春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

須影八幡神社 ① 埼玉県羽生市。

2023-08-30 11:52:59 | 関口文治郎/神社仏閣

熱さにげんなりは、河童の甲羅に縛った、
3尺四方の幟もだらり。
和紙の陣笠を斜っかけにし、
脚絆に草鞋の紐は、地面を這い・噴く汗に垂れ眼になって・・

・・・そんな夢を見て・・出かけたのは、
藍染・青縞染色の町・羽生市。

前日泊りの古河市からルート46、
向こうの向こうまで、黄金色になった田んぼ、
刈入れが済んだところもあるにの、熱い日差しが不思議。

須影の町の外れ、
無断駐車しかできない神社で、納涼感に浸ったのは、
藍の葉の青縞染めの作務衣姿のおっちゃん👇



須影八幡神社。
歴史は判らず、唯一の記録は、

別当の蓮華寺の最後の住職が、
1858年拝殿を、1865年にかけて本殿を
地元の宮大工、清水仙松、三村若狭正利で造営した、と。





👇砂利石の照りに、草も枯れて、


👇母の手さえ暑苦しい



👇7月に行われる茅の輪巡りで参道にともす竹筒。
祭神は水の水源、山の神の神格を持つ菊理姫命で、
農業を営む地元の人たちの、守護神として祀られ、
稲の刈入れ前の大事な行事。





本殿の胴羽目の彫刻モチーフに、
本殿造営の建築現場の様子があって、
各所、中国の故事など、啓蒙的な彫刻とは違う、
1865年、まもなく明治、彫刻に新しい意識芽吹き。

この彫り物師が、墨書では、石原
恒茂主計の名。
板倉雷電神社・榛東村宿稲荷に関わった石原常八の流れ。
須影神社の完成2年前に、
石原常八3代目を受け継いでの作?。

羽生で彫るきっかけ・・次回に ‼









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稼ぎは足で、野木神社。栃木県野木町。

2023-08-25 16:46:29 | 関口文治郎/神社仏閣

子供たちが、熱波で校庭で遊べない日々の中、
嬉しい記念日と書けば、人間性を失うでしょうか。
15~6年続いた業務提携先と、ライフワーク専念の為に、

長期・・長期中断の許可を頂いた、一昨日です。

まもなく、変身するのは、休みが取りやすい、
所属事務所での、
てれんこ、てれんこの給料泥棒に・・‼



1700年代から150年間ばかり、
北関東の社寺に彫刻を施した52人の集団があって、
車の無い時代、
火災に遭った寺社の彫り物を気にして、
寝ずに駆け付けた彫物師もいたり、
天災に遭って、完成まで十数年掛かったり、
仲間内の嫉妬に命を落としたり、
現代、彫刻を見て感心して、遠い時代の出来事を見落とすと、
単に、年代記録者だけになり、想像力が薄れて・・・。
インターネットの便利さが、時には邪魔になったりして。



気になると、同じところに何度も足を運ぶ癖。
栃木県の梟の里、野木神社もそう。










石原常八主信、1819年の出世作、
一人で彫ったように、2年前は書いていたのですが、
今年6月に判ったのは、
彫物棟梁は、関口文治郎の弟子、
星野政八(1811年没)だったと・・、
けど2人は、共に彫った時期は無く、
子・絵描きでもあった慶助が、石原常八主信を指導し、
墨書にある、星野政八の名は、敬意を表したものでは、と・・
連名に、高橋栄蔵藤原伊安、内田直右衛門、糸井源蔵、
文治郎弟子、窪田徳次郎もいる。
完成は、腕を見込まれた常八主信を中心にしたもの、と。

年代記記録は、足が書くを銘にし・・・。

👇2年前撮った、野木神社、石原常八主信の彫り物を・・。















ウン、
暇を見つけてこれからは、新しいファイル探しに・・
奥多摩湖で15秒、気合を入れて
👇

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金剛院・小説金閣寺放火犯の美。京都府舞鶴市。 

2023-08-18 20:48:58 | 関口文治郎/神社仏閣
 

「私」は生まれつき吃音(どもり)で、
彼女もできないほどの内向的な性格だった。
ただ一つ、僧侶であった父親から、
金閣寺の美について聞かされており、
「私」の中で未だ見たことのない金閣寺を、
究極の美として夢想していた。



「私」は、初恋の女・有為子(ういこ)に対して、
後ろからついていき、
有為子からひどく罵られ、
「私」は有為子の死を願うようになった。
有為子は、海軍からこの地に脱走してきた、
脱走兵と仲睦まじくなり、やがて妊娠した。
脱走兵を追いかけてきた憲兵は有為子を詰問し、
有為子は脱走兵の居所が金剛院であることを白状する。

👇金剛院本堂


 
夜になって、有為子は憲兵につれられて、
金剛院にやってきた。
有為子は、百五段の石段を上り、
御堂に隠れていた脱走兵に耳打ちする。
すると突然、脱走兵は石段の茂みに隠れていた、
憲兵に向け銃を放ち銃撃戦となった。
そして脱走兵は有為子の背中に向けて撃ち、
自らのこめかみも撃った。

金剛院の本殿のそこから左へ斜めに渡殿が架せられ、
神楽殿のような空御堂に通じている。
小説金閣寺で描かれた空御堂に、
脱走兵は隠れていて、



👇渡殿の傍で、有為子はかくまった脱走兵の銃弾に遭う。

私は、官能の有為子に侮蔑され、
金閣寺で僧となり、父に教えられた金閣寺の美は、
やがて戦争で、破壊される運命にあると、
金閣寺に放火した、小説「金閣寺」の主人公です。


 
👇《有為子一人が、石灰石の百五段の石段を昇って行った。
狂人のように誇らしく。……黒い洋服と黒い髪のあいだに、
美しい横顔だけが白い》小説金閣寺より






舞鶴市、松尾寺(前掲)作家水上勉さんは、
幼少の頃、祖母に連れられて、よく参詣したといい、
老いて、他所に住んでも心の在所にあるといい、
5キロばかりところの金剛院は、
作家三島由紀夫さんの文体を確立した小説「金閣寺」に、
昭和25年、金閣寺放火事件を元に、
主人公の故郷への旅に、金剛院を登場させた。



室町時代に建造された三重塔は国の重文であっても、
江戸時代、丹後の領主だった細川幽斎(前掲の和歌)
が造った庭も、
三島さんがスケッチに訪れた時は、
金剛院には住職はおらず、荒廃していたという。

個人を挟むなら、
この時、5月18日、
疲れの絶頂で胃の痛み、背中の痛みに、
105段の石段の強さに、
シャッターを押す気力が失せていて、
最近の顛末でした。











花は8月7日の箱根湿地園です
 
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松尾寺。 京都舞鶴市。

2023-08-15 20:27:23 | 西国33カ所札所
👆8月7日 箱根で

5月半ばに訪れた、西国33観音霊場巡りの、
最終日、舞鶴市青葉山の中腹に、松尾寺。
太古青葉山は、火焔を吹き上げ、
噴流は直下の日本海に注いで、
壮絶な水煙を上げたという。



708年に草庵を結んで、
幾度かの火災を得て、
今の本堂は1730年修築と記録されている。
西国33カ所霊場で唯一の本尊は、馬頭観世音、
農耕の守り神、牛馬畜産、車馬交通の関係者、
競馬関係者からも、信仰を厚くしている。

案内書を見て、一番興味を持った、
丹後の宮大工たちがかかわった唐風の本堂、
早く訪ねたのに・・・





👇 もしや・・は、もしやでした。
長年に渡る虫食いの為の改修工事で、
本堂の見学はできませんでした。



工事の囲いがなければ👇こんな本堂。
工事前の写真から・・・👇👇。





工事関係者に色目を使ったけど、
一市井の男性では色目も、効果がなく、
内部見学は断念。
で・・・👇境内を・・。








安土桃山の武将、無骨にして、繊細な戦略家、
明智光秀の親戚でもあり、共にした、細川幽斎が、
青葉山を読む。

  いつしかと 花の木末も
     青葉山 なべて緑の 色も涼しき



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河童、菅笠の紐を解く。

2023-08-13 07:17:36 | Extra


行き詰った時はいつも、👇この曲に逃げてた
♫ 孤独な羊飼い ♪

André Rieu ft. Gheorghe Zamfir 
The Lonely Shepherd




8月7日。
3か月ぶりに持ったカメラは重く、

5月、1日で散ってしまう淡い赤い花、
検査結果日を数日後にして、
見たことが無いのに、来年はと、思う心残り。

箱根地方、山梨県の一部に分布する山椒薔薇👆
時折の雨に差す傘から、雫越しの実が愛おしい、



1日で散るのは、ハマナスの花も、またそう・・‼



悪ガキ河童、3か月間、干乾びていた、
頭の皿に、潤いの水が挿したのは、昨日。
どんぐり眼の女医さん、
膵臓に有った癌らしい影が、消えてるの、
癌だと云えなくなりました。

医師の同士の見解も同じ
と云う。
不思議だという。

肝臓にある影は、
10月の外来検査で判断しましょう・・・と‼
いきなり癌、半年であなたはこの世からいなくなります・・
外科で云われた言葉の、怒りの処理が、

喉元で、右往左往。

どんぐり眼の先生に、命を預けると言った2か月前、
たぶん食材を変えての結果、
暫く主治医と会えないのは、寂しさはあるけど・・、
心の深いところで、緊張の力が抜けていく。

孤独な日々に陥れた、正体不明の病名、
御心配をお掛けした、
皆様に報告できる喜びに感謝し、
皆さまへの非礼を忘れず、河童、
再び、転び立ち上がって、道中菅笠、紐を解いて、
一歩、一歩と・・です 

コメント (22)
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