ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『からすたろう』

2006-07-07 05:22:49 | 息子と読んだ本のこと・絵本

からすたろう八島太郎

山の小さな小学校に、ちびと呼ばれる小さな男の子がいた。友だちにも、先生にまでも無視され、いじめられるちび。しかし、新しくやってきた先生は、違っていました。勉強は出来ないけれど、草花の名前を良く知るちびに感心し、彼の書く読めない習字すら、後ろの壁にはってやります。そして、最後の学芸会で・・・。
遠い遠い山のむこうから、一日も欠かさず通ってきたちびを想い、六年間、苛め続けてきた日々を想い、子供たちは涙を流する。ちびの発表したのは・・・。

最初のページから、母は固まってしまいました。それは、息子をずっと苦しめてきた言葉が、そこに載っていたから・・・。

息子が小学生になって、カルチャーショックを受けました。始めて顔を合わせる男の子達が、会った瞬間に行う「順位づけ」のせいです。そのグループでの順位付け。
小さな幼稚園出身で、他に知り合いのいない息子。おまけに、「背が低い」という、見た目にはっきりとわかる欠点を持ってた息子。あっという間にターゲットでした。
「ちび」「なんでそんなに小さいんだ!」という声が飛び交い、悲しい表情をすれば、勝ち誇った顔をする子供たち。それは、理不尽な命令行為に発展していきました。
会ったばかりの相手に、どうしてそんな残酷なことができるのだろう?
驚きました。相手の親全員に抗議することも、学校に言いつけることも考えたのですが、それを行うのが一人でないこと、他にも、息子と同じ条件の子どもが現れると、途端に、その子にも、同じような儀式が行われることを見ると、これは、もう、大人に言いつければよいという問題でないのだ、と考えるようになりました。

男は、その「本能」で順位付けをする!そう思う方が自然に思えました。
そうくるんなら、自然界の掟に従って、相手に強いことを教えるしかないじゃないか!母と息子が話し合ったのは、①3回までは、言われても、何をされても我慢する。その代わり、きちんと「嫌だ」ということを言葉で伝える。②それでも、4回目があったら、その時は・・・ボカンと一発お見舞いする!

キリスト教系の、静かで穏やかな、一学年20人程度の小さな幼稚園で、まるで温室の中のような環境で育ってきた息子には、それは、かなり高いハードルだったと思います。
そんな息子に喧嘩しろ!というのが適当であったのか、その解決策が正しかったのか、今もって判りませんが、一発お見舞いした日から、息子の学校生活が変わりました。

今では、その最初の一発をお見舞いした子は大の仲良しですし、「順位付け」しない子どもたちもいることに、息子は気づきました。その子たちと友だちとなることで、しつこく言いまわっていた子までもが、「このままでは、自分の立場がマズイ」と判断したのか、言わなくなってきたのです。(いつの間にか、立場逆転という訳です)

最後まで言い続けていた子には、さすがに親子で閉口していましたが、彼には、彼なりのストレスや状況があったのでしょうね。冷静に見回してみると、ガキ大将のような、明らかに誰が見ても強そうな子は、会った瞬間にその儀式をしたとしても、二回目以降がないのです。何度もやってくる子には、それなりに抱える問題があったのでしょう。
けれど、やっぱり、苛められるほうの辛さは、かなりのものだったと思います。その傷ついた心を思うと、私の気持ちは、ヘロヘロになっちゃうのです。

つい先日、学校とは別の集まりに参加し、息子は、またもやその試練を味わいました。学校で言われなくなって何年もたつ
ので、息子にとっては、悪夢の再来だったと思います。
おまけに、そのしつこく言ってくる子は、学校で、最後まで言い続けていた子にそっくり。周りのガキ大将面の子どもたちが、その「ちび、ちび」攻撃に、なんの反応も示さず無視していたことが、かえって、彼をかりたててしまったようで(彼らに振り向いて欲しかったんでしょうね)、息子への暴言は、最後には「オマエ、本当は幼稚園なんじゃないの?」になりました。
その子が年下だったことから、3回どころか、10回以上我慢していた息子ですが、さすがに我慢ならず、泣きながら、彼の太ももにめがけてボカンと蹴りを・・・!彼は大泣き。
(学校では、すっかり、ガキ大将の端くれの息子です、、、鍛えてますから、、、そりゃあ、痛かったと思います)
たぶん、次会ったときには、彼は、もう何も言わないでしょう。

どうして、人は、人を傷つけるように出来ているのでしょう?どうして、人は、自分は人よりも上だと思いたいのでしょう?どうして、他の子を陥れることでしか、自分の居場所を見つけられない子がいるのでしょう?

からすたろうは、決して暴力による反撃はせず、6年間耐え、最後の最後に、その人間としての素晴らしさを認めさせます。あるいは、そのことにより、みなの心に、良心の呵責という痛みを与えたのかもしれません。
私が息子に教えた「暴力」という対抗策は、果たして良いことだったのだろうか?
この本を読んで、私は、何度も何度も、その疑問を突きつけられた気がしました。
息子は、きっと・・・・・私とは違う想いを持って、この物語をきいていたことでしょう。何を感じたのか?それは、私には全く想像できないけれど。
深く深く、感じ入った夜でした。