1年半ぶりに訪れた南三陸町は、復旧工事が各地で進んでいました。大震災のシンボル化した「防災対策庁」周辺の海岸部は、整地され、かさ上げ工事が進んでいました。南三陸町役場の近くにも、大量の土砂が積み上げられており、大型トラックがひっきりなしに走っていました。

三陸自動車道の延伸工事が急ピッチで進んでおり、志津川インターが間もなく完成するようです。ただ、海岸線を走るJR気仙沼線の復旧は、進んでおらず、列車の代替えとしてバスが走っていました。線路の一部がバス道路として利用されているのを見て、複雑な気持ちになりました。バス高速輸送システム(BRT)として、鉄道敷を順次専用走行区間として整備する計画です。
南三陸町は、東日本大震災の津波により甚大な被害を受けました。平成22年当時、人口17,431人 5,295世帯でしたが、津波により、死者620人、行方不明者216人でした。また、全壊3,143戸もありました。県内外への避難者は、平成26年5月末時点で少なくなったとはいえ677世帯もあります。仮設住宅は、2,195戸整備され、1,959戸が入居されています。災害公営住宅は、770戸計画中、5地区244戸が工事中です。また、高台への集団移転をする防集団地は、全28地区が同意されています。


瓦礫処理も、72,3万トンの処理が進みました。戸倉地区の廃棄物処理施設により急速に進みました。
南三陸町の主要産業である水産業も、徐々に復興が進んでいるように感じました。志津川漁港には、新しい漁船が停泊していました。造船所も建設されていました。


さらに、製氷倉庫や漁業市場も活発に動き出していました。私達が到着した7月3日のニュースは、タコの今年の初水揚げがトップニュースでした。ワカメ、牡蠣、ホタテ貝の養殖も順調に進んでいるようでした。私達のボランティア活動の多くが、漁業支援でした。南三陸町の商店が集まる「さんさん市場」は、多くの方が訪れ賑わっていました。


佐藤町長も、町議会との対立を解消し、自信を持って、復興事業に取り組んでおられるように見受けました。いただいた著書『南三陸町長の3年―あの日から立ち止まることなく―』を、しっかり読ませていただこうと思っています。
南三陸町の本格的な復興は、始まったばかりだと思います。これからが、大変な道のりが続くと思いますが、佐藤町長を先頭に粘り強く頑張っていただきたいと願っています。私も、これからも微力ですが、ボランティアを続けたいと思っています。日本人に求められ居ることは、被災地や被災者の方に直接的に何かをするのが大切なのではなく、被災地・被災者のことを忘れないでいることが大切だと考えています。

三陸自動車道の延伸工事が急ピッチで進んでおり、志津川インターが間もなく完成するようです。ただ、海岸線を走るJR気仙沼線の復旧は、進んでおらず、列車の代替えとしてバスが走っていました。線路の一部がバス道路として利用されているのを見て、複雑な気持ちになりました。バス高速輸送システム(BRT)として、鉄道敷を順次専用走行区間として整備する計画です。
南三陸町は、東日本大震災の津波により甚大な被害を受けました。平成22年当時、人口17,431人 5,295世帯でしたが、津波により、死者620人、行方不明者216人でした。また、全壊3,143戸もありました。県内外への避難者は、平成26年5月末時点で少なくなったとはいえ677世帯もあります。仮設住宅は、2,195戸整備され、1,959戸が入居されています。災害公営住宅は、770戸計画中、5地区244戸が工事中です。また、高台への集団移転をする防集団地は、全28地区が同意されています。


瓦礫処理も、72,3万トンの処理が進みました。戸倉地区の廃棄物処理施設により急速に進みました。
南三陸町の主要産業である水産業も、徐々に復興が進んでいるように感じました。志津川漁港には、新しい漁船が停泊していました。造船所も建設されていました。


さらに、製氷倉庫や漁業市場も活発に動き出していました。私達が到着した7月3日のニュースは、タコの今年の初水揚げがトップニュースでした。ワカメ、牡蠣、ホタテ貝の養殖も順調に進んでいるようでした。私達のボランティア活動の多くが、漁業支援でした。南三陸町の商店が集まる「さんさん市場」は、多くの方が訪れ賑わっていました。


佐藤町長も、町議会との対立を解消し、自信を持って、復興事業に取り組んでおられるように見受けました。いただいた著書『南三陸町長の3年―あの日から立ち止まることなく―』を、しっかり読ませていただこうと思っています。
南三陸町の本格的な復興は、始まったばかりだと思います。これからが、大変な道のりが続くと思いますが、佐藤町長を先頭に粘り強く頑張っていただきたいと願っています。私も、これからも微力ですが、ボランティアを続けたいと思っています。日本人に求められ居ることは、被災地や被災者の方に直接的に何かをするのが大切なのではなく、被災地・被災者のことを忘れないでいることが大切だと考えています。