春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

大叔父・太田節三の慕情を新装しました・・・。

麦わら帽子・群馬県 霧積温泉

2018-07-30 19:03:56 | 音楽



Mama Do You Remember ? Joe Yamanaka

~ 人 間 の 証 明 ~
Ningen no Shōmei



群馬県 霧積温泉 

 

 

 

 

 

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寺井尚子 - 真珠採り

2018-07-30 17:59:58 | 音楽


寺 井 尚 子 ~

真 珠 採 り

 

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寺井尚子 - デヴィル・メイ・ケア アルバム『The Standard』より

2018-07-30 14:26:18 | 音楽


寺 井 尚 子

デヴィル・メイ・ケア アルバム『The Standard』より


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江戸後期、平成を潤す貴惣門

2018-07-29 12:37:42 | 関口文治郎/神社仏閣

 

群馬県黒保根、花輪村に気鋭の彫刻師がいて、
三代続いた、石原家。
初代石原常八郎、二代目石原常八主信、三代目が石原常八主利。
ほぼ一代で終わった関口文治郎の家系にない、彫り師の系図。
二代目常八主信
江戸後半、参拝者
に畏敬を与える鋭利な彫りが信条。
しごかれて、江戸後期に名を遺す、
3代目常八主利が彫った鑿の跡が、
歓喜院・聖天堂(国宝)は埼玉県妻沼市👇の敷地にあります。

 

 





👇 大御所初代、石原常八郎

 
👇 2代目、石原常八主信 

 👇 左、三代目、石原常八主利

聖天堂ファイルは、👇
文治郎のデビューは、極彩色で。

👇 貴惣門(1851年完成)
この門の設計は、利根川の洪水の治水工事を請けた、
山口県の長谷川重右衛門、聖天山を見て、
熊谷の宮大工、林兵庫正清にデザインを描かせたのに、
建設費用がない。
完成したのは25年後。
宮大工担当は、元のデザインの規模を書き直した、
正清の子、正信。
斬新なデザインを彩ったのは、
3月、6キロ先の俵瀬村で荻野吟子(初の日本女性医師)
産声オギャァ~を聞いた?11月、

三代目石原常八主利(1810~1882)、41歳の時の彫刻。

今度生まれ変わったら「宮大工」と語る
吹田市の女史。
見届けたいけど、同い年。
今度生まれたら、私は「彫師」になり、
いいデザインを彩ってみたいもの。
ただし、こちとら、なまくらにして、無芸。叶うかどうか!







 

 

 

 

 

 

 

写真 2018.6.18 妻沼歓喜院・聖天堂

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巨木伐採、広刃でバッサリ。

2018-07-27 16:41:27 | 関口文治郎/神社仏閣

                               ☝ まゆみの実

都心のベットタウン。
昨日、多摩市5人の死者を出した火災。
鋼鉄をガスで切断中の出来事。
朝の朝礼「ウレタンがあるから注意して作業を・・」
けれど、作業階の下に施工したウレタンに、
隙間から火の粉が落ちて燃えて、
死者を出した事故。


工事現場の事故は、
落下物、高所からの転落、重機との接触、地盤の崩落、
危険が一杯。
ガス溶接・溶断、防火管理者の資格、私、
持っているだけの
素人だけど、言える.

工事現場は、いたるところに隙間があり、
火気を扱うときは、危険個所を明確に把握し、
元請けは、事故の無いように、作業手順を指導し、
安全確認後、作業の許可を与えるもの。

防火シートで隙間を埋め、消火器の準備、
火器バケツはあるか、噴霧器を準備しているか、
消火器は小さい火には使いにくいもの、
噴霧器で、のべつまくなし、火の粉を追いかけるがいい。
火器監視者は防火に対する知識、注意力、機敏性を備えているか。
5000㎡にウレタンがあったという。
朝礼で言った「気を付けて・・・」
後は、作業現場は下請け業者に任せっ放し、
危機管理の手ぬるさが見えて仕方がない。

安藤ハザマ建設、建築一部上場会社の中で、
安全管理能力の欠如で、一番労災害事故を起こしている。
「又か」の思いは腹立たしい。

※安藤ハザマ建設には社員・家族がいるけど、
 社員一人では抗しがたい、組織体質が引き起こした事故。
   そう、思えて致し方ない。

昔の絵馬 👇

 

 

 

 
👇 江戸時代の巨木伐採方法。

チェーンソウの無い時代。
右の裸の男2人。
台伐法・狭刃と広刃の斧で汗を流して、樹幹を切り細めて伐採。
左の男2人、編笠で火を煽いでいるのは、
幹に縄を巻いて油を注ぎ、焼く焼伐法。
この手法、ガラス瓶を切断するときにも利用する。

なんとも、悠長で微笑ましい、

 

 

 

👇 綱を編んでいる風景。
左の旦那衆が自分の縄を撚り、
右の親分?がハンドルを回して3本の縄を拠る。
中のおとっつあんは、綾をとるベテラン。
材料は、藤のつる、シナの木の皮。
材料、獲ってくるまでが、気の長い作業。
今でもこの手法、生きている。

 

この絵は、群馬県烏川から、町屋河岸(高崎市町屋町)で、
小筏に組み、武州薫村(埼玉県上里町)藤ノ木河岸で、
大筏に組み替え、江戸まで。
この筏の筏乗りは2人だと・・・。

 

 

 

 

 

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前橋・利根川を鎮める、一本木稲荷。

2018-07-25 19:28:17 | 関口文治郎/神社仏閣

 

暴れ川「坂東太郎」と呼ばれて、住民を困らせた利根川。
南魚沼市と水上市の境、大水上山を源流にして、前橋市を流れて、
東京湾に注ぐ。
1783年7月の浅間山の噴火の火砕流は、
前橋藩内では1465軒が家屋倒壊。

補修工事は、昭和の戦後、ようやく完了したという大川。
暴れ川の被害で、幾度も遷宮をした、
一本木稲荷神社の境内から、今は赤城山の麓、
浅瀬に鮎釣りを楽しめるおだやかな景色が見える。

 

 

文治郎39歳、1770年地元住民の要請で、
本殿を彫る資料があるけど、

極彩色という彫物は、本殿にみあたらず、
拝殿には、腕のある彫師と判る彫刻が紅陵、
扉を飾っている。

(只今、八王子18時、猛烈な雨)
熊谷の彫師小林源太郎。
越後、武州を股に、江戸後期名工と脚光を浴びた彫師。
彫ったのは、1808年文治郎が亡くなってから、47年後。
父、源治、その師匠は石原吟八郎。
いわば、同門にして商売敵と耳にした文治郎
源太郎にして、文治郎は偉大な存在であったかもしれない。

榛名神社の「双竜門」の扉を彫ったのは1855年👇
文治郎が彫った本殿は1806年に完成している。


 

 


榛名神社の境内、文治郎の海老紅陵に巻き付く龍を観て、
「その腕っぷり」に唸ったに違いない。
源太郎57歳。
そのあと一本木稲荷の紅陵に施している。
その榛名神社、文治郎が亡くなる2年前に仕上げた、
迫力ある海老紅陵のオリジナルが👇



文治郎亡くなって47年後、源太郎が1856年から1861年に彫った、
一本木稲荷神社の海老紅陵が👇



源太郎のすごさは、扉の彫り👇





源太郎の得意としたところ、著作権登録すればよかった!

あと数年、まもなく明治。
寺社彫師達の鑿は、少しづつ錆びていく。

 

 

 

 

 

 

 

 



写真 2018・7.14 榛名・前橋

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判らない・・のは小気味いいロマン!

2018-07-23 15:26:40 | 関口文治郎/神社仏閣

 

八王子39度を超え、鉄格子はないけど、外に出られない。
昨日、群馬県黒保根町に着いたら、役所のスピーカーが、
「熱中症」の注意が山あいに響いた。
午後4時30分の出来事。

いくつかの文献に載っているのに探せない、
「岩井堂観世音堂」
地元の方も知らない、岩井堂といえば渋川市と皆云う。
文献の住所はどれも一緒。
新しい文献は平成15年。

2度いたけど、神社がない。
で、榛名湖経由でもう一度、文献の住所に・・。


 

 

 

👇 ここが捜している場所。
何度来ても、ここなのに文治郎の神社がない。
行ったり来たり、すでに15時。

次の祥禅寺の約束の時間が過ぎてしまった。
あきらめた!

 

 


👇 ここで関口文治郎の師匠、石原吟八郎、
吟八郎の師匠高松又八郎邦教のお墓に案内してもらうけど、
大黒さん、どのお墓かは判らないという。
両家のお墓250年前、
文字が崩れて、さっぱりわからない。

 

 


延享(1744~1748)の文字、組織図に当てはめ、

 武工彫・・・これが石原吟八郎、のお墓かと・・。

 


ここが花輪彫刻集団を築いた、高松又八郎の墓地。👇
拓本を作れば少しは判るかもしれませんね!

 
38度、日陰にも入らず、麗しい!

 

 

 

 

 

 

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レンゲショウマ

2018-07-22 05:55:01 | 魅せられた!

 

昨日 気が置けない友達のお墓は、どんなのがいい?
と、と相談を受けて、オブザーバーに。
歯に衣着せぬ、気丈な未亡人だけど、
感情が昂って、一人では決められない。
結局は「まだいい」・・・と。

これも彼女のロマン。
気が置けない旦那、まだ惚れている。
恨みが出始めたら建てればいい。
炎天下、子供たちには悪いけどすっきり。


帰って、19時、
横になっったらそのまま、今朝。
あと一週間、暑さが終わり、
そのあとは台風が続く予報。
出かけましょう!

群馬、渋川から、黒保根花輪町まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  写真 2018.7.19 高尾山

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イワタバコ、一斉に乱舞。

2018-07-20 22:08:24 | Extra


昼時、日傘に汗をかいている男性を見かけるようになった。
高尾山、平日でも16時は混雑状態も、
昨日、同じ時刻で人影まばらだつた。

思考能力が、トロンとしている今日は、
あの山、この山と、想像して花から活力をもらって・・・と!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イワタバコ、2~3日でしおれるのに、間に合った。

 

 

 

 

 

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ここで生まれた文治郎。

2018-07-19 23:57:18 | 関口文治郎/神社仏閣

 

群馬県の利根川の支流に、栃木日光、中禅寺湖を上流とする、
渡良瀬川が、穏やかに流れいてる。
1610年足尾銅山が発見され、採掘の銅を江戸まで運ぶために、
日光東照宮の参拝の道として、山間にあってかなり栄えた街道でもある。
その街道に、東照宮の彫物修理に携わる
江戸幕府彫物大工棟梁であった、高松又八郎邦教が、

住み、花輪彫刻集団を創っていく。

花輪宿から3キロ、田島峠を超えた栗生山の麓に
数件の家があり、田沢と呼ばれている。
その山の一番奥の家に、
84歳、関口文子さんが住んでいる。
関口文治郎の末裔の奥さん、前橋粕川から嫁いで来た、
胸と掌にすっぽり入る可愛い女性。

 

1731年、文治郎が生まれ、作業場にしていた場所が👇



ガードレールのある沢を登っていけば田島峠、
途中に鑿を入れる前は必ず滝に打たれて禊をしたという
「不動の滝」が👇

 

 



若くして亡くなった文治郎の奥さんの為に作った、
「不動明王」の石像。この時文治郎42歳。



歩いて5分、坂道を下ると、「沢入観音堂」が小高い丘に。


妻沼聖天堂の彫りを終えた21歳文治郎は、その給金で、

栃木佐野天明の丸山善太郎に、半鐘を創らせ、寄贈するその半鐘が👇



 写真 2018.6.29 桐生市上田沢 関口邸


 

 

 

 

 

 

 

写真 2018.7.19 高尾山

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侠客、大前田栄五郎、欄間に惚れて!

2018-07-18 22:59:08 | 関口文治郎/神社仏閣


向日葵は、太陽を追いかけるけど
今、あしたも、明後日も、太陽は隠れてほしい!
「外に出るな」と、忠実に忠告を守れば、
1メートル四方で、頭カキカキ!

食事は喉を通らず、すきっ腹、
暑さの八つ当たりする物もかすみ、
外の景色を眺める勇気も湧かない。

ただ、ただ、涼しくても気分はぐったり。

群馬、赤城山に登る道、苗ケ島に金剛寺があって、
1761年前橋の大火で延焼した後、建てられたお寺。
地元で育った侠客「大前田栄五郎」の菩提寺でもあるけど、
1771年、文治郎は息子千治と松治、星野新次郎、黒田喜太郎らは、
檀家が造った、掘っ立て小屋に着く。
赤城山から流れる沢の水音は、
禊をしてから鑿を入れる文治郎をいい気分にさせる。

完成した1773年、8つの欄間は、
中国の故事、唐子遊びを題材にしたもの。
息子千治と松治は、仕出として使い走っしり。
43歳、関口文治郎有信は御公儀御棟梁の肩書を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天井の花鳥図は、前橋藩士であり又御抱画師、
森東渓の次男、森霞巌の筆👇


 

 

 

 

 

 

 

 

 写真 2018.7.16 前橋・金剛寺 ※花は別な日

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半分、眠ってます!

2018-07-16 23:08:08 | Extra

 

写真、部屋の中で撮っているときは、いい。
外に出て、どこを撮ろうかと歩いた5分くらい、
カメラのボディーが、卵を焼いたフライパンのよう、
アッチチ!


群馬、前橋から伊勢崎、38度を超え、
前橋、金剛寺ではカブトムシが熱中症で治療を受ける前に道路で、ダウン!
実際そうかは、わからないけど、
ひっくり返っているのを見ていると、
みんな熱中症ではないかと、
葉っぱに乗せて供養。


そんな今日。
早めに寝ることにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あつい。

2018-07-15 23:37:15 | Extra

 

暑いというより熱い。
予報、東京より高温になる群馬を訪れていて、
待ち合せの箕郷町の神主さん、一仕事を終えて戻って来ました。
車、境内に入れるなり、バック、前進、またバック、自宅の玄関前まで、
そのスピード、穏やかではない。
車から荷物をだし終えて、ゆっくりお話を・・・・。
その顔つき、もう熱中症状、足元フラフラだった。
私は疑問が解けて、すっきり。
けれど、人には言えない。

どこまで続くのこの暑さ。
心配していた被災地の不幸、
猛暑、休めるところも無く倒れるのも、
人が造ったといえなくない、天災のあおり。
年齢だけなら、私も黙って心配され、無力と揶揄される。
そんな私でも、日陰で涼みたい。
議事堂はクーラーがあるからいいけど、
日陰で人いきれの中の人たちは、どこで涼をとるのだろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


写真 2018.7.15 榛名山 ユウスゲの道

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疳の虫、木鼻の龍鼻にひっくり返る、文治郎

2018-07-12 20:09:47 | 関口文治郎/神社仏閣


江戸で公儀彫物師、徳川家御用務めた高松又八郎邦教の愛弟子だった、
異才石原吟八郎が亡くなったのは1767年。

日光東照宮の修復を手掛ける又八郎の仕出として、
又八に可愛がられ、
息子吟八、
星野政八、小倉弥八、大塚三次郎、
石原常八郎、前原藤次郎、高瀬万之助、
文治郎らに技を伝え、
妻沼聖天堂で病に臥せってから、

鑿をふるうことは無かった吟八郎。

日光東照宮から関東特有の彫りは
上州花輪集団の彫師に代々、引き継がれ参拝者の目、今は点。

吟八郎が亡くなる2年前から若御子神社彫り始めた、
山名(高崎)八幡宮、
文治郎が、息子千次郎の嫉妬を背で受けて、
これぞ「跡目の彫師」と認めた福田源治郎。
以後、並木源治の名で、足跡を残す。

1769年6月14日
文治郎39歳、
勢多(高崎)山名の荒れ地、烏川の傍に、
「木鼻の龍鼻」が出来上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、へまをするわけで、脇障子、文治郎の作のファイルがないわけで・・・。

 

 

 

 

 

 

写真 2018.6.18 高崎市山名八幡宮

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藤岡「秋葉神社」・剣客と戦う文治郎

2018-07-11 01:30:22 | 関口文治郎/神社仏閣

 

1780年、50歳文治郎は11月14日、箕輪村の「不動寺」の欄間を彫り上げると、
息子、仙次郎と松次郎とともに、一旦は上田沢に戻り、
そこで2人に給金を渡し、文治郎はすぐ、藤岡の「秋葉神社」に向かう。
「秋葉神社」の大工、斎藤新蔵が手掛けてから30余年が経っている。
幾度の中断を経て、完成がまもなく、文治郎が弟子の中で最も腕を買った、
福田源治郎が最後の仕上げに、鑿をふるっている。
文治郎には「秋葉神社」に特別な思い入れがある。
「護身法印相」の免許皆伝を持つ文治郎、
鑿の腕も立つが、護身法のほかに、忍びの技も得意で、
人間同士の戦いにも腕が経つ。
本尊は、剣客、腕は立つが遠州秋葉権現の霊夢に感じた、
内藤鎮心が彫ったもの。
その話に意気を自分に置き換えていた。
20年前、武州秩父の「三峰神社」で11面観音を、彫っている。

意気は、文治郎、11月16日前橋の大火482軒の焼失の騒ぎも、

耳の後ろにおいて、粉雪舞う榛名の山を仰いで、
大間々から伊勢崎の街道を急ぐ。

12月20日、
最後の向拝紅陵の雌雄の龍を仕上げて、見上げる文治郎、

鑿の鋭さに、内藤鎮心と対等に戦えたと思った!

剣客内藤鎮心が空を見上げる、向拝紅陵の彫り👇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 2018.7.9 藤岡「秋葉神社」

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