守田です。(20110922 08:00)
19日から21日まで、山水人(やまうと)2011に参加してきました。場所は、
滋賀県高島市朽木村の生杉というところ。芦生の森の東の裾野にあたります。
ご存知のように近畿地方も台風接近によって大雨模様で、この近辺も激しい
雨が降り続け、道がぬかるみ、泥だらけでしたが、その中に無数のテントが
頑張っていて、元気にライブが行われていました。
僕が山水人の方と知り合ったのは、311直後の、京都出町柳の「かぜのね」で
行われた脱原発講演会でのこと。押しかけで少しコメントさせていただいた
のですが、そのとき山水人の中心でいつも頑張っておられる福村祖牛さんに
声をかけていただき、山水人の脱原発学習会の2回目に講師として呼んでいた
だいてご縁ができました。
その後、やはり祖牛さんに誘っていただいて、山水人のメーリングリストに
参加。また山水人が被災地支援の中心にしていた気仙沼のアビスさんと知り
合い、メールを交換したり、電話をしたりするようになり、やがて、京都か
ら被災地向けに提供された自動車(ランドローバー)を僕がもって行くこと
に。フェリー上陸地の秋田ではじめてアビスさんとドッキングました。
アビスさんに導かれて、秋田県秋田市、宮城県古川市、気仙沼市、仙台市、
角田市・・・と訪問しましたが、この旅の間中、いつも耳元に聞こえていた
のがレゲエでした。ちょうど5月のことで、福島原発のメルトダウンが社会的
に明らかになるなど、深刻なニュースが続いてましたが、そんなとき、音楽と、
音楽を愛する方たちに取り囲まれていた。レゲエは放射能に効くと僕は思った。
それやこれやで縁ができて、今回は山水人の盛大な祭り、山水人2011に誘って
頂いたのですが、祭りの場は、あいにくの台風でピーク時より人が少なかった
ものの、想像していた通り、賑やかで、楽しくて、暖かい場でした。それは
ここに集う人々の思い、人生観などによって、かもしだされているものである
と僕は思います。
山水人の人たちを一言で説明するのはなかなか難しい。どこかに参加規約と
かがあるわけではないし、山水人はこういう人の集まりだと宣言されているの
でもない。でもなんとなく似た価値観を持った人が集まってくる。それで
毎年、生杉に壮大な村が形成されているのです。多い時には500人から1000人
ぐらいにはなるのだという。
山水人のホームページには、この村について、次のように説明されています。
http://yamauto.jp/yamautomura.html
***
古来、わたしたちは山々に住み、
生きとし生けるものはそこから湧き出る水により恩恵を受け、
自然と共に生きてきました。
ここ 『朽木針畑郷・生杉』 は、
地元の方々が先祖代々森や水を守り続けてこられた神聖な場所であり、
またその上流に広がる生杉 ブナ原生林は、
近畿、千四百万人の飲み水をまかなう琵琶湖の最も重要な水源地です。
美しい山と水を守り、自然と共に生きる。
た だその当たり前の事を、私たちは後世へ残そうとしているのです。
「山水人村」の自然の中での生活と、
そして”まつり“によって集 まる人々の意識の中で、
様々なすばらしい出会いや経験を通して…
ここに私たちの”ふるさと“を創りませんか?
***
ではどんな人が集まってきているのでしょう。あえて僕なりに定義してみると
自由をこよなく愛する人たち・・・が集ってきているのだと思います。自由を
愛し、束縛を嫌う。何かに鎖でつながれるなんてまっぴら。でも何かの責任か
ら逃れているというのではない。それぞれに、世の中がよくなればいいと思っ
ているし、そのための何かをしている。小さなことでも素敵なことに興味がある。
音楽が好きで、踊るのが好き。自分の奏でる曲や、自分の歌が一番いいと思っ
ている人が多い。思い起つとどこへでも移動し、先々で友達を作ってしまう。
友達とはニックネームで呼び合い、本名を知らないこともしばしば。農に強い
関心を持ち、畑仕事も好き。できれば自分の田畑を持ちたいと思っているか
現に持っている。
子どもが好き。子どもをできるだけ自由に育てたいと思っている。思っている
けれど、自由に育ちすぎて世の中と合うのかという不安もちょっと持っている。
持っているけれど、そもそも自分が世の中と合わないので、まあいいかとも
思っている。悩んだ時は好きな音楽を聞き、歌い、踊る。お金はあまりなくても
それよりもっと大切な何かがあればいいと思っている。
・・・とまあ、こんな感じでしょうか。「いやそんなことはない」「もっと
こうだ」と色々な意見が出てしまうでしょうが、少なくとも僕にはそんな人たち
に見えました。またそれを象徴するかなと思うのは、学生はそれほど見当たらず、
カップルになって子どもを持っている人、あるいはそれぐらいの年齢以上の人が
多いことです。
つまり生き方の選択がある。確定しているわけではないかもしれないけれど、
社会が敷いたレールに乗って、学校にいき、就職し、働き・・・というところ
からどこかで自分の選択をして、飛び出している。それで何かを選んでいる。
選ぶ中で、同じ匂いのする仲間と出会い、その誰かが山水人につながっていて、
それでここに集って来る・・・とそんな風に見えます。
だからここには自由の考察があるし、自由の実践があるし、自由を楽しむ気風が
ある。学生という与えられた自由の消化ではなく、自ら選んだ自由がある。自ら
選んだ自由はときには辛く過酷であったりもするけれども、それを乗り越えて
きた、どこかふてぶてしい面構えをした人もいる。そのまま年を取って、あや
しい中年、壮年、老人となった怪人物もたくさんいる。
そんな山水人にはまた、311事故以降に、すぐさま原発近辺、いやその周りの
関東や、宮城県等々から飛び出し、いち早く放射能から逃れた人たちがたくさん
います。関西でも危険性を感じて、もっと西への移動を計画している人もいる。
生物としての危機感知能力が鋭い。政府に騙されることなく、自分で判断し、
自分で行動する動物的感覚に満ちている。
・・・あれ、また定義が始まってしまった。僕にとって山水人は興味がつきない
のです。最も、これはまだ山水人にとってアウトサイダーの僕の立場から見える
こと。やはりいいものばかりが見えて来る。インサイダーになればそこでの葛藤
や矛盾が当然にも見えても来るのでしょう。でも外から見えるいいところは、実
はそこにある本質でもあると僕は思います。
ということで?山水人に興味をもたれた方、まだ生杉周辺に村があるので、ぜひ
訪問してみてください。祭りはいよいよ終盤ですが、25日までやっています。た
だし最後は片づけになるので、後のお楽しみは明日23日の「キロンボ in 山水人
and 盆踊り!!」です。何がどうやられるのか、僕には皆目分かりません・・・。
最後にホームページにアップされた山水人前半の写真をご紹介しておきます。
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157627557345013/show/
19日から21日まで、山水人(やまうと)2011に参加してきました。場所は、
滋賀県高島市朽木村の生杉というところ。芦生の森の東の裾野にあたります。
ご存知のように近畿地方も台風接近によって大雨模様で、この近辺も激しい
雨が降り続け、道がぬかるみ、泥だらけでしたが、その中に無数のテントが
頑張っていて、元気にライブが行われていました。
僕が山水人の方と知り合ったのは、311直後の、京都出町柳の「かぜのね」で
行われた脱原発講演会でのこと。押しかけで少しコメントさせていただいた
のですが、そのとき山水人の中心でいつも頑張っておられる福村祖牛さんに
声をかけていただき、山水人の脱原発学習会の2回目に講師として呼んでいた
だいてご縁ができました。
その後、やはり祖牛さんに誘っていただいて、山水人のメーリングリストに
参加。また山水人が被災地支援の中心にしていた気仙沼のアビスさんと知り
合い、メールを交換したり、電話をしたりするようになり、やがて、京都か
ら被災地向けに提供された自動車(ランドローバー)を僕がもって行くこと
に。フェリー上陸地の秋田ではじめてアビスさんとドッキングました。
アビスさんに導かれて、秋田県秋田市、宮城県古川市、気仙沼市、仙台市、
角田市・・・と訪問しましたが、この旅の間中、いつも耳元に聞こえていた
のがレゲエでした。ちょうど5月のことで、福島原発のメルトダウンが社会的
に明らかになるなど、深刻なニュースが続いてましたが、そんなとき、音楽と、
音楽を愛する方たちに取り囲まれていた。レゲエは放射能に効くと僕は思った。
それやこれやで縁ができて、今回は山水人の盛大な祭り、山水人2011に誘って
頂いたのですが、祭りの場は、あいにくの台風でピーク時より人が少なかった
ものの、想像していた通り、賑やかで、楽しくて、暖かい場でした。それは
ここに集う人々の思い、人生観などによって、かもしだされているものである
と僕は思います。
山水人の人たちを一言で説明するのはなかなか難しい。どこかに参加規約と
かがあるわけではないし、山水人はこういう人の集まりだと宣言されているの
でもない。でもなんとなく似た価値観を持った人が集まってくる。それで
毎年、生杉に壮大な村が形成されているのです。多い時には500人から1000人
ぐらいにはなるのだという。
山水人のホームページには、この村について、次のように説明されています。
http://yamauto.jp/yamautomura.html
***
古来、わたしたちは山々に住み、
生きとし生けるものはそこから湧き出る水により恩恵を受け、
自然と共に生きてきました。
ここ 『朽木針畑郷・生杉』 は、
地元の方々が先祖代々森や水を守り続けてこられた神聖な場所であり、
またその上流に広がる生杉 ブナ原生林は、
近畿、千四百万人の飲み水をまかなう琵琶湖の最も重要な水源地です。
美しい山と水を守り、自然と共に生きる。
た だその当たり前の事を、私たちは後世へ残そうとしているのです。
「山水人村」の自然の中での生活と、
そして”まつり“によって集 まる人々の意識の中で、
様々なすばらしい出会いや経験を通して…
ここに私たちの”ふるさと“を創りませんか?
***
ではどんな人が集まってきているのでしょう。あえて僕なりに定義してみると
自由をこよなく愛する人たち・・・が集ってきているのだと思います。自由を
愛し、束縛を嫌う。何かに鎖でつながれるなんてまっぴら。でも何かの責任か
ら逃れているというのではない。それぞれに、世の中がよくなればいいと思っ
ているし、そのための何かをしている。小さなことでも素敵なことに興味がある。
音楽が好きで、踊るのが好き。自分の奏でる曲や、自分の歌が一番いいと思っ
ている人が多い。思い起つとどこへでも移動し、先々で友達を作ってしまう。
友達とはニックネームで呼び合い、本名を知らないこともしばしば。農に強い
関心を持ち、畑仕事も好き。できれば自分の田畑を持ちたいと思っているか
現に持っている。
子どもが好き。子どもをできるだけ自由に育てたいと思っている。思っている
けれど、自由に育ちすぎて世の中と合うのかという不安もちょっと持っている。
持っているけれど、そもそも自分が世の中と合わないので、まあいいかとも
思っている。悩んだ時は好きな音楽を聞き、歌い、踊る。お金はあまりなくても
それよりもっと大切な何かがあればいいと思っている。
・・・とまあ、こんな感じでしょうか。「いやそんなことはない」「もっと
こうだ」と色々な意見が出てしまうでしょうが、少なくとも僕にはそんな人たち
に見えました。またそれを象徴するかなと思うのは、学生はそれほど見当たらず、
カップルになって子どもを持っている人、あるいはそれぐらいの年齢以上の人が
多いことです。
つまり生き方の選択がある。確定しているわけではないかもしれないけれど、
社会が敷いたレールに乗って、学校にいき、就職し、働き・・・というところ
からどこかで自分の選択をして、飛び出している。それで何かを選んでいる。
選ぶ中で、同じ匂いのする仲間と出会い、その誰かが山水人につながっていて、
それでここに集って来る・・・とそんな風に見えます。
だからここには自由の考察があるし、自由の実践があるし、自由を楽しむ気風が
ある。学生という与えられた自由の消化ではなく、自ら選んだ自由がある。自ら
選んだ自由はときには辛く過酷であったりもするけれども、それを乗り越えて
きた、どこかふてぶてしい面構えをした人もいる。そのまま年を取って、あや
しい中年、壮年、老人となった怪人物もたくさんいる。
そんな山水人にはまた、311事故以降に、すぐさま原発近辺、いやその周りの
関東や、宮城県等々から飛び出し、いち早く放射能から逃れた人たちがたくさん
います。関西でも危険性を感じて、もっと西への移動を計画している人もいる。
生物としての危機感知能力が鋭い。政府に騙されることなく、自分で判断し、
自分で行動する動物的感覚に満ちている。
・・・あれ、また定義が始まってしまった。僕にとって山水人は興味がつきない
のです。最も、これはまだ山水人にとってアウトサイダーの僕の立場から見える
こと。やはりいいものばかりが見えて来る。インサイダーになればそこでの葛藤
や矛盾が当然にも見えても来るのでしょう。でも外から見えるいいところは、実
はそこにある本質でもあると僕は思います。
ということで?山水人に興味をもたれた方、まだ生杉周辺に村があるので、ぜひ
訪問してみてください。祭りはいよいよ終盤ですが、25日までやっています。た
だし最後は片づけになるので、後のお楽しみは明日23日の「キロンボ in 山水人
and 盆踊り!!」です。何がどうやられるのか、僕には皆目分かりません・・・。
最後にホームページにアップされた山水人前半の写真をご紹介しておきます。
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157627557345013/show/
レゲエミュージシャンのちだ原人さんにお会いしたかったのですが、 彼は10日にライブを終えて帰ってしまったそうで残念ながら会えませんでした。
朽木の山道を走りながら 福井と京都を結ぶ鯖街道のことを想いました。
たかだか百年前までこの街道を徒歩で人々が歩いて暮らしていたんだろうな。確かに科学は便利な生活をもたらしてくれたかも知れない。しかし偏った富の集約や人の痛みに対する想像の欠如も増して来たのではないか…
10月4日、京都で守田さん、豊田さんとお会い出来るのを楽しみにしております。
あの時は拡声器を持って、一番先頭で先導してくださってありがとうございます。私たちは初めてのデモだったので、守田さんからいろいろお声をかけていただいて、安心しました。
先日の東京6万人デモはすごかったですね。
また機会があれば、京都のデモにも参加しようと考えておりますので、またお会い出来ることを楽しみにしております。
身動きがとれたなら、すぐにでも飛んでいきたいけれど……
でも、今いる場所で、新しい小さな村をつくっていった方がいいですね。
選択肢も、小さなコミュニティも、たくさん創っていけば、「国」なんていらないって、よ~くわかります。
実は、類人猿の進化の頂点は、マウンテンゴリラかオランウータン(山の人)だったと、長らく考えて…いえ、夢見ていました。
新芽や葉を主食とするマウンテンゴリラは、植物の生存環境も整えていて、
群れの長のシルバーバックは家族を暴力的にではなく(威嚇で)外敵から守り、乳児期を過ぎた子育ても、子離れの時期決定も担当している。
家族という最小のコミュニティを維持する「生命のあるべき姿」を感じます。
アフリカの最古の民族ブッシュマンや、オーストラリアのアボリジニー(どっちも英語の差別用語なので使いにくいけれど)、
ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ(縄文人?)、
それぞれの言葉に頼りすぎない智慧を、
全細胞が受け継いでいる人は今も細々と存続していることは確信していましたが、
実在の姿を見せていただいた気がします。
ありがとうございました!