明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(269)アフガン空襲開始から10年の10月8日、キャンドル・ビジルに参加を!

2011年09月24日 20時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110924 20:00)

今日はもう一つ、企画のご案内をします。10月8日に行われるキャンドル・ビジル
です。10月8日は911事件直後にアメリカが空襲を開始した日。戦争と暴力の10年の
始まりの日でした。この日にピースウォーク京都の呼びかけで、この10年間に殺害
された全ての人々への追悼と祈りを込めて、キャンドルとプラカードを持った、
スタンディングを行います。

場所は京都市の三条大橋周辺。橋の両側をろうそくで埋められればと思います。
そして静かに平和を祈りたい。亡くなった人に思いを傾けたいと思います。京都
近辺のみなさま、どうかご参加下さい。それぞれの思いを書いたメッセージボード
をご用意ください。またペットボトルを使ってキャンドルを作りますが、それ
ぞれが思い思いのものを持ってきていただくとありがたいです。

放射線被曝の問題でも、この行動には意義があると僕は思っています。この10年、
アメリカ軍によって劣化ウラン弾が世界中にばら撒かれてしまったからです。劣化
ウランは、天然のウランを採掘し、原発の燃料に加工した残りカスで、濃縮ウラン
の逆です。ウランは自然界にある物質の中で最も比重が重いためにこれを使って弾
を作ると、鉄の装甲板を簡単に撃ち抜いてしまう。それで兵器に多用されている。

ところが装甲板を貫通するとき、劣化ウランは超高温で燃焼し、微粒子となって
飛び散るのです。粉塵となり、周囲にばら撒かれ、やがて体内にはいってしまう。
そうすると重金属としての毒性を発するとともに、α線を出し続け、深刻な内部
被曝をもたらします。このための健康被害が、イラクやその周辺国をはじめ、戦場
となった各国で起こっている。何も知らされていなかった米兵も多数被曝している。

昨日、鎌仲ひとみさんの映画『ヒバクシャ』についての感想を書きましたが、この
10年、世界は本当に深刻に劣化ウラン弾によって被曝させられてしまいました。そ
してその10年の最後の半年に、311事態が起こり、私たちの国も手ひどい被曝を受け
てしまった。世界に劣化ウラン弾をばら撒いたアメリカを最も強く支援してきた
この日本という国も、アメリカが設計した原発の崩壊によって被曝してしまった。

この一連の流れを考える時、私たちが放射能に立ち向かい、何とか明るい未来を
築いていくためには、世界中の「ヒバクシャ」のことを考えなくてはいけないし、
さらにまた世界中で理不尽に命を奪われてしまった人々のことを考えなくては
いけないと思うのです。誰かの命が軽んじられる社会で、私たちはけして平和に、
幸せに暮らすことはできない。そのことが311事態の中で示されたのではないか。

10月8日、そんな思いを込めながら、できるだけ多くの方と一緒に、三条大橋に
立ちたいと思います。以下、ピースウォーク京都からの呼びかけを貼り付けます。
英文のものも作りましたので、英語圏の方にも呼びかけていただくと幸いです。
世界中の人々の命もが大切に、尊重される世の中を目指して歩んでいきましょう。
一緒に小さな光を灯して、明日に向かっていきましょう!

******************************

殺された人びとへの追悼と祈りをこめて
 ―キャンドル・ビジルへのお誘い―

とき 10月8日(土)19:00~20:30頃まで
ところ 三条大橋周辺
主催 ピースウォーク京都 090-6325-8054
peace@pwkyoto.com http://pwkyoto.com/

10月8日はどんな日?
2001年の「9・11事件」の報復に、米軍がアフガニスタンへの空襲を始めた日。
(干ばつに苦しむアフガンの人々に爆弾の雨を注いだのは、誰に何を報復するため?)
巨大な国家暴力が次々と牙をむき続けた10年、10月8日はその始まりの日だった。

アフガニスタンからイラクへ、あのとき始まった「戦争」は、まだ終っていない。
(イラクには大量破壊兵器なんてなかったのに)
日米同盟という“つきあい”で、私たちもまた、にんげんの命を奪い、
地球の命をも脅かすこの戦争に加担させられてきた。

戦闘機の上からの視線ではなく、地面を逃げまどう人の視線で、
「殺すな!」 と、ただそれだけを叫びたくて、
小さな一人が、いても立ってもいられずに、
「ひとりの歩みから」を始めた10年でもあった。
世界中の小さな一人のうねりが、何かを変える流れにつながるのを夢見て。

でもこの時間の中で、ありとあらゆる新兵器が殺人に使われ、劣化ウラン弾も
たくさん使われた。
放射能は今このときも、かの地の子どもたちや未来の命を脅かし、奪い続けている。

10年の後に3・11を経て、同じたくさんの放射能を浴びた私たちの大地から、
この10年の暴力の中で失われた命に想いを馳せ、
手の上に灯した小さな炎を見つめる時間をともにしよう。
すべての戦争犠牲者に哀悼を。
命を脅かすモノを「やめることができない」愚かさに終止符!の思いを込めて。

10月8日、三条大橋を灯りのリングで包み込みましょう。
希望の明日への歩みを始めるために、ともに悼む時間をご一緒しましょう。


What is “October 8th”?
It’s the day when the US started to bomb Afghanistan in the name of
retaliation against the tragedy of September 11th, 2001.
Who on earth was that against and what on earth was that for?
– throwing a shower of bombs and bullets over Afghan people who were
suffering from long period of drought.
Huge acts of violence by nations have recurred successively these
10 years.“October 8th” is the day it actually started.

The target shifted from Afghanistan to Iraq and the war that started on
that day is not ended yet although it turned out that Iraq didn’t
have weapons of mass destruction.
Under the “political relationship” called Japan-US alliance, we
Japanese were obliged to support the war that took people’s lives
and also would threaten this planet’s life.

Just to cry out “don’t kill anybody!” for people trying to escape
on the ground, many little people have taken first steps spontaneously
these ten years, dreaming that tiny ripples from all over the world
would come together to become a big wave to change the world.

Various new weapons such as DU bullets have been used to kill people
these 10 years. Radiation continues to threaten and take children’s
lives in that area.

Experiencing “March 11th” 10 years later, and living on land severely
exposed by radiation, let us think of the lives taken by the violence
of these 10 years and look quietly at the small candle lights in our
hands together.

Let us express our grief and sorrow for all war victims and put an end
to our stupidity of not giving up holding and using weapons that
threaten people’s lives.

Let us surround Sanjo Ohashi Bridge with our candle lights on October 8th.
Come and join us to share some time to mourn and to start to walk ahead
together with hope for tomorrow.




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2 コメント

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報復というには (くさ太郎)
2011-09-25 11:48:38
あまりの戦争でした
どんな大義名分をつけても戦争とは「殺人だ」と
すべての国の人に自覚してもらいたいです

例えば自分の子供があの9.11に巻き込まれていたとしても
あんな報復を望んだとは、到底、思えません
返信する
コメントありがとうございます。 (守田敏也)
2011-09-25 15:55:52
くさ太郎さん

いつもコメントありがとうございます。
実際の911事件被害者家族の中からも、「あのような報復を望んではいなかった」という声が上がっています。報復という名の大量殺人でしたから。あるべきことは刑事的に犯人を探し、逮捕して裁判に処することでした。しかしオサマビン・ラディンも、法的手続きを経ないまま一方的に処刑されてしまいました・・・。

10月8日は犠牲者を悼み、平和を願って、静かに立ちたいと思います。
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