春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

竹は竹、草でも木でもなく。120年目の花。神奈川県足柄上郡。

2023-11-23 22:33:19 | Extra


東名高速道路、大井松田インターを降りて、
6分ばかりところ、江戸時代から続いた、瀬戸家敷。
垣根に束ねた竹に、花が咲いたと、飛んでいきました。



👇気を静めるために、12時半の朝食は、
こんがり焼いたトーストとコーヒー。



座ったところから、パラソルの瀬戸家。
11月21日の、小春日和です。















笹の花は60年に一度、
竹は花は120年に一度、咲いて地下茎で結ばれた竹は、
共々、みんな枯れてしまう、運命共同体。
一度も改良されたことのない竹。
野生のまま、茶色くなって大往生するまで、あと数か月。








👇稲穂に似ている花、竹はイネ目イネ科。










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なんか、学校も変わっちゃってね ‼ 岩科学校。伊豆松崎町

2023-11-21 20:42:46 | 散歩


今日の朝は、風邪が身体から居なくなって、
ムクッと目覚めたら、アレもこれもと、動きが早く、
やはり健康がいい。

9月初めに出かけた松崎町の風景、岩科学校。
明治13年9月に竣工した校舎は、
1992年(平成4年)にほとんど竣工当時の姿に、

戻したといいます。
当時149名の生徒がいたといい、
向学心と学校に行けば、友達が出来て、
雨の日も風の日も、喜んで登校したのでしょうね。


玄関は女性と男性は別々であっても、教室に入れば一緒。
このころの先生は、何事にも鷹揚だったでしょう。
いいですよね・・・・‼
私なんか、うるさくて廊下に立たされ、
休み時間には、廊下に居なくても、先生もケロリ忘れ、
悪さにゲンコツ喰らっても、
次の日は、けろりと学校に行ったものです。

ここで昭和12年、ドイツ大使館の夫人が、
オルガンを弾いて、賛美歌、キリスト教の布教活動を、
していたという。


👇大使館夫人、フォン・デルクセンさん、前列右から3人目。




👇2階のここには、女生徒だけでしょうか、
入江長八さんの手掛けた作品を・・
家政の部屋という教室だったか、記憶が曖昧です。










👇これも長八さんが残した絵です。



階段踊り場天井と壁に、
長八さんの一番弟子、
佐藤甚三さんの
作品があります。



👇




👇敷地内入り口にある「開化亭」はかつての松崎村役場で、
今は、休み処です。


👇佐藤甚三さんの漆喰鏝絵が施され、見事でした。




ここで私は、コーヒーと、桜餅が来るまで、
巾着袋を買って、花を眺めます。





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松崎岩科学校。伊豆松崎町。

2023-11-20 10:26:47 | 散歩

風邪で寝ていた4日間から、今日は床上げ、
朝から夜まで、夜中もよく寝て、テレビも照明もそのまま、
良く寝ていたものです。
コロナもインフルエンザでもなく、幸いでした。

岩科学校の沿革の看板、
建築設計、施工は地元大工棟梁で、
松本市の国宝、旧開智学校に次ぐ古さだとのことでした。




👇松本市、旧開智学校。岩科学校展示物からの転写です。



👇岩科学校




👇扁額の上の彫刻は、
松崎町の左官棟梁、入江長八さんの作です






👇洋館に似せたバルコニーと漆喰の壁と瓦が程よく


内部の様子も撮ってますが、
鬼の霍乱、ひやかしの来客からの一報、
部屋の掃除に掛ります、続きは後程。


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伊豆松崎町。

2023-11-15 18:52:04 | 散歩

小さな港町、町は観光客が何人か・・。
「フランスの最も美しい村」運動にあやかり、
2005年に発足した「日本で最も美しい村」の連合に、
参加した、伊豆・賀茂郡松崎町を散歩。
大分前の写真ですが、仕舞っておくよりいいかと・・‼

上の酸漿の写真は、なまこ通りに在って、
観光客や地元の人たちの休み処になった、
明治43年に建てられた、呉服商の伊豆文邸で、
明治の歴史的建造物としてを保存してる。




























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伊豆長七美術館。石山修武氏、40歳の技。

2023-11-13 19:02:51 | 散歩

1995年、
阪神淡路大震災で
都市の建物が破壊され、機能を失った現状は、
無残な都市の廃墟こそ、
日本建築の現状を指す・・と

被災に直接遭った瓦礫20トンを、
15人のボランティアが神戸から、
ヴェネチアに運び、
積み上げ、
その瓦礫に中に、コンピーターを使った、数体の装置し、
震災直後に放送された、
テレビやラジオの音声を流し、
簡単に混乱に陥った都市の、
利潤と効率性を求めた、現代社会の脆さを表現して、
イタリア1996年、
ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞 に輝いた、
「瓦礫の散乱する廃墟」製作者は、
全権を磯崎新、写真家・宮本隆司、建築家・石山修武の3名。

建築家、石山修武(おさむ)さん、1944年生まれ。
建築家にして、2004年の銅板家としても名をあげ、
孤高の人、社会に対峙し傷つきながら、
のほほんと図面を引く人間には、
容赦なく形相を変え、心で叱責する。

そんな石山修武さんが40才の時、
伊豆松崎町の、孤高の漆喰鏝絵の巨匠入江長八さんを知り、
業績を世間に知らせたくて、美術館の図面を仕上げる。
建築には、昔からの左官職人が、腕によりをかけ、
落成した漆喰の建物は、
翌年、「吉田五十八賞」を受賞。
職人による職人の為の美術館、「長八美術館」
 














1846年入江長八さん32才の飛天の図
(美術館の真向い、浄感寺長八記念館所蔵)






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