ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『石川くん』

2008-05-28 13:08:45 | わたしの読書

『石川くん』 枡野 浩一

母の生まれ故郷が岩手なので、小さい頃から、夏休みに旅行といえば「岩手県」でした。
その度に、おじさんが連れていってくれるのは、石割桜と「石川啄木」縁の場所。
だから、小学生の私は、作品も知らないのに、一番身近な作家さんが「啄木」だったのです。

そのせいでしょうか?
妹が貸してくれたこの本を読んだとき、無償に作者に腹が立って、もう、どうしようもなくなって、
途中で読むのをやめてしまったのです。
ところが、「返さないと」と思って数日前に広げてから、夢中になってしまって・・・・
あっという間に読了。我ながら、びっくりです。
読んでいなかった間に、免疫が出来たかしら?なんて。

これは、石川啄木を愛してやまない?作者による、啄木の短歌を現代風になおして紹介した本。
現代語での訳?は、とても楽しいのです。
問題は、一つ一つの作品に添えられた啄木のエピソード(笑)
私生活と作品を、ここまで強く結び付けられてしまうと、なんだかねえ。

しかし、まあ・・・たしかに、石川くんは、ヒドイ!
女遊びしすぎだし(ただの好色男?)、借金は踏みたおすし、仕事しないで夢ばかり見てるし・・・
だから、この本を読んだあとに、今までのように、啄木の歌を読めない自分がいます。
笑っちゃって、なんだか、純粋に歌を楽しめないというか。。。
私が、人の言葉に影響を受けやすいからいけないのかな。

作品の裏側を知るのは、もっと、作品自体を味わってからで良かったかなあ。
と、ちょっと思ったりもしたけれど、この本をきっかけに、啄木を無償に読みたくなりました。
うーん。高校以来だけれど、読んでみますか!
もしかしたら、今までと違う「啄木像」が、私の中にも出来たりするかも?


『エミリ・ディキンスン家のネズミ』

2008-05-20 08:35:49 | わたしの読書

『エミリ・ディキンスン家のネズミ』
エリザベス・スパイアーズ作 クレア・A・ニヴォラ絵 長田弘 訳


「詩」を読むのは好きなのだけれど、どうも、小説のように、スラスラ読むことができません。
一つの詩を、何度も何度も、頭の中の引き出しを開け閉めしながら、反芻して反芻して・・・
何となく、「自分の中に入ってきた!」という瞬間があって、それでようやく、その詩から離れることができます。
おかげで、何年も我が家にあるにも関わらず、未だに読まれていない詩も多し。
でも、何故、そうしないと前に進めないのか、自分でも良くわからないのです。

この、たくさんの詩がちりばめられた物語。
詩に出会うたびに、いつものように、噛みしめ、噛みしめ・・・
しかも、しっかりと歩き出した娘は、一瞬も目を離せない状態で、読書時間がとれず。
気がつけば、手にとった日から、かな~りの時間がたっていました。
ようやく、よくやく、読了です

白ネズミのエマラインが、詩人エミリ・ディキンスンの部屋に引っ越してきた所から、物語は始まります。そして、はじまる密やかな「文通」。
美しい、美しい、物語でした。。。
実際のエミリの詩を使って進んでいくという、なんとも変わった物語。
実際には、エマラインのために書かれた詩ではないはずなのに、なぜか、
エマラインのためにだけ書かれように思えるから不思議です。

でも、考えてみれば、詩とは、そういうものなのかもしれません。
以前、まど・みちおさんの詩集のときにも書いたのですが、詩集を開くと、不思議と
「そのときの自分に必要な言葉」が見つかるものなのですよね。
まさに、エマラインの目の前に、エミリの詩が舞い落ちてくるように、です。
詩には、きっと、そういう魔法がかかっているのだと思います。


そして・・・・・例えそれが、小さな、へたくそな詩であっても。

作文が、何より苦手な息子くん。
なのに、担任の先生は、ことあるごとに作文を書かせます。
中でも一番、息子を悩ませたのが、何かあるたびに書かせられる「詩」でした。
B5ぐらいの大きさの画用紙に、詩を書き、絵をそえて、先生の机に保管されている
発泡スチロールや消しゴムで作ったオリジナルの印を押して、廊下に掲示するのです。

5年生になった頃は、悩みすぎて、学校で書き終えることが出来ず。
家に持って帰ってきては、22時すぎまで悩む日々。大変なことでした。
なのに、5年生の3学期頃から、一切、お持ち帰りがなくなりました。
先日、掲示が終わった詩を持ち帰ってきたので、たずねてみました。
「いつの間にか、詩を書くのに慣れたんだね。」
「詩なんて、たいしたことないよ。思いついたこと、ただ、書けばいいんだもん。
むしろ、楽しいし。」

息子ときたら、この課題のために、先日、「筆ペン」と「サインペン」が欲しいと言い出しました。
筆ペンで字を書くと、かっこよく見えるのだそうです。
サインペンは、絵のふちどりのために。相変わらずの凝り性です(笑)

おかげで、授業参観で、子どもたちの詩を読むのが、何よりの楽しみとなった母。
ウケ(笑い)を狙っている子あり、5・7・5にこだわって書いている子あり、絵が描けないほど永遠と文章を綴っている子あり、絵手紙のような子あり。
それぞれの子が、生き生きと綴っています。

今まで、色々な題材がありました。
富士山に雪が積もった日、みんなで教室の窓から富士山を見て。
用務の先生と校長先生が収穫してくれた「校庭のざくろ」を、みんなで一口ずつ食べて。
音楽会が終わった日に。
もうすぐ6年生になる日に。
同じ顔ぶれで6年生になれた日に、記念撮影に出た校庭で花を見つけて。

同じものを見ても、食べても、聞いても、感じ方は、それぞれ。
同じものは、一つもありません。
でも、全部つながっている。不思議な魔法でつながっている。すごいなあ。

もしも、学級会で
「昨日の音楽会の感想を言って下さい。」なんて質問をされたら、
「ハイ。楽しかったです。」「同じで~す。」
で、終わるかもしれない。
でも、詩で表現すると、素晴らしい魔法がかかるのです。不思議。

詩の持つ魔法が、どうぞ、多くの子どもたちに伝わりますように。
白ネズミのエマラインが、エミリと心通わせたように・・・・・・。

Little eyes シリーズ3  Play with colors

2008-05-17 11:29:08 | 娘と読んだ絵本のこと
 日課の「放り投げ」・・・の後
Little eyes シリーズ3
Play with colors(いろ・いろ・いろ)―Advanced for babies.

駒形 克己

娘のお誕生のときに、お祝いに頂いた一冊。ことり文庫さんから、届きました。
私の中の「絵本」というイメージを、根本から覆してくれた一冊。
だいたい、これを絵本と言うのでしょうか?
二つおりの紙の中から出てくる、色・色・色。
不思議、不思議、不思議!

最初に広げてみたときは、正直、感想が・・・「なんじゃ、こりゃ~」でした。
だって、言葉で説明すると「二つ折りの紙に、色や形が描いてある」ただ、それだけなんですもの。
しかし、娘は、なぜか、これがお気に入りで・・・・床一面に散らかしては、ご満悦。
何が、彼女をひきつけるのか?本当に、わかりませんでした

けれど、毎日毎日、片付けながら、開いたり閉じたりしていると・・・・・・
なんだか、楽しいのです。不思議です。
最初は、ただの赤い水玉が、なぜか、緑の水玉になったりします。
ひろげてしまえば、同じ一枚の紙なのに、とじ方で、穴の開け方で、こんなに
見え方が変わってくるなんて!

けれど、面白さがわかってくるにつれ、娘が、あまりに乱暴に引っ張り出して、
放り投げていくのが気になってしまい
「せっかく頂いたものを、価値もわからないまま破かれたら大変!」
という考えになってしまった母。
何しろ、すでに、やぶかれてしまった・かじられてしまった絵本が多数あるのです。
母は、二人で遊ぶとき以外、これを出せないように、ひたすら隠して仕舞っていました。

ところが・・・・・・。
しっかりカバーをかけて、本棚にしまいこんでも、すぐに見つけてきてしまう娘
母の負け~
仕方ないので、
「もしかしたら、放り投げながらも、手触りや、色を楽しんでいるのかも?」
と思うことにし、諦めました。

よって、最近では・・・
これをカバー?箱?から出すことを、一日、最低3回は、やっています。
自分で上手く出せないと、ぎゃーぎゃー!と叫んで開けさせます。
開けてやると、とにかく集中して、中身を全部投げていくのです。
これが、ぽ~い、ぽ~いと、見事に空中に投げるのですよ・・・トホホ。
それでも、まだ、一枚も破いていないし、かじっていないのだから、上等です。

時間があるときは、私が、床にちらばったものを広げて見せてあげます。
すると・・・
何やらニヤニヤ笑ったり、「ほー?」と声をあげたり。何でしょうね。
普通の絵本は(赤ちゃん絵本でも)とても最後まで、きいていられない娘さんですが、
これなら、十分、楽しめます。何しろ、二回ひらくだけですから!
引き出して放り投げるという楽しみもありますし、もう最高なのです。

こっちにも発見!持ち歩いている模様!

娘を虜にした、このシリーズ。
本当は、全部揃えたいけれど、なかなか、そうもいかないので、
次に狙うは、動物の巻。もう少ししたらね。
でも、色と動物の巻も面白そうだし、物語を自分で作れる巻も面白そう。
悩める毎日なのです。(嬉しい悩みの種は、こちらのHP→

図書館おはなし会

2008-05-13 16:09:39 | 赤ちゃん日記~娘さん日記
はじめての「わらべうた教室」に続き、今日は、図書館の「おはなし会」に、娘と一緒に出かけてきました。
休会中のボランティア団体の先輩に、「遊びに来てね」と誘われたとはいえ、
ああ、怖いもの知らずの母。勇気あるー。ただの考えなし?

図書館について、すぐに向かった「お話の部屋」。
先輩に挨拶をしてから、娘と一緒に中へ・・・・。邪魔にならないように、隅に、隅に・・・。
しかし、隅に行ったって、何処に行ったって、じっとしていられないんだから、同じなのですよね
それでも、最初の「はじまりの歌」が、お気に召したらしく、めずらしく集中の娘
続く紙芝居も、めずらしいのか集中!(3回ほど、ズボンを引っ張り、引き戻しましたが)
次の絵本は、ガタンゴトンの電車の絵本。
一緒に、「ガタンゴトン」と身体をゆらして、なんとか集中!(さらに、引っ張る回数増えるも)
でも、ここで、「もう駄目だ」と思って、外に出ました。

大喜びで、フラフラと児童コーナーを歩きまわり、知ったように本の表紙を覗き込み、
子ども用の本を選んでおられるお母さん達に愛想をふりまき、たまに、棚から本を出してきて手渡したりして、ご満悦の娘。
君には、「人見知り」とかいう機能は、備わっていないのですか?娘さんよう。
ぐるりと児童コーナーをまわってから、もう一度、お話の部屋に戻ってみると、最後のプログラム、手袋人形劇が始まっていました。
お人形の一匹が、犬だったことから、唯一話せる言葉「わんわん!」を連呼する娘。
最後に、犬さんに握手してもらって帰ってきました。
娘と絵本を楽しむ日も、まだまだ遠いと感じた今日。

本当は、最近、一目ぼれした俳句があって、その作者の句集を借りてくるというのが、
今日の、もう一つの目的だったのだけれど、
「つまらないから帰りたい!」というときに、大声を出せば良いということを覚えてしまった娘が、
「あお~ん。あお~ん。」と、雄たけび攻撃を始めたので、逃げるように家に帰ってきました。
ああ、図書館を二人でまわるにも、まだまだ時間がかかりそうです。

それにしても、この娘とテントでキャンプ。できるのだろうか?
犬のリードのようなリュックが売っているらしいので、買ったほうが良いか、真剣に話し合う夫婦なのでした。
(あれが売り出された頃は、「犬じゃあるまいし、どういう親なの!」なんて思ってたけれど、しなければ、命の危険がある子どももいるのだと知った・こももなのでした)

わらべうた教室・5月

2008-05-13 14:29:38 | 赤ちゃん日記~娘さん日記

息子が通っていた幼稚園で、未就園児を対象に月に一回開催される「わらべうた教室」。
が1歳になったら・・・と、ずっと、ずっと楽しみにしてきました。
娘と楽しむことはもちろんですが、私自身も、わらべうたを覚えるチャンス!
しかし、甘かったです。
じっとしていることが嫌いな子が、「みんなと一緒に」なんて、出来るはずがないのです。
なんと、
「お母さんと一緒に輪になって座り、先生に、順番に名前を呼んでもらう」という、
最初の最初のプログラムから、脱落 早すぎ~

先生が、一番最初の子の名前を呼ぶために、わらべうたを歌い出すと、今までのざわめきが、一転。
娘よりも大きい子たちは、自分たちも名前を呼んでもらえるというワクワクで目を輝かせ、
娘と同じくらいの子たちは、今まで経験したことのない雰囲気に驚いて、みんな、お母さんにしがみついたり、袖口を掴んだり。
しか~し、娘は、場の雰囲気などおかまいなし!
輪をさっさと逃亡し、15センチくらいの壇上によじのぼり、嬉しそうに走りまわっています。

ここで捕まえても、自分の番が来るまで待てない!と思ったので、母、脳内計算
「さあ、いよいよ娘の番」という所で、さっと、娘を捕まえ輪の中へ!
しかし、楽しい冒険を邪魔されて機嫌を損ねた娘は、先生が歌っている前で、ひっくり返ってしまい、
返事どころか、そっぽを向く始末。・・・母、苦笑 やっぱり、失敗したか~
その後、先生が、名前を呼んでいく様子をじっと見つめていた娘。
ようやく大人しくなったのか?と思っていたら、先生の「あら、○○ちゃん、上手に返事ができました!」の言葉を聞くと、何故か、すっくと立ち上がり 拍手
たぶん、先生の「上手に」という言葉に反応した模様・・・
「あら。○○ちゃんがお返事が上手だから、ちゃんが拍手してくれたよー。」
と言って下さった先生。どうも、ありがとうございます。
でも・・・・・・・・・・・・・・・。
お友だちも、君だけには、拍手されたくなかったと思うわ。

その後も、わらべ歌を一緒に口ずさむ余裕もなく、階段方面に脱走しようとする娘を
阻止することで精一杯。
(娘は、階段の上り下りをこよなく愛しているのです)
身体を激しく動かす遊びのときだけは、笑顔で参加できるということが判明したので、
そのときだけは、ここぞとばかりに、楽しもうと張り切った母。
年を考慮することを忘れ、仕舞いには、肩で息をするありさまで、先生と一緒に、わらべうたを歌うこと、やはり叶わず

そうして終了した、30分の「わらべうた教室」。
30分って、こんなに長かったんだなあ・・・・
母は、ぐったり疲れてしまいましたが、娘は、広いところで、のびのびと走り回り、
待合室では、おもちゃを投げつけ(お兄ちゃん影響で、投げる・蹴るが得意です)、
大好きな友だちと戯れ(一方的に)とてもとても、楽しかったようです。
・・・・・・・・・ま、あなたが楽しかったのなら、良しとしましょう。娘ちゃん
母も、他のお母さんたちと話が出来たのは、楽しかったしね。うん。

そうそう。
「ママ~だっこ~」と泣きながら、ずっとお母さんにしがみついている女の子がいて、
息子は、あんなだったなあ~と懐かしくて、思わず口元がゆるんでしまいました。
「ほら、あんなに小さな子(のこと)だって、一人で遊んでいるよ。」と、その子のお母さん。
そうそう。それも、かつての私の台詞でした(笑)
どちらの立場になっても、心配と苦労は、つきないのですね。母親ってやつは。


『旭山動物園園長が語る命のメッセージ』

2008-05-13 14:14:55 | 息子と読んだ本のこと・児童書

旭山動物園園長が語る命のメッセージ』小菅 正夫

『北の動物園できいた12のお話』を読んでから、旭山動物園の獣医・ドクターコスゲ(現園長)
は、母と息子のスター。
いったい、どんなカッコイイ人なんだろー!と、この本を借りてきました。
読み始める前に、まずは、ドクターコスゲの写真を拝見!
母と息子のスターは・・・・・・・・・・
身体全体から、優しさのオーラが出ているような、ただのおじさんでした(笑)
あ!ただのおじさんは、「良い意味で」です。
「特別な人じゃない」そう相手に感じさせることが出来る人って、実は、そんなにいないですよね。
特に、獣医さんで、有名動物園の園長で、なんて人がそうあることは、すごいことだと思います。
ますます、ドクター・コスゲファン!

これは、まさに、心に響く、素晴らしい「命のメッセージ」の本。
ただ、どちらかというと、大人に向けて(親とか、教育者とか、子どもに携わる仕事の人とか)
に書かれているような印象でした。
もちろん、優しい言葉で書いてあるので、息子にも、十分理解できる内容です。
ただ、ただ・・・・・。
子どもと一緒だと、親は、ちょっと肩身が狭い想いをする可能性もあるかも(笑)
現代の親や教育者へ、優しい一喝。ズシンと心に響きました。

特に、ドクターコスゲの子どもの頃の話や、ホッキョクグマが、泳げない子どもを見守る話、反抗期を迎えた子どもを抱えるカバの父さんと母さんの話は、親として、心に重く響きました。
動物は、すごいなー。かなわないなー。人間も、頑張らないとなー。

犬を飼おうと思ったのは、この本を読んだからではないけれど、これを読んだら
「絶対に飼いたい」に変わりました(笑)
実は、私、子どもの頃に野犬に追いかけられた経験があり、犬には、少々苦手意識があったのです。
(裏山に野犬が住んでいたなんて、古き良き時代ですよね。)
でも、この本を読んで、「よーし。いっちょ、付き合ってみるかーっ!」という気持ちになりました。

動物が教えてくれること。動物から学ぶこと。
自然が教えてくれること。自然から学ぶこと。
たくさん、たくさんあるのですね。
私たち人間は、もっと謙虚に、声にならない声に、耳を傾けなくてはいけないと思いました。
それを感じとる心、力。
それを育て、伝えるのが、親、教育者、子どもをとりまく大人たちの役目だと、深く深く感じました。
もしも、子育てに悩んでいる方がおられたら、この本を読んで、少しだけ視点をずらしてみるのも良いかもしれません。
動物達の視点は、本当に、素晴らしいお手本です。


ターシャ・チューダーの言葉

2008-05-02 10:48:29 | わたしの読書

『今がいちばんいい時よ』
ターシャ・チューダー リチャード・W・ブラウン写真 ウィンズロー・チューダー写真
食野雅子 訳
『楽しみは創り出せるものよ』
ターシャ・チューダー リチャード・W・ブラウン写真 食野雅子 訳
『生きていることを楽しんで』
ターシャ・チューダー リチャード・W・ブラウン写真 食野雅子 訳

ターシャ・チューダーという作家さんを知ったのは、2年くらい前だったでしょうか。
図書館ボランティアの勉強会で、美しいお庭の写真集を紹介した方がいたのです。
そのときは、「お庭が綺麗だなあ」「こんなお庭欲しいなあ」そんな感想で終わってしまったのですが、
その後、「あのお庭の人だ。」と、見入ってしまったNHKのスペシャルで、すっかり、ターシャ・チューダーという作家さんの、暮らし方のファンになってしまいました。
番組は、お庭を紹介するというものではなく、彼女の暮らし方、子育てに焦点を当てたものでした。

中でも、憧れてしまったのが、お人形づくり。
子どものために、自らの手で人形を作り、子どもたちが楽しめるようにと、人形の服のカタログまで作ってしまったのだとか。
子どもたちは、カタログで服を選び、それを、彼女が仕立てるのです。
楽しそうーっ!
けれど、何より私が驚いたのは、彼女が仕事を持っていたということ。
その頃、仕事と家事の両立に四苦八苦し、時間に追われる毎日を送っていた私には、目からウロコでした。
時間がないと嘆いていても、何も始まらない。時間は、作らなければ、ね。

だから、ことり文庫さんに教えて頂いた講演会で、「ターシャとの出会い」というお話が聞けると知ったときは、本当に、本当に、心が躍りました。でも、冷静に考えてみれば、いけるはずもないのです。誰が、オッパイあげるのってことですからね。くすん。
そんな訳で、ブログで教えて頂いた本たちを、図書館から借りて、気持ちだけターシャの世界に浸ってみました。

ターシャの簡潔な言葉と、美しい写真で構成された本。
暮らし方の原点が、そこにあります。本当に、素敵な本でした。
私も、ターシャのような視点で、家の仕事、育児を見つめなおしてみたいな。
きっと、掃除にも、お皿洗いにも、暮らすことの喜びは、見つけられるはず。
そう思うのです。

そうそう。
家でも職場でもガーデニング隊長の旦那に見せてあげたら、驚くほど熱心に、読んで(見て?)おりました
こんな庭があったら、会社に行かなくなりそう。あなた・・・。
さあ、私の方は、次は、ターシャの絵本を読んでみよう!