春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

羽黒山 五重塔

2019-08-31 08:24:58 | 関口文治郎/神社仏閣
 
昨日は雨。
水虫は飼ってないけど、
足の指先が痒い。
室町時代に建てられた五重の塔は、
全国で六ヶ所あるといいますが、
ここ、山形県鶴岡市にある、
羽黒山五重塔は、平将門が造り始め、
建造中亡くなった、後を娘の如蔵尼が完成させた、
羽黒山の谷に造り、屋根の「杮葺き」では、
全国、唯一の建造物になるといいます。

心柱の根元は朽ちて、下から2つ目の屋根辺りで、
切り落とし、そこには大国主命が祀られていました。
内部の開帳は、
来年からは見られないかも、しれません。
室町時代五重塔の貴重な内部、
木と木、蔦で縛る技法が今でも見られた、
驚きにが感動に変わったものでした。

ただ不思議、平将門も、大国主命も共に敗者。
日本人には、敗者の怨霊を祀り、
祈れば祈るほど、力が自分に返ってくるという、
信心があるのでしょうね。
そこが魅力なのかもしれない!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇 杮葺きの屋根

 
👇 朽ち崩れそうな雰囲気、29.4mを支える杉材。
  なんとも・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント (2)
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鶴岡市から、ブログ編集トップに、苦情!

2019-08-30 07:33:32 | Extra

 

山形県鶴岡市に来ているのですが、
私、頭の回転が悪いのか、
気が短いのか、
ブログ、扱いにくくなって・・、
迷路状態になって・・・

記事を見て頂く意図が、
数字ばかりが画面いっぱい、
私の本意と、ずれが生じてる。

さて、今日は酒田市までたどれるか・・。

 
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無人の村をよみがえらせた唄・白川郷(蔵入りのファイルより)

2019-08-28 21:06:54 | 散歩
 
深い雪、
白川村に住んでいた男たちは、
米の収穫が終わると、
出稼ぎの風呂敷に包んだ着替えを持って
村に背を向ける。
終戦間際の住民が81人で、
昭和30年には61人になり、
13年後、白川加須良には、
誰もがいなくなった。
数百年の、浄土真宗の信仰厚い白川が、
近隣の村が、ダムの底に沈みもした。

昭和59年が60年に変わったお盆。
毎年先祖の毎年、墓参りに来る1人、2人・・・8人、
富山から、春日井から、金沢から、
古里の見える峠にきて、
「あっ」と声を上げる。
イタドリが大人の背丈に延び、
黄色いオオアワダチソウが2メートルに延びた、
お墓も住んでいた家の周りも、
草むらに埋もれていた。
野イチゴが、山ウドがたわわに、実っていた。

誘いあって墓参りした、日、
ヒノキ笠の代わりに、帽子を手に、
村の民謡「ごだいじん」から、
盆踊り唄「モクレン」に唄はうつり、
皆が踊り始め、唄声は声は一段と大きくなったという。
白川郷の発展は
盆踊り唄「モクレン」から、
30数年後、
世界から人が訪れるようになった。
 
この地区を長くつ履いた、
昭和17年の集団検診に訪れた、
高山市の医師、海野金一郎医院長が、
今を観たら、きっと、
スナップ写真の撮影に、
おめかしてきた女性たちの、姿を、
想い、僅かばかり「どぶろく」の杯を、
傾けたでありましょう。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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郡上八幡の水(再)

2019-08-26 21:39:48 | Extra



 
小さな祠の下から湧く水は、
全国の名水、100のうち、
一番最初に、選ばれた宗祇水。
鎌倉時代から、戦国時代末期まで、
郡上を統治していた、
領主東氏は和歌に優れていたといいます。

1400年代後半に、古今和歌集の手ほどきを受けに、
訪れたのが、
旅の詩人・宗祇(そうぎ)で、
和歌集の伝授を受けて、京に戻る
1471年まで、
毎日、水の縁で湧く水を飲み、過ごしたといい、
傍には草庵があり、
和歌や俳句に疎い私でも、
甃に立ち、側を流れる小駄良側の瀬音を聞いていると、
なんとなく郡上八幡の歴史の深さを、
感じ取ることができました。
 


祠の傍に、奉納の連句が、18句ばかり、

👇なんともほっこりとする句でした。

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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加賀 北前船の船頭が住んでいた集落

2019-08-23 22:27:53 | Extra

宵闇に灯りひとつ、
仕事が思いがけなく、
早く仕上げられるか、と、
思っているところです。

加賀 北前船の船頭が住んでいた集落 

 ※ 再生できなければ、また編集をいたします

 

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