春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

来年又来る!赤城神社の弥勒寺音八さん。

2020-01-31 13:35:58 | 関口文治郎/神社仏閣









👇菜の花が咲く畑の中に・・・。




👇1797年伊勢崎市下渕名に生まれた弥勒寺音次郎さん。
渡辺家から宮大工小林家の養子になり、
35歳、母の弥勒寺を名乗った、宮大工にして彫刻家。
明治初年、伊勢崎神社に名を残して、
1869年、享年。




👇1821年、父音二郎さん24歳の時に下渕名に生まれ、
父の世襲を受けて、彫刻家にして、絵師。
後年は腕を買われ、皇居賢所の御紋を彫るも・・・、
仕事を終えて、日本橋馬喰町の宿に帰り、
仲間の妬みから、1887年毒殺され、
栄誉を自分で下渕名に、報告できなかった、
66歳の生涯。
奥さんと一緒に眠る音八さん。






👇音二郎さん、音八さん親子追悼の絵に、
二人が丹精込め、

伊勢崎市平塚のきめ細やかな「赤城神社」を。



























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拝啓 弥勒寺音次郎・音八様、蝋梅に冠稲荷神社・聖天宮。

2020-01-28 15:21:44 | 関口文治郎/神社仏閣

江戸時代には大光院の門前町・日光例幣使街道の、
宿場町として栄えた太田市。
群馬県の地を俯瞰すれば、鶴が飛んでいて、
太田市は、しなやかな首の部分。
渡良瀬川と利根川が市を挟んで流れ、

利根川の、雨と雪の流域面積は、
全国の川を以て、トップを譲らず、
江戸の住民が、氾濫して困窮に頭を抱えさせた、利根川。
夏は夕立による雷鳴の轟きと集中豪雨がすさまじく、
冬は強烈な空っ風が吹き荒れる風土。
が、このごろ、この表現が当てにならない気がしてきた・・・。

👇冠稲荷神社の本殿。


👇商山四皓・1767年彫物師
前原藤次郎(上田沢)さん
小倉弥八秀邦(花輪)さん。
二人とも花輪彫刻集団の親分、
石原吟八郎さんの弟子で、
関口文治郎(1731~1807)のライバルでもあり、弟分たち。



👇琴棋書画・1767年。前原・小倉さんたちの彫物、




👇虎渓三笑・1815年・彫物師
飯田仙之助(1768~1835)さん47歳の時



太田市から利根川を渡れば、埼玉県熊谷市、
ちょッ、ちょっとコーヒータイム
熊谷市に女性初の医師国家資格を持つ、
荻野ぎん(吟子)の伝記を、
若村麻由美が、スクリーンで演じている
「一粒の麦」

一粒の麦もし、落ちて死なば、
     あまたの実を結ぶであろう





熊谷の宮大工名棟梁
飯田和泉安軌さんの子で飯田仙之助さんは、
文治郎さんの経営手段をまねて、
弟子たちが喰いはぐれが無いように、
精力的に、熊谷宿の神社に彫物師を常駐させます。
仙之助さんの弟子に、岸又八さん、
又八さんの弟子に、
大工棟梁にして彫物師、弥勒音二郎さん・
彫物師として絵師の音八さん親子。
伊勢崎市下渕名に生まれ、
二人のお墓は、

伊勢崎市下渕名の大国神社から歩いて5~6分、
江戸後期、
石原常八さん、

波の伊八(武士伊八郎)さんと共に
「名工三八」と言われた音八さんの栄華を見せることなく、
皇居の賢所の御紋を彫った名誉も、過去にして、
広い畑にブロックで囲まれポツンと、すこし寂しい。



👇冠稲荷神社敷地内に、1857年再築され、
師匠飯田仙之助さんが、
本殿の西壁・虎渓三笑を彫ってから42年後、
「聖天宮」一棟を手掛けた、
弥勒寺音次郎・音八さん親子の洗練された彫物。




















伊勢崎市下渕名に彫物師の名を歴史を刻んだ
弥勒寺音次郎(1796~1869)
弥勒寺音八 (1821~1887)

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我が家から助六、食して冠稲荷神社、太田市。

2020-01-27 06:22:15 | 関口文治郎/神社仏閣

目まぐるしく動いた2週間。
群馬県太田市に行けば、
神奈川県藤沢市、
取って返せば、群馬県伊勢崎市にと、
我が家に帰った昨日、
一杯飲めば、夜、8時にはうつろな眼。
大雪の兆候、今週はすり切れた体力の回復に、
ほっこりお腹が出るほど、食したいものと・・・。

江戸時代半ばから「冠稲荷」と呼ばれたのには、
源義経、源氏の再興のために奥州下向の際に、
立ち寄った社の深夜、社殿からの奥に瑞光を見て、
この地が義経の祖のゆかりがあるとして、
元服の折、冠の中に勧請してきた、
伏見稲荷大社の分霊を鎮祭したことが、
江戸の民衆の心を射止めた・・と、こんな具合であります。

矢で射ぬいた餅が鳥になり、山の峰に降りたところに、
稲が茂った、これが伏見稲荷大社の「イナリ」の創祀。
う~ㇺ!


木瓜。
500本ばかりの樹が分岐して、半円になって、一株をになし、
縁結び、子宝の樹として、400年を生きてきた。








👆👇ウン!  
お参り3分・・、同じ狐様を見つけることができなかった・・・。











👇敷地内の聖天宮日高社。








冠稲荷神社、ここの社殿には、
前原藤次郎、小倉弥八秀邦、飯田仙之助、
弥勒寺音次郎、音八親子の、個々の作品の銘があり、
貴重な資料になっていて、
花輪彫刻師達の組織図の裏付けに、
花を添えています。


元気です、また明日。







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河童、狐を数えて白黒の眼。太田市の白狐社。

2020-01-19 21:34:26 | 関口文治郎/神社仏閣


16日、太田市に滞在していた河童が、撮ったのは、
30分ばかりの夕焼けに朱の色調に映える、
冠稲荷神社。
3月頃になると、樹齢400年の木瓜の花が・・、
煎じて飲めば子宝に恵まれると、云われる木瓜の周りに、
多くの参拝者の願い札が結ばれています。

河童の願いは、早く仕事を終え、
少しの休みが取れたら、
あちらに、こちらに、一升徳利、
藁で編んだ紐をひょいと肩にかけ、
散歩に出かけましょう!
弥勒寺音次郎さんが刻んだ、本殿、
次回に・・・。













一日一匹ずつ、コーンと鳴いたら、
何年かかるのでしょう!

コン!















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河童 太田市・冠稲荷神社を散歩

2020-01-17 06:26:11 | 関口文治郎/神社仏閣


河童。取り急ぎの要件、
投稿記事を借りて・・・。
体調不良を心配くださいました。
河童、口はへの字になってうなだれていますが、
元気です。
今日の夕刻は、13日からの投宿を切り上げ、
八王子に戻ります。









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