渋川市から「からっ風」街道、スピードを抑えてしまう、
榛名山の風景に、風が心地よかった。
彫し関口文治郎、関東の「左甚五郎」と言われる男、
中国24史を題材にし、彫の鋭さ、柔らかさを自在にする技に、
上州、武州、信濃の宮大工の棟梁はこぞって、文治郎を名指し、
最後の作、榛名神社の海老紅陵まで人気は変わらなかった。
24史は魅力のある彫刻とは思えないけど、
花輪町の彫刻軍団をまとめ、後世に彫刻で名を遺した文治郎の、
素顔。
手慣れた鑿の扱い、文治郎に鑿に変わる光物。
文治郎は「新当流免許皆伝」の使い手でもあった。
塚原卜伝から8代目。
最後の皆伝書はブラジルに渡ったとしていたが、
萩原家違いで、萩原静子氏宅から発見されたものに、
文治郎の名が記されていた。
山賊の刀の先の肉を平然と口にし、
若者たちの追っ手を畳を返しながら逃げ切ったなど、
武勇に飛んだ男でもあった。
これで、人間関口文治郎に興味を持った。
その文治郎が育った桐生(当時勢多郡)市,
渡良瀬渓谷沿いの花輪町に・・。
生まれた家の不動沢で、滝に打たれ心身を清め、
在郷の彫師たちを育てることに力を注いだ文治郎。
ちょっかいだしても動じない。
初めて会うのに、肝っ玉が据わっている、
文治郎は、国宝文化遺産をいくつも彫った男だ・・。
「しッ、しッ、しッ」無言で威嚇したのは・・・ネコ!
写真 2018.6.24 みどり市花輪町