ぼちぼち日記

大切な日々のこと

夏休み本番!

2006-07-27 07:02:22 | つぶやき
さあ、仕事のやりくりが大変な夏休みの到来です!
本当は、学童保育もあるのですが、最近、息子は、学童に行きたがりません。どうも、先生と馬が合わないらしいのです。
息子には、息子なりの言い分があり、私には「先生は、ここがおかしい!」と主張することができます。けれど、先生には、言うことが出来ないようなのです。
でも、こればかりは、自分でどうにかするしかありません。理不尽なことって、この先、いくらでもあるのです。こういう、絶対的な地位にいる者に対する理不尽な想いを、忘れないでいて欲しいなと思います。大人になったとき、それをしない大人になるためにも。
私が、教師を目指したり、社会的に弱い立場にいる人たちに関わる仕事をしたいと思ったきっかけも、そんな経験からだったろうと、今になって思います。だから、きっと、そういう経験も必要だと信じています。
あまりに学童の先生はヒドイからと、やめさせてしまう親御さんも多いのですが、この物騒な世の中、私には、そんな勇気は持てませんし・・・。

そんなこともあり、私が早番の日は、鍵っ子デビューも果たしている息子。でも、さすがに夏休みは、一日中なので無理。まずは、今日から一週間、私の実家に息子を預けて、仕事に行くことになりました。
実家から仕事に通うのは、電車とバスを乗り継ぐので、かなり大変なのですが・・・仕方ない
子どもは子どもなりに、大人社会の歪みを見ながら(何も文句を言ってくれない親たちを含め)、腹を立てたり、我慢したりして、頑張っているのです。夏休み位、私も、頑張らなくてはね。
そんな訳で、実家の方へ行ってきま~す

『あの日のおとだよおばあちゃん』

2006-07-26 05:27:35 | 息子と読んだ本のこと・児童書

あの日のおとだよおばあちゃん』 佐野洋子

「おばあちゃん、ぼくが、ここんちの 子になったときのこと話して」
そんな、『ねこ』のお願いに、おばあちゃんが答えます。それは、ある雪のふる夜のことでした。やってきたのは、なんと、大きなブタ。おばあちゃんは、大きなブタが、『ねこ』を連れてきたと言うのです。
びっくりする『ねこ』。「猫は、嫌いだったけど、うちにきた『ねこ』は、好きだよ」という言葉に、嬉しくてたまらない『ねこ』。
すると・・・なんと、また「あの日のおと」が、近づいてくるではありませんか。そう。大きなブタがやってきたのです!新しい猫を連れて!

おばあちゃんと『ねこ』、おばあちゃんと大ブタの掛け合いがおもしろく、ついつい、噴出してしまう。けれど、笑いだけではない。
新しい猫・『くろ』の登場で、ざわめく『ねこ』の心。
だって、『くろ』は、何でもできる天才猫なんだもの。何もできない平凡な子猫・『ねこ』の気持ちが手にとるようにわかって、なんだか切なくて、心が痛い。これが、嫉妬っていうものなんだなあ。嫉妬、ねたみ・・・
息子は、どんな風に感じただろう?ほとんど一人っ子同様の息子は、嫉妬という心を、どんな風に捉えるのだろう?

さて、『ねこ』の心の揺らぎにばかり、感情移入していた私だけれど、あとがきで、佐野洋子さんは、『天才猫・くろ』の孤独の方に焦点をあてていました。
天才ゆえに、何でも出来てしまうがゆえに感じる孤独。平凡と幸せについて、佐野さんは、書いています。
最後に訪れる、『ねこ』の平穏な日々にほっとしながらも、息子の心に想いを馳せ、佐野洋子さんの想いに想いを馳せ・・・なんだか、不思議な読了感でした。
返却カウンターに並んでいたものを、たまたま借りてきた作品でしたが、思いがけず、素敵な作品と出会うことができました。こういう偶然って、本当に嬉しいな。


「銀河鉄道の夜」と「長新太展」

2006-07-25 05:48:11 | つぶやき

とうとう、行ってきました!長新太展。
田舎モノとしては、「わざわざ東京に行くのだから」という考え方が捨てきれず、宮沢賢治の語りをしている叔父さんお勧めの、サンシャインシティ・スターライトドームの『銀河鉄道の夜』も観に行くことに決定。

ちなみに、『銀河鉄道の夜』の原作は、何度も挑戦してるのだけれど、いつも、途中で挫折してしまう・・・もしかしたら、今までで、一番多く挫折している作品。
けれど、映像の『銀河鉄道の夜』は、とても判りやすいものだった。内容は、物語に沿って作られているのだが、プラネタリウムらしく星座の解説も含まれ、賢治の歩んだ人生も観てとることができる。
しかも、最新のCG映像は美しく、心を震わせてくれる。この作り手の方は、きっと、誰より賢治の原作を愛しているのだろうと思う。さそりの火の場面の朗読では、思わず涙がこぼれてしまうほどの美しさでした。(朗読は、女優の室井滋さんです)

けれど、私が一番感動したのは、なんといっても、作品の解釈。
私は、今まで、『銀河鉄道の夜』という物語は、ジョパンニが、天の川(銀河)を宇宙旅行をする物語だと思ってきたのだけれど、この作品では、賢治が、故郷・花巻を流れる北上川を天の川に見立てて描いた物語だと解釈しているのです。銀河鉄道は、北上川を沿って進んでいるのだと。
ゆれて輝くススキの原。飛び立つ水鳥たち。その川岸に、賢治が寝転んで空を見上げている様子が目にうかぶようでした。その姿は、ジョパンニと重なって・・・
ああ、人が100人いたら、100人の銀河鉄道の空想の世界が広がっているのだろうなあと思う。だから、アニメでもなく、漫画でもなく、小説って、すごいなあと思う。だって、それぞれの人の頭の中に、それぞれの映像を魅せてくれるんだもの。文章だけの世界って、そういう素晴らしさがある。
私が今度読むときは、この作品の影響を受けるのかな?うん。それも、それでおもしろいかもしれない

さてさて、いよいよ向かった長新太展。
途中、下草井駅と上草井駅を間違えて下車してしまうというハプニングもありましたが、ちゃんと、目的地に到着することが出来ました。
けれど・・・・・・日曜日は最終日。覚悟していたけれど、すごい人でした。
夏休み前に行くべきだったなあと後悔したけれど、それでも、やっぱり来てよかった。力強く、繊細な作品たち。ペンや筆の細かい線をなぞりながら、長新太氏の発想の豊かさと、作品への溢れるばかりの愛情を感じました。

息子は、美術館の方の用意してくれた「子ども用の鑑賞ブック」を手に、熱心に、美術館内をグルグルと回り、私とは、ちょっと違う楽しみ方をしたようです。
これは、ちひろさんの絵に描かれている花の名前を当てたり、子どもたちが何を話しているのかを考えたりしながら、作品を鑑賞するガイドブック。「ゴムあたまポンたろう 」を探す問題は、かなり難しかったようですが、なんとかクリアして、見事おみやげをゲットしてきました。(ちひろさんの可愛らしい絵葉書を一枚)
私の方は、おみやげに『なんじゃもんじゃ博士』を購入。
ちょっと、人ごみに当てられたけれど、とても充実した一日でした!


『だれもしらない大ニュース』

2006-07-22 10:01:25 | 息子と読んだ本のこと・児童書
だれもしらない大ニュース』 長新太

ロアルド・ダールが、切れのよいナンセンスだとしたら、この方の作品は、なんと、ゆるい~ナンセンスなんだろう。
のぺ~っと力が抜けてきて、なんだか、考えるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。思考停止。脱力。。。長新太さんの世界は、本当に、他にないジャンルだと思います。
読んでいるうちに、親子で、ぽか~んとしちゃって、一日、2章を読むのがやっと。不思議な世界です。本当に。

ニュースの原稿という形をとって語られる、ナンセンスな出来事の数々。私たちの一番のお気に入りは、「生きている絵」。子どもたちの描いた絵が、動き出すという物語なのですが・・・おもわず、ぷっと噴出すこと数回。ぷっ。ぷっ。ぷっ。
明日は、長新太展に行く予定ということで、長新太さんの作品を読んだのですが・・・う~ん!母は、待ちきれないゾ。
息子は、昨日は子ども会の行事。今日は、公民館のアウトドア教室と、大忙しの夏休みの始まりで、待ち遠しいなどと思う暇はないのでしょうが・・・お留守番の母は、明日の予定に胸ふくらませるのでした

『ぼくのつくった魔法のくすり』

2006-07-20 05:58:10 | 息子と読んだ本のこと・児童書
ぼくのつくった魔法のくすり』ロアルド・ダール 宮下嶺夫

窓ふき会社のハチャメチャぶりに、すっかり魅了された親子が、次に選んだのが、この本だった。パソコン検索していて、小学校4年生の先生が、お勧めしていたのを読んだからなんだけれど・・・
・・・これは自分ひとりで読んだ方が楽しかったかもしれない。なにしろ、嫌な大人をギャフンといわせるためのエッセンスがきいた、全てがブラックな本だったから。
これを「大人」に読み聞かせてもらっても、どうなんだろう?楽しさ半減?
それでも、読み聞かせが当たり前になっている息子は、在りえない話に大喜び。読了までに、1週間かかってしまったけれど、あきることなく聞いておりました。

嫌味で、汚くて、意地悪なグランマ。
今日も、ジョージに意地悪を言い続け、命令します。
そこで、ジョージは、グランマをぎゃふんと言わせ、悪い所を治してあげる薬を作り出すことにするのです。材料は、もちろん、家の中にあるもの。ヘアクリームにママのマニキュアに家畜ののみとり粉。ペンキだって入れちゃいます。その他、ごまんと!!
出来上がった薬を飲んだグランマは、なんと!!!


最初から最後まで、正真正銘、ブラックユーモア。ここまでのブラック作品って、読んだことがない。なにしろ、ラストに、なんの救いもないのだ!
これ、ブラックユーモアを理解できないコチコチ頭が読んだら、ただの老人虐待?という作品なんだけれど・・・・・息子は、ゲラゲラ笑ってる。
お父さんが、魔法の薬を再現しようと奮闘する場面では、ジョージが入れた何十もの品物を繰り返していくのだが、なんと、入れ忘れたものをピタリと言い当てた!すごい集中力。信じられないラストも、すんなり受け入れたらしい。

はあ。でも、ちょっと感心した。子どもって、しなやかなんだなあ。
私ときたら、「ダールは何が言いたいんだ?」と、裏の裏まで詮索しちゃって、読み終わったあと悶々としてしまった。
ダールのブラックユーモア。実は、『チョコレート工場の秘密』が、一番、初心者向けだったのかもしれない。・・・・・友だちが、大人向けのダールもいいよと勧めてくれたんだけれど、まだ、その勇気がでない位の衝撃です。

『右の心臓』

2006-07-18 21:08:14 | わたしの読書

『右の心臓』 佐野洋子

佐野洋子さんのエッセイが好き。
始めて読んだとき、この人は、絵と全く同じ文章を書く人だなあと感心した。毒々しいとはこのこと。あちらこちらに、所構わず噛み付いて、仕舞いには、ぎゃあぎゃあと泣き出してしまう。
読み手は、「あ~あ」と呆れたり、的を得ていて大笑いなんてこともある。そして、いつも、この人と友だちになりたいなあ~と思う(無礼者でゴメンなさい)。
この人と一緒にいたら、きっと、世の中の色は、すべて違う色になっちゃうような気がするのだ。

今回のエッセイでは、少女の頃の洋子さんが、嫉妬し、意地悪し、軽蔑し、愛しいと思い、愛されたいと思う。
あまりに赤裸々に綴ってあるので、その醜さに、ゲンナリする人もいるかもしれない。コジキの子がいれば、汚い!こっちにこなければいい!と思い、弟が死んだときと兄が死んだときとでは、母親の悲しみ方が違うと分析し、自分がとった賞の授賞式に、お化粧してスマシテやってくる母親を軽蔑する。知的障害の子を怖いと感じ、それを隠そうとする大人を不思議に思う。
だけど、私は、こんな幼い洋子さんを愛してやまない。子どもって、こういう残酷なものだなと思う。もちろん、自分のことだけれど・・・。

今回、エッセイの中に度々登場してきた、亡きお兄さんのことが多く描かれていて、エッセイファンとしては、とうとう、お兄さんのことを詳しく知ることができるのだという、ドキドキを味わうことにもなった。
お兄さんの死の日。それを迎える幼い洋子さんの心模様が、彼女独特の激しい文章で語られる。そして、死の後の洋子さん。
この人は、きっと、ず~っと、このことを引きずって生きてきたんだろうなあと思う。感情がストレートすぎて、もらい泣きすることもないというのが、佐野エッセイなのだが・・・読んでいるうちに、ふと『100万回生きた猫』を思い出した。

昔の子どもは、いつも身近に死があった。家族が死に、近所の人が死ねば、みんなで埋める、火葬する。お父さんが、飼っている動物をさばき、それを手伝わされる。かわいがっていたうさぎをシメルとき、耳を持っているように命じられ、気持ち悪くなってしまう洋子さんが、夜、「うさぎ鍋」をおいしいと言って食べる場面には、感じるものがある。
彼女の絵本の中に描かれるブラックユーモアや、絵の迫力の原動力を感じることができる、そんな一冊でした。


『こころ』

2006-07-17 05:27:52 | わたしの読書

こころ』 夏目漱石

この物語と出会った時のことを、今もはっきりと覚えている。
高校の現代国語の授業中。教科書に載っていたこの物語の抜粋に、あっという間に夢中になってしまった。もちろん、そうなると先生の授業なんて上の空。先生、あの時は、本当にごめんなさい(笑)。
中学生の頃から海外文学に傾倒し、日本の文学史を飾る作品を、全くといって読まなかった私が、素直におもしろいと思ったのが、この『こころ』だった。

男と女の愛情がもたらす悲劇に、きっと、高校生の私は、今の私には、想像できないほどの、興味と嫌悪と憧れを抱いていたのだろうと思う。
だって、何十年ぶりに再読した『こころ』は、あの頃のドキドキが、すっかり失われていたから・・・・・。恋愛そのものへのドキドキ感が、消えてしまっているんだなあ。ちょっとだけ寂しい。
その代わりといってはなんだが、主人公や、主人公が慕う先生の小さな心の動きが、よく理解できる。先生が、友人を出し抜いて、プロポーズをしてしまう場面。その友人が自殺してしまってからの人生。その罪の意識にさいなまれ、結局は、自殺してしまう先生の心模様。私には、それが理解できる。

中学生の頃、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んで、主人公の行動が全く理解できなかった私は、ひどく憤慨して、母のところにとんでいった。「こんな考え方、間違っているよね!」。
同調してくれると思った母は、けれど、そうは言わなかった。
「大人になってから、もう一度、読んでごらん。」
今、そのときの母の言葉が響いている。

今だからこそ、感じることができる物語の醍醐味に、ふむふむと感じ入り、そのたびに、青かった私を思い出す。あの頃の私は、なんて、青臭くて、馬鹿者だったんだろうと思ったり、懐かしく思ったり、その繊細さをうらやましく思ったり。
こういう体験ができるもの、若いときに、多くの本を読むことができたから。
本だけは、よく買ってくれた両親に感謝しつつ(そのときは、洋服の方も、もっと買って欲しかったんだけれど)・・・・・。そのおもしろさを、今度は私が、息子に、図書館のお話し会に通ってきてくれる子どもたちに、教えていってあげる番だなあと、つくづく思ったのでした。
本との出合いは、一生の宝物なのだなあ。


『雪屋のロッスさん』

2006-07-15 06:05:18 | わたしの読書

雪屋のロッスさん』 いしいしんじ

魔法が足りない。そんなことをぼんやり思った。『ぶらんこ乗り』の印象が強すぎたのだ。ほとんど、麻薬患者のような感じで、あの陶酔感を期待していた私には、ちょっとだけ、がっかりした部分もあったと思う。
それでも、いしいしんじの不思議な世界は、しっかりと存在しています。
私にとってのいしいしんじは、こちらの世界とあちらの世界のハザマの世界。それは、非現実的な物語だけれど、しっかりと、こちら側に結びついている。

そんなハザマの短編が30もつまった本。何が描きたいのか理解できない・・・それが魅力というのもおかしいけれど、そんな、不思議ないしいしんじワールドに、どっぷりとつかりました。印象深かったのは、『似顔絵描きのローばあさん』と『しょうろ豚のルル』。
さて、次は、いよいよ『麦ふみクーツェ』に挑戦です。


『ガンバレ!!まけるな!!ナメクジくん 』

2006-07-14 05:04:39 | 息子と読んだ本のこと・絵本

ガンバレ!!まけるな!!ナメクジくん』 三輪 一雄

教えて頂いた、『イボイボガエルヒキガエル』の姉妹?本。
ヒキガエルの時のように、関西弁で聞かせる!?話ではないけれど、丁寧に、その生態に迫っていきます。もちろん、生き物大好きな息子は、大喜び。
カタツムリの中の一グループが進化したのがナメクジだったなんて、言われてみれば、納得なのですが、知りませんでした~。
そうやって、この地球上の生物は進化しているんですよね。

ポケモンゲームのおかげで、進化って、あっという間に出来てしまうもの!と感じている息子ですが・・・違うんですよね。
地球上の生物は、何千年、何億年・・・気の遠くなるほどの長い年月をかけ、生き残るために、より良い生活をするために、ゆっくりとゆっくりと進化していったのです。

頑張ったンだね、ナメクジくん。だからガンバレ!負けるな!!ナメクジくん
だけど、我が家の家庭菜園を荒らしたときには・・・・・・駆除させてもらいます。


『ぶらんこ乗り』

2006-07-12 16:49:31 | わたしの読書

ぶらんこ乗り』 いいし しんじ

私は、整った文章が好きだ。そういう美しい文章を読むと、それを書いた人が作家であろうと、友だちであろうと、同僚であろうと、もう、ウットリしてしまう。
そんな私だから、この本を開いたとき、正直に言って「ぽか~ん」としてしまった。だって、そこには、お世辞でも、美しいとは言えない文章が並んでいたから。
私は、一度読むのをやめて、遠くからページを眺めてみた。
平仮名だらけで、まるで、あちらこちらに言葉がとっちらかっているような、そんな感じ。これは、まるで何かの呪文か何かじゃないか?そんな気までしてきた。
いや、きっと、呪文だったんだと思う。だって、私は、魔法にかけられたように、その、ちっとも私好みじゃない文章に、のめりこんでしまったのだから。そのうちに、なんだかわからない涙が溢れてきて、まだ、何の事件も起こらない、ほんの序章のうちから、私は、ホロホロと泣き出してしまった。

これは、小学生の女の子と天才と謳われた弟との、切ない思い出の物語だ。
(3歳から物語を書き始めたという)天才の弟くんの書いた物語をちりばめて、話は、どんどんと進んでいく。
在りえない夢のような物語。けれど、それは、私の幼い頃の思い出と、何度も何度もリンクする。それは断片であり、なんのツナガリもないのだけれど、何故か、何度も何度も頭の中に浮かんで、消えた。切なくて、切なくて、たまらない。

これは、いったいどういうことだろう?
全く、この物語の説明になっていないのだけれど、最後には、オイオイと泣き出してしまった私が、はっと気づくと、なんと、一日で読了していた。これは、本当に久しぶりのこと。
その日、息子は、旦那と一緒におじいちゃんの家に遊びに行っていたし、私は、友人との約束が雨で流れてしまっていたし、そんな偶然も重なって、魔法にかかったように読み干してしまったのです。
この本を読んだ誰もが、私と同じような体験をするのだろうか?もしかしたら、つまらなくて読めません!という人もいるかもしれない。
実際・・・その本良かったの?なんて質問を受けたら、もう、「わからない」としか答えられないのだ。不思議な不思議な一冊だった。説明のつかない一冊だった。完全に、いしいしんじの世界に、ハマッテいます。


『ライオンのしごと』

2006-07-11 05:55:46 | 息子と読んだ本のこと・絵本

どうぶつさいばん・ライオンのしごと
竹田津実 著・あべ弘士 絵

「ライオンがヌーの子どもの母親を食べてしまった」。それをテーマにして、草原の動物たちによる裁判が繰り広げられる。
単純に、それぞれが生き残るための手段だと思ってきた「食べる」という行為。けれど、それには、実は、もっと大きな役割りが備わっているのです。

動物たちの証言により、丁寧に、ライオンがヌーを食べるということが、どんな意味を持つのかが、明らかにされていきます。
ライオンが食べることにより、草食動物は数が一定に保たれ、よって、草原が保たれる。ライオンが食べるのは、弱い、力のないもの。つまりそれは、病気である者も多く、ライオンが食べることで、群れは、病気による全滅を免れるのです。
マサイの村では、人間に守られて牛は安全に暮らしているけれど、病気で、いっぺんに200頭もの牛が死んだことがある。そんな証言が飛び出したときには、なんだか、胸が痛くなりました。
モンゴルの羊飼いの老人が言います。オオカミは羊を食べるけれど、実は、羊を病気から守ってくれる、羊の守り神なんだ。だから、モンゴルでは、オオカミを全部は殺さないのだと。

自然と対話しながら、自然界のルールに耳をすませながら、生きていくことが、どれだけ大切なことなのか。それが出来ない人間が葬ってきた動物の、なんと多いことだろう。そして、止まることのない温暖化。人間は、本当に愚かな動物です。
もっと、自然と対話しよう。でないと、この地球は、滅びてしまうよ!
そんな、壮大なテーマにも繋がっているような、そんな気がした一冊でした。

息子は、黙って、黙って、ききいっておりました。
これからを担う子どもたちに・・・・・大人が、こんなにしてしまった地球を託す、今の子どもたちに、是非とも感じてほしい、考えてほしい。そんな一冊でした。


『ぶたぶたくんのおかいもの』

2006-07-10 05:59:38 | 息子と読んだ本のこと・絵本

『ぶたぶたくんのおかいもの』
土方 久功

昨日は、息子の友だち家族に誘われて、地引網を体験してきました。
地引網というものを知らなかった息子は、大興奮!おかげで、漁師さんの横を離れず、そのまま、小アジのサバキ方まで教わって・・・気が付けば、海水で洗って食べております。しょうゆもなく、砂のういた海水で洗っただけで、モリモリと。。。
お腹こわさないかしら・・・?制限なく食べ続ける息子を、ようやくのことで、漁師小屋から引っ張ってきました。その後は、砂遊びにフリスビー。頭の先からつま先まで、砂まみれ!です。

・・・・・。どうして、こうお調子者なんだろうか。テンションが上がるとブレーキが壊れてしまう様子。いつになったら、ブレーキが壊れないで楽しめるようになるんだろう。。。困ったもんです。
大人しすぎる・・・と悩んだ時期を思えば、これは、当然私が願った息子の姿!なハズなんですが・・・ちょっと、違うような。ま、いいか。

さて、そんなこんなで疲れたのでしょう。21時には、もう瞼が重そうです。
こんなときには、簡単な絵本をいかがでしょう?と、『ぶたぶたくんのおかいもの』をセレクト。懐かしいタッチで描かれた絵は、見ているだけで、ほんわか温かい気持ちにさせてくれます。
これは、ぶたぶたくんと友だちの、なんとも、ほのぼのした買い物の様子を描いた絵本です。それぞれのお店屋さんの個性もヒカリ、なんともおもしろい。
それにしても、内容が幼すぎたかな?ちらっと横目で見やると、なんと、横になって、半分目を閉じているではありませんか。
このまま寝てしまうかな?と思っていましたが、そこは小学生。頑張っていました(笑)。最後のページに描かれた、ぶたぶたくんと友だちの家の地図は、しっかり起き上がって、道を確認です。
その後、すぐに爆睡の息子くん。たまには、こんな子守唄のような読み聞かせもいいね!


『ぬすまれたダイヤのなぞ』

2006-07-09 18:31:04 | 息子と読んだ本のこと・児童書
名たんていカメラちゃん・ぬすまれたダイヤのなぞ
デイヴィッド・A.アドラー著 神鳥統夫訳

新しい担任の先生が、名探偵コナンがお好きらしく、おかげで、息子が「俺も観てみたい!」と言ってきました。ついに、あの「名探偵コナン」が、我が家のテレビタイムに参入です。
他の子は、幼稚園から観ていますからね、ダイブというか、もう時代遅れくらいのノリでのデビューです。そんな訳で、最近、すっかり探偵にはまっている息子は、大喜びで本を開きました。
登場人物の紹介ページを熱心に読んでいたので、このまま自分で読むかしら?と思っていましたが、やっぱり「読んで!」と・・・。ううむ。一人で読む日は、まだまだ先だなあ。

カメラちゃんは、見たものを一瞬にして覚えてしまう記憶力の女の子。その女の子が、宝石店で起きた強盗事件を解いていきます。
謎解きとしては、子どもレベルかもしれませんが、息子にはぴったり(最後まで犯人が判らなかったみたい)で、カメラちゃんが犯人に捕まる場面まであって、充分にドキドキ・ハラハラさせてくれました。
中学生のときに私が読みあさった、やはり外国の方の書いた、少女探偵の話を思い出しました。学校の図書館にあったシリーズを、全部借りたっけ。あれは、なんという本だったんだろう・・・。
あんなに夢中になった本の題名を覚えていないのは、本当に悔しいなあ。やっぱり、日記はつけておくべきだったわ・・・なんて、思いながらの読み聞かせです。

コナンに慣れてしまった息子にとっては、探偵と言えば、殺人事件なんでしょうが、そんな演出がなくたって大丈夫。充分、楽しい物語でした。コナンも、こういう話が主だと、もっと気持ちよく観ていられるんだけどなあ~。って、元は大人向けだから仕方ないんでしょうね。
このシリーズ、続編が図書館に置いてあると良いのだけれど!

『からすたろう』

2006-07-07 05:22:49 | 息子と読んだ本のこと・絵本

からすたろう八島太郎

山の小さな小学校に、ちびと呼ばれる小さな男の子がいた。友だちにも、先生にまでも無視され、いじめられるちび。しかし、新しくやってきた先生は、違っていました。勉強は出来ないけれど、草花の名前を良く知るちびに感心し、彼の書く読めない習字すら、後ろの壁にはってやります。そして、最後の学芸会で・・・。
遠い遠い山のむこうから、一日も欠かさず通ってきたちびを想い、六年間、苛め続けてきた日々を想い、子供たちは涙を流する。ちびの発表したのは・・・。

最初のページから、母は固まってしまいました。それは、息子をずっと苦しめてきた言葉が、そこに載っていたから・・・。

息子が小学生になって、カルチャーショックを受けました。始めて顔を合わせる男の子達が、会った瞬間に行う「順位づけ」のせいです。そのグループでの順位付け。
小さな幼稚園出身で、他に知り合いのいない息子。おまけに、「背が低い」という、見た目にはっきりとわかる欠点を持ってた息子。あっという間にターゲットでした。
「ちび」「なんでそんなに小さいんだ!」という声が飛び交い、悲しい表情をすれば、勝ち誇った顔をする子供たち。それは、理不尽な命令行為に発展していきました。
会ったばかりの相手に、どうしてそんな残酷なことができるのだろう?
驚きました。相手の親全員に抗議することも、学校に言いつけることも考えたのですが、それを行うのが一人でないこと、他にも、息子と同じ条件の子どもが現れると、途端に、その子にも、同じような儀式が行われることを見ると、これは、もう、大人に言いつければよいという問題でないのだ、と考えるようになりました。

男は、その「本能」で順位付けをする!そう思う方が自然に思えました。
そうくるんなら、自然界の掟に従って、相手に強いことを教えるしかないじゃないか!母と息子が話し合ったのは、①3回までは、言われても、何をされても我慢する。その代わり、きちんと「嫌だ」ということを言葉で伝える。②それでも、4回目があったら、その時は・・・ボカンと一発お見舞いする!

キリスト教系の、静かで穏やかな、一学年20人程度の小さな幼稚園で、まるで温室の中のような環境で育ってきた息子には、それは、かなり高いハードルだったと思います。
そんな息子に喧嘩しろ!というのが適当であったのか、その解決策が正しかったのか、今もって判りませんが、一発お見舞いした日から、息子の学校生活が変わりました。

今では、その最初の一発をお見舞いした子は大の仲良しですし、「順位付け」しない子どもたちもいることに、息子は気づきました。その子たちと友だちとなることで、しつこく言いまわっていた子までもが、「このままでは、自分の立場がマズイ」と判断したのか、言わなくなってきたのです。(いつの間にか、立場逆転という訳です)

最後まで言い続けていた子には、さすがに親子で閉口していましたが、彼には、彼なりのストレスや状況があったのでしょうね。冷静に見回してみると、ガキ大将のような、明らかに誰が見ても強そうな子は、会った瞬間にその儀式をしたとしても、二回目以降がないのです。何度もやってくる子には、それなりに抱える問題があったのでしょう。
けれど、やっぱり、苛められるほうの辛さは、かなりのものだったと思います。その傷ついた心を思うと、私の気持ちは、ヘロヘロになっちゃうのです。

つい先日、学校とは別の集まりに参加し、息子は、またもやその試練を味わいました。学校で言われなくなって何年もたつ
ので、息子にとっては、悪夢の再来だったと思います。
おまけに、そのしつこく言ってくる子は、学校で、最後まで言い続けていた子にそっくり。周りのガキ大将面の子どもたちが、その「ちび、ちび」攻撃に、なんの反応も示さず無視していたことが、かえって、彼をかりたててしまったようで(彼らに振り向いて欲しかったんでしょうね)、息子への暴言は、最後には「オマエ、本当は幼稚園なんじゃないの?」になりました。
その子が年下だったことから、3回どころか、10回以上我慢していた息子ですが、さすがに我慢ならず、泣きながら、彼の太ももにめがけてボカンと蹴りを・・・!彼は大泣き。
(学校では、すっかり、ガキ大将の端くれの息子です、、、鍛えてますから、、、そりゃあ、痛かったと思います)
たぶん、次会ったときには、彼は、もう何も言わないでしょう。

どうして、人は、人を傷つけるように出来ているのでしょう?どうして、人は、自分は人よりも上だと思いたいのでしょう?どうして、他の子を陥れることでしか、自分の居場所を見つけられない子がいるのでしょう?

からすたろうは、決して暴力による反撃はせず、6年間耐え、最後の最後に、その人間としての素晴らしさを認めさせます。あるいは、そのことにより、みなの心に、良心の呵責という痛みを与えたのかもしれません。
私が息子に教えた「暴力」という対抗策は、果たして良いことだったのだろうか?
この本を読んで、私は、何度も何度も、その疑問を突きつけられた気がしました。
息子は、きっと・・・・・私とは違う想いを持って、この物語をきいていたことでしょう。何を感じたのか?それは、私には全く想像できないけれど。
深く深く、感じ入った夜でした。


『こちらゆかいな窓ふき会社』

2006-07-06 05:50:55 | 息子と読んだ本のこと・児童書

こちらゆかいな窓ふき会社』 
ロアルド・ダール:作 クェンティン・ブレイク:絵
清水達也、清水菜緒子:訳 評論社

たまには、家に溜まった本を読もう!ということになり、息子と二人、本棚の前に並ぶ。息子のリクエストは、「笑える本がいい!」。
ああ・・・・・。そうくると思っていました。
ロアルド・ダールは、これで二冊目。一冊目は、映画に合わせて読んだ『チョコレート工場の秘密』でした。けれど、母は、あまり好きになれなかったのです。悪い子は、こうなっちゃうよ!そんな知育本のようなイメージが拭いきれず・・・。あ、もちろん、息子にとっては、大笑いのお気に入りの一冊だったのですが。

しかし、この本は、素直に面白かった!
本の中には、登場人物が、歌う場面がたくさん出てくるので、母は、気分はミュージカル女優!になることも出来ましたし。
これが、この物語の歌として、息子の中に固定されてしまうと思うと、本当に可哀想なのですが・・・でも、勝手に節をつけて歌うのは、なんて楽しいんでしょう~♪
こんなことばかりやっているから、息子が、くだらない替え歌ばかりを作るようになってしまうのだろうなあ・・・と、ちょっと反省したりもして。

さてさて、この本は、かわいい娘・ゼラネアスキリン、やせっぽちのサル、口ばしをバケツ代わりにできるペリカンと、なぜか、マネージャーになってしまった、近所の古い空き家にお菓子やさんを開きたい夢を持つ子ども、ビリーの、楽しい「窓拭き会社」のお話しです。最後には、ワンカ工場からお菓子が届くおまけつき!

それにしても、奇想天外のドタバタ劇。息子は、お約束の「ありえね~」の連発。
普段は、言われると腹のたつ、息子の「ありえね~」も、「確かに!」と、膝を打ってしまう程のロアルド・ダールの世界なのでした。
特に、キリンの首が伸びていく場面ではね、、、さすがに耐えられずに噴出しました、私も。誰もが考えつきそうで、考えないよなあ~~普通。
それにしても・・・ゼラネアスキリンって?どんなキリン?
本当にいるのかな?と頭をかしげた私は、まだまだ、ロアルド・ダールのジョークがわかっとらん新米読者です。