よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

「小さき花プロジェクト」からMくん来訪。

2012年10月03日 | 復興プロジェクト




午後、仙台よりお客様。

震災後に友人を通じて知り合い、話をするようになったM君。

海山の活動にも共感してくれていて彼自身、さまざまなプロジェクトに関わっておりました。

「近いうちに、何か一緒にやりたい! いや、やろう!」

と会うたびら話してきましたが、先日、とうとう勤めていた会社を退職し新しいことをやりだしました。

まだまだ過程だと思いますが、今日はそのプロジェクト「小さき花」の話をしにきてくれました。

プロジェクトをバックアップしてくれているTさんと。
彼はもともと医療・介護の会社を経営されてる方で、震災を機に放射能問題の根深さ、
これを正面から捉えて克服していかないと、自分の地元、東北がダメになってしまうという危機感から
さまざまな活動をしている方。




「小さき花」というのはわかりやすく言えば、

「震災以上に深い問題がある放射能。大きな影響がある食の部分で、
  当事者である東北の人自身が積極的に計測して、それを公表しながら正々堂々と販売していく仕組みを作っていこう」

という事業。

地震・津波という目に見える被害や人に意識が行きがちですが、目に見えなくて毎日意識しづらく、それでもより深刻な影響が考えられる放射能。

日本の台所、とも呼ばれる食の生産地東北が、今その被害に深刻な状況。

今日も曽木さんと話してましたが、旬の入れ替わりで季節を感じれる直売所でさえ、
「あ、栗が採れたから売ろう」
と、いう前に計測してからでないと店頭には並べられない。
旬が一歩遅れちゃう。これって大きいですよね。いろんな意味で。

小さき花は「なんぼ放射能があるか数値化して、胸張って売ろう」というだけのプロジェクトではない。

今日一時間ほど話をしていて、海山の意識に通ずるものがある、おんなじだなぁとつくづく思いながらおりました。

今東北は被災地になっています。いつまで被災地なんだろう。
ぶっこわれたものが直ったら「イエ~イ復興!」といえるだろうか。
根本に、当地になってしまった現地の人間の意識、それが一番問われるのが今だと感じます。

それは危機感の差、だと思うんです。

今日聞いた話、私のように地元から離れ東北から離れた地域とも取引させて頂く関係があったり、
生産者・作り手として”お客さんを相手にして”る人だとすんなりわかる話。

間に誰かが入ってようと、生産者がモノを売り、買ってくれるは普通のお客さん。
モノに責任を持てて、どこからお金が入るのか理解している人。

小さき花、は放射能測定して数値を出していく生産者を募ろう!それが真っ当だろう!正しいだろう!
といってるわけではなく、

今は、食に携わるものとして、その生産活動に純粋に汗を流せない状況。一生懸命世話しても売りものにならないかもしれない。
お客さんが「放射能の影響が心配」で買ってくれないかもしれない。
これってヤバイですよね。
危機ですよね。
では、
さて、どうしましょ?

これからのふるさとを守るために、次の世代に責任をもつために、
これからも美味いもんをいっぱい発信できる東北にするために、

その意識を持てる者どうし、現地のこっから俺らがやらなくて誰がやる!?

というプロジェクトが「小さき花」。 

放射能測定、という部分はその切り口。
Tさんの言葉がすごく腑に落ちた。

「やれるかやれないかなんてわかならい!んでも他人任せにしたらダメなことだ!
 公の基準がどうとかではなくて、被災地現地の人が正面切って立ち上がってこそやっと外の人に姿勢が見えるんだ!
 放射能測定ばかりやってたってこの事業は成立しない!そんな部分的な話じゃない。
 異業種・地域の枠組み、企業・個人の枠も超えてみんなで、
 これからの東北は俺らが作るんだ!
 というメッセージを東北から発信しないとならんのが今じゃ!」
 
その為に、彼らも沿岸部の支援活動もしながら、
一緒にやれる企業・個人と話し、今徐々に繋がりの輪を広げています。
やはり一次産業に関わる人の輪をもっともっと広げたいとうちにも訪ねてくれました。
システムとしては正確な放射能計測器を導入し、一緒に継続するために
料金を下げて生産者が利用しやすい形を考えています。

また、さまざまな連携が形になってくればその段階でプロジェクト全体での責任と役割と利益を見えるようにするため、
法人化の仕組み、経理の仕組みまでわかりやすく共有できるシステムまで考えてるとのことでした。



規模は違えど海山もおんなじです。
事業の大小は問題ではなくて、私たちが支援を手段としてモノづくりをし、
他地域の人まで繋げて法人化しようとしているのは
当事者として気づいた価値観をキチンと残すため。



こんなに便利で豊かになったように見ていてた世の中。
んでも、こんな時に便利・豊かさの象徴iPhoneもただの道具でしかないと思い知らされる。
人が人であるために人の基本的な部分がいちばん問われてるのが、今だと思います。

が、
こーゆーのって、地元の人には一番通じない分野の話なんですよねー。

軽トラ市で呼んじゃおうかな。。




またオモシロイ人との出会いがありました。
きっと良い連携ができると思います。