春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

飲み過ぎ、丸太から滑った
徳利、背中の与太郎河童
花見の色香に、プハァ~川から顔出し
キョロ、きょろきょろ!

越冬態勢のウラギンシジミを探せ♪ 八王子から

2018-09-30 20:22:30 | 新潟


昨年私を苦しめた女性がいる。
煩悩、3時間考えて、捨てきれないと云えば、
とよさんから煩悩を取ったら、何が残りましょう!
と、小気味のいい啖呵。
その後👇の絵、
ウラギンシジミを捜して真夜中まで、
捜せず、ギブアップ!
絵の陰でケタケタ笑っている姿が浮かび、
案の定、クスクス笑ったという。

越冬態勢のウラギンシジミを探せ♪


その方、越後の雪の中、
越冬して播磨地方で羽化した、

茶目美人。
美人にして、茶人。
ちゃめ!
働き者にして、肝っ玉美人!
骨董にふれ、バックに友の気遣いのお守りを付け、
甲状腺の異常を抱えて、過ごして・・いる。

今夜は、皆さん、ごめんなさい。
一人だけに送るメッセージ。

 遠方の地に住む、茶目さんの、心がこんなに近く感じるとは!
ちゃめさん、八王子の、
雨に打たれる花も、明日はやがて、
きれいな

元の❝花❞になります。
その日まで
ッ!

 

 

 

 

 

 

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宮大工はさほど稼げない!津久根八幡神社

2018-09-29 21:44:53 | 関口文治郎/神社仏閣

 

ひのきの木の心材は淡紅色に艶があり、
香りは深く吸い込みたくなるほど、
害虫にも強く、耐久性に優れている。

寿命は樹齢と同じ。
2千年の樹齢なら、伐採してから2千年は持つといい、
伐採の後200年で最高の強度になって、
千数百年をかけて、ゆっくりと元の強度に戻る、と、
法隆寺の宮大工西岡常一棟梁は、言っていたという。
(文化財建造物補修大工・菊池恭二氏著書から)
朽ちかけた、材木を目にし、時には、
「まったく!」と思うことがあるだけに、びっくり!
1200年の銀杏は見たこどありますが、
2000個の年輪・・・
数えるのに、どんだけの時間がかかる?


木曽(長野)、吉野(奈良)、尾鷲(三重)、奥白髪(高知)の、
ひのきには、それぞれの粘りの強さや、
樹液の脂の強さに特徴があり、
材木は自然条件で、特性が違い、
土産土法、その地域でその地域ならではの方法で使うのが、
一番適しているのだと云います(菊池恭二氏)

それを見極めるのが、宮大工の腕を決めるという。
植林地の多い日本の山、今では入手も困難、
これからの宮大工さん、
大変なことです。

 

👇埼玉県越生町津久根八幡神社。
 
アウトラインは、前回書いていますので、ごめんなさい!
この神社・本殿の大工の手間賃は50両。
よく集めましたが、
棟梁にすれば、大工職人、彫物大工、山からの木の伐採費用、
掛った日数、決して割のある仕事ではないでしょう。

 

 

 

 

 

 

👇胴羽目の彫りは、張良と黄石公の故事説話から。

 


 👇拝殿から本殿の扉

 

 

👇シカクヒマワリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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力神・越生村津久根の本殿を守る。(1)

2018-09-27 22:57:14 | 関口文治郎/神社仏閣

 

江戸浅草茅町に住んでいた、島村俊表(改め源蔵)は、
左甚五郎の流れを汲んだ、島村家の7代目。
初代は上州花輪彫刻集団の始祖、高松又八が、
武士を捨て、彫物大工になるのに入門した、
江戸彫刻、公儀彫物師、島村俊元邦教。

浅草新堀に住んでいた、越生津久根生まれの、
宮大工、吉山定右ヱ門、石井熊蔵が、
新座郡生まれの棟梁・高野武兵衛の元、
島村源蔵と組んで、

浅草から70キロ、梅香にひかれ、

風土記、実を梅の樹多く植ゆ、
取って梅干として江戸に送る、
比辺皆同じけれど殊に当村に多しと・・
833年、仕上げた「津久根八幡神社本殿」

飢饉の始まり無月
村に勇気を与える力神。


164メートル、弘法山の材木を挽き、





静岡県では神輿屋台に多く見られ、
埼玉県では唯一といわれる、縁下持送の力神。

力のある神は、
あめのたじからおのみこと
神話、アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れ、
中から様子を覗いたところで、
とっさに重い天岩戸を引き開けた、
力持ちの神。

神話に由来したものかどうか、
私には・・?・・・?・?











 

 

 

 

 

 

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猫の目になりたい!

2018-09-26 20:32:09 | Extra



仕事に目途が付いた頃、眼精疲労のピーク状態に、
太陽がまぶしく、視界がぼやけ、
頭痛に、肩凝りに・・・。
もともと、
左右の視力が違って、乱視、
疲れやすい目。
身体のウィークポイント、
数ある中のひとつ。
逆立ちしても直せない外観は、あきらめてはいても、
駐車場のパチスロのコインを500円硬貨かと、
覗き、伸ばす手の姿は、誰にも見られたくない。
というわけで、医師の勧告を守って、
保養、パソコンから離れていました。

・・・が、病治りて薬師忘る、がごとし、

しょぼしょぼ目、癒えれば、パソコンのスイッチ。
慎重さに欠けるのは、

こちら精神構造ウィークポイントのひとつ。

生涯背負う弱点の解消には、
琴柱あっちに置いたりこっちに寄せたり、
のんびりの道を一歩、二歩と・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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かぐや姫と龍。入間八幡宮

2018-09-21 23:35:51 | 関口文治郎/神社仏閣

 

24日 中秋の名月、
かぐや姫が月に帰らなければならない日、
天の羽衣をいざ着るとなれば、ふとあなたを思うもの、
文と小箱を渡したかった、その人は帝。
小箱に不老不死の薬、
帝、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、
不死の薬が何になろう!
月に近い山で焼いた薬が雲の中で立ち昇っていく。
富士山が活動していたころ。

6700年前、モンゴル自治区、万里の長城の北。
新石器時代の紅山文化に、「龍」がヒスイに描かれていた。
畑作文化、龍は最高神の地位を誇っていた龍。
紅山文化が廃れ、南方苗族の稲作地帯に移った龍は、
人々を苦しめる存在になり、
苗族には、太陽を運ぶオンドリ、
森や山の神のムカデが占領していて、

新参者の龍が、生き延びるところは、湖か川。
龍は水の神として、生き延びる道しかなかった。

かぐや姫の姿見たさに、垣根に穴をあける5人の公達、
和歌を謡い、口笛を吹き、扇を鳴らし、
求婚する一人、大納言大伴御行には
『龍の首の珠」を持ってくれば・・と。

どれもが叶う筈のない、かぐや姫の5つの願い。
満月、8月(旧暦)
ここで過ごした3年、罪の期限が来て、
清らかで、老いることがないふるさと月の都へ。
かぐや姫、竹林に寂しく目を閉じる。

関口文治郎の愛弟子、並木源二、鏑木半次郎の、
入間市八幡宮神社
龍の爪が馬のひずめ、可愛くもあります。





均整をとった細身のプロポーション。





☝ 写真 2018.8.19 入間市





 

 

 

 

 



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真剣勝負!すでに勝負は決まっていた!

2018-09-19 22:33:36 | Extra

 

娘が、「ところてん」を10個買ってきた。
このところ、あだ名のグレードを上げて、
「ドドンパ娘」から「やり手ばぁ~」
変えた。
私にしては、最高の誉め言葉
本人「その位にならなきゃ、世間は渡れない」とばかり、
鼻を高くしていた頃があった・が・・・・

この頃、
床に入ると「やり手ばぁ~」が浮かんで、
少し寝つきが悪いという。
賭けさせられた。
娘は、ところてん10個食べたら、

あだ名「プリンセスmomo」にしてちょうだい!?
そんなあだ名、歯がゆくて、とても呼べない。
勝手にこちらが付けたあだ名に、
体を張って可愛い~ぃ、あだ名にしろと。

本人、ところてんが苦手。
しめた!

私が10個喰ったら、
「やり手ばぁ~」は、そのままでいい!

私が喰うことにして、ところてんは好物。
リンゴ酢を降って、
いけるの余裕!

3個目半。
膝で立ったテーブルに、腕組みに乗せた顔、
じっと見上げる目がにニタリと笑った。
ところてん、2個、食べたことがない。
無謀だった。
勝負相手は、私の実績を知っている!

長谷川町子さんの
「サザエさん」に名曲がある
♫ お魚くわえた どら猫追っかけて・・・
素足でかけてく・・・
きょうも
いい能天気 ♪
勝負相手、隣りで掃除しながらハミング、
間違いなく歌っている。

さ~てと・・・


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイアザミvsツリフネソウ

 

 

 

 

 
👇イビセラ(食虫植物)

 

 👇タイアザミ

 



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岸又八の龍穏寺にツリフネソウ

2018-09-18 22:06:55 | 関口文治郎/神社仏閣

 

 

標高770m。
安房、上野、下野、相模、武蔵、上総、下総、常陸の、
関東八州が見渡せるという由来から命名された、
関八州見晴台の山麓、埼玉県越生側に、
「龍穏寺」が・・ある。
太田道灌親子のお墓があって、
10月というのに、今年は山吹の花が咲き、
セッコクの花も咲いているといいます。

訪れたのは2年前。
道灌のお墓というだけで、足を運んだもの。
龍穏寺の敷地には、
江戸時代では一般は参拝できなかった、
熊野神社が。

もともと「龍穏寺」にはお金があって、
1844年の再建時は7百数十両で建てたもの。
その時の彫物大工が
「岸又八」。
花輪彫刻集団の2代目石原吟八明義の弟子、
飯田仙之助の門弟。
師匠・仙之助が亡くなって8年後の製作。

経堂に刻んである彫刻。山門の彫刻。
名前と彫刻が一致しなくても気にもかけない2年前。
まさか、2度目のファイルに、指を走らせるとは、
思いもしませんでした。

👇白塗りの経堂。





 

👇 太田道灌のお墓。
 

👇龍穏寺



👇三門




👇熊野神社



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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榛名神社海老紅陵の龍にタムラソウ! 

2018-09-16 23:11:09 | 関口文治郎/神社仏閣

 

上州のなにがしなる村に、
鑿を研ぎ、樹齢400年のけやきに、
彫りを渡世にする男があった。
どんな男か。
頑丈でどんな道でも衝き進んで行ける、
小さい車に乗った、6月のはじめ、
塚原卜伝、護身法印相の免許皆伝を持つ、
武術にも長けた彫物大工は、
1808年、榛名神社の海老紅陵の龍を彫り上げた翌年、
77歳、彫りかけの観音様を見ながら、土間の入り口で、
生涯を閉じた。関口文治郎。
知らせを聞いた、榛名神社の氏子たちは、
「稼ぎを全部神社に寄付をした大棟梁」と、
鍬を置いて、東の空に手を合わせた。


 

 



 

大胆な紅陵の彫りに、
訪れた花輪彫刻集団の彫物大工たちは、

独自の流儀を作り出していきます。

 

チョウセンヨナメ

 

 

 

 

 

 

サワギキョウ

 

 

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気分転換になる、花たち。

2018-09-14 23:50:23 | Extra


荒い道、登ったり下ったり、
ずいぶん車には負担をかけていた。
クラッチの摩耗なのでしょう、登り坂での鈍いスピード。
アクセルを踏んでも加速しない。
遠出の運転を前に、脳裏は、小さな臆病風がじわりじわり膨らみ、
ボディーブローの連打で、
ノックアウト寸前のボクサーの姿が。

ここは花を見ながら、気を取り直し、
修理が完了するまで、
気長に待つことに・・・。

まゆみ

 

 

 

 

キンロバイ

 

 

エゾリンドウ

 

 

 

 

 

 

キレンゲショウマ

 

 

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アサマフウロ、浅間山麓の異変。

2018-09-13 23:50:30 | 関口文治郎/神社仏閣

 

自生地は少ないけど、種子からも増えて、丈夫な花と・・。
浅間山麓に沢山咲くというけど、現地では見たことは無く、
箱根で撮ったファイルですが、
歴史を覗いてみると、

浅間山、1783年の天候異変。
9月上州三の倉・室田で無しの花・林檎の花が咲き、
12月、水上村、小野子村の三原山で、ツツジの花が咲いたと、
吾妻郡三原山で、5・6月ごろ鹿が度々鳴いて

上州碓氷郡の中で、9月に下記の花が咲いた・・・。
(群馬県史資料編12
)
この当時の食料は、
茶のにがらを干して、臼でつき粉にして、
飯の中へかき混ぜて、食べたり、その他、
稗焼餅、麦ばな、ところの焼餅など、
おもい思いのものを作って売っていたという。
(群馬県史資料編11)

天変地異、昨日と変わってしまう生活、
クローバルナな日本といわれて、
市井の私、なんか、
置き去りにされているような気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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明け方の空に残る星・アケボノソウ、小川町・青麻三光宮

2018-09-12 23:57:55 | 関口文治郎/神社仏閣

 

1833年、上州花輪彫刻集団の花形、
石原流2代目石原常八主信が、
手掛けた埼玉県、小川町の「八宮神社」本殿。
この神社の宮大工棟梁が林兵庫正尊
外国船が日本に来たら「容赦なく蹴散らすように!」と、
不穏な時代。
天候も今年のように容赦なく、
民は、徐々に食すら満足に摂れなくなっていく。
飢饉のさなか、1842年、本殿の傍にこじんまりした、
「青麻三光宮本殿」が建てられています。
この仕事を請けたのが、
「八宮神社」の棟梁・林兵庫正尊
彫物大工の鑿の冴え、
向拝柱のデザインは、常八主信の諸作品にはないもので、
本殿にはない、斬新な感覚が伺え、
彫物大工、誰なのか?
新しい確証が欲しいところです。

👇八宮神社・拝殿 

 


👇青麻三光宮本殿」
本来は入れないのでしょうが、
鍵がかかっていなかったので、つい入ってしまった。
戸車の音が、軽快だった♫

 

☝ 👇 向拝柱の彫り、とにかく興奮してしまいました。

 

 

 

☝ 👇 ツリガネニンジン

 

 

 

アケボノソウ

 

 


八宮神社の全景は、
男の艶、掌の鑿。2代目常八。

 

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秋雨に、苦手な本を手にしました。

2018-09-10 23:50:58 | 関口文治郎/神社仏閣

 

本を読むのは苦手、読まなくて済むなら、
その分、ぼんやりしていたい。
「晴耕雨読」4文字の言葉が無くならないように、
雨の八王子、
『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』西岡常一著
『宮大工の人育て・木も人も「癖」があるから面白い』
西岡さんの弟子、菊池恭二さん書物を、
「古建築修復に生きる・屋根職人の世界」と、
同時に読み始め、どの冊子も、職人の世界の厳しさ、
慧眼の深さに、背筋が伸びる思い。

来週初めまでは、仕事に時間を割き、
嬉しいことですが、
一日がどうして24時間しか無いのかと、
冷えたコーヒーカップの中をのぞいてます。





 

 

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ほっこり、八雲神社。

2018-09-08 23:29:17 | 関口文治郎/神社仏閣

 

彫物大工、飯田仙太郎が箭弓神社の社殿を完成させたのは、
1835年。68歳で亡くなる前年。
大里群明戸の彫物大工と後世に伝えられ、
武州人といわれるけど、
仙之助、生まれは、上州花輪宿。
渡良瀬渓流の流れを見て育ち、
2代目石原吟次郎の門下で彫物大工の素養を、
開かせた温厚な性格の彫物師!
息子岩次郎が生まれ、
兄、河明戸で大工棟梁、飯田和泉藤原金軌の元、
早くから移り住み、武州での仕事が多く、
上州での彫物が見あたらない。
箭弓神社の仕事をしながら、仙之助、
息子岩次郎、岸又八、
小久保仙五郎の門人の3人に、
砂利道2キロ先の、八雲神社の本殿を彫らせている。
その八雲神社👇
(岸又八は、娘に3代目石原鶴八主利の腕のいい3男を迎えたが、
腕がいいばかりに、28歳で不幸な事件に巻き込まれてなくしている)






 

👇丸く渦を巻く龍の作図は、仙之助の兄弟子、小林源八の息子、
小林源太郎、榛名神社の双竜門などに引き継がれ、
初代石原吟次郎の流れが見えます。


鋭利な鑿さばきを排して、丸く、
貧困の農民が、飢えを凌ぎ、餓死者も出た時代、
彫物師たちの住民への優しい心情がうかがえる。
目立たないけど、心に残る逸品。

 





 

隣には上沼公園、八雲神社ルート66。

写真 2018.8.17 東松山市








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東松山 箭弓神社で

2018-09-05 23:55:50 | 関口文治郎/神社仏閣

 クレームがついた。花輪集団の彫師たちの、
絵を作れと。
インターネットで、見ているのですが、
自分で探してると、見つけられない。
独りよがりと反省し、作ったのが👇



文字が細かくて見ずらい!
関口文治郎を語るのに、
系統図は作っていたけど、
インターネットや神社の看板を見ると、違いがあった。
看板は群馬県と埼玉県の2社にあり、
どちらも、👇赤線、飯田仙之助の系統は、
初代石原常八になっていたもの。
そこで、約1か月ばかり、刑事捜査一課ばり、
緻密に裏どりにはしって、
ふらり寄った埼玉県東ヒントをいただいたのが、
東松山市の箭弓神社。
ここで「飯田仙之助は、吟八郎の門下です」
ここでその言葉の裏付けにまた、あっちでおろおろ・・・。
箭弓神社、1835年
100年前の社殿を重建したもので、
その時の本殿の扉は石原吟八郎が彫ったという。
さらに1844年,吟八郎の師、
高松又八の師である島村俊元の4代目俊正が、
絵馬を彫っている(後日投稿)
吟八郎の流れなのでしょう。
確信して出来たのが👇のピンクに塗ったヶ所。



飯田仙之助(1768~1836)が死の前年まで懇親を込めて、
彫り上げた箭弓神社。
川越の藩が資金を出しただけに、造りは壮大。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



写真 2018.7.16 東松山市

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灰とニラの花

2018-09-03 23:53:42 | Extra

 

かまどの薪の灰を持たされて「ニラ~採ってきて」
おふくろの好きな「ニラのおひたし」の隣には
「茄子の味噌煮びたし」があってトマト。

ニラをほうばるたびに、口の中が、
きゅっ、キュッと鳴っていた記憶に、
主夫、スーパーで買おうかと思うけど、
いつも忘れ、食べる機会を失くしている。

花が咲くとは思わなかった。
この年になるまで。
あの時、刈った後、
灰を巻かずに野放図にしていたら、
こんな花が咲いたのだろうか?

いまだピンとこない。
こんな、思い出が浮かんだときは、
ニラを撮らせてくれた畑に感謝して、
机から離れましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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