J.D.サリンジャー 作
村上春樹 訳
『星の王子さま』を無事に読み終えた後、本棚に眠ったままの本たちを、読み返してみようと心に決めた。まずは、大好きな村上春樹訳の本。
村上氏の著書は、すべて読んでいるはず(たぶん)だが、訳した本は、殆ど読んでいない。村上氏が好きな作家なのだから、きっと読めるだろうと思うのだが、やっぱり・・・駄目。
その中でも、この物語は特別だ。始めて会ったのは、大学生のとき。村上訳では、なかった。
たぶん・・・だけれど、心理学の教授が、授業中に勧めてくれた。買ったのは、白水社から出ている1984年に初版された野崎孝一訳。
けれど、何回挑戦しても、全寮制の学校を退学になる主人公・ホールデンが、お世話になったスペンサー先生に挨拶に行くという、冒頭のシーンを読んだところで終わってしまう。
何回、ホールデンがスペンサー先生を訪ねただろう?
とにかく、なぜか、いつもそこまでしか読めなかった。そして、本棚行き。
二回目に読もうと再決心したのは、村上氏が、この本について書いたものを読んだとき。
けれど、やっぱり、ホールデンはスペンサー先生に会いに行き・・・本棚。
三回目に読もうと思ったのは、村上氏が訳した、この本が出版されたとき。
(野崎氏の訳したものはそのままで、現在は、両方が白水社から出版されている)
ところが・・・読めなかった。しかも、例の箇所まで。
だから、今回(四回目)、ホールデンがスペンサー先生の家を出て、寮にもどってきたときには、「ああ!今回は、最後まで読めるぞ!」と確信してしまった。スピードに乗ってくると、今まで苦労してきたことが嘘のように、スラスラ読める。
けれど・・・あまりにスピードに乗りすぎたのだ。2・3日前から、具合悪くなってしまった。
心が、だ。
感じやすいホールデンは、(たぶん)大好きだった弟を亡くしてしまってから、この世界すべてを敵に回して生きている。
権力、金、性欲。すべてをオゾマシイと考え、すべてを憎んでいる。
なのに、結局のところ「いいとこのボンボン」から抜け出すことが出来ない。
一晩のうちに金を湯水のように消費し、憎むべき大衆の集まる場所に行き、クソ食らえな映画や演劇を観て、そして、好きでもない女の子とデートする。
そして、その度に、世の中をののしり、憎むのだが、反面、彼は、それがないと生きていけない。けれど、それに気づくことが出来ないのだ。
この本を勧めてくれたのは、やはり、心理学の先生だったのだろうと確信した。
感じやすい若者の、大人の作り出したものへの、異常なほどの嫌悪感。
私は、もがき苦しむ主人公に共感するような若さも、パワーも、すでに持ち合わせていない。少々、いや、かなり年をとりすぎてしまった。私は、もう哀れみを通り越して、呆れてしまうしかない。けれど、たしかに「それ」は、今も、私の中にある。
そう気づいたとき、急激に気持ちが悪くなってきた。心が重い。元はといえば、心理学の先生が勧めた本だったのだから、もう少し、用心して読むべきだった。
今朝、読了したときには、もう、心が重くておかしくなりそうだった。・・・ハマリすぎです。
今日が、晴れでよかった!
佐藤さとる・作
4年生にもなると、比較的、誰とでも遊ぶ男の子でも、よく遊ぶ子、遊ばない子が出てくるようだ。
その中でも、虫とりはこの子と、サッカーはこの子と、と、相手によって遊び方が違うのがおもしろい。その中の一人は、おしゃべり派。
読書家で、息子より、視点が変わっていて(息子の発想パターンに、私が慣れっこになっているだけかもしれないけれど)、びっくりするようなことを言い出したりする。
おかげさまで、息子と二人での会話は、周りの大人たちには意味不明。それでも、おしゃべり好きの二人は、楽しそうに話をしている。
先日、あまりに学校から帰ってくるのが遅かったので、何をしていたのかと訊ねると、ただ、二人で話しながら帰ってきただけだと言う。
「話が盛り上がっちゃってさあ。」
「何の話してきたの?」
「スーパー赤ちゃんの話をしてきた。」
「は?」
スーパー赤ちゃん??
「あのね、ぼくらの話し合いではね。一番のスーパー赤ちゃんは『生まれたらすぐに世界一周をする赤ちゃん』ってことに決まったから。」
「・・・・・。」
どうやら、二人で交互に『どんな赤ちゃんがいたら、すごいか?』について意見交換し、最後に、これならすごいという赤ちゃんを決定したようだ。意味不明~!
そんな訳で、私の大好きだったこの本を、息子に読んでやりたくなった。
幼い頃の私を夢中にさせた、佐藤さとる氏の本だ。
本を手に取ると、私までワクワクしてしまう。
昨日は、まさに、たつや(タッチュン)が、いかにスーパー赤ちゃんであるかが描かれていた。
ピッピとは、対象的な息子の反応。
黙って、口をはさむことなく、息を飲むように本をのぞきこんでいる。同じなのは、「もっと読んで!」というところかな。
さすが、佐藤さとる!大人が読んでも、うなるほどの完成度!
ピッピもそうだけれど、こういう完成度の高い作品を読むと、ああ、児童『文学』なんだなあ~と思う。続きが楽しみ♪
とうとう、読み終わりました~!
あまりのおもしろさに、「一日一章」のルールを「一日二章」に変更したせいもあり、あっという間だった気がします。
「今日は、ゲームやらないから、その分、ピッピを読んで。」と息子が言い出し、いっぺんに三章読んだ日もあったしね。
ピッピは、最後までハチャメチャで、ホラ吹きでした。それは、ある意味、最後まで息子を裏切らなかったということで・・・
あれだけ、ロッタちゃんの「ちくしょう!」を気に入っていたのに、今では、ピッピお得意の「ホラふき」と「おまえ!」を連発する毎日です。恐るべしピッピ。
この本の一番のお気に入りの物語は、なんと言っても、ピッピが学校に行く章。
この章を、笑わないで読み聞かせることが出来る人は、絶対にいない!と断言できます。(私は、笑いすぎで泣いてしまいました。)
枕に足を乗せて寝ていたことを忘れていた私が、この物語を、うっすら覚えていた位だから、きっと、子どもの頃の私も、この章をかなり気に入っていたんだろうなあ。
先生が困らせるってことが、どうして、こんなにおかしいのかしら。
この後の章では、町のおばさまたちを困らせ、驚かせる事件も起こるのですが、やっぱり、この学校の物語にはかなわない。
子ども最大のタブーなんだろうなあ。。。
(ちなみに、息子は、先生が大好きでたまらない子どもなのですが、それとこれとは違う様です)
続編を借りてくるまで、しばらくピッピとはお別れ。
少し、落ち着いてから読まないと、息子の頭も爆発しちゃいそうだしね。
いや間違えました。私の堪忍袋が爆発しちゃいそうだしね。
ピッピは、息子の心を虜にしてしまった様で、昨日あたりから、息子がヒドイことになってきました。
ピッピは、とんでもない「ほら」吹きです。
上海で会った中国人はね、耳が大きくて、雨が降ったら耳を傘のかわりにするの!とか・・・はたまた、違う国では、子どもは、勉強をしてはいけないの!絶対にね!とか。
そんな「ほら」を吹いては、みんなを驚かせて大笑いするのです。
もちろん、「これは、嘘よ!」と最後に言うのですが。
ピッピは、船長だったお父さんと船で旅をしていたので、色々な国の名前を知っているという設定・・・
息子は、ここに敏感に反応してしまった訳です。
私が何か小言を言おうものなら、この「ほら」が吹き荒れるのです。
昨日、息子は子ども会の太鼓の練習会に行ってきたのですが、友だちと悪ふざけして、玄関のインターホンをならして庭にまわり、窓から家に入ってきました。
私が小言を言い出すと・・・
「オーストラリアではね、子どもは、みんな玄関でピンポンならして、窓から家に入るんだよ!知らないの!」
あのねえ・・・
それなのに、寝る前に読んだピッピは、また「ほら」を吹きました。
息子は、目をきらきらさせています。
おまけに、床に水を撒き散らし、デッキブラシを両足にくくって、スケートをしてみせました。もう、釘付けです。
ちょっとだけ、かつてのスウェーデンのPTAの皆様の気持ちが、わかる気がしてきました。
リンドグレーン作 / 大塚勇三 訳
とうとう、ピッピ!
『やかまし村』と、どちらにするか悩んだのですが、図書館にて、ピッピが牛を持ち上げている挿絵を見た息子が「こっちにする!」と即答。
なんと言っても「世界一つよい女の子」だもんね。さあ、この長編に挑戦です。
昨日読んだ章には、ピーターとアンニカの隣の家に引っ越してきたピッピが、いかに、変わった女の子であるかが、丁寧に描かれていました。
今まで読んできたエーミールやロッタが、なんだか可愛らしく感じるのは、気のせいかしら。
ひどい悪戯も、頑固さと悪態も、ピッピの奇抜さには、かないません。
ちなみに、ロッタちゃんの決め台詞「ちくしょう!」が、今では、息子の決め台詞になってしまいました・・・。あまりにひどいので、先日、旦那から「最近、○○の言葉遣いが悪くなった気がする」と言われてしまった位です。トホホ。
さてさて、ピッピですが・・・そんな二人の主人公とは、土俵が違う?というのかしら?とにかく、ピッピは、すごい女の子。スウェーデンでのリンドグレーン不買運動の元は、この作品らしいというのも、うなずけます。
なにしろ、昨日だけで、ピッピは、数え切れないくらいの「ほら」を吹き、床の上でクッキーの生地をのばしました。
もの発見家になって、地面に落ちているものを我が物にすると言い出し、芝生の上で昼寝ているおじいさんを自分のものとすると言います・・・
「捕まえてどうするの?」という問いには、きっぱり「うさぎ小屋に入れて、たんぽぽを食べさせるのもいい!」と!!!
息子は、腹を抱えて笑いだし・・・布団の上をのたうちまわっていました。
エーミールを読んだときの興奮がよみがえってきました。
しばらくの間、またまた、リンドグレーンに楽しませてもらえそうです。
中川季枝子 さく・山脇百合子 え
字も大きく、いかにも「子どもが始めて一人で読む物語本」といった感じの本。
けれど、題名が気に入ってしまったのだから仕方ない。そう。息子の親友と同じ名前だ!
けんた・うさぎと、うさぎ・かあさん、うさぎ・とうさんの日常を描いた、温かい、素敵な作品。
幼い子どもたちの眼差し。発想。中川さんの描く世界は、今日、子どもと過ごした日常であり、かつて、幼いわが子と過ごした日常だ。
母は、こぼれる笑顔を隠すことができない。
息子といえば・・・何度となく、ぷっと噴出していた。
主人公は、(うさぎの)幼い子ども。でも、なんのなんの!まだまだ、同じようなことやってるもんね。息子くん!
図書館イベント『読書フェスタ』でのお話し会。
第一部が幼児向け、第二部が小学生向け、という構成で、私は、第一部の方に参加。お供の手袋人形の『かっぱくん』と一緒に、司会を頑張りました(なかなか愛嬌のある顔で気に入っています)。
プログラムは・・・
1.『ここは ここは』 手遊びうた
2.『なにしてるの』 なかのひろたか・作(紙芝居)
3.『ルラルさんのにわ』 いとうひろし・作
4.わらべうた 「ずくぼんじょ」「おふねが ぎっちらこ」
5.『おむすびころりん』 (紙芝居)
6.『ころ ころ ころ』 元永定正・作
7.『でてこい でてこい』 (オリジナルのペープサート)
8.『ここは ここは』 手遊びうた
正直、司会は得意。
問題は、例の苦手な絵本『ころころころ』でした。
一時は、感情豊かに!というプレッシャーに、押しつぶされそうだったのですが、ブログで、みなさんにアドバイス頂き、心が楽になりました。(本当に・・・つかえていたものが消えていくかのようでした)
子どもたちとの駆け引き、あったかい読み口。そんな民話の語りスタイルに惹かれている。
うん!それでいいじゃない!それが、私の楽しみ方なんだから。
何故か、うなずきながら見ている子。「ころころころ~」と、一緒に繰り返してくれる子。「ころころころ」ただ、色球が転がっていくだけ。なのに、どうして、こんなに子どもを惹きつけるんだろう?
改めて、この本の不思議を感じつつ・・・楽しく、読み終えることが出来ました。
図書館に親しむイベントということで、他にも、わらべうた、ペープサートなど、子どもと一緒に作り上げる作品を多くしたこともあり、「お話しの部屋」は、大きく盛り上がり、後ろで見ていたお母さんたちの笑い声が響いたことも、なによりでした。
おかげで、間に入れた物語性の強い作品が小さい子どもをも惹きつけ、プログラムとしては、成功だったかなと思います。
子どもたちに、本の素晴らしさを伝えたい。そんな想いばかりが先行し、ついつい、子どもと一緒に楽しむという基本を、忘れてしまいがち。
絵本って、こんなに楽しいんだね。
子どもたちに、改めて教えてもらった気がします。
エドワード・アーディゾーニ作 / なかがわちひろ訳
チムが航海から帰ってくると、住み慣れた我が家は空っぽ。お父さんもお母さん
も誰もいなくなっていた。なんと、家は売りに出されているという。
そこで、お父さんとお母さんを探そうと、チムは、新たな冒険に・・・!
絶対に在りえない展開。
第一、小学生?のチムが、船乗りとして独立していること自体もナンセンス。
それなのに、どうして、こんなにリアルなんだろう?
まるで、本当の話のように思えて、ドキドキ・ハラハラしている。
いつの間にか、息子と一緒になって、物語の中にひきこまれている自分に驚い
てしまう。力のある本は、時代も国境も、軽く越えてしまうのだ!
すごい!
パソコンしよう!読書もしよう!書道もやろう!
なのに、チンタラ朝食を食べる息子に、イライラモード・スイッチオン。
でも、昨日、大きな雷を2つも落としてしまった母。
もちろん、怒る理由はあったのだけれど、感情的になってしまったこと
を反省していた。
ここは、この怒りをどうにか納めよう!ということで、息子が食べている
横で、こんな漫画を描いてみました~
題して・・・『食べさせマシーン』
①左手でスプーンを握り、口に食べ物を運ぶ(箸やフォークに変更可能)。
②何分間で食べさせるかをタイマー設定できる。
③タイマーの残り時間を考慮し、遅い場合には、グローブをはめた右手に
て、頭をポカリと一発!
く、くだらな~い!
あまりにくだらなくて、自分でも笑ってしまいました。
もちろん、息子も大うけ。これって、逆効果?
玄関を出ていく息子は、にこにこと母に手を振りながら一言。
「後で、絵を見てみな!」「なぬ?」
あわてて、家に入って見てみると・・・母の描いたマシーンの隣に、トンカチが! 題して・・・『これをこわす とんかち』
いつ描いたんだ?そんな暇あるなら、さっさと学校いけ~!
ウィリアム・スタイグ作 / 木坂涼 訳
新歌さんのブログ「えほんのまいにち」で紹介されていた絵本。
とても楽しそうな書評。早速、借りてきてました!ものすごく楽しそう~!
でも、小学生には物足りないか?
そんなことを考えたりもして、なかなか読めないでいた。
しかし、昨日、ドラマ「ちびまるこちゃん」を21時まで観ていた息子は、とても、
長い物語を読めるような時間的余裕がなくなった。
それでも本を読みたいと懇願するので・・・それならこれを読もう!と、母。
物語大好きの息子は、「(本が)薄いじゃん。」と、少し不満気。
しかし、頁を開くと・・・とたんに、目がキラキラと輝いていく。
頁をめくるごとに、どんどん、どんどんと、その輝きが大きくなり
「ぐふっ」
笑い声が、混じり始め・・・
ピザ職人のお父さんが、ピザ生地となった息子を、軽やかに放り投げる場面では、もう、興奮は最高潮!
本を閉じると、お約束。息子を生地にして、かけ布団をトッピングしてあげた。
ゲラゲラと転げまわって笑う息子が一言。
「ピザを投げて下さ~い!」
え!?
「む、無理。お母さん、腰イタイから。」
「じゃ、治ったら投げてよね。」
・・・・・。無理です。治っても。
やってしまった・・・ぎっくり腰。仕事上、腰痛は職業病なのですが、それでも、
ならないようにするのがプロ!と思ってきた。
なのに、とうとう、やってしまった。ちょっとした気のゆるみ・・・情けない。
その瞬間、やっちゃった~と思ったけれど、もう、後の祭り。
家に帰ったきたら、どんどん痛くなってきた。
そして、今朝もかわらず。仕事、休めないしな・・・どうしよう。
今、福祉業界は、とても大変な状況なのです。
「障害者自立支援法」という法律が、この4月から施行されました。
この法律が、また、大変な法律で・・・今の職員数のままで、今の利用者の
数では、施設として運営が成り立たないというのです。
施設が生き残るには、重度の障害の方を、増やしていくしか方法がありません。
一人職員が休めば・・・
例えば、一人が、昼食の時間に、温かい食事が食べられなくなる。
介助でなければ食べられない方が、職員の数より多ければ、その方は、
誰かが食べ終わるまで、待っていないといけないのです。
小泉首相、厚生労働省の方々。どうか、こういう現場を見に来て!
障害者は、障害にあぐらをかいて、のほほんと生きている訳ではありません。
当たり前の日常が送りたいだけなのです。
温かいご飯が食べたい。ゆっくりお風呂に入りたい。それだけなのです。
私たち職員は、その笑顔が見たいだけ。
あなただって、明日、倒れるかもしれないのに・・・
ちょっと話がずれました。痛みのせいで、ぼやき節入っています。
腰、イタイよ~
エドワード・アーディゾーニ作
なかがわちひろ訳
前回、もう航海は最後にすると約束したチム。約束通り、今回の巻では、
海には出ませんでした。
海から流れてきた女の子・シャーロットをめぐる物語。
実は、大富豪のお嬢様だったシャーロット(またもや、両親は他界という設定)。
この辺の設定が、なんだか外国らしくて。昔、憧れたなあ。
読んだ本の主人公は、大抵「みなしご」と呼ばれる子どもだったんですもの。
男の子だと、こういう設定に惹かれることはないのかしら?
息子は、チムとジンジャーがクラスメイトと大喧嘩するシーンの方が、気になる
様子でした。
シャーロットのことでからかわれたチムが、クラスメイトに反撃するのです。
小学校に入った頃、気弱な息子に、喧嘩の仕方を教えたことを思い出しました。
男の子って、どうして、こう手が早いんでしょう。
たぶん、DNAがそうなってるんだろうなあ。
そんなことを考えつつ・・・
何度も読み始め、何度も挫折した。
そのことを職場の先輩に話したら、日に焼けて、茶けてしまった
古ぼけた本を貸してくれた。
先輩が言う。
「この本の歴史を感じたら、きっと、最後まで読めるわよ。」
昭和40年版。値段240円!!
頁をめくると、壊れてしまいそうな本。
慎重に、丁寧に頁をめくる。なんだか、不思議な感覚です。
そして今日、とうとう・・・王子さまは、行ってしまいました。
驚きと、ほんの少しの喪失感を味わった休日。
心にとめたい言葉が多すぎて、何度も言葉を飲み込んでいる。
この本。もう少しだけ、我が家にいてもらうことになりそうだ。
おお!お父さん、お母さんが登場しました!
しかも、今回は、ちゃんと了解をとって航海に出たチム。なんだか、安心した。
・・・そんな自分がおかしいです。
息子は、相変わらず真剣な眼差し。
きっと、一緒に冒険の旅に出たのだろう。この本には、そんな魅力がある。
追伸:色々なことに挑戦してみたくなる春!色々なことを感じて、考えたい!
それを日記に残こせたらいいな。そんな訳で、模様替えしてみました。
『チムとルーシーとかいぞく』
エドワード・アーディゾーニ作 / なかがわちひろ訳
チムシリーズ2巻目。あんなに「読まない」と言っていたのが嘘のように、笑顔で2巻目を抱えてきた。子ども心って、本当におもしろい。
2巻では、チムは、ルーシーという女の子と友だちになり、彼女のおじさんに頼んで、新しい船を手に入れる。なんて、気前のよいお金持ちでしょう(笑)。
なにも言わずにきいていた息子は、本を閉じた後に首をかしげた。何?
「チムのお父さんとお母さんは、どこ行っちゃったんだよ!」
そうなのです。今回は、お父さんとお母さんの出番はなし。チムは、当たり前のように船を手にいれ、当たり前のように船に乗り込み、旅に出るのです。
すっかり、一人前の船乗りですね。
「そうか、この間の最後、お父さんが、船乗りになってもイイと言ったじゃん。だから、もう、何も言わないで行ってもいいんだよ。・・・・・あ、もしかしたら、家出したのかもな。また。」
とりあえず、自分の中で納得で出来たらしい。うふふ。
たしかに、そのへんの設定は説明なしで、少々、強引?でも、まあいいか!と思わせてしまうほど、物語が素晴らしい。さすがです。