春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

日原鍾乳洞 東京都西多摩郡。

2022-09-30 21:51:32 | 散歩

今日は、奥多摩の日原川を行ってきました。
家から2時間足らず、
青梅市を過ぎたあたりからは、
山の景色に変わり、
スピードを落として、
前方の景色で英気を養います、
ただ日原川沿いに入いれば、
さらにスピードを落とさないと、
狭い道、大変なことになります。

👇車で行ける最後の場所が、
日原鍾乳洞になります。





今日は橋の上から日原川を・・
外との温度差5~6度以上も違う鍾乳洞、
濡れては、鍾乳洞が見られません。
目的は日原鍾乳洞ですので、
沢下りは今度にします。


































絶好の天気でした
こんな日は外の景色がいいのに
穴のなか
滴でびしょ濡れになって
手は凍え

昔、山岳宗教で中に入る人を
修験者がたいまつを燃やして道案内し
乳白色の鍾乳石は
黒ずんでしまったといいます
その鍾乳石も
撮ったのですが
訳の分からないものになって
ここまでです

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河童の川流れ。東京檜原村。

2022-09-27 19:21:07 | 散歩

日曜日、台風が去った檜原村は、
心地いい日差しでした。
まったくの、ぶらり散歩。

広い東京の端、山を越えれば山梨県、
そこまで自宅からは40分ほどで、
秋川渓谷沿いは、自然に触れる人たちが多く、
一時、遠出ができない時期には、
混雑で地元から、檜原には来ないでと、
悲鳴が上がった村でした。

👇あきる野市、広徳寺の銀杏を見上げて、














👇で、ここまでは良かったのですが、


檜原村に入るちょっと前の、
瀬音の湯という泊りができる保養地で、
この辺はキャンプ場がいっぱい。





イヌシデの葉っぱを見ながら、



👇中身は鮭に筋子と紫蘇昆布を具にした
むすび2個、ザックに2個で、
腹ごしらえをして・・



檜原村の神戸岩のふもとへ、
👇秋川渓谷に流れる沢水は澄んでて・・
よくあることだけど、
昔なら滑っても、体制を整えられたのに、
濡れた岩場、ふたつの岩の向こうで、
カメラごと流れにつんのめって・・
上で見ていた、犬の散歩の姉さんが、
ぅぎぁ~~ぁ
沢水に埋もれた長靴は満タン、
手にはカメラ、背負った鞄が重い、
座りなおせばと、立ち上がって、
苦し紛れにハハハハ・ハァ~・・
どうでもいいけど・・・
♬ どうやって車に乗る~~ぅ♪



カメラの調子を見るのに
👇神戸岩を撮ったけど
まぁ~無事 ?
一応、カメラ救急病院に送り
幾度も訪れてる檜原村
忘れ得ない
思い出を作っちまった
SDカードは・ティッシュで幾度も拭いて
風通しのいい、日陰に置いて
9月25日
・・・・


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曼殊沙華  埼玉県日高市巾着田。

2022-09-24 12:20:58 | 散歩

妻は曼殊沙華が嫌いでした。
嫌いと言ったのは、
私の些細な、不始末をなじった時以外、
聞いたことはありませんでした。

母も嫌いでした。
枯れた水路の淵に咲けば、
母さんは、その花は好きじゃない・・・
母の顔をまじまじと、
見上げたことがありました。
二人の嫌いの理由は、これからも判らずじまい。

私が、一等嫌いなものは、勉強。
これは、生きてきた時間と、

これからの時間も、一貫。
鋼より硬く、猫パンチを受けても、変わらなくて・・。
伝説の河童は、悪さをして
気の利いた大人に助けられてから、
人のために良い事をしたのに比べ、
私の影武者、河童はぐうたらな、やもめのまんま。
改心して行動したのは?
昨日の墓参りだけ。



夏が過ぎて花が枯れるころ
召集パイプが響けば
あなたは行ってしまう

帰ってくる日があって
私がいなければ
草原が冬で白く染まっても
あなたは雪を掻き分け
お墓の、私を探すでしょう
ダニー・・・
私は居たのです。
日向に日陰にあなたを待つ、私がいました
戦争が終わって、
私のお墓を静かに歩く足音を聞くまで・・・

 ~  ダニー・ボーイ  ~

 























重なる出来事に 手こずって
オアシス・ブログを前に
手が伸びず いまドテッ です 
無沙汰に、尻をぺんぺんしてます
ゴメン ‼
天の声が聞こえた・・・
♬ ぼ~っと生きてんじゃないよ~


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布引観音  長野県小諸市

2022-09-13 22:06:07 | 散歩




長野県小諸市の、
布引観音堂を見学しました。
正式には、天台宗布引山釈尊寺 といい、
724年、行基さんの開基と伝えられ、
1592年に断崖に造営された観音堂は、
20メート余8本の、柱で支えられてました。



👇釋尊寺
1500年代、武田信玄さんらの兵火にあい、
1700年代の、野火などで焼失しても、
観音堂 👆 は、延焼しなかったといいます。
















巌窟は3年かけて西行さんが彫ったと伝えられ、
西行さんの一句、

三年経て 
 折々さらす布引を 
  今日立ちそめて 
   いつか来て見ん(西行)



👇布引観音堂(重文)









👇小諸市の町が見えます。



本尊聖観世音(しょうかんぜおん)
左に十一面観音・右に馬頭観音・
百体の黄金色に輝く仏像群と宮殿が納められていました。







幻牛伝説
善光寺まで、牛の角に引っかかった布を
取り返そうと、善光寺まで
追いかけた、欲張りばぁさんは
小諸で生まれ
牛は布引観音の化身だったと
ふぅ~ん
善光寺で信心深くなった
ばっちゃん
いつか逢えたら
競歩耐久のアスリートに
なれるよう、応援しようっと ‼


コメント (6)
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善光寺詣り、長野県。

2022-09-11 09:34:35 | 散歩

拠無い出来事に、
皆さんのブログに訪問できませんでした。
今日からは平常の生活に戻ります。



善光寺、光三尊阿弥陀如来を本尊として
創建以来、約1400年。

 百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像 
10世紀、京の貴族に広まった浄土信仰を、
僧侶、善光寺平さんが本尊を背負って、
全国を遍歴をして、
善光寺信仰を広めたといい、
大衆のためのお寺。

👇火災のたびに、再建する費用は、
本尊の分身を全国に出開帳して浄財で賄ったといい、
今の堂宇は、1707年に再建されたといいます。



読経が響く堂宇の中で、手を合わせ、
もう一度、この時ポンと
気が落ちました

👇橋の傍の、喫煙所、
腰掛け石に座った時には、
境内の写真を撮る気力が、無くなってた。
出来上がった善光寺、入り込む隙がない。



👇本堂の一本の柱だけ、ひん曲がってた。
長い年月で、天上から下2mばかりからの捻じれ、
製材されても、木は生きてる、
こ踊りしてしまった。


👇護摩堂。


👇新潟県十日町の観蓮会が昭和45年に寄贈した、
大賀一郎博士が発見して、
2千年前の蓮の種子を発芽させ、咲いたという蓮。


👇1192年、源頼朝さんが参拝の時、
馬の蹄がはまって、馬から降りここからは、
歩いて行ったという、駒返りの橋。




👇水子地蔵尊



江戸時代、荒廃してた善光寺を復活させたのは、
徳川家。
江戸出開帳の時には、
江戸城の大奥が、希望して前立本尊を招いたといいます。
徳川家光公の正室・春日局、家光次男の正室紅玉院さん、
👇大奥の関係者の供養塔。


👇戊申戦争から太平洋戦争まで、
亡くなった、240万人の英霊を祀る、
仏式の霊廟・善光寺資料館も中に・・。


👇三門。





👇高村光雲さんと米原雲海さんの合作。
すげぇ~ ‼





仏法は四門四宗とわかれていても
澄みきった月のように
帰するところは
一つである・・・う~ん
昨日は中秋の名月
夕方から爆睡だった
👇
月影や 四門四宗も 只一つ 
芭蕉1688年8月の句


善光寺ここで、さよならです

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