春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

越後・筒石の舟屋・ひまわり

2019-07-29 18:44:21 | Extra

 

梅雨が明け与太郎河童、気にするのは
頭の皿の水の蒸発。
差し入れに、麦茶にホヤのむき身が嬉しい、
夕立が来そうな八王子の在。

陽が出れば、蝉の殻さえ、カエルさえ、
日陰のあたりで、ジィ〜ッとする。
今夜はもう、ホヤをつまみに一杯です。

 

 

 

越後・筒石の舟屋・ひまわり 〜 

もし、もう一度の時は、梟のマークを、ポチです。

 

 

夏が来た、夏が来た・・・よいしょっと!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上高地、梓川の木漏れ日。

2019-07-26 23:02:31 | Extra

 

元気になれば、夏、ところてんの味も格別・・。
指を折るのは、仕事が終わる9月までの幾つ折ったか、
2度も3度も、折り返し・・・。
合間の根生姜の辛さに、ニンマリのここち。

上高地、バスに木漏れ日が、
梓川の小石も、木漏れ日が、
穂高、梓川の土手から、四季折々、眼で登った、
梅雨雲が融けた24日。
 
こんど来る日は、いつだろう!

とんぼ返りの短い時間でした。
景色を、たくさ〜ん、撮りたかったのですが、
叶わなかった。

梓川の景色です。


※ ユーチューブの登録名は
「与太郎河童」です。

  万が一、2度見る方は、検索下されば幸いです。
 
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上高地で出会った河童。河童忌。

2019-07-24 23:38:51 | Extra
 
天井が回って空も廻り、
床が回って地球が足元を抜けていく。
2度目の眩暈。
メニエル病まではいかないけど、休養をと・・。
しばらくなかったので、高を括っていたけど、
3日続くと流石、処方薬を飲んだ。
一週間しかくれなかった薬、
飲んで今日が3日目、
頭がふらふら、体が浮遊するのが無くなった。
運転は禁止されていたけど、今日は乗った。
身体に20キロの重しを付けたような、どっしり感。
首が坐ったような頭の重さ、
健康であつた時の躰の動き・・・
早く薬を飲んでおけばよかった。
私の病名?は・・・三半規管の血流不良。
自律神経のご乱調!であります。

明治42年、東京府立第三中学校5年生、17歳の二人の少年が、
上高地の槍ヶ岳、穂高岳に登った。
天候の悪い穂高に、登頂するか、下山するか、
とりあえず、腹ごしらえにコオンド・ビーフ缶とパンを食べ始めた時、
丸い腕時計の硝子に影が落ちた。
振り向くと、河童だった。
河童と出会ったのは、この時が初めてだった。
河童も驚き少年と灰色の河童は格闘し、
逃げる河童は緑色になり、触れると、すっと消えた。
格闘したのは👇
 
 
芥川さんが通った道は、河童橋、上高地の梓川に掛っていた橋。
今は👇

 
 
の吊橋は7代目で、
 
 
初代つり橋の前、芥川龍之介さんが通った橋は
撥ね橋であった。👇

 

泊まった宿は、
上高地温泉ホテルで。
 
 
今は大改造され、観光客を和ませてくれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
1927年、この年は、芥川龍之介さんは、
沢山の小説・エッセイを発表している。
玄鶴山房。
河童。
誘惑。
文芸的に、余りに文芸的に。
歯車。
ある阿呆の一生。
西方の人。
続西方の人。
1927年7月24日、芥川龍之介、服毒自殺。
続西方の人は、7月23日に脱稿していた。
余りに壮絶な死。

書いたものに、敬意を抱くとも、生き方は好きになれなかった作家。
芥川龍之介さん・・上高地の河童橋で冥福を・・・。
資料は上高地温泉ホテルサンからでした。




河童には会えなかったけど、
樹に乗り移った河童?

 
 

1927年7月23日から24日までの芥川さんの足取りを・・。
数日後に発表されたものです。
資料は讀賣新聞ではなかったかと・・記憶がはっきりしせん。
 
 
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーハトーブの ねり 、安部眞知さんの「ねり」さん

2019-07-16 21:26:40 | Extra

 

梅雨雲の小窓に、三温糖の香りが、プンと立った。
もっぱらの仕事で、
私のイーハートーブがかすんで見える。

さぼろう、ほんの少しだけ。
週刊天気図に晴れマークが点き始めた。
まもなく野菜に、米に、蝉にも、いい日撚りが来る。
天気図を観ていて、出かけに準備していた、
ゆで卵、殻がカタカタ音をたてて、焦げていた。

さぼろう、ほんの少しだけ。
昭和7年、「児童文学」」に宮沢賢治さんの
「グスコーブドリの伝記」が載った。


作家安部公房さんの子供が昨年亡くなった。

産婦人科医で、北海道に住んでいた。
「ねり」さん。
イーハートーブの森に住む、
木こりの子供の、

グスコーブドリのブドリの妹の名が「ねり」
 
昭和22年、安部公房さんが、女子美専師範科を出た、
山田眞知さんと結婚して、6年後、
生れた長女の名を、
眞知さんは「ねり」にしたいと譲らなかった。
宮沢賢治さんの「グスコーブドリの伝記」を読んだ、
眞知さんの、こころに響いた名前。

宮沢賢治さんの生活で、
24歳、病気がもとで、
亡くなった妹の名は「トシさん」
作品には、お洒落な名の「ねり
宮沢賢治さんの朝、昼、夕、
こころから消えなかった妹さん。

安部公房さんはラジオドラマに、
子供向けの物語をたくさん書いている。
晩年、ポツリと語る。
小説は小学校の子供でも判る、
言葉で書かなければならない、のだよなぁ〜!
 
まもなく、つめたい雲から陽が射す。
そう思うと、仕事への集中力も、
スイッチがパチン、いい音で入る!
 
さてと・・・・。

 
 
 

 

 

 

 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もらい水に、ねむの木

2019-07-07 19:12:06 | Extra
 
 
真昼の決闘のゲーリークーパーがガンベルトから、
ピストルを抜いて引き金を引くまで、0.6秒だったとして、
日本のアクションスター、宍戸錠が対抗した速さは0.8秒。
男の子なら、だれでも夢中になる、拳銃ごっこ。
西部劇が好き、チャンバラ映画が好き、
昼は、暗くなるまで、まず帰らない。
夜はこっそり映画館へ。
ガキ大将で、少々問題児。

板柵の井戸から、砂を散らして湧く水が、
坂道にあった敷地を流れていた。
畑作業に行く人たちは、
水を飲み、やかんに入れ、
少しの世間話しをするのが、
息抜きになるのだと・・。


近所で奉公をしていた、

炊事の廃物を天秤棒で桶を担ぐ、
きれいな姉さんが来る。
「てるちゃん」
夏休み、一人になると、

畑仕事によく連れてってもらった。
おっとりした優しさは、
母親以上に
かあさんと思った・・。
うさぎのエサのハコベも一緒に摘んでもらった。

板柵の井戸には、トマトが胡瓜が、茄子が、
いつも冷えていた。畑帰りの人たちが、
勝手に入れていく。
サクランボが一杯の時もあった。
その井戸にかぶさるように、咲いていたのが、
「合歓」

ガキ大将が、鼓動を早くして、
しぼんでいく花をみて、
素直な心地にさせ、天秤棒を置いて傍にいた、
姉さんの手を握らせたのが、
「ねむの木」
ガキ大将、誰にも言ったことがない、
井戸を「合歓の井戸」
合歓の木を「てるちゃんの木」

淡い優しさも有ったガキ大将、10歳。
 

 
 
 
 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする