春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

よさ恋・よさこい!  日野、序の舞!

2016-07-31 22:58:46 | 魅せられた!

昨日は、何年振りかで、酔ってしまい・・・!
弁解は半年後辺りまで待って・・・いただ・・・き・・・
今日は・・・朝から・・{3階の部屋から}


「日野よさこい」には毎年、きますわよ・・・・」


私は「新選組のプロデューサーですよ・・・」


いい天気・・・「どお~ん・・・と行け!」


あなたのための「よさこいです・・よ」


お父さんとの写真は「後で・・」と言っといて・・!


そお~と・・・・
「振り向かないで」というと・・必ず「どうしてよ!」と言われる



町田のオッチャン・・タフ!




一手に引き受ける・・!「おれ・・・見習う!」


ずぶ濡れでも・・・笑顔!




挨拶いたしました皆様、少し待ってください・・・・!!

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世間の暗い記事は・・もう、た・く・さ・ん!

2016-07-29 22:25:35 | Extra



日が立ち、少しだけの情報を得たけれど、

鬼畜の「心の闇は・・・」などと人道問題として、生易しく、
とらえていますが・・。

彼は、健常者以外は、「抹殺すべき」の「T4作戦」の思想に
はまって、人格を自ら捨てた鬼畜ではありませんか?

「T4作戦」は、中止した作戦である。
それをなぜ今頃「鬼畜」は現実化しようとしたのか・・・・・。

学生時代すでに、「T4作戦」に傾倒したよう・・・。

勤務を、障害者施設ターゲットにしたのなら・・。
「背負いきれない」現実を含めて、「T4作戦」にすり替えたのであれば、
これからは、もっともっと、
現在の、障害者施設に従事する方々の

気持ちの維持の苦労をクローズしなければ、
又、このような事件が発生するかもしれない。!
「障害施設の改善作戦」に報道機関が注目くださればと思う。

健常者の何百倍もの「心の苦痛」を受け、

何百倍もの「心の耀き」を求めた、
方々の、軌跡を健常者は
解ったふりして、横目で見ているかもしれない・・・・・!
私もかつては、そうであったように・・・・・・・!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日は八王子の花火の日で、出かけますが、

八王寺から30分足らずの「やまゆり園」で過ごした、
みなさんの「冥福」を祈る花火として見学するのなら
許されるだろうか・・・・! 

コメント (1)
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「T4作戦!」・・「鬼畜」は知っていた!やまゆり園

2016-07-28 19:50:01 | Extra

 




戻った今、
パソコンのキー打つ指が震えます。

「鬼畜一人だけのことならいいのですが・・」


2016年7月27日ブログ掲載記事ですが、我慢をして読んでください。

まさかこの鬼畜・殺人者はこの本を読んでいたろうか。
同じような「安楽死・殺人の本」がある。
「灰色のバスがやってきた」
(フランツ・ルツィス著、山下公子訳、草思社、1991年)
この本は、暗黒時代の、ドイツ。
魔の手ナチスに必死の抵抗を小説化した物語。
「ナチ・ドイツはこの隠れた国内外の障害者を邪魔者扱いし、
あのユダヤ人の大量殺戮を実行した、ガス室さながら、
大量に安楽死の措置を取る時代背景。
1939年、人種を改良するという「T4作戦」である。
バスに乗れば2度と元へは戻れない「灰色のバス」、「死のバス」である。

が・・この本は、
ドイツのエッセンの施設フランツ・サーレス・ハウスを舞台に、
職員
のベルント・カスタイと院長シュルテ・ペルクムや
司教アウグスト・ガーレン伯爵ら
の、
ナチスの魔の手への必死の抵抗を半小説仕立てにしたものである。
カスタイらが

知恵をめぐらして障害児らの何人かを逃がしてやる経緯は、
思想などという、ちっぽけなものではない。
暗黒の時代、敢然と魔の手と闘う援護者がいた。
それが胸を打ちそれが自分の醜い襞をきれいに洗い流してくれる。

やはり、読んではいないだろう!
読んでたら、逮捕後の薄笑いなど浮かべないであろう!
                   {ここまで}
私の
見方は、間違っていました!
彼の笑いは、そこらの犯罪者の、ふてぶてしい薄笑いではなく、
「T4作戦」の思想を成し遂げた、勝ち誇った、笑いだった。
そう、思えて仕方がない!
鬼畜・鬼畜・鬼畜以外の何物でもないでしょう!
やはり、指が震える・・・・。








          

今日は・・・・、

コメント (6)
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祭はわくわくするが・・・!

2016-07-27 19:38:03 | Extra

今日の花は、鑑賞の花ではなく、
「津久井やまゆり園」で亡くなられた方々への
献花。

※「障害者なんていなくなればいい」。という供述である。
衆院議長に宛てた手紙には「障害者は不幸をつくることしかできません」と、ある。
この言葉が気がかりである。
容疑者は施設の元職員・・・・・。

まさかこの鬼畜・殺人者はこの本を読んでいたろうか。
同じような「安楽死・殺人の本」がある。

「灰色のバスがやってきた」
(フランツ・ルツィス著、山下公子訳、草思社、1991年)
この本は、暗黒時代の、ドイツ。
魔の手ナチスに必死の抵抗を小説化した物語。
「ナチ・ドイツはこの隠れた国内外の障害者を邪魔者扱いし、
あのユダヤ人の大量殺戮を実行した、ガス室さながら、
大量に安楽死の措置を取る時代背景。
1939年、人種を改良するという「T4作戦」である。

バスが乗れば2度と元へは戻れない「灰色のバス」、「死のバス」である。
が・・この本は、
ドイツのエッセンの施設フランツ・サーレス・ハウスを舞台に、
職員
のベルント・カスタイと院長シュルテ・ペルクムや
司教アウグスト・ガーレン伯爵ら
の、
ナチスの魔の手への必死の抵抗を半小説仕立てにしたものである。
カスタイらが

知恵をめぐらして障害児らの何人かを逃がしてやる経緯は、
思想などという、ちっぽけなものではない。
暗黒の時代、敢然と魔の手と闘う援護者がいた。
それが胸を打ちそれが自分の醜い襞をきれいに洗い流してくれる。

やはり、読んではいないだろう!
読んでたら、逮捕後の薄笑いなど浮かべないであろう!
「遺族が浮かばれない」


活気ある祭りは、わくわくするけど、
この事件の現場は、「花火大会、ジャズフィステバル」が開かれる、

相模湖まで車で15分ばかりの場所である。
8月1日のこの祭り、今年は、取りやめてはと思う・・・・・!!

    死刑台までのエレベーターはどこで売っているのだろう!
     遺族は皆、そう思っているるに違いない!
コメント (3)
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新日本紀行!・・・友から近藤富枝さん!

2016-07-26 22:15:28 | 残念・・・!

友が、「新聞見た?」と、別人のような声で尋ねてきた。
「近藤さん載っているわよ!」と、それっきりである。
私はかなりのあわてん坊であるが、慎重な時もある。
今日は、そのどちらでもなく、小雨が降り出した辺りから、
ぼんやりし始めて「どこかでのんびりしたいなと」思っていた。


尋ねた記事を見つけた「近藤富枝」さんの訃報記事だった。

近藤さんの語り。【NHKアーカイブから】
もっとも私はそそっかしいから、南仏蘭西を『なんふつらんせい』と読んだりして、
たくさん失敗もしましたけれど(笑)。  
先輩や同僚と、戦況について話すこともありませんでした。
よけいなことを言ったら、すぐに“引っ張られてしまう”世の中でしたからね。
だんだん戦況が厳しくなって、これはおかしいと感じ始めました。
退却ではなく『転進』と言ってみたり、全滅を『玉砕』という表現に変えたり。
何よりも、(特攻隊戦死者のための)『2階級特進』のニュースをたくさん読むことになって、こんなに若い人が亡くなっていいのだろうか、という思いを持ちました」 


こんどう・とみえ 【NHKアーカイブスから】

1922年8月、東京生まれ
'43年9月、東京女子大学を卒業後、文部省教学局国語課に勤務。
'44年日本放送協会に入局、'45年退局。
'68年に処女作『永井荷風文がたみ#--ほろびし東京の歌』を執筆後、
作家として多くの作品を発表。大正・昭和の文壇史に始まり、
平安・明治・大正の服飾史、王朝継ぎ紙、『源氏物語』関連の著作などがある。
NHKでは、番組ゲストとして〈日曜美術館〉〈美の壺〉などに出演。
武蔵野女子大学(現武蔵野大学)元特任教授、財団法人民族衣裳文化普及協会理事、
王朝継ぎ紙研究会主宰。 

私が知っているのはせいぜい「紫式部の恋」や
節三資料の為に拝見した「本郷菊富士ホテル」
テレビ「佐藤千夜子の・いちばん星」の、関連で
「本日も晴天です」の連続ドラマの内容くらい。


ただ、本人を調べて、「すごい人がいた!」
「気になる作品を数多く書かれた方」
話題にしたことはある。
友は、よく知っているらしい。
近藤さんの生まれた1922年。
関東大震災の前年であって、

20歳のときには、アメリカでは12万人の日系人が強制収容所に送られた年でもある。
多感な青春を戦争に抓まれようとした中で
輝く一輪の花のような方であったでしょう!
「友」の気落ちを思い、近藤富枝さんには、お花・・・・・・・。


     

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