春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

越後浦佐・普光寺。裸押合い祭り ① 新潟県南魚沼市。

2023-10-29 07:20:39 | 関口文治郎/神社仏閣

普光寺の別当に住んでた修行僧が、
毘沙門天堂に放火したしたのは、
1934年、昭和6年4月26日。

坂上田村麻呂が、東夷征討に出向いたときに、
国家鎮護のため建立した普光寺、インドの仏工が彫った、
「毘沙門天王」を奉祀した807年が草創と伝わってる。

そんな毘沙門堂を尋ねました。
生憎、誰もいなくて、本堂、宝仏殿(別行殿)の内部の、
拝見は叶わず、心残り。




1820年頃起工した門は、日光東照宮を真似た造りで、
1831年まで、12年をかけて、
地元浦佐の大工の関市四郎さんが築いた・・門と。
現在、子孫の方々は、浦佐に住んでいないという。
昭和の火災の煽りは受けなかったのは、幸いでした。



👇谷文晁の画が2枚、
2階には天女の画が23枚見られるのですが・・。
















👇雪国、積もる雪の参道は歩き易い配慮に・・・。



3月3日、30キロ、1メートル20センチのロウソクを担いで、
「サンヨ ‼、サンヨ ‼)の掛け声で、
毘沙門天様の一番参拝を競う、「裸押合い大祭」
春を待つ若い衆の江戸後期から続く、祭り。

旅はまだ、終わらせたくない。
来年元気なら、訪れ見学したい浦佐の「大ロウソク祭り」







偉大な建築家
伊東忠太氏が設計をした毘沙門天堂
次回に


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桑都物語 花街 八王子市。

2023-10-25 20:11:17 | 散歩


日本橋から甲州、37宿が出来たのは1600年頃。
11番目の八王子宿、
武田、上杉、北条ら陣地争いで踏み荒らされた八王子。
桑の繁りで養蚕農業が栄え、織物商人が往来するようになった。
人々は、高尾山を霊山にして、信仰を深め、
日々のささやかな楽しみ、芸能に馳せた。
東京で唯一の日本遺産「桑都物語」




👇夜の繁華街が栄えない町はやがて廃れるという、
言い伝えは、今でも生きていて、
街の活性に一役買った一人の芸妓さんの努力が実り、
花街、黒塀の建物が始めてる。



👇八王子花街通り・観光PR広報のモデルになってる親子。








昨年秋に、市の中心部に開設した桑都テラス。













25校のキャンパス、11万人の学生の街なのに、
活気が少しずつ減ってた。
若者が、人生を謳歌、闊歩して

われら年寄りが微笑んでいられる、威勢が欲しい・・ですね ‼

















10月22日、八王子の散歩
だんだんと具合が悪くなり

早めに駐車場へ・・・で、安心した
腹が減ってた ‼




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英雄の基礎はここで、雲洞庵。新潟市南魚沼。

2023-10-23 20:23:27 | 関口文治郎/神社仏閣

僧尼となって、庵を結んだ藤原娼子は蘇我家から、
藤原不比等の正妻になった方。
後年は、藤原先妣尼と名乗り、隠遁生活に・・。
正確な人物歴史的記録はないものの、
701年以前には亡くなってる・・。

今は立派な造りの禅寺になってるけど、飛鳥時代、
穏やかな草葺きの建物だったのではと・・心が濁る。

1707年からの広大な堂内は、
華奢な装飾を嫌って、簡素、禅寺形式に、
虫の羽音さえ聞こえそうな、
張り詰めた静けさ・・・。



👇この部屋は、
米沢藩主となる上杉景勝10歳、
生涯、上杉の家老となる直江兼続5才が、
英雄の礎を築いた場所。
柱が天井まで突き抜けない、
天井が浮き上がるような書院造り。
越後ではここしかなく、最高寺格を見せつけます。













👇欄間彫刻が2点、
黄河上流登竜門の急流を登れ、鯉。
登れば龍と化として、
修行僧は、悟りは座禅修行でと・・。


👇不老不死の老人が、鶴に乗って、
無限の世界で遊ぶ彫り物は、悟りを開いた妙境の構図?



👇雲の形を設えた窓の廊下は




👇600年ばかり廃れていた雲洞庵が、
禅寺となって再興されたのが、1420年から


👇 文殊菩薩の前で、
吊戸棚には荷物を置いて、一人一丈の生活。
木板で食事をし人と、お喋りなどしたら、
6尺棒で叩かれて、寺を追い出されたという・・。

余計なことだけど、禅修行、私ゃにゃ~無理・・むり ‼
私にできるのはせいぜい旅の記録を残すだけ
その、雲洞庵も 〆ます。




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日本一の庵寺、雲洞庵 ① 新潟県南魚沼市。

2023-10-21 21:21:13 | 関口文治郎/神社仏閣


戦国時代、武田信玄が太平洋の塩が閉ざされ、
上杉謙信に日本海の塩を送るように進言したのは、
ここ、南魚沼市の雲洞
(うんとう)庵の、
10代・北高全祝禅師という。

この地の霊水で人々を救って庵を結んだのは、
藤原鎌足の子、藤原不比等の奥さん。
その母の菩提を弔って藤原房前が建立したのが701年という。

今は、越後一の禅寺 で日本一の庵寺 、雲洞庵を散歩。
前日訪れ、閉門前1時間では回り切れないと、
翌朝一番、開門1時間前に着いたら、やはり入れなかった。













👇赤門からの参道。
石の下には法華経の一石一字が書かれた石が埋められており
踏みしめ歩くと、
罪業消滅 
(ざいごうしょうめつ) 現世で起こした悪行も、
仏道修行することで消してしまう・・と。



葉っぱだって、へばりついてる修行している・・
しっかり踏んで歩くことにしよう・・‼ ‼



👇振り返れば、まだ踏み方が足りないかも・・と。






















👇1707年の、建立に尽力を尽くしたのは、
新潟県出雲崎町の大工職人たち。

藤原房前の生母が建てた、庵の面影はないけど、
黄金色に輝いた景色の、金城山(1369m)の麓、
雲洞庵は、近世建築の美しいフォルムでした。
内部は次回に・・‼

 
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開山堂 ③ -③ 雪国の鬼才。新潟県魚沼市。

2023-10-17 18:39:31 | 関口文治郎/神社仏閣

新潟に骨を埋めた、彫り師・石川雲蝶(1814~1884)
20人ほど入れば狭い堂の四面に、
天井に彫って彫っての作品群。
彫るまでは、幾度も和尚さんからの宗教心を聞き、
丸6年、寺に籠って一人。
人間、こんなエネルギーどこで養えるのだろう‥と・
言葉がありません。

岩絵の具で彩色された天井の彫り物には、
猿や鳥なども彫っていて、
アッ、鯉がいる・・・と。
漆喰の鏝さばきも雲蝶の作品、たまげます。
もう、ファイルを並べるだけです。
見学を進めてくださった、山の師匠に感謝して
西福寺・開山堂は、おしまいです。










































コメント (8)
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