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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

盗賊もススを払った!

2016-12-31 12:07:33 | Extra

今年はうまい稼ぎのいい年だったか?
盆の窪に掌を当て、考えた。



今年はつい、へまをやらかし、蟄居生活を送ったが、

食えないわけではなかった!

まあ来年は、大海に飛び込むつもりで・・・・
・・・・・待てよ、冷たい・・・?・・・

がぁ~大事の前の小事は今年で済ませた。
ここは男らしく、潔く、きっぱりと・・・



うつつを抜かす前に、

今年の垢を、洗いざらい落とし



来年も情報盗みの感性をしっかりと磨き、



楽しく暮らすことにしましょう!

来年の構えは「大上段」で・・!



今年、拙いブログにお付合いくださいました皆様、
ありがとうございました。
心苦しくも、嬉しさがあって、
とてもいい日々を送ることができました。

拙さを秀逸に豹変させる「術」は、

持ち合わせてはおりません、それなりですが、
明日からも、寛容の「術」を宛がいくださって、
おつきあいくださいますよう、
願い、申し上げます。

toyo0181

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ダカール 1月2日スタート!

2016-12-30 11:09:22 | Extra

ブログの更新も、ままならず、
年内の仕事、無事終了いたしました。
今、眠くなってきました。
今日からは、ただボーッと過ごすことにします・・・!

菅原義正氏をはじめ、ダカール参戦のメンバーが、
年2017年1月2日から、
2週間の過酷なラリーに参戦します。
その参加者のサイン、
無事、完走、優勝していただきたい、
その思いです。

チームのメンバーと、ダカールの案内が
http://www.hino.co.jp/dakar/team_sugawara/index.html


以前掲載いたしました、ダカールの写真は、ご自由にお使いくださってもいいのですが、
今回の画像は、提供くださった方がいます。
保存等には、ご一報くださいますようお願い申し上げます。

一眠りいたします。ではまた!

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揺れた!

2016-12-28 22:32:40 | Extra

また!

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どういうこと?耳鳴りが!

2016-12-27 15:30:36 | Extra

テレビの画面が、見えたり消えたり。
何しろ、目が自然に、閉じてくるわけで、
久しぶりに早く寝ました。

ストレスが原因とばかり、
腹をくくって友達になったのが「耳鳴り」キーン・キーン。

が、昨日は「ベートーベン」になるかも、と思うほど。
網で引き上げられる大量の魚が跳ねる水しぶきの音が、
耳の奥で轟音で鳴り響いていた。
掌で両方の耳を押さえて、跳ね起きた。
汗、びっしょり。寒いのに。
怖かった!こんな大きな耳鳴りの音が、生涯の友になるのか、と。

爺さんになるのは、坂道を転げるより早いというけど、
とっくに経験している。
今は落ち着いているが、この先まだまだ、長い道。
大変だ!と先々が瞬間、脳裏を駈けめくった。
そこでです。

テレビをつけたら、「これはお買い得です」の売り子の声量が半端ない。
部屋の灯りをつけ、辺りを見回した。
いつもの「耳鳴り」がない!
頭を降ったが、探すほど。
どういうこと?

怪我の検査の日でしたが、明日はさらに、
MRIでさらに撮影するのだという、明日の仕事はキャンセル。
だけど、「耳鳴り」が消えていく。
頭が軽すぎる!
どぅゆぅこと?



この絵の内容は、何処から飛んできたのか、
羽を広げると、1メートル80センチになろうかの鷹が、
武州青梅の家の縁側で遊んでいる子供を狙っている。
気づいた父親が、小銃で6発の弾丸を打っている。
という内容ですが、読み切れないところが、ありますので、
信じるのは、半分にして!
年明け、聞いてきましょう!

半信半疑のまま、で、は、また!

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やっぱり、こっちがいい!Newspaper

2016-12-26 17:22:45 | Extra

大晦日まで仕事の合間であります。
今年は、壁についたタバコ、
すす払い、どうやら来年に持ち越しか、と。
年末、風邪など召しませんよう!

横浜情報文化センターの、
日本新聞博物館の1階に設置した、オフセット・・・。

「静岡新聞社」所蔵とありますが、「日本新聞博物館」の所蔵です。

横浜情報文化センターは、
1929年―昭和4年―横浜商工奨励館として設立したものですが、
2000年、横浜情報文化センターして看板を替え、
多目的ホールやオフィススペースを備えた複合施設です。
建物の中は、歴史的建造物として、なかなか見せるものがあります。



児童が学習できるような、博物館です。



新聞の椅子、結構重いんです。

☟左から
長尾靖氏「浅沼委員長・刺殺」
沢田強一氏「安全への避難」ベトナム戦争
酒井淑夫氏「よりよき頃の夢」ベトナム戦争・雨の中、アメリカ兵が眠っている写真です。
日本ではこの3名の3葉だけが「ピュリツァー賞」
説明のいらない、報道の重要性が、伝わってきます。

パソコンでの情報もいいけど、
私には、新聞の方がいい・・!
ではまた!

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The Christmas previous night /Red brick house

2016-12-23 21:07:53 | Extra

天皇誕生日なのに、
クリスマスの風景では洒落になりませんが、
一連の流れでして・・・・
要は構成力の不足でありまして・・・。
昭和天皇にとって苦渋をなめさせられた、因縁の
GHQの親分は、ここで、サングラスをかけ、
パイプの煙を、くゆらせていたのであります。

われらの、お父っつあん達は、o ome uickly
煮えくる腹の中で、捨て台詞を言ってのでしょう・・!


赤煉瓦倉庫、
24日のクリスマスイベントの音色が、響き渡ることでしょう!
私?
バーボンに映る、ろうそくの炎と一緒!
きょうまでの、幸せをかみしめています!
赤煉瓦倉庫の壮大な響きと、甲、乙つけがたし!!

 


 

 



ではまた!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

{大雑把に赤煉瓦倉庫の歴史}
江戸時代の長く続いた鎖国時代が終わりました。
時代は明治に移り、海外と貿易するために港の建設が必要となり、
100 戸人口500人ほどの小さい村だった横浜村が

開港の場所となりました。
人口も急激に増えたことから近代的な都市づくりが急ピッチで
進められることになり、
1896年(明治29年)
鉄さん橋(大さん橋の前身)が完成、
1899年(明治32年)
現在の横浜赤レンガ倉庫
(当時は横浜税関新港埠頭倉庫)がつくられました。
1907年(明治40年)
2号倉庫に着工、作られました。
関東大震災でも、甚大な被害はありませんでした。
1945(昭和20年)
GHQに接収され、アメリカ軍の港湾司令部として使用する、
事務所や食堂が置かれ、港湾倉庫としての機能は止まりました。
1989年(平成元年)
倉庫としての用途は廃止され、
赤レンガ倉庫は80年の歴史に一旦幕を下ろします。

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間もなく雨が・・ / India water tower

2016-12-22 11:59:26 | Extra

少し前までは、タバコの❝くゆり❞を楽しんだ、
まったりした、ひと時があった。
政府は、オリンピックまで、煙、街中の絶滅を提唱。
なのに、今までの喫煙所を排除した場所の
植え込みと路上には、吸殻の山が増えたという、はて、困った!
横浜山下公園は喫煙所は
喫煙資格者ぎりぎりの方には、身分証明を
提示させる、徹底ぶり。
25~26歳の女性も、しぶしぶ出した。嫌煙家にはもってこい!
喫煙、外では少し我慢はできる。
がぁ~、家では、
江戸の敵を長崎で・・とばかりプッカ、プカプカ、プッカ!

八王子の青空、すっかり消えて、生暖かい風。
間もなく雨が降ってきそうです!

関東大震災で、発生した、
レンガなどの瓦礫の処分場として選ばれたのが横浜港の一部。
海岸が埋め立てられ、整地されて、1935年から復興のシンボルとなったのが山下公園。

その一角に

関東大震災では28名のインド人が犠牲になった。



この「インド水塔」は
伊東忠太氏設計の古代インド様式を取り入れた築地本願寺を、
参考にしたといわれていますが?
☟築地本願寺


☟山下公園「インド水塔」

毎年10月の2日間、インドの光の祭、「ディワリ・イン・ヨコハマ」は、
20万人が押し寄せると言いますから、来年、
気力があったら野次馬根性で、ちょいと見物としゃれてみましょう!

ではまた!

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波止場で!yokohama

2016-12-21 11:15:39 | Extra

昨日は、用が早く、済んだので横浜へ出かけました。
「日本新聞博物館」がリニュアルオープンしていたので、
野次馬根性で、出かけました。
横浜は、日本で最初に日刊新聞の「横浜毎日新聞」
(現在の毎日新聞ではありません)、を創刊した地です。
1989年(平成元年)電通の倉庫で見つかった、
社長供欄用アルバム81冊・15000枚の一部が、
2階で展示していて、新聞を中心に歴史を紹介しています。

が、あまりの情報に、「頭」はくらくら?
一度では無理、(カメラに収められたらいいのですが)
また来ようと!
そこで、数分の波止場に場所を変えました!

濱で止まるのは、せいぜいこんなところ!
あまり似合わないけど、これはこれなりに!

茶色の建物は、「赤煉瓦倉庫」
クリスマスの飾りの屋台が、エキゾチックでした。

日本郵船から1927年(昭和2年)
横浜船渠は北米シアトル航路用2隻を受注した。
これが本船(氷川丸)と「日枝丸」

1 赤い靴、はいてた 女の子
  異人さんに つれられて 行っちゃった

2 横浜の はとばから 汽船(ふね)にのって

  異人さんに つれらりて 行っちゃった

3 今では 青い目に なっちゃって

  異人さんの お国に いるんだろう

4 赤い靴 見るたび 考える

  異人さんに 逢うたび 考える

5 生まれた 日本が 恋しくば
  青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
  異人さんに たのんで 帰って来(こ)

社会主義派の野口雨情が、札幌の新聞社(1907年から)に勤めていた時、
少女の両親の親交から、作った詩。
1922年(大正11年)本居長与世作曲で童謡に!

少女の両親も、社会主義者で、北海道の平民農場へ入植したのに、

貧しさで、宣教師ヒュエット夫妻に、
3歳の娘(きみ)を預けなければならなかった。

夫妻帰国の時には、すでに結核になっていた「きみ」は、
夫妻と一緒には、乗船できなかった。

その後、孤児院に預けられた「きみ」は、
母にも父にも、会えず、鳥居坂教会の

孤児院で9歳で短い生涯に。
母は、てっきりアメリカに渡っていたと思っていたという。
母の心情を詠った少女のブロンズ。
各地に「きみちゃん像」はおかれているようですが、
2010年、姉妹都市のアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ市の
海辺にも建てられいますね!

菊池寛の北海道テレビ記者時代、かなりの時間をかけ調査し、
1978年、ドキュメントにして製作、

テレビ放映をし、翌年は、ノンフィクション小説として
「赤い靴はいてた女の子」を現代評論社から発表しています。



絵柄では、ちょっと残念ですが!
前方の船は「氷川丸」1930年(昭和5年)4月25日に竣工ですので、
少女が「結核」にかからなければ、乗ったであろう「船」では
ありませんね!

もう、夕暮れです。

余分な写真ですが、よく磨かれていたので、
つい感心して!

ではまた!

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隠していた写真!

2016-12-19 12:03:47 | Extra

ピジョンフリーゼとマルチーズ。
今は空のかなたで、相変わらず、
❝やんちゃ❞
なことでしょう!

臆病なマルチーズの「桃」
面倒見のいいピジョンの「樹里」
桃をからかうと、桃をかばって、
わたしに歯をむき出して怒る樹里。


「泳ぐよ!」と言っただったと思う。
水が怖いと震える妹分「桃」を姉御肌で見ていた「樹里」



震えてしがみつく桃。
警備員のような樹里。
18年前の写真を昨日、数年前の手帳から抜いた。
引っ込み思案の女性。
人前には出たがらなかったが、
ゴルフだけは、雨の日も、風の日も、
ルールだけは、きっちりと守った。
毎日の特訓でも、最後まで泣き言は言わなかった。
48歳の時の写真。
会えなくなってから、
もう15年。

栃木の自宅から10分ほどの鬼怒川の川べりで撮ったスナップ。
ようやく飾る気になった!
ではまた!

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過酷だったリハビリ!

2016-12-17 20:56:15 | Extra

今日は
曲がりにくい、膝、靴に触る痛み、
筋力の衰えとばかり、近くの公園で、リハビリに一日近く、時間をかけた。
「芝に座り、足を広げ、上体を右、左、前に倒して、背筋を伸ばし、膝を抱える」
「足の指を広げて、縮ませ、右、左、倒し、引き寄せ」
その動作の一つ、一つをできるだけ、ゆっくり、
ゴムバンドで足の指、一本ずつ、
「倒して、そらす」
インターバルを挟んでの繰り返し、

これだけというのは、実に過酷!
わずかな動きに、寒い中、汗びっしょりだった。
間もなく、眠りにつきます。

「赤提灯」は、いつかになった。

東久留米の小鉄、散歩の顔。

ではまた!

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