春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

オンマ谷、ちいさい「まゆみ」の花

2018-06-20 19:16:34 | 榛名湖・上州

 

霧の榛名湖、歌唱「静かな湖畔」の、
カッコウ、カッコウの唄が聞こえるユウスゲの道。

1年、回った季節を待ったのは「まゆみ」の花咲く6月でした。
群生地を教えて頂いて、
機を逃してしまった昨年。
今年は4月からそわそわしていた。
観た!

これで『まゆみ』の1年の節目を観ることができました。
感謝です「山の師匠・おたか」さん。
「御宿・カワセミ」の小説から知った「まゆみ」
昨年から、ミーハーよろしく「追っかけ」だった。
今年はもう追いかけなくて済む。
ゆっくり観るために行ける!

オンマ谷の「まゆみ」の花 👇

 

 
内心、散っているのでは?
案の定、小道を歩いて、思いは的中。
木立は高く、
肉眼では見えない1センチメートルに満たない小さい花。

あきらめた!
でもあきらめられない!


まゆみの里の看板を過ぎて、もっと奥。

背丈ほどの木、手で払いのけたのがまゆみ」
小学生の伊香保から登ってくる、
課外授業の生徒に挨拶をされて・・。
前日からの群馬、疲れがすっかり取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まゆみ』の実。

 写真 2018.6.18 榛名山オンマ谷

コメント (8)
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紅柄の橋梁も、織る錦。碓氷峠

2018-02-08 22:23:39 | 榛名湖・上州

 

 


☝ ☟ 廃線・信越本線・熊ノ平駅





日暮れ、黒光の氷道を登れば、
錆びた紅柄色の、役目を終えた越本線の橋梁を、
包むようにように、黄雀茶色の木立と落ち葉が・・・。

国文学者、高野辰之35歳の時、
故郷信州豊田村に帰る途中の碓氷峠、熊ノ平駅で、


秋の夕日に照る山もみじ
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの裾模樣(すそもよう)

溪(たに)の流に散り浮くもみじ
波にゆられて はなれて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦(にしき)

の詩を創りました。
山に川に、
汽車の窓の空には紅葉が、汽車の窓の谷間にも、もみじ。
水の上にも、織る錦のように美しい、もみじ、が・・。
1911年。
100年も愛され続けている唱歌。

碓氷峠、群馬横川から、長野軽井沢に架かる、
紅柄の橋梁は、春告草、新緑を、紅葉を、
朽ちることなく、125年見続けてきたわけです。
まさか、「もみじ」や「僕の帽子」の名作が、
生まれていたなんて知らずに。

☟ 碓氷第6橋梁



☟ 碓氷第五橋梁



☟ 碓氷第四橋梁




☟ 碓氷第三橋梁

高野 辰之1876年4月13日 - 1947年1月25日)号は斑山(はんざん)
碑は、碓氷湖のほとりに・・・。

コメント (2)
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谷間 ❝僕のあの帽子❞ 霧積・金湯館

2018-02-07 20:29:18 | 榛名湖・上州

 
明治43年の大雨で山津波が発生する前、
軽井沢が発展する前、
40数件ホテルや別荘地は、東京からの避暑地として、
栄えた霧積温泉でした。


☟ 霧積館は昭和46年の開業から半世紀、
  平成24年、水車を残し解体。

 
☟ 霧積館の近くに、土砂崩れで悲惨な状況を見て、
  幸田露伴は小山内薫ととも訪れ、荒廃した姿を,
  詩に書いていた。

 

☟ ここから、旅館「金湯館」をめざし、

 

 

 

 

 

☟ 駐車場に6台の車は、埼玉、東京などのナンバー。
  霧積川の向こうで、
  アイスクライミングする人たちの車だった。
 

 

 

 

 

 

☟ あれが「金湯館」
  伊藤博文、尾崎行雄、森村誠一、長谷川如是閑、
  与謝野鉄幹・晶子夫妻、幸田露伴、
  山口誓子、小山内薫、山口薫も泊っている。
  西條八十、直接「霧積」を題材にした詩。
  同じ道だと思う・・・私も歩いている!
  鹿の爪痕のある雪道。

 

 

 
☟ 明治17年創業。
  改築しながらの営業は、風呂に将棋盤を浮かべて、
  勝負を競えるほどの、ぬるま湯。40度ほど。
  
風呂にはいれと言われたけど、丁重に断り、
  山菜そばを、量があって、しかもうまかった!

 

 

 

 

 

☟ 今年は水が少なく、氷塊が小ぶり。
  上毛新聞社のカメラマンの写真を見せていただいたが、
  水車から川底まで、てんこ盛り状態。

 

 

 

 

 


☝ ☟勝海舟が皮膚病の湯治に。
   同じく滞在していた、徳富蘇峰。蘆花の、
   叔母(キリスト教婦人叫矯風会創立者・禁酒運動の親分)
   矢島楫子(かじこ)の依頼で
海舟が筆をとった石碑の拓本。
   明治20年ごろだ、と。

 
☟ 秘境、霧積温泉一軒の宿、若女将が、
  冬場、土日には20人ほどの宿泊者をもてなしていました。

 

☟ 「人間の証明」 森村誠一氏が執筆していた離れ。

5492

 ☟ 電気は昭和30年から。

 

 

 

 



            ふぅ~ぅ! 長かった。 

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前略 西條さま、森村様。霧積!

2018-02-06 22:28:08 | 榛名湖・上州



前略、西條八十さま。
あなたが谷底に落としたY.Sと書いた頭文字の、
つやつや光った、伊太利麦の帽子。
谷間に静かに雪がつもっているでしょう、と
回顧した、霧積。
あなたの帽子を探した日は、
陽がさすのに、手がかじかみ、
氷柱が心に残った景色でした。
そして、紺の脚絆と手甲を付けた薬売りが、
拾えなかった、あなたの帽子。
ありました。
1972年、無残な事件のあった、
霧積湖に!
凍てつく景色にぽっかりと。





 





 

 



 

 




前略、森村誠一さま。
あなたが学生時代、夢中になった山歩き
ここに泊まらなければ「人間の証明」は、
後年、生まれなかったかもしれない。
霧積温泉、
金湯館の弁当の包装紙、
西條八十氏の「僕の帽子」
金洞滝から少し登った、広場に車を止めて、
あなたが歩いた道を、
私はあなたを追うように、
歩いてみました。

でも今日は、いったん休憩を取ります。
碓氷峠を越えた軽井沢より栄えた別荘地、
土砂崩れで埋もれた「霧積」
対向車が来ないよう、願いながらの道を昇ってきました。
車を止めて歩けば・・・・。
霧積の100年、その魅力、少し判ってきたような・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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碓氷湖、夢のせ橋!

2018-02-05 19:33:00 | 榛名湖・上州

 
日曜日、群馬県と長野県の県境、
碓氷峠の「霧積温泉」を訪ねて日暮れ前、
坂本ダムの人造湖「碓氷湖」に車を停めました。

誰もいない湖に張った氷と夕陽が、
横川駅から、熊ノ平まで、
碓氷峠を走った、信州本線の橋梁に合わせた意匠の、
「夢のせ橋」を渡ったからか、
ここ2週間ばかりの、胸のざわめきが、
ゆっくり銷化して、胸が軽くなる!

1周、梅の種の舗装1200メートルの半分だけで、
のほほん!

 

 

 

 

 

 ☝ 高さ33.5メートル、堤頂長85メートル、坂本ダム。

 ☟ 夢のせ橋、渡り切れば、
     次は「峠の橋」「ほほえみ橋」が・・・。



 

 

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