ぼちぼち日記

大切な日々のこと

ラクガキ

2009-11-28 10:55:01 | 赤ちゃん日記~娘さん日記

 発見・・・

福音館の『0.1.2』シリーズが中心だった絵本に、最近、こぐまちゃんシリーズが入る
ようになりました。
こーんなに長いお話が、読めるようになったんだねえと感激。
・・・・・・・したのもつかの間、昨日、絵本に書かれたラクガキを発見しました。
がーん!がーん!がーん!

一瞬、頭が真っ白になりました。
息子が大好きだった、こぐまちゃんのシリーズ。
好きで、好きで・・・・・・・・ほぼ、シリーズ全部揃ってしまいました。
こぐま社に読書カードも送って、誕生日には、いつも、こぐまちゃんポストカードが
届いていたんです。
そんな思い出の絵本が・・・・・・・・・・・・。

子どもが、好きな時に絵本を手にとれる環境を。

そう思って、やはり、息子の時に、パパが作ってくれた絵本用の本棚。
キャスター付きで、子どもがいる部屋に、簡単に移動できるようになっています。
家事で忙しい時、読んであげられない時、息子は、自由に絵本を選んで、
ぱらぱらと絵本をめくって、楽しんでいたものでした。
読み聞かせの時間、絵本を読み終わると、ダッと、本棚に走っていっては、新しい本
を持ってきた息子。
「もう、おしまい!」って言わなかったら、何冊ぐらい読んで欲しいと言うだろう?
そう思って、ある日、挑戦したら、本棚全部、読んでしまったのだっけ。

そんな思い出のつまった本棚。
きっと、同じ光景がと思って楽しみにしていたのに・・・・・・・・・・・・・・・・・オイ
図書館で、イタズラガキされている絵本を見るたびに、一体、どういう子が、
絵本にイタズラガキするんだろう?って思っていたけど・・・・・・・・こんな子でした

書かれてしまったイタズラガキは、もう元には戻らなくて・・・。
すっかり落ち込んだママでしたが、一日たったら、なんだか落ち着きました。
これは、もう、息子の絵本じゃなくて、息子と娘の絵本なんだからね。
イタズラガキもまた、娘の成長過程じゃないか
そう思えてきました。(そう思うしかないと、思うことにしました。)

写真の中の小さな絵本は、ママがお気に入りの豆絵本。少しずつ、集めています。
アマゾンで、息子の参考書を買ったときにも、送料無料にするためにと、買ったのです
が、届いたその日に、娘に、かじられました!
歯型がついた なんてもんじゃありません。見事に、引きちぎられました
(このときも、頭、まっしろ~)

「絵本は、大切にしてほしい。」
小さな娘に、向かい合って伝えました。こっくり頷いた娘。
「うん。もう、やらないよ
そう答えました。

でも、わかってる。伝わるには、まだまだ、かかるって。
先日、床に、黒いクレヨンで海を描いてしまった時も、そう答えた翌日に、畳の上に
大きな太陽を描いたんだもの。
だから、きっと、またやるんだろうなー。繰り返しなんだよね。きっと。
タメイキ。タメイキ。タメイキ。
図書館の本だけは、絶対に気を抜かずに、大人の棚の一番上に戻すこと。
これだけは、忘れないようにしなくちゃ。タメイキ。タメイキ。タメイキ。


こういう時は、甘いものを食べるしかない食いしん坊の思考回路。
クリスマスプレゼント購入に向け、お財布ひきしめ運動をしているので、ひたすら
作り続けます。
最近、お菓子を作らない週末がないことに、気がつきました。
娘さん、頼みますよ。ほんと。
このまま行くと、入園式に着ていく服がなくなるわい。ふう~。


『クリスマスの木』

2009-11-24 13:32:10 | わたしの読書
『クリスマスの木』 
                ジュリー・サラモン作 ジル・ウェーバー画 中野恵津子 訳

今年のクリスマスプレゼントは、何にしよう。このところ、ずっと頭を悩ませています。
こんな時には、クリスマスの本を読んで、気持ちをクリスマスモードにしようじゃないか!
と、そんなことを考えて、図書館へ行ってきました。
そういえば、クリスマスをテーマにした物語って、あまり読んだことがないかもしれません。

この、わずか130ページ程度の小さな物語は、(あの有名な!)ロックフェラー・センターのクリスマス
ツリーを飾る仕事をしている園芸家が主人公。
ツリーになる木を探してまわる中、素晴らしい一本の木・トゥリーと、一人の修道女と出会うことから、
物語は始まります。
大きな事件が起こる訳でもなく、クリスマスをバックに、感動的で、劇的なラストが待っている訳でも
ありません。
修道女の過去の話を中心に、静かに、ゆるやかに、物語は進み、そして終わります。

こういう物語って、好きだなあ~。
・・・・・・・・・・・これが、本を閉じたときの、第一の感想。
心の中に、パッと明かりを灯してくれる火には、なれないかもしれないけれど、こういう、小さな火
(もしかしたら、ただのぬくもりかもしれない)も、心には、必要なんだよなあ・・・と、シミジミ思ったのでした。

最後、ロックフェラー・センターのクリスマスツリーの下に立つ、修道女の姿に、涙が止まらなかった。
主人公の心に起きた小さな変化、気付きが、何よりもあたたかく、嬉しく、涙が止まらなかった。
最高に小さい、最高にささやかな、最高に素敵な本を読んだ気がしました。

お弁当

2009-11-20 14:24:15 | つぶやき

お弁当。
あの小さな箱の中に、色々な色が、少しずつ入るっていうのが好きで、
中学生の時から、母の作ってくれたおかずを、自分で弁当箱につめていました。
彩とか、並べ方とかを工夫するのが、とにかく楽しくて♪

でも、実際に、毎日、食べ盛りの中学生にお弁当を作るようになって、

「毎日作るって、好きとか嫌いとかそういう次元の問題じゃないんだー」
と、言うことを知りました。
なにしろ、土曜日も日曜日も!の週もあるんだから。
もう、好きとか嫌いじゃなくて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とにかく、疲れる。

そんな時に、立ち読みした「お弁当の本」に、どんぶり弁当が載っていました。
牛丼、親子丼・・・。そうか、それでいいのか!目からウロコでした。
その日のうちに、ネットショップでお買い物。
「ロケット フードコンテナー」という、なんとも面白い、お弁当箱を発見しました。
直火OKで、キャンプでも使えるというのが、お買い得。



このお弁当箱が来てからというもの、お弁当が、ぐんと楽になりました。
牛丼、マーボーナス丼、ドライカレー丼。
どんぶりものは、一品作るだけで栄養満点・ボリューム満点。
たくさん入るので、麺類なんかもいけます。スパゲティーに焼きうどん。おこのみやき!
二段目は、大抵、フルーツをたっぷり入れてとか、ブロッコリーのサラダとかで、おしまいです。
このお弁当箱が来てから、本当に楽になりました。感謝・感謝。

息子の一番のお気に入りは、丼ものや麺類の上に、目玉焼きをのせたもの。
友だちが、「おもしれー。おもしれー。」と、見に来るのだとか。
「うけてる。うけてる!」と喜ぶ息子くん。
お弁当としては、喜ぶところが、ちょっとズレテるような気がするけど、ま、いいか。

毎日のお弁当。
意外にも、子ども達は、お弁当をのぞきあっているようで、
「今日の、○○の弁当は、カレーだったんだよ。」とか、「▲のオムライス弁当は、かなり旨そうだった!」
などと、よく、話をしてくれます。
「へえー。それ、いいねー。今度、作るか!」と、うなずきながら聞く、弁当話。

お弁当って、楽しく、楽に作れれば、なかなか、いいもんなんだなって、最近、思うようになりました。

たかが弁当箱。されど、弁当箱。
器って、実は、とっても大切なんだなーって、思うこの頃なのでした。


『エリック・ホッファー自伝~構想された真実』

2009-11-20 14:23:49 | わたしの読書

『エリック・ホッファー自伝~構想された真実』

これは、「沖仲士の哲学者」として知られる(恥ずかしながら、私は、知りませんでした)
エリック・ホッファーの自伝です。
ドイツ系移民の子として生まれたエリック・ホッファーは、母親に抱かれたまま階段から落ち、
それが元で母は死亡。同年、失明。5歳だったそうです。
十五歳で突然視力を取り戻しましたが、二年後、唯一の肉親である父親が死亡。
少年は、路上で寝ることが出来る暖かい場所が良いと、カリフォルニアに移ります。
それからは、あちこち転々としながら、鉱山夫、農業労働者、港湾労働者として、社会の
基底をわたってきたというエリック・ホッファー。

視力が回復した少年が、また、いつ目が見えなくなるかもしれないと、一日に十何時間と、本を読み
あさったという話。
労働し、お金がたまると、図書館に通い詰め、片っ端から専門書を読んでいったという話。
そして、とうとう、学者に助言する程の知識を得てしまうという話。
その才能を見出され、研究所で働くように勧められたにも関わらず、また、季節労働者として
旅にでることを選ぶ話。

その人生は、全く、信じられないことばかり。
「知への探求」「生きるということ」
そのことを、深く、深く考えました。

本を閉じた後、
学ぶって、こういうことなんだということを、見せ付けられたような想いで、一杯になりました。
労働についても同じく。
労働に必要なのは、やりがいではないという彼の考え方に対しては、色々な意見があるかも
しれないけれど、たしかにと、頷いてしまったのでした。

彼の言葉一つ一つが、大きく波打って、迫ってくるようでした。
なんと力強い言葉。
この力強さこそ、今の時代に必要なもの(失くしてしまったもの)かもしれません。
とにかく、その力強さに圧倒され、その言葉に、心が、大きく揺さぶられ続けた一冊でした。

哲学って、詩のようだと思ったことがあります。
その言葉の中に身をおくことが、なんと心地よいか。(たとえ、意味がわからなくても!)
そして、本を開いたところに、必ず、自分の必要としている言葉が見つかるのです。
高校の時、哲学が一番好きな教科だったことを思い出し、そういえば、久しく、哲学に触れる
機会がなかったなあと気が付きました。
他の著書を、是非、読んでみようと思います。


『長い冬休み』

2009-11-17 13:22:13 | わたしの読書
 『長い冬休み』 アーサー・ランサム

シリーズの他の巻に比べて、随分、薄い本だなあ~というのが、最初の感想だったのだけれど(笑)、
途中で、何度も、他の本に浮気してしまったことが祟って、またまた、長い読書になってしまいました。
浮気したからと言って、決して、面白くなかった訳ではないのです。
いつ、この本に戻ってきても、同じように物語は魅力的に流れていたし、ここに戻れることが嬉しく、
なんとも心地よく感じられた・・・そんな読書でした。

冒険は、いつだって緊張の連続なのにも関わらず、物語は、変わることなく、ゆるやかに流れていくのが
いつもながらの驚きです。
普通、緊張する場面を読むときは、時間が早く流れていくものだけれど、全く、変わらないのです。
だからこそ、いつでも、安心して戻って読めるんだろうなあ・・・。
前の巻のときも書いた気がするのだけれど、子どもたちの体験する時間の流れ、そのものが、この物語
の時間の流れだなあと、つくづく、思わずにはいられません。
本当に、素晴らしい!
私には、一つの冒険に区切りがつくと、ついつい、他の本に浮気してしまう悪い癖があるのだけれど、
それでも、嫌な顔一つせず、ちゃんと読者を迎え入れてくれる懐の深さにも、いつもながら、感謝。
そういう本に出会えたことにも、あらためて感謝。(ことり文庫さん、ありがとう!)

さてさて、物語は、ツバメ号とアマゾン号の乗組員に、新しい仲間が加わるところから始まります。
冬休みを過ごすために、都会からやってきた、D姉弟。
ツバメ号の乗り組員たちも、長期休みに、街からやってくるのだけれど、D姉妹は、正真正銘の街っ子で
自然の中で遊んだことが、全くない子どもたち。
そんな姉弟の冒険、とりわけ、迷子の羊を助け出す冒険や、北極圏をめぐる冒険は、思わず手に汗
にぎる緊張感で、ハッと気が付けば、ページがよれていることもある位のものでした。

一歩ひいて考えると、とてつもなく無謀で、一つ間違ったら死んでいるかもしれない!と、大人なら、
眉をしかめたくなるのだけれど、「いいじゃないの。冒険は、これだから冒険なのよ。」と、笑顔で頷いて
しまうのが、このシリーズなのですよね。
今回、リーダーのナンシイが、おたふくかぜのために、家から出られなくなったという設定も、最高に愉快でした。
彼女の描いた暗号?絵?には、私も、子ども達と一緒なって頭をひねらせてもらいました。

そして、何より嬉しかったのが、舞台が、いつもの湖だったこと。
もちろん、海の冒険を描いた前の巻も面白かったのだけれど、やっぱり、湖が舞台の方が、私も好きなようです。
この静けさや、空気の清清しさは、やっぱり、湖だからこそ。。。いいです。
本気で、深呼吸したくなるんですよ。本を読みながら。

残念なことを一つあげるとすれば、ティティとロジャの存在が薄かったこと。
他のメンバーは、主役をD姉弟に譲ったとしても、ちゃんと、自分で考え、悩み、葛藤する場面が出てくる
のだけれど、この二人に関しては、その内面までが伝わってくる場面が、皆無でした。
それが、ちょっと残念。もちろん、これは、ティティ・ファンとしての意見なのだけれど。
次の巻は、是非!と思いながら、また、少し浮気してから、もどる予定です。

家族で読む、アーサー・ランサムシリーズ。
息子は、二巻先へ(またまた、この分厚い本を中学校に持って行きました)、旦那は、一巻先(こちらも、
相変わらず、どんなに疲れていても、毎晩少しずつ読むというパターンで)。
私は、ビリの位置をキープしながら、他の本に浮気しつつ・・・のスタイルで、ゆっくりと進んでいます。

『猫を抱いて象と泳ぐ』

2009-11-09 13:35:42 | わたしの読書

猫を抱いて象と泳ぐ  『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

小川洋子さんの短編を読んだばかりのところで、どういう訳か、ずっと前に予約していた、この本が届く。
すっかり、小川洋子の一週間。
他に、ずっーと前から読んでいる本があるのだけれど、またまた、後にまわして読み始めた。一気に。
たった2日のお楽しみ。途中で、本を閉じることなど、到底できなかった。
(久しぶりの午前さま。翌朝のお弁当からは・・・おかずが一品消えました)

小川洋子さんの長編を読んでいるとき、いつも感じるのは、空気の清清しさ。
どんなに悲しいストーリーでも、その清清しさと、秋の日のような、凛とした空気のハリ、軽さが、私を支配します。
この本には、特に、そのことを感じさせられました。

もし、あらすじだけを追ったとしたら、あまりに、悲しすぎるし、切なすぎる物語。
主人公に想いを馳せ、何度、涙を流したでしょう。
ラストに至っては、何度考えても、もっと違うものであって欲しかった。
でも、最後の一行まで、その空気の清清しさは、変わることなく私を支配していました。
 どうしてなのだろう?本をおいてから、何度も考えました。

それはきっと、主人公の「チェス」に対するひたむきな想い、誠実な想いのせいなのでしょう。
これが、最後まで、絶対に揺らぐことがなかったからこそ、その空気は、変わることがなかったのだと思うのです。
博士・・・のとき、それが「数式」であったように。
そのひたむきさ故に、一般的に考えれば、悲しい人生を歩むことになる主人公。
それが、そういう世界を手に入れることができた、主人公の宿命だったとしたら・・・・・・。
そう思うと、また、切なさに胸が痛くなります。

物語は、現実とは、少しだけ離れた世界・・・別の世界の話のように感じられ、それは、はじめ、私に
いしいしんじの世界を思い出させました。
でも、いしいしんじの物語が、どこへ行き着くのか、全く予想がつかないのに反し、この物語は、
はっきりと、どこかにたどり着くのだという意思が、全編に流れていたように思います。
はりめぐらされた、多くの伏線。
一つ一つが、全く、関係性がないように思える、この変わった「題名」もまたしかり。
(今では、これほどピッタリの題名はないと、心から思います)

立方体のゴンドラが、行き違うことがなかったら、どんなにか素晴らしかっただろうと思うけれど、
主人公が、もっと違う選択をして、もっと、普通の幸せを手に入れたって良かったのにと思うけれど、
それでもなお、最後の最後まで、ピュアな気持ちを抱いたまま逝った主人公を、幸せだなあと思わずには、いられません。

生きるって、とても素敵なことなんだな。
悲しすぎる結末を読んでも、なお、そう思える、不思議な物語。
終わりゆく秋の読書にピッタリの、素晴らしい一冊でした。

『わんわん なにしてるの』

2009-11-02 14:08:35 | 娘と読んだ絵本のこと

 『わんわん なにしてるの』 ひろのたかこ

来春からお世話になる幼稚園の未就園児クラスに、週に一回通っています。
小さな園舎に、あふれるばかりの絵本たち。この幼稚園を選ぶ理由の一つです。
娘は、教室の奥にある絵本コーナーが大好きで、自由遊びの時間には、必ず一回、
そこに行くのです。

次から次へと、絵本を持ってくる娘。
何冊読んでも、じっと座って聞いていた息子と違い、大抵が、母に、絵本を渡す遊び
の娘なのですが(トホホ)、お気に入りの本が2冊あって、これだけは、「読んで!」
とせがみ、ちゃんと、最後まで聞いています。
先日、その二冊のうちの一冊を図書館で見つけ、借りてきました。

子犬のわんわんが、ボールをおいかけたり、スリッパをかじったり。
一番のお気に入りは、うんちをするところ。
本当に、こうやって、うんちをするんだよね。耳を後ろに倒して、お尻を下げてね。
おうちでも、飽きずに何度でも読んでいます。

犬は、全部、「大くん!」と呼ぶ娘の大好きな一冊。
幼稚園を卒園する頃には、どのくらい、お気に入りの本が増えているのかな。
(もう少し、落ち着いて聞けるようになるかな?)
11月1日は、幼稚園の面接(一応)でした。小さな小さな教会の幼稚園。
来春は、めずらしく!?いつもより、たくさんの新入園児が入りそうです。


『完璧な病室』

2009-11-02 14:07:41 | わたしの読書

『完璧な病室』 小川洋子

博士やミーナのような作品も好きだけれど、やっぱり、「これぞ、小川洋子!」と唸らせる
この本のような、作品が好き。いや、大好き。
はじめて、この方のエッセイを読んだとき、小川洋子という人が、あまりに普通の、素敵な女性なのに
驚き、違和感を抱いたのを覚えています。
以来、エッセイを読むときには、必ず、自分に「これは、エッセイだぞ!」と言い聞かせているのです(笑)
もちろん、エッセイだって面白いのですが、小川洋子さんが、私と同じ普通の世界に住んでいることが
どうしても、自分の中で消化できないのです。

それくらい、小川洋子さんの こういう作品が好き。この文体。素晴らしい。
グロテスクで、官能的で・・・・・。
読んでいるうちに、誰も知らない遠い場所に、たった一人、閉じ込められてしまったような感覚に、
襲われます。無機質な空間に、たった一人、閉じ込められたような・・・。
恐ろしくて、気持ちが悪くなって、何度も本を置きました。

本を置いたら置いたで、今度は、自分の身の回りのものを、小川洋子風に言葉にしたくなる自分が
いて、途中で、そんな自分に気づいて、おかしくなりました。
例えば、部屋の隅の埃とか、暗くなった電球とか。
そんなものが、とてつもなく重大で、何か秘密を隠し持っているように思えてくるから不思議です。

児童小説の合間の読書には、ちょっと、毒気が強い一冊でした。
でも、本当に面白かった。

死病におかされた弟を看病する姉の話『完璧な病室』と、認知症を患った親代わりの祖母を
施設に入れる女性の話『揚羽蝶が壊れる時』の二話が、収録されています。
劇的なストーリーがあるわけではない。本当に、ただ、それだけの話。
でも、人の心理を揺さぶるのに、劇的なストーリーは必要ないのです。