ぼちぼち日記

大切な日々のこと

深呼吸の必要

2008-11-25 13:50:55 | つぶやき

手元の本は、この写真よりも、もっと淡い色づかいなのだけれど。

『深呼吸の必要』 長田弘

大切な人が辛い思いをしているとき、周りにいる人に、一体何ができるだろう?
何もできない、自分の未熟さに腹が立ちます。
もう40歳にもなるといのに、出来ることと言ったら、心配することだけ。
心配なんて、なんの解決にもならないのに、それでも、心配することしか出来ません。
どうか、この心配の心が神様に届いて、あの人と私に、素敵な魔法をかけてくれないかな・・・

ざわざわざわの心を持て余して、もうどうしようもなくなって、昨夜、一冊の本を手に取った。
私が、はじめて、長田弘という詩人と出会った本。
仲良しの友だちが、誕生日に贈ってくれた本。
この本を開くたび、友だちのことを思い出し、友だちが暮している故郷を思い出し、
そこで暮している家族のことを思い出します。

「あのときかもしれない」
を読むたび、子どもの頃の自分を思い出し、美しかった故郷の自然を思い出し
自分が、どんなに輝く世界の中で育ってきたのかを確認し、幸せで胸が一杯になります。
「路地」
という詩にたどり着くと、その後の人生に想いが巡ります。
故郷を出てからのこと、出会った人のこと、旅のこと。
そして、ばらばらと本をめくり、最後に必ず読む詩が、
「散歩」
迷ったときは、いつもこの詩を手にとります。

ただ歩く。手に何ももたない。急がない。気に入った曲がり角がきたら、すっと曲がる。

この出だしが大好き。
そして、歩こうと思う。ゆっくりと、ゆっくりと。一歩、一歩。

・・・・・・・・・・どこけへゆくためにでなく、歩くことをたのしむために街を歩く。とても簡単なことだ。とても簡単なようなのだが、そうだろうか。どこかへ何かをしにゆくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと。それがなかなかにできない。この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。


早くも、選択のとき。

2008-11-18 13:51:34 | つぶやき

息子が、年少さんの年のときに通っていた、自主保育。
元は、団地のお母さん同士が集まって始めた、団地の中だけの保育でした。
いつも知っている顔で、生活の延長。楽しかったなあ

時代が変わり、現在では、団地の高齢化が進み、子どもが殆どいなくなったそうです。
そして、団地の子のための自主保育は、活動場所を団地の集会所から、近くの
公民館に移し、市内唯一の自主保育団体として頑張っているのだそうです。
しかも、年少さんから幼稚園に入れるお母さんが増えたため、現在は、年少さんの
前の年齢から、入れるのだとか
ってことは、娘も、来春から入れるってことね
とういう訳で、オムツもとれない、歩き方もギコチナイ、言葉もボチボチの娘を連れ
て、自主保育体験をしてきました。

体験メニューは、はじめてのリトミック 講師の先生を招いての会でした。
音楽大好きの娘は、わらべうたの集い同様、ノリノリで、親から離れる準備は万端。
そこは、問題ないのです。ないのですが・・・・・・・・・・・・

やはり、問題なのが「待つ」「やめる」のキーワード。
今日は、折り紙で作った動物に目や口を入れるという作業で、使ったクレヨンが
片付けられず、引っくり返って大泣き
おやつの場面では、「いただきます」が待てなくて、「みんなと一緒にね。」と言ったら
テーブルに向かって、唾をはき、お菓子の入っているお皿を投げつけようと。
本当に、トホホの娘さん
お隣の席のお姉ちゃん、ビックリ仰天 唾だもんね

雑誌に紹介されるような、自然の中でなどの目標を掲げた自主保育とは違って、
幼稚園に入る前の子どもたちの居場所、顔合わせのような場所。
大きな目標などは何もなく、ただただ、ゆるりと活動中。

幼稚園というところは、自分たちで選べる場所であるということで、集まってくる
保護者の方達は、なんとなく価値観が似ているところがあります。
息子が入っていた幼稚園は、シュタイナー教育を意識した小さな幼稚園。
それはそれで、とても居心地が良かったし、幸せなときなのだけれど・・・・・・・・・
でも、価値観の違うお母さん達と一緒に保育には、別の魅力があるのです。

全く集団に入れない、やんちゃな男の子二人が、みんながリトミックしている輪の中で、
上へ下への取っ組み合いをしていて、それを、違う子のお母さんが、
「いい加減にしろっ!」と、怒っているのを見て、思わず笑顔になりました
こうやって、他の子のお母さんに怒鳴られる体験って、やっぱり貴重だなあと思うの
ですよね。
息子なんて、いつでもメソメソ男の子だったので、元気一杯の若いママさんに
「あー。そんなんじゃ、幼稚園に入れないぞ!こらっ!」
と、激を飛ばされていたのでしたっけ
飛ばされて治るもんじゃないのだけれど、そういう体験だって、必要だと思ってしまうのです。
そして、今回、体験に招いてくれたのも、その、かつての若いママ 

でも、「待つ」「やめる」「貸す」が、まだ出来ない子どもを集団に入れるのは、どうな
のだろうという気持ちもあります。噛み付きが友達に対して出てしまったら?
心配したらきりがありません。
なにしろ、幼稚園の未園児クラスと違って、お当番の親以外は、付き添わないのが
基本のルールの場所。私が止めることが出来ないと思うと、やっぱり不安になります。
早生まれさんは、同じ学年の子たちと成長のペースが、こんなにも違っているのかぁと、
わかっていたけれど、ちょっと、がっくり。(しかも、娘はストレートに感情を出してくるし)
でも、親が心配しなくても、子ども同士で、学んでいくのだろうか?とも思ってみたり。

うーん。悩むなあ。
早生まれさんは、すべてが早く進んでいくようで・・・・・・なんだか、大変デス
もしかしたら、あっという間に手を離れていくのかな。


『奇巌城』

2008-11-17 22:22:58 | 息子が一人で読んだ本



『奇巌城』 ルブラン 南洋一郎訳

図書館の書庫に眠っていた本を連れて帰ってきました。
古い!古すぎる!さすが、○○○市!!!
表紙の絵など、昭和62年発行とは思えぬ代物です。
第1刷は、昭和33年だから、きっと、その時から表紙が同じとみました。
ハッキリ言って、表紙の絵、好みデス
(何故か、原作者より翻訳者の方の名前の方が大きいというのも、私のツボでした)

ルパンを読みたいから、借りてきてほしい言い出したのは、息子。
どこで聞いたのか、「ルパン対ホームズ」という本が読んでみたいと言うのです。
でもでも、せっかくだから、一巻から読んでみたら?と、母が借りてきたのが、この本。
最初は、「えー!」の息子でしたが、読み始めたら、そんなことすっかり忘れて
夢中になっておりました。
夢中も夢中・・・・・・・・・・・・他に何も手につかない状況。うむむ~。
一体、一冊読み終わるまでに、何度、母にカミナリを落とされたことか。
どうして、夢中になると、何も見えなくなるのだろうか?本当に、困った6年生です。

(現在出版されているシリーズでは、この本は、一巻ではないようです)

母は、推理小説は、読まず嫌い。どうしても、読む気になれません。
それでも、息子が熱く熱く、ルパンを語っている姿を見たら・・・・・・・
いつか、読んでみようかな?ぐらいには、思うようになりました
実は、私も、中学一年生のときだけ、推理小説にハマッタ時期があったのです。
推理小説って、無性に読みたくなる時期というのが、あるのかしら?
どうして、あの頃、あんなに推理小説にハマッタのかなあ・・・と、自分の子どもの頃を
懐かしく思い返した母なのでした。


『魔女になりたかった妖精』

2008-11-13 23:42:32 | わたしの読書

『魔女になりたかった妖精』 
                        カルル・クヌート絵 ブリジット・ミンヌ文 目黒実 訳

子どもは、親の人形ではない。
親の価値観を、決して、子どもに押し付けてはいけない。

もちろん、頭ではわかっているし、そうしないようにと、自分にブレーキをかけたり
するけれど、でも、やっぱり・・・・・・レールに乗せようと頑張っている母が、ここにも一人。
それは、子どもを愛しているからこそで、どうか、将来、困らないようにとか
苦労をさせたくないとか、そこから生まれてしまうものなのだけれど、でもそれは、
やはり、親のエゴなのだろうな。

上品でお行儀よく、優雅な妖精。
けれど、妖精の女の子ローズマリーは、魔女になりたいのだと言うのです。
もちろん、ママは反対し、それなら魔女の森に一人でお行きと言い放ちます。
すぐに逃げ帰ってくるかと思った娘が、魔女の森で、たくましく暮して
いると知った
ママの戸惑い、驚き、悲しみ・・・・・・・・そして、気づき。
絵本を広げているママもまた、同じように、胸が痛みます。
大人であり、親である、絵本のこちら側のママは、思います。
「これは、絵本だから。世の中、こんなに甘くは、ないよね。」と。

でも、甘くなくても、それを選んだのは自分自身。それには、変わりないのですよね。
本当の愛情とは、例え、魔女たちに、ボロボロにされて逃げ帰ってきたとしても、
「お帰りなさい。」と、笑顔で言えることなのかもしれない。
かもしれない。かもしれない。でも・・・

母の心の葛藤は、そうやって、終わりが見えないようです。
そしてまた、ローズマリーのように、自分で選んだ道を、ずんずんと歩んでいける子
ばかりでなく、自分を殺してまでも、親のレールに乗る子もいるのだろうなあと思うと、
また、母の葛藤は、深い森に迷い込むようです。

でもどうか、この葛藤だけは、忘れないようにしようと思う。
何よりも尊く、何よりも強い、「愛情」という大きな力。しかし、その大きさ故に
一番大切なことを見失ってしまうことが、きっとあるはずだから。
自分の愛情が、間違った方向を向いてはいないか?
そんな風に、冷静に自問自答する時間が、もしかしたら母親には、必要なのかもしれない。
愛が大きすぎるが故に。

何より、絵が美しい絵本でした。ローズマリーの服の色が好き。
ピンクは、女の子のために選ばれた色なのだそうです。(長田弘「記憶のつくりかた」より)


『真夜中のパーティ』

2008-11-08 13:39:49 | 息子が一人で読んだ本

『真夜中のパーティ』 フィリパ・ピアス作 猪熊葉子訳

中学生になる前に、是非、読んで欲しいと思っている作家さんの一人が、このピアスでした。
はじめてのピアスに選んだのは、読みやすそうな、この短編。
けれど、母に「読んでみて。」と差し出されたときの息子の感想は、ただ一言。

「シブっ。」



君の頭の中に入っている形容詞は、「ヤバっ」「キモっ」「シブっ」「ダサっ」しかないだろう。
え、息子さんよ
それでも、ちゃんと読んでくれるところが、嬉しいです。
例え、シブくても、ダサくても、本に対してのハードルが低い息子くん。
母が差し出した本は、大抵、なんでも読んでくれるのです。

さて、このシブイ本。二・三日して、「どう?」と聞いてみたら
「うん、面白いよ!」という感想が返ってきました
特に、本の題名にもなっている『真夜中のパーティ』が、一番気に入った様子。
はじめての短編集という形の本を、「一日に一話読む」と決めて読んでいた息子でしたが、
しょっちゅう、『真夜中のパーティ』に戻ってしまい、なかなか、前にすすまないようでした
ようやく、ようやく読了です。
実は、私は、この短編集を読んだことがないのです。読むのが、今から楽しみ

面白かったから、冬休みは、ピアスの違う作品を読んでみたいと息子。
どこで聞いてきたのか、次は、『トムは真夜中の庭で』を読んでみたいと言い出しました。
いつの間にか、読書へのアンテナを、自分ではるようになったのだなあと、感心。
そして、次はルパンを読んでみたいと、こちらも、どこで情報を仕入れてきたのか、
言い出しました。

今朝、母が図書館から借りてきたルパンの一巻を、まさに、むさぼるように読んでいた息子。
朝食のとき、
「ルパン、スゲエ面白いよ。それに、スゲエ、スピードで読めるし。」と
そして、衝撃告白。
「前に、ホームズ読んだときは、一つも意味がわからなかったけど、今なら、
わかる気がする!」
そ、そ、そうなんだ。一つも、意味がわからなかったんだ・・・・・

一人では、小学一年生向けの本でも読めなかった息子。でも・・・・・・・
その時は、自然に訪れるものなんだなあ。シミジミ。
今まで理解できなかった言葉が、ある日、突然、理解できるようになる。
ちょっと、平均より遅い気はするけれど
、その分、本人自身が、トンネルを抜けた感動を
味わえているのではないだろうか?という気がしているのです。
なにしろ、今では、ランサムの分厚い本でも、何の抵抗もなく広げるのだものねえ。
(ルパンの次は、ランサムのツバメ号シリーズに戻るのだそうです)


母が、息子が推薦した本を読む日も近いかな?


『おさじさん』

2008-11-05 13:19:12 | 娘と読んだ絵本のこと
『おさじさん』 松谷みよこ 東光寺 啓

娘と一緒に絵本を楽みたい!という想いをのせて運ばれる「寝室の絵本」が、
二冊に増えました。
『のせて のせて』の次に選ばれたのが、この本。
娘が大好きな「擬音」がたっぷり♪なのが、選んだ理由です。

とことことこ。ふーふーふー。

やっぱり、思ったとおり・・・・・・大好き
うさぎのぼうやが、平気だよ!と、おさじさんをつっぱねる場面も
お話の展開を理解しているとは、とても思えないのだけれど、
何だか、とても楽しそう。

それでも、一番好きなのは、やっぱり「ふーふーふー」で、食べるところ。
残念ながら、娘は、その場面が、このお話のラストにふさわしいと思っているらしく
決して、最後の一ページを読ませてくれません。
いつものように、どこかに歩いていってくれれば良いのに、閉じさせまいとする
母の抵抗むなしく、両手で表紙を閉じてしまいます。
絶対に、最後のページを読ませようとしないのです。
先日、無理やり読もうとしたら、泣かれました

小さな心は、不思議で一杯です。