春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

頭痛は水分不足からも?

2017-02-28 12:15:59 | Extra

ここしばらく、夜中から寝起きまで、ひどい頭痛に悩まされていた。
書籍の小さい活字やPCで目の使い過ぎと思っていたが、
それだけではないらしい。
頭痛は、体内の乾燥も、要因のひとつだと、
今朝、知らされました。
確かに、動かない生活、食事も一食ほどの日もあり、、
水分の摂取は、まこと少ないな、と振り返った。
外から乾燥、内から乾燥!
市販の「頭痛薬」に頼っていたが、
昨晩は、打ち合わせをしながら、人並みの食事を採った。
その後PCで遅くまで仕事したけど、今朝は、頭痛がない。
一日だけで、結論を出すのは、どうかと思うけど、
ニュースを聞いて、思い当たる節に、
妙に納得してしまった。
引きこもりを気にしていた「友」が、
「当たり前!だから言ったたじゃないの、ほどほどしなさい」と、
電話の向こうで「意を得た」とばかり、
リズミカルに怒っていた!

昭和45年まで使われ、昭和52年に解体された、上野消防署の望楼。
48年ごろの都心は、このスタイルの塔屋式と煙突式の望楼は、
建築物の高層化と電話の普及で、ほぼ役割を終えていたよう。
今は、小金井市の公園に移築されている。
解体前は23メートルの高さで、この望楼は上部7メートルの部分。


 
          

          この趣は、昭和生まれの私には、
         気持ち和む、ひと時を与えてくれます。
             
  ではまた! 

コメント (2)
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わるものは、撃沈!

2017-02-27 18:06:57 | Extra

昨日とは違う、冷たい風が、吹き寄せている八王子です。
平穏な日々を送る、私にはのような、
肌寒い世界は不要で・・・ただ悪い輩には、制裁は必要で・・・・。
こんなきな臭い映像の掲載は、これっきり、これっきり!

資料室で放映している画像。これも転載可能画像です



のような笑顔で、過ごしたいものです!

「京橋・デカタンス・チョコレート」一度食べたら辛党でも、癖になります!




では御免!
 

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どうにも、こうにも、この日々、この国!

2017-02-26 18:06:12 | Extra

なにその恰好「たまには、外の空気を吸ってきなさいよ」
ついでに云う。
なんでもいいから、鼻のティシュだけは取りなよ!
花粉症・症状の処方と、予防で欠かせない、
鼻に詰め込んだティッシュペーパーのロングスカート。
他人から見たら、滑稽で同情をあおる格好だけど、
身近の人間にすれば「タダ、恥ずかしい姿だけ!」であるという。
フン!

これほど「無くなってもいい国はない!」と思わせてしまう。
以前は「地上の楽園」などと虚構の宣伝で、
1958年から
戦争後の労働力不足を補うために、在日朝鮮人の集団帰国を促し、
「夢を見て渡った」人たちもいた。
自分の国でありながら、その後は二度と出国を許されず、
貧困と規制の地獄を味わい続けていた。

北朝鮮、この「共感性」のない国、
「共同体への帰属心」「生存戦略」は、
まさにサイコパス・精神病的変質と、
精神病理に素人の私でもわかる。
トップのみならず、国民全体が、
病的な殺人者の巣窟と思わせてしまう。

九州南西海域工作船事件
2001年(平成13年)12月22日に東シナ海で発生した、
不審船の追跡事件である。
不審船は海上保安庁の巡視船と交戦の末爆発、沈没した。

見事なV型船底、普通の漁船は「平型」です。


90メートルの海底に沈没した不審船を海底から引き上げた結果、
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作船であることが判明し、
現在では「九州南西海域工作船事件」と称されている。

※通常引き上げには、100メートルと聞いています。


工作船としての特別使用で、プロペラを4基にして
 これで60ノット、時速≒110キロのスピードが出せるようにした。


☟小型船、プロペラ3基に改造、50ノットで≒90キロのスピード!
 競艇ギャンブルの好きな方、そのくらいの速さです。


破損した操舵室の向こうが機関室、2室ある。

3ミリメートルの生硬な鉄を繋ぎ合せる「溶接」の技術は、
 当時の北朝鮮にはなく、よその国の技術者の技だという。
楕円形の穴は「トイレ」右の円柱は、排水用パイプ。
 寝室がないので、急場は、この場所(船尾)ですっきり!

第二次世界大戦直後に歩兵用にソビエト連邦が設計した
 開発された口径4.5ミリ機関銃のようで!

錆と塗装の部分を切り取れば、
 「アブストラクト」の絵画のようで楽しめるのですが!
 こんな国があるなんて、気が殺げて来ます。
 では!

※海上保安資料館横浜から。資料掲載は認められたものです!

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失礼いたしました!

2017-02-25 21:05:27 | Extra

今日は、更新記事が、春らしくないなぁ~なんて思いながら、
ブログのページをいじっていたら、
二つもタイトルなし、記事なしが公開されていて、

「肝」を冷やしているところです。
大変失礼いたしました。

明治開港資料館の中庭で「玉楠の木」がエネルギーたくましく。

今日はこのあたりで

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浅はかだった!

2017-02-24 19:58:44 | 残念・・・!

花粉症です。昨日から。
春を呼ぶ「風の舞い」があった、朝から夕方まで
窓を開け放して本を読んでいた。
夕刻からくしゃみ、鼻水、頭痛。

初めての経験でした。症状は今日も止まる処知らず。
ごみとなったテッシュは山になっています。

河北新報。2011年3月27日の新聞。


被災した私たちにとって、「ガレキ」などというものはない、。
それらは破壊され、奪われた大切な家であり、家財であり、
何よりも大切な人生の記憶である。たとえゴミのような姿になっていても、
その価値が失われたわけではない。
気仙沼、リアスアーク美術館の常設展示場にある解説、
学芸員、山内宏泰氏が執筆した文句である。
『ガレキ、という言葉を使わず、「被災物」と表現してほしい』とも述べている。

当時、
被災地の人々も会話では、「このガレキ!」と口走っていても、
ひとりになると、
かじかんだ指を、吐く息で温めながら、
一つ、一つ、と、記憶を取り戻しながら、我が家と家財を、
つたう涙を口で受け、探し続けていたのだ。

被災地から離れた土地で暮らしていた私は、
災害の話題になると、
日頃の言葉「ガレキ」と、簡単に口走っていた。
十把一絡げの「ガレキという言葉」に心を痛める人達がいたのに!

コメント (2)
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