普光寺の別当に住んでた修行僧が、
毘沙門天堂に放火したしたのは、
1934年、昭和6年4月26日。
毘沙門天堂に放火したしたのは、
1934年、昭和6年4月26日。
坂上田村麻呂が、東夷征討に出向いたときに、
国家鎮護のため建立した普光寺、インドの仏工が彫った、
「毘沙門天王」を奉祀した807年が草創と伝わってる。
そんな毘沙門堂を尋ねました。
生憎、誰もいなくて、本堂、宝仏殿(別行殿)の内部の、
拝見は叶わず、心残り。
1820年頃起工した門は、日光東照宮を真似た造りで、
1831年まで、12年をかけて、
地元浦佐の大工の関市四郎さんが築いた・・門と。
地元浦佐の大工の関市四郎さんが築いた・・門と。
現在、子孫の方々は、浦佐に住んでいないという。
昭和の火災の煽りは受けなかったのは、幸いでした。
👇谷文晁の画が2枚、
2階には天女の画が23枚見られるのですが・・。
2階には天女の画が23枚見られるのですが・・。
👇雪国、積もる雪の参道は歩き易い配慮に・・・。
3月3日、30キロ、1メートル20センチのロウソクを担いで、
「サンヨ ‼、サンヨ ‼)の掛け声で、
毘沙門天様の一番参拝を競う、「裸押合い大祭」
春を待つ若い衆の江戸後期から続く、祭り。
春を待つ若い衆の江戸後期から続く、祭り。
旅はまだ、終わらせたくない。
来年元気なら、訪れ見学したい浦佐の「大ロウソク祭り」
来年元気なら、訪れ見学したい浦佐の「大ロウソク祭り」
偉大な建築家
伊東忠太氏が設計をした毘沙門天堂へ
次回に