川時代を礎を裏で築いた女性。

身延山👇は、お万の方の、原点だったでしょう・・。







👆👆👆👇👇2019・5月の身延山。

👇久遠寺


👇身延山・奥の院



見延山 
~ 寺井尚子さんのダニーボーイ ~

 






👆👇白糸の滝、
宿から林道を七面山に向かう裾野、はごろ橋、
お万の方64歳この白糸の滝で7日間、
女人禁制の登詣にあたり
ここで水垢離をした七面山に登った、

養珠院・お万の方。







赤沢宿、今でも日蓮宗の方は、
身延山から七面山の奥の院までの道中、
この宿を通るようにと、教示するといいます。




















👇標高600メートル、
宿で一軒だけになった旅館、江戸屋さん。



👇明治から昭和が一番の賑わいだった・・と。




徳川慶喜さんが泊まった襖の部屋の隣で、
98歳亡くなられた、おかみさんの法要が・・。



1989m七面山、いつか登れるかなぁ~と・・。

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赤沢宿坊、山梨。

2021-07-23 18:21:08 | 散歩

一昨日、山梨県の赤沢宿の散歩。

徳川家康が52歳で見染めた、お万さん17歳が、
入信していたのが日蓮宗で、
七面山の女性禁制を解いてから、

赤沢の旅籠、強力、駕籠人足を利用する人たちも多く
日蓮宗の信徒が、身延山から七面山への参道の
宿坊となっていた、
今は、国が指定する、
重要伝統的建造物群保存地区になっていても、
狭い林道、訪れる方たちも少ないとか・・・。




























休息時間に読んだ雑誌の記事に、
誘われた、赤沢宿でした。
春木川、早川、富士川沿い、
狭い林道を登って、開けた宿坊、
栄華だつたの歴史を魅せてくれました。
次の投稿にします。



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小田原城から報徳二宮神社。

2021-07-21 06:47:11 | 坂東札所




坂東札所五番・勝福寺の二宮尊徳の像を見て、
小田原城に尊徳の神社があった!・・・、
予定外の記憶に回れ右。

家族、親族の争いがなかった北条。
造られた当時からは、地震などでたびたび崩落し、
明治になってからは、天守まで破壊され。
今の姿は昭和になってから・・。
昭和の石工さんの技術の足跡。












👆👇竹を組んで竹を縄で括り付け、
泥壁を塗って、漆喰。
気が遠くなる作業です。


👇城から下って2~300mに昼でも暗い
二宮尊徳さんを祀る、報徳二宮神社、
小田原に沿って流れる、酒匂川の氾濫で、
田畑、家財を流され、両親は疲労で亡くなり、
養子になって、コツコツ働き、田畑を取り戻し、
24歳で家を最高したという・・。
コツコツ精神、勉学能力を発揮し、
領地救済に人生を費やしたともいわれ・・・












1周目:正面でお辞儀、左足でまたぎ、左回りで正面に戻る
2周目:正面でお辞儀、右足でまたぎ、右回りで正面に戻る
3周目:正面でお辞儀、左足でまたぎ、左回りで正面に戻る
正面でお辞儀、左足で茅の輪をまたぎ、参拝へ
👇二人は、真剣に教えを読みながら、
茅の輪をまたぐ、その姿が美しかったウン!

神社によっては、2週、1週とあるから・・ウン!








👇狛犬、正面から撮ったらいいのに・・?






👇腹ごしらえは、境内内のレストランで、
と思いましたが、
次の札所・飯上山 長谷寺(飯山観音)
まで1時間ばかり、常備飯、むすびを頬張ることにして、
小田原市を後にします。







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小田原城の鬼門除け・勝福寺。

2021-07-18 16:00:46 | 坂東札所

坂東札所5番・小田原 勝福寺、
奈良時代、弓削道教が孝謙天皇から賜った、
十一面観音像を当地に安置し千葉山弓削寺と、
称したのが始まりといいます
(溝縁ひろし氏・日本百観音霊場・写真集から)

👇境内には、農業復興に貢献した、
小田原生まれの二宮尊徳さん18歳の像や、


👇土地の無法者・怪力の大岩谷五郎を、
長野生まれ明治の力士、雷電為右衛門が、
投げ飛ばし谷五郎に泣かされた地元の人たちに、

喝采を受けた講談で語られる、土俵があり、



👇1704年鋳造の龍頭の手水鉢、


👇馬頭観世音堂、



👇北向大師の観音堂でしょうか、
「北向大師」の扁額が掲げられてました。




👇坂東観音三十三札所の石像が、











👇本堂は、













👇向拝の修復でしょうか・・


👇納経所で御朱印を頂き、


👇次の訪問地の準備、東司の出口に、
お手洗いの仏様・・・・
「烈火で不浄を清浄と化す」 
うすさま大明神、
トイレで浄財に思わず、ポケットの小銭を・・。
高級有料トイレよりも、なぜかすっきり!






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小田原、勝福寺。

2021-07-17 19:38:36 | 坂東札所

炎天下の草むしり、ヘロヘロで、鎌持つ手に、
♫ お酒はぬるめの 燗がいい~
   肴は あぶった いかでいい~
     女は無口な 人がいい~
いい夢を見てる女の鼻先に、猫じゃらし・・・
怒るか、物を投げるか・・ちゃぶ台飛ぶか・・
黙ってられたら・・
ウン!恐怖だ!
灯りはぼんやり 灯りゃいい~ ♪
草はなんで、にょこ、にょき、次から次なのか・・・。

👇小田原、勝福寺。
小田原城まで車で15分ばかりところ、




仇討ちで語られる「曽我兄弟物語」
浄瑠璃や歌舞伎でも演じられる、
曽我兄弟は、👇の仁王尊から怪力を与えられ、
1193年父の敵を富士の裾野で、
討ち取った、曽我氏に由緒ある寺で、








👇坂東観音第五番札所になってて、
関西から来る人には
飯泉山・勝福寺が最初の参詣寺になります。


👇1706年に再建された、本堂、





かまぼこの小田原は今で、
戦国時代は、北条氏の保護の基、
関東鋳造業の中心で、江戸時代も栄え、
👇1629年、地元の青木源右衛門さんの作。
現存する数少ない、小田原に残る貴重な梵鐘ですね。


👇700年樹齢の銀杏
水分をたくさん含む銀杏は、燃えにくく、
境内の建築物に類焼させない願いを託す銀杏、
やせた土地でも、スクッと手入れもいらず!
秋の実は、燻ってぬる燗で、ポイ!



開創765年、本尊11面観音像は撮れませんが、
本堂の欄間の彫刻などは撮れました。

うれしいことでした。




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長谷寺、1300年の長谷観音。

2021-07-14 21:49:02 | 坂東札所


鎌倉長谷寺、👇木漏れ日に背伸びして、
石段を曲がれば、
👆良縁地蔵さんが、足を軽くさせてくれます。


👇ちょっと勾配のきつい石段の途中に、
先祖供養に、水子供養に奉納される地蔵群。
















👇牡蠣の貝殻絵馬、願い事を書いて、
相模湾の海水で洗い清める手順、
長谷の観音様は、海を流れて鎌倉に打ち上げらた、伝説。
牡蠣は観音様についてた・・・。


👇寺の歴史が証明される銅鐸。
1267年の銘が・・。
けど、この鐘楼は新しく、銘がある銅鐸は、
観音ミュージァルで保管されてます。




👇源頼朝が、厄除け祈願をしたという阿弥陀堂。








観音堂には、特別開帳、巨大な11面観世音菩薩が。


広い境内、紫陽花咲く、観音山には登りませんでしたが、
たくさんの像がありました。










👇帰るときも、カシゃ、カシゃ!



8世紀からの寺院、鎌倉の文化に沿うように、
洗練された古刹。
坂東札所四番、海光山・長谷寺でした


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長谷寺、弁天窟。

2021-07-13 20:44:20 | 坂東札所

鎌倉、車道幅の狭い街。
コロナがなかったころは、それが仇になり、
車道なのに車が進まない。

観光客が、歩道ではいつ目的地に着くのか、
車道に溢れ、たまに来るとその状況に、
口がへの字になってた。
長谷寺あたり、

鎌倉でも特に人気があったのでしょう・・・。

写経会館を出るとすぐに、弁天窟があり、
夏の汗なら一気に冷たさで生気が戻ります。

👇右端、左の女性が
黄色のチョッキ姿の女性を見てたのは、
プッシュボトルで、木々に聖水・・を振りまいてた行為。
外国の方たちだったけど、
チョッキに「南無観世音菩薩」の文字が・・。
彼らにして、巡礼だったのでしょう。



👇弘法大使がこもったという洞窟。


👇窟内の壁には、弁財天と従者16童子が、
刻まれていて、ろうそくの灯りを案内にして、
腰をかがめて・・。


























👇2021年の出口?まぶしい世界がそこに。


で、5~6歩、
👇願掛けの絵馬、脳に一撃、ぎょろめで半腰に。






長谷寺の好きな石段風景、これから登ります。





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鎌倉・長谷寺、写経会場。

2021-07-12 20:05:26 | 坂東札所

何度か訪れた、鎌倉長谷寺。
奈良の長谷寺は牡丹、
鎌倉は紫陽花。
一度梅雨時訪れ、観光客の多さに、

花どころではなく・・と、それ以来の散歩。

坂東札所4番、長谷寺の本尊、
十一面観世音菩薩、今年で造立1300年。



9メートルばかりに金箔、見上げて、
今日の突然の雷より、驚きました。

👇受付から境内右奥に、



百日紅もすくっと・・


👇鯉に声かけ、何匹いる?・・なんて、



👇この・鯉の色に魅せられ、いいなぁ~、なんて





芹香千亜さん・・・・・。





思いながら、
長谷寺文庫、書院、写経会場の門へ、

飛び込みでの写経はできませんが、
中庭を拝見するのは自由です。
行き届いた、手入れ、写経を終えた人たちは、
きっと、清浄な心地で門を後にするのでしょう。















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武将に力を与えた、逗子・岩殿寺。

2021-07-10 21:54:44 | 坂東札所

 13歳で伊豆に流された頼朝が、成長して、
源氏に、む平家を討伐しろと命が下って、
知らんぷりした頼朝に、平家が源氏を滅ぼすと挙兵。
伊豆で勝ってた戦いも、自然災害で兵を失しなって、
小田原、石橋山の戦いで、敗れ、
箱根山から真鶴半島へ逃れた頼朝は、
船を仕立てて千葉、安房勝山あたりに上陸。
この時、帰依していた11面観音様が、
舟の舳先で航路を導いたと・・。
1180年のこと、以降、
頼朝は鎌倉を拠点にし、
岩殿寺には、北条政子御台所や、

実朝らと、たびたび、参詣、参拝したとあります。

生死背中合わせに生きる武将の、
信じ深さが垣間見ます。

👇石段の上段近く、
弘法大師が指で彫った、爪彫(つまぼり)地蔵尊が。



👇花山法皇、後白河法皇、
源頼朝、徳川家康が、訪れたという供養碑が、



👇登り切れば、四国三十三観音それぞれの、
御詠歌の句碑が、



👇観音堂は1728年、
造営大工に鎌倉の蔵波杢之助と藤原政吉、
彫り物師に清右衛門さんが・・。







👇観音堂裏手には、奥の院です。






👇さらに巌壁を登ると、
正教観音吉祥塔が、
手前には、秩父三十三観音の御詠歌の石碑でした。












👇あぶちゃんを衝立に飾って
海雲山。岩殿 
がんでん寺でした。




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