春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

漆喰絵の飛天・長八記念館(浄感寺)静岡県松崎町。

2023-09-22 16:23:28 | 散歩

5500人ばかりが住む、小さな入江の松崎町、
朝陽に跳ねるボラのしぶきに、久しぶりにのんびりした朝。








この町のキャッチフレーズは『花とロマンの里』
桜餅に使われる桜葉漬けは、
全国の約7割がここ松崎町で生産していて、
種類も豊富・・道明寺好みで、
病みでなければ5~6種類は、ぺろりしていた。

歩いて判る平穏な町で、顕彰されている、
漆喰で絵を描いた鏝職人、入江長八の記念館の母体、
浄感寺の本堂が。(敬称を略します)





浄感寺の近くで生まれた長八の生活は苦しく、
6歳まで寺に住み込み修行し、
12歳からは、左官業の関仁助の弟子になって、
父平助、母てご、ら家族の生活を支えると同時に、
長八の後年、漆喰細工の基礎技術をみっちりと学び、
15歳、駿府の仕事では、村の繁栄ぶりに驚き、
日々の中から、絵に対する関心を深めていく。

👇長八の道具(一部)



19歳、棟梁仁助の元を離れて、江戸深川へ。
その日暮らしの日銭の生活は、荒み始めた矢先、
1835年、火元、神田町琴師の家から出た、
4000人の死者を出した甲午の大火。
その再興に建築業が立ち上がつて、
長八も本業の左官業で、生活が落ち着きを出す。

長八にふつふつと、絵心に蘇り、
絵の師匠を求めて、谷文晁の弟子、喜多武清の弟子に。
充実した長八の生活は、
女との葛藤、絵の習得、故郷との決別が、
長八の鏝絵の礎となる。





300年続いた浄感寺が焼失して、
再建の時(1845年)幼いころの恩師正観上人への恩を、
江戸から弟子2名を連れて本堂内陣に、
漆喰絵で腕を振るってる。

👇飛天の像











江戸の末期、明治に作成した、
漆喰鏝絵を集めて20点ばかり


👆の右下を拡大👇





松崎町に行ったら
伊豆の長八(本名入江長八)を
何処かで口にして散策


ここには、伊豆に名跡を残した
彫り物師
石田半兵衛親子の向拝に彫刻が
今日は、案内くださった館長に感謝して


コメント (2)
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アカテカニが一杯・岩室洞。松崎町散歩。 静岡県賀茂郡。

2023-09-17 10:48:08 | 散歩


海底火山が隆起して観光名所になった伊豆半島、
2000万年前に海底で生まれた伊豆が、
本州にくっついたのは60万年と、気の遠くなる地形の歴史。

柔らかく加工しやすい石は江戸城の石垣用にされて、
石切り場であったという岩室堂。
松崎町から伊豆半島の先端に通じる道端に。
駐車場は10台ばかりのスペースに、先人客の車が2台。
















湿り切った洞内の天井を見たり、掘削跡を見たりで、
一帳羅の靴が完全に泥まみれ、
これから訪れる施設を思って、最後にすればよかったと・・。










切り出した石は、奥の出口から海岸まで運んで、
船で輸送、その船着き場までは、アカテカニが住んでいました。
察知能力に優れて、隠れ家に入るとなかなか出てこない。
息を殺して、そろりそろり・・辛うじて何枚か・・‼







海岸の石の輸送する船着き場は、ここで👇・・
力がなければ、とてもとても・・。

見学には、もっ一丁、靴を・・‼




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なまこが一杯、松崎町散歩。静岡県賀茂郡。

2023-09-13 19:31:05 | 散歩

全国の商家が藏の荷物を湿っけ、潮風、火災から守るために、
平板の河原を下地の土壁に貼り、目地を漆喰で、
塞いだ模様の建物の町に立っていると、
都会、重箱の隅をつつく様な喧騒に、心を動かされる、
自分と別れたくなる。


9月8日、台風が過ぎ去る、時刻を待つて、
西伊豆、松崎町へ。
2019年2月に2時間ばかり立ち寄った町。
あの頃、まだ怖さ知らず、図々しさを持ってい動いてた。
今は、小さな記憶に、
失ったら二度と取り戻せない、
日本の農山漁村の景観・文化を守りつつ、
♪ 日本で最も美しい村 ♬ 連合 に、
ゆっくりと心を落として。














👆 扉に施していた、👇 漆喰鏝絵。



























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漆喰の町・松崎町、散歩。静岡県賀茂郡。

2023-09-10 08:56:08 | 散歩

3泊4日の予定だった、西伊豆訪問、生憎の台風で、
実働稼働は、2泊1.5日、今日は高速も混むので、
早めに切り上げます。
散歩の風景は後程・・・‼

👇伊豆の長八美術館






👇なまこ壁通り




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須影八幡神社 ②-② 3代目石原常八の技。埼玉県羽生市。

2023-09-07 13:11:55 | 関口文治郎/神社仏閣

8月で終わる筈の仕事が、昨日まで伸びて、
今度こそは、ゆとりができると信じた昨日。
事務所に戻ったら、だぁ~っと、あれもこれも、
お願いしますの箇条書き。
病みの身体、誰かにやらせろと、と思ったけど、
まっ、好きなペースで出来る、思いが喉元で盆踊り。
何かやっていれば、気もまぎれるしね・・‼


江戸時代、群馬県で生まれた彫刻集団も、
末期になると、彫り物師の仕事も多方面になって、
彼らへの仕事依頼はどこから出たのかと、知りたくなります。

須影八幡神社の彫り物師は、
群馬県みどり市花輪に住む、3代目石原常八なのですが、
歩けば、12時間ばかり。
彫刻の注文も少なくなってきた江戸末期、
本人が単独営業するには、ちと疑問。


彫り物師は、宮大工の棟梁が居なければ、
成り立たない職業で、
宮大工棟梁は、施主から満足のいく請負金を得るため、
出来栄えの為に、売れっ子の彫り物師を雇い、
造営の出来栄えを誇る。



地元の宮大工棟梁、
宮大工、清水仙松、三村若狭正利は、若いころ、
群馬県邑楽郡板倉町の、
雷電神社の造営(1835年)に参加していた記録、
胴羽目板に彫刻は、3代目常八主利の親父。

2代目石原常八主計。
当時3代目は、腕の立つ25歳。
共に若かった宮大工と彫り物師。

5年前、榛東村の宿稲荷(1860)を彫り終えての仕事。
農耕の神を祀る須影八幡神社造営の、

地元宮大工棟梁の誘いに、
3代目が駆け付けたのが、理解できます。










👇 木鼻の獅子。
図案は誰が描いたかは不明ですが、
前足の置き場所を変えた、躍動感を見入ってしまった











地元、入江文治郎茂弘を相棒にして、
3代目常八55歳の彫り。

その後、3代目の彫りの資料は無く。
長男は高沢家の養子に、次男は高松家を名乗り、
三男は、岸家の養子になり明治3年、28歳、
職人の妬みで神田の宿屋で、闇討ちに遭い生涯を閉じ、
私生活、親子共々、豪放磊落な、石原家が断絶してしまう。

わたらせ渓谷みどり市花輪の、彼らが住んでた、
家の前を通るたび、なぜか胸が痛む。 終わり・・‼


コメント (4)
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