春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

大叔父・太田節三の慕情を新装しました・・・。

チョットだけ、寄り道!

2016-11-30 19:35:56 | Extra

「1日27時間」そうなりませんか!
「好きな人に逢う、明日までの時間は、とても長いのよ!
つべこべ言わないで、やっている仕事から、片づけなさい!」
なんと歯の浮く、気の利いた言葉か!
私より遥か、はるか年下の「友」が、
菜っ葉を刻みながら、母親気取り!
そんな手前、今日のブログの記事で更新するのは、
菜っ葉が飛んできそうだけど、

昨日、箱根山から降りて、
やっぱり寄ってしまった、江の島海岸と茅ヶ崎海岸!



私は「海」が好きなのであります。
「波しぶき」に高まる鼓動を抑え、
風に向かって歩いていると、
いつも「頭の中が、空っぽになってしまう」



一仕事を終えた船が港で「明日を待っている」
この風景に「何か・・・・掻き立てられます」

1時間ほどしか居られなかったけど、
言葉さえ、飲み込んだ“海”でした。
では、また!


 

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箱根駅伝の街道、一足お先に!

2016-11-29 21:55:45 | Extra


日頃の気分転換をと、出かけました。
朝焼けを小田原の城下で迎え、そのあとは、箱根、芦ノ湖へまっしぐらです。
箱根神社を参拝、箱根の関所を通行証、不携帯で、見物。
そのあとは、江の島、鎌倉の順に回ろうとしましたけど、
宮ノ下、富士屋ホテルさんで、ストップと、なりました。

1925年の宿泊者を尋ねて、富士屋ホテルに。
フロントの女性に、「資料ですので・・・」
理解いただけるよう、名刺、ブログを見て頂いて・・・・
丁度、名刺を検討している場面です。

先ほど連絡があり、
この当時の「富士屋ホテルさん」は、かなり外人の宿泊があったようで、
3ヶ月分だけでも、相当な時間がかかったけど、
見当たらないとのこと!

婚前旅行で来日したルーシーは、当時既婚者で、裁判の最中ですし、
偽名の可能性が、
充分考えられるのです。
節三とルーシーの筆跡は知っているので、
なんとか、探せないものかと。
欧文の筆跡は誰のも似ているので、どんなものか?

自分で、探すのであれば、
館内での閲覧に協力するという。
有難いことです。
日々の仕事をこなして、さらに、面倒な作業をお願いしたのですから、
明後日辺りは再度、伺おうかと思っていると頃です。

   

     客室への階段。     

     
 
     売店コーナーです

     

     2階ロビーのコーナー
   机も、椅子も値打ちもののようです

     



ロビーです

明治時代「宮ノ下富士屋ホテル」の周辺。今の地形からは、想像できません!

芦ノ湖の紅葉は終わっていましたが、
街道はまだ見れました。
大分歩きました。体を動かすと、やはりいいですね!

ではまた


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どうどうめぐり、なもので!

2016-11-28 21:03:46 | Extra

 

一週間、机の前で仕事を仕事をしていると、
椅子に座ることが、義務づけられているようで、
外出の時間も、もったいなくなってくる。
処が、やっていることは、あ~でもない、こう~でもないと、
どうどう巡りしているだけ。
このどうどう巡り、いつか役に立てばいい、と願っているけど、
期待は持てそうもなくーだからどうどう巡りなのでして
ここは、一旦、気分転換、
度の合わない眼鏡を外し、
一杯やりながら、映画を見ます。
ごめん、くださって、、、では、また!


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ルス・マリーナ、光の海!

2016-11-27 17:49:26 | Extra

八王子、今日は一日雨の予定でした。
そのつもりで昨日は、夜更かし、
昼前に目を醒まし、「ウン?」
隙間の太陽を見て、布団が、宙に舞った。



私の名前は「ルス・マリーナ」
「ルス・光」
「マリーナ・海」
いい顔しているでしょう?
17歳の時、自分で付けた名前。

親も、何処で生まれたのか、何も知らない!

コロンビア、誘拐、麻薬、殺人子供の虐待が横行した、1950年代。
5歳頃、誘拐され、ジャングルに捨てられた、少女。
腿まで伸びた長い髪でジャングルの「猿」と8年、生活した。

密猟家につかまり、「カルメンの商売宿」に売られてからは、
誰かが付けたか、「ボニー・マルタ」
ストリート・チェルドレンと呼ばれていたときも「ボニー・マルタ」


「ボニー・マルタ」は炭酸飲料の名柄。
「猿」と一緒の生活」で人間の言葉も忘れた。



住人に叩かれ、叩かれ、逃げて、
安住を探して、いい生活の「ヤクザ」の家に住んだが、監禁された。
逃げて、また、ストリート、チェルドレンに・・・。
盗みを重ね、、残飯をくれる女性に頼んで
修道院を紹介されたけど

皿は割ってしまう、散らかしほうだい、
怒られて、「ジャングルの方がいい」と思った。
「死ぬと思った時、命を助けてくれた」ボス猿のグランパ。

市街地から離れていない、ジャングルなのに、
売られるとき、車のトランクに入れられていたから、判らない、帰れない!

重ねる路上での悪さを、救ったのは
「マリーナ」


   
17歳からようやく、安らげる屋根があった。
私が、ジャングルで猿と一緒に生活していたと、
誰も思わないでしょう?
   

             
この本は、ジャングルで生活した5歳~17歳までの、「マリーナ」を
イギリスの映画音楽作曲家、ミュージシャンとして活躍している、
次女の「ヴァネッサ・ジェームス」が現地取材を重ね、
母の名「マリーナ・チャップマン」の名前で
ゴーストライター「リン・バレット=リー」に書かせた著書。

猿とのふれあい。街でのマリーナを、言葉を知らない、
マリーナの意識に入って、綴られ、
華燭な表現は?と思うけど読んでしまった。


2013年に発行。

今も、御主人に車を止めさせ、公園の柵を越えると、
野兎を捕まえて、育てるのだそうです。
身のこなしは、想像を超えるといいます。


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北条、夢破れて・・!

2016-11-26 20:53:39 | Extra

小田原城を本拠にした、北条3代氏康の3男坊、
北条氏照が建てた八王子城は、
前田利家、上杉景勝などの猛攻で、
たった一日で、落城してしまった。
15,
000人対婦女子、農民3,000人。
なんと申しましょうか、です!

その城跡への古道を、ぶらりと歩いてみました。

この場所から40分ほどで、城跡までたどり着くのですが、
この日は時間がなくパスしまして、御主殿跡まででした。

 侍が歩いた古道に入りますが、当時の橋はどんなものだったか?



落城の時、この滝つぼで、
お女中が身を投げたと云われていますが、
今なら、猫だって溺れませんね!
きっと、溢れほど流れていたのでしょうネ!


      

行ったのは晴れた22日でしたから、今日あたりはもう・・・・・!

御主殿跡。
板張りの場所は、侍たちの酒宴の場所で、敷いた石の溝は、
庇からの雨の排水溝で左上のポツ、ポツの石の場所が、
主殿の建物があったらしいです。

☝この橋は、最近新しく作っています。
☟は2年前?の時の橋(この時も雪が降ったあとだったんですね)

  なんだか、下の橋の方が、いいですね!

この道も、主殿跡への道です。鬱葱としています。

      

      氏照は、八王子城が攻め落とされたときは、
      小田原城にいました。秀吉に開城を促され
      
秀吉にとって天下統一に大きく影響しました。
      後日、氏照、兄氏政は、秀吉に「切腹」を命じられます。

      
              

                                              今日はこの辺で、ではまた!

 

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日暮れで、卒業!

2016-11-25 20:36:42 | Extra

気付かされて、少し、「ムッ」とした。
最近、読む本、買う本が、今の時世に合わない本ばかりである。
一冊、一冊手に取った「友」に云われて、
「ウン?まぁ~」であった。
しかし、ずけずけ言うのは、嬉しく感じるが、
年を感じさせる意味合いの、言葉を平気で言う環境を、
生涯引きずっていくのかと思うと、
「極めて不幸である。ウン!」
どうにか、会わずに済む方法はないものだろうか?
たまには、ブログの記事での「悪態」にめげてほしいものだが!

若い頃、パラパラとめくっては、こんなの「読まない」と、
バッサリ切り捨てた本が、いまは手の届くところに、積みあがっています。

「日陰の村」を読み終え、改めて奥多摩湖」の夕暮れ目指して、遠出した。
一昨日の銀杏並木の後でした。
景色を写真に収める方も沢山いて、迫力に気後れしたけど、
小説の、昭和の初めを湖水の奥に照らしてみた今回、
もっと感傷に浸るかなと思ったのに、
村民は、この閉鎖された村から「抜け出したかったに違いない」に、たどり着いた。

東京都の事業が、村人の利害とうまくかみ合ったのかもしれない!と。
スッキリした。
そこで帰り、陽射しからバスを待っていた老夫婦が気になって、声をかけ、
青梅の町へ・・・・。

湖畔の案内看板から。



湖畔から見える山の中腹、昭和の初めから変わらない風景です。が、
今も周りは、店は無く日常品は車で20分程の町まで行くのです。
昔は大変だったろうな、と

今は、町域のすべてが秩父多摩甲斐国立公園の指定されていて、
甲府、秩父に通じる奥地に入ると、
観光地として、
ハイキングコースや、キャンプ場などがあって、
静かに時を過ごすには、いいところでしょうね!


このダムは、奥多摩湖に行く前に撮ったのですが。
高いところはダメ!尻の間が緊張して、プルプル震えてきます!
下流にある第二ダムで、水量の調整をしているようです。
水道局と東京電力の職員がパトロールしていたけど、
笑声もあったから、平気なんだろうね!

       

       

帰り道。
こんなトンネルをいくつも潜り抜けます。
乗ったおばちゃん、車を止める寸前なので、
「おいはぎ、と思ったかもしれない」
おいはぎ?なら、墓参りに使った、お寺の水桶を
車の中に置きっぱなしなど致しません、って!


では、また!

※※ここからはくどいので・・・・・スルー

    
「日陰の村」は石川達三の作品で発行当初、
黒く塗られた箇所が、

のり弁よろしく、塗られていたようで!
この一年、石川達三氏の著書には
だいぶお世話になってしまった

「日陰の村」は東京都の行政との、
利権に翻弄される昭和5年から数年の小河内村の村人を描いた小説。、

「日陰の村」の題名を、東京の都心の生活の為に、
「国家の無慈悲」の
犠牲になった小河内村は「日陰」ともじる方、
「権力への憤り、村人の善意に涙する」までの記事もあります。

が、小河内村、陽のあたる時間は、10時30分から午後2時30分まで。

小説は、ダム建設の話がなかった頃を村人が、
自然の環境で生きる不安、
谷から吹き上げる風、雨、地震で崩れる土地。
陽が当たらない・・・・・

猜疑心、生きる為には依怙地なまで、手段を択ばない人間、
人間の醜さ・・・・・
利権が発生すると遠慮なく語り始める描写があります。

土地買い上げの損得の情報集めが日常の会話になった村。
「おれの骨は、水の中に埋まってもいい、みんなはこの村から出たが、いい」
病臥に付しも家人に、けしかける老人。
ページの多くは行政が、何年かかっても、
スッキリさせられない、やり取りに村人が翻弄される内容ですが、
村人の会話の中からは、
村を犠牲にして、都心の水亀ダム建設を造る、
建設に反対する「怒り」の描写がない。
「村が、村人が犠牲になる怒り」がなかったダム建設。
案外、この計画は、
「都心の水瓶」になり、「小河内村の村人」をも救ったのではないだろうか!
この村の景色の美しさは、村人にとって、
しがみついても住みたい、
土地ではなかったのだろう!
昔の写真を眺めていると、
そう、思えて仕方がない!
村人がぽつりと、外部地上げ屋に、漏らした言葉
この村は「日陰の村」と、俺は勝手に思っているんだ・・!

別な意味もあるんだが・・・・
冷たいが、
ここはすんなり自然が作る「日陰の村」そのまんま!
今は、観光客が訪れる、綺麗な町になって・・・・。

       2016.11.22「日陰の村」から卒業。

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あっちも、こっちも、白、白!

2016-11-24 08:47:47 | Extra

早い時刻の地震。
目覚めた6時からの雪、
はて、出かけたものか?
雪景色、窓から眺める炬燵のなかか?
40日早い八王子の雪!




春、夏、少しだけの秋、早い冬
一年が短く感じる!
では、また!

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ただ ただ 黄色!

2016-11-23 11:10:21 | Extra

八王子、
770本の銀杏、明日は白い銀杏になりそう!

 

 


長靴買ってこなければ!

なんだか、穴が開いてるようだ!
では、また

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レネィ・ゼルウィガー 来た、来た!

2016-11-21 22:23:39 | Extra

雨で寒いのに、窓を開けて資料の整理。
きっかけは、車の保険更新の申込書がない。
何処かに紛れているはず。
直ぐ書けばよかったけど、12月末の車検の車なので、
車も、更新しようかと考えたので、
ポイと置いた、それがいけなかった。
ブログも、今日は更新できそうにないと!
思っていたけど、この記事が出てきた。

好きな女優ナンバーワン!

10年前イギリスの女流作家ビクトリクス、ポターを演じた、
「ミス・ポター」を見て、
「シカゴ」を見て私の中でナンバーワンの女優になった。
今は、痩せて、私生活はどうかと思うが、
映画を見ると、「何をくよくよしてるのか!」と
「喝」を入れられているような、爽快な気分、とにかく爽快な気分。
その「レネィ・ゼルウィガー」キュートな映画が、久々に公開されている。
凹んだ時は特に必見!
とにかく笑える!
前2作は隣で、煎餅をかじられても気にならない!
それほど・それほど・・・・!

予定、調整中であります!

       

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文鎮と、日陰の村!

2016-11-20 17:20:25 | Extra



空に残った、
夕焼けの雲が湖面に映る頃、
小説の中の景色が浮かんできます。
湖の中の情念の景色が、時を停めてしまう。
奥多摩湖小河内ダムができる前の、山村部落を
描いた「日陰の村」
立ち退きまでの長い時間
行政間の利権争い、
村人同士の、探り合い、手を付けていいのか耕作、
増していく貧困、娘を売る羽目になる村人。
ダム建設の決定に、元作業員の懐と、
生理を満たす飲み屋ができて、活気が出た村。
すっかり、湖の中。
情景は浮かんでくるのですが、
文章ではうまく、描けません。
小さい文字の2段組み、目覚めは頭痛に悩まされたけど、

心が、ざわめきました。


この水が東京の水瓶。
東京と神奈川の県境を悠々と流れて、羽田空港の海に流れていくのです。

この慰霊塔には、ダムができるまでの村人の名前はないのです。         
  

   



ははぁ~私の文鎮!


こうして・・・手を離し煙草!楽ちん 「日陰の村」

 

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長いけど・ブログ!

2016-11-19 15:40:24 | Extra
雨が一日降る事に観念してしまうと、妙に落ち着いてきて、
昨日から読んでいる、4冊の本。
1冊を完全に読んでから次の本ではなく、同時進行。
途中で淘汰される本もある。
啓蒙の類の本は、読まない。
本を読む事は、もともと好きではなく、読まなくて済めばいいと、
思っているくらいなのですが、
さび付いた頭に、「喝」を入れるためには、読書は恰好のもの、
と知っているだけに、読んでしまう。
「日陰の村」湖に沈んだ村の物語。海苔弁小説(復刻前は黒く塗られていた)
「戦いの権化・他」ロシアの美術館の一枚の絵を見て。海苔弁小説。
「道長の冒険・平安妖異伝」平岩弓枝
「ユダヤ人の家」。ディラス。

40年前に建設した空港が、さびれていく!の

ブログを読んで、感情に火がつき、手をたたいた。
あんな飛行場はいつも不便だと思う。
何が嫌かって、乗るまでが一仕事である。
金もかかる。
しかもこの空港は、若い頃のイメージが悪い。
農民の利権闘争とも揶揄され、高度成長へまっしぐらの時代。
候補地を四転五転後、
御陵牧場が在った「三里塚」「芝山」地区を最終候補としたが、
日本国政府は地元から合意を得るどころか事前説明すら怠っていた。
金銭補償や代替地等の諸準備が一切なされていなかったことから、
農民を中心とした地元住民の猛反発を招き、
敬虔なクリスチャン、戸村一作氏が活動の先方に立ち、
ベトナム戦争反対、佐藤首相への反感を持った全学連と連帯を結び、
建設阻止運動を起こした。
階級闘争至上主義の学生セクトが農民を「利権闘争」と揶揄し、
セクト間争いも活発になったり、多数の怪我人、死者も出した。

開港後も、フライトチェックを阻止する、
鉄塔を立てて壊され、
管制塔の占拠、京成電鉄の運行を止めたり、

航空局の専用ケーブルを切断したりしたが、
結局は政府の勝ち、開港した空港。
間もなく、オイルショックで、フラフラになるのだけど!

成田は、この騒動の歴史の上での飛行場。
学生は、この闘争を「利権」だけだとして、
多くが離れていったけど、「階級闘争」と「利権闘争」では、
溝が出るのは、不思議ではない。

何だっけ!そう!

羽田の海を埋めて広げたらいい、話

目が醒めますね
どうせ日本の領海は、世界六番目に大きい国。
「利権」も犠牲者も出ないだろうし・・・・                   

この万世橋の交番。             皇居前広場から皇居に向かって、石橋に                                        
関東大震災(1912)でつぶれたけど1930    設置した6基のひとつ。1887年(明治20)に
当初のデザインに復元したもの。        架けられた飾電燈。                                                
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時間ですよ!

2016-11-18 09:55:35 | Extra

足立区千住元に1929(昭和4年)営業した「子宝湯」は石川県の方で、
小林東右衛門。全部で5件を同時に経営していたといいます。
当時の建築費は2万円くらい、気に入った大工を、
子宝湯は石川県から連れてきての建築で、
4~5万円だといいますから、かなり贅沢です。
唐破風の「七福神の宝船」だけでも、2階屋が建ったといいます。
廃業、1988年。小金井市への移築は1993(平成5)年で。

銭湯のドラマは、「時間ですよ!」向田邦子さんの脚本。

1970年あたりの脚本は橋田須賀子氏ですが、
1971年からは、向田邦子が脚本メンバーに入云っているようです。
設定は、東京・湯島で銭湯「梅の湯」が舞台ですので、
「子宝湯」とは関係ありませんが、
銭湯内の風景は、ほぼこんなものです。
当時、全裸の女性が必ず出てきて、その場面待ちだけの人が沢山いました。



らのころは、駕籠の棚のほかに、ロッカーが普及していましたが、「子宝湯」
にはロッカーがないですね。



広告や映画のポスターを見ながら、体を拭くのは毎度のことで、特に、
映画のポスターは、見逃せないことでした。貴重なポスターです。

  

  

  天井は高く、「折り上げ格天井」      
  贅沢な造りだと思います。

 

番台の肘掛けに彫刻は、あまり見られなかったのではないでしょうか

    取材中、台湾で飛行機事故、空中分解ですから悲惨です。 
    51歳の若さ。
もう36年もたっているわけで、多磨霊園。

   

   

  墓碑銘は森繁久彌による「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る」。

   

タイル画は、
男湯の「義経と弁慶の五条大橋の風景」「那須与一」 

女湯は「猿蟹合戦」「雀のお宿」。
「章仙」の刻印から「九谷」のタイル絵師、石田庄太郎氏(1914年生)
東京の銭湯のタイル画の大半が石田氏といいます。

 

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あぁ~あ~ァ!

2016-11-17 16:56:46 | Extra

たいして意味はなかった!
日本酒。痛みをこらえる仲間の「悪霊?」を払うために、
仲間の孫娘と買った。
頼まれたバックを持って、病院へ。
間が悪かった!

初めて飲む銘柄、目が開きっぱなしの
仲間が「飲む」と言い出した。
孫娘に、空の湯呑みへ注がせた時、看護婦が入ってきた。
看護婦、優しい口調が、ピタリと止まると、
血相を変え、しっかりと般若の面に変わった。
私は、「運の悪さをお祓い用に飾るため」
奴は、小料理屋気分だった。
孫娘が、泣きはじめ一時、間が持てず。

遅れて病院に着いた、世間ずれ自称の彼の女房、

入室前に看護婦長から注意され、
しっかりとわたしら二人看護婦と同じように怒った。

つい言ってしまった。
「貧しいものには、パンを与えよ」
まずかった、
今度は青筋が立った。
「解釈が違います!」

孫娘の手を引いて、早々と逃避行を決め、
帰り際「おまえ、早く退院しな!」
と!

孫娘も「おまえ、早く退院しな!」
慌てた、焦った!思わず、握る手を強くした。

しかし、
病院に酒を買っていくバカも阿呆だが、
怪我をして、呑む気になった奴も、負けず劣らず阿呆!
車の中で彼女に、
「お母さんが、入院しても、お酒はダメだ、ネ!」と云ったが、
口が渇いてしまった。


公園でしばらく遊んで帰ったけど、問題は、
「お母さんに内緒!」と、言い忘れた。
が、いづれ発覚する!
何回目かの「出入り禁止令」が近づいてくる気がする。

マぁ~いいか!

   
孫のおばあちゃんは、「サザエさん」みたいな雰囲気もある。
多磨霊園では、箒を持って駈けずり廻っているのか・・
長谷川町子さん。

           

あぁ~あ~ァ!

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人ごと事ながら!

2016-11-16 20:27:48 | Extra

電話で起こされ、跳んで行ったところが、
隣町の病院。
数少ない、気が置けない仲間が、オートバイで自爆した。
本人に会えないまま、待合室で蒼くなっているけど気丈な奥さんが、
私の顔を見るなり「まったく!」と怒っている。
聞いたら、出がけに、「気を付けてね」と言ったら、
「判ってるよ、いつもうるさい!」と、
返事をした直後の事故だという。
あとで聞いたら、「猫」だか「イタチ」だか、「犬」だかが、横切って、
避けて止まったところが、土手の下だったという。
左手、左足、骨折。
顔に「ぺたり」と、ガーゼ。
旦那の姿を見て、一番驚いたのが奥さん、
本人はいたって元気だけど、
力なく、椅子に座りこんで、よたよたしてしまった。
人のケガの姿を見ると、やはり痛々しい。
まぁ~生活苦になって「大変だぁ~」ではないから、
救いだけど!
というわけで、今日はおとなしく、この辺で・・・。

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「鍵屋」 ?

2016-11-15 19:49:34 | Extra

リハビリから帰ると、意外と足が軽い。
買い物も、快調!
気晴らしのドライブでした!
でも、寒いと痛いのは、救えない!

盛岡市にも江戸時代からの商家に「鍵屋」の

屋号が、あるというコメントをいただきました。

昼に更新いたしました「鍵屋」の創始者は、
三重県伊賀上野出身で、酒の小売商を営み、
津藩藤堂家の参勤交代に伴って江戸へ、
1856年「酒問屋」を開いて、評判になります。
場所柄、上野寛永寺などもお得意様のようです。
「鍵屋」の屋号は、
1634年、荒木又右衛門が仇討ちをしたが三重県の伊賀上野
敵討ちの現場の場所が伊賀上野の鍵屋の辻」
当時もてはやされた土地名にあやかったのではないでしょうか。


因みに、「鍵屋」が移築できたのは、

三島由紀夫、川端康成などを海外向けに翻訳した、
エドワード・サイデンステッカーさん。
道路拡張の為、こよなく愛した、「鍵屋」が取り壊されるのを惜しんで、
新聞に投稿したのが取り上げられたと!

亦、1959年、江戸日本橋横山長町に花火の店を出した、
花火の今も伝えられる「鍵屋」の創始者は「鍵屋弥兵衛」ですが、
奈良県の五条市にあった花火やに奉公して、のち、
江戸で花火の元締めになった、弥兵衛が付けた、
「鍵屋」はどうして付けたかです。

鍵屋与兵衛の出身は奈良県。
伊賀上野とは70キロ位の近さですから、
噂に聞いた「鍵屋の辻」にあやかったものでは?

全国の「鍵屋」はこの仇討ちの場所「鍵屋の辻」と、
関連付けるというのは、こじ付けすぎますでしょうか。
ー酒席のお話程度にー


詳しく、お判りの方がおられましたら、是非、私にも!

 

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