ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『こねこのおんぶ』

2009-03-31 13:11:02 | 娘と読んだ絵本のこと



『こねこのおんぶ』 長新太・さく

息子のおかげで、苦手だった長新太さんの絵本を読み始め、今では、好きな絵本も
何冊かあります。だいぶ、免疫がついてきたと思っていました。
でもね、さすがに、この絵本は・・・・
自分では、絶対に買わなかったと思われる、この絵本は、娘の誕生日のプレゼント
に、長さん大好きの妹から送られてきました。

いいんです。長新太作なんだから、何が起きようといいんです。
子猫が、船におんぶしようと、タコにおんぶしようと、構いません。
わっはっは~と笑いましょう。
でもね、母さん猫の「こまった、こまった」の台詞の意味が、全然わからないしー
息子の言葉を借りるなら、「意味わかんねー

そんな母の心の中のツッコミになどには、全く気がつかない娘。
最初に読んだときから、この絵本が、お気に入り。
何故だろうねー。なんだろうねー。
毎日、毎日、持ってきます。毎日、毎日、読まされます。

そして・・・・・・。
いつの間にか、読むのが楽しくなっている自分に気が付いた、今日この頃。
それどころか、私の脳ミソに、子猫がおんぶしているような気がしちゃうんですけどー
・・・・病気でしょうか


『続・豚の死なない日』

2009-03-28 15:19:47 | わたしの読書



たった一つの物語が、自分の価値観や人生観に、大きな影響を与えることがある。
『豚の死なない日』『続・豚の死なない日』は、今の私にとって、まさに、そういう物語でした。

『豚の死なない日』の衝撃が大きく、これは、しばらくクールダウンして、しっかり、
消化した方が良いと思ってから、数ヶ月。
ようやく、続編を読もうという気持ちになりました。
別の本を探していたら、隣の棚にあったこの本が目にとびこんできて、その場から
立ち去れなくなってしまったという、運命的な出会いでした。

父親を亡くし、小さな農場と、大切な家族を守っていかなければ、いけなくなった
主人公・ロバート。
周りの人々に支えられ、助けられながら、父親の教えを心に、しっかりと、大地に足を
つけて歩んでいくロバート。
そんな、ひたむきな青年の行く先には、様々な困難が待ち受けています。

グイグイと、力一杯、読者の心を掴んで進んでいった前作に比べ、『続・・・』は、
少しずつ、しかし、しっかりと、まるで、ロバートと共に歩んでいるような、そんな読書となりました。
読んでいる途中で、何度も、心の奥底に眠っていた『前作のシーン』が、蘇ってくる
感覚があり、その度に、感極まって涙してしまう・・・という、今まで、体験したことの
ないような読書体験を味わいました。
本当に、すごい体験をさせてもらった気がします。

あまりにも、この本が、自分の中で大きすぎて、今は、まだ、感想を言葉にすること
すら出来ないのだけれど、あえて、メモしておくとしたら、
この本を読んでいる間中、ずっと感じていた、「感謝」という言葉でしょうか。
うーん。書いてしまうと、あまりに、言葉が軽いような気がしてしまうのだけれど。
それと、しっかりと大地に足をつけ、その足の裏から、大地を感じることができる人に
なりたいと、強く思ったことも、メモしておかなければと思います。
「感じる」。このことの大切さ、難しさ・・・。心にズンと響きました。

素晴らしい本との出会い。
教えて下さった方々に、深く感謝しながら、本をとじました。


卒業

2009-03-24 00:45:04 | つぶやき

曇りの予報が、青空でした。
キラキラの暖かい春の日。あの小さかった息子の、小学校の卒業式。

例年より1週間近く早い日取りは、
「三連休の後では、担任が子どもたちの様子を把握することができないから」
という理由だと、懇談会で説明を受けました。
そんな説明に、思わず頷いてしまう程、元気な・・・元気すぎる、やんちゃな学年でした。

はじめての授業参観では、座っていられない子の多さに呆然としたのを、今でも、
はっきり覚えています。
毎日、誰かしらの体操服や上履きがなくなってしまうクラスの時もありました。
「休み時間に一人でいると、アリバイがないから、先生に、犯人だと疑われるんだよ。」と
息子が教えてくれた時には、卒倒しそうになったっけ。

毎日、「取っ組み合いの大喧嘩」が一つは起き、誰かしら保健室送りになる!
というクラスになった事もありました
息子の破かれたノートや青あざを見る度に、泣きたい気持ちになった日々。
どの一線を越えたら、先生に相談すればよいのか?自分の中で、その線引きに迷い、
電話とにらめっこの日々。
そのクラスでは、とうとう、いじめにエスカレートして、学校に来れなくなる子まで出て、
先生は、女の子達の反抗に堪えられず教室で泣いてしまったとかで、懇談会は、
教頭先生が付きそう始末。
本当に、ハラハラしっぱなしの4年間でした

5年生になって担任が変わり、子どもたちの有り余るパワーが、別の所に、向かうようになりました。
残念ながら、息子のクラス以外では、パワーの使い道が、プラスの方向に向くことが出来ず、
ひどい悪戯を受けて学校に来れなくなった子や、喧嘩の繰り返しになってしまったクラスも・・・
先生への反抗がエスカレートし、学校の備品がことごとく破壊され、先生にパンを投げつけるは、
床に牛乳は撒き散らされるは、デザートの生クリームは、ご丁寧にビニールにつめられ、
先生に落とされる・・・という惨状。(キンパチセンセイ?)
校長先生が巡回し、6年の2学期を過ぎてからは、息子の担任の先生も、しょっちゅう、
応援に出かけるようになりました。
正直、同じクラスのお母さん以外には、申し訳なくて、担任の先生の話など、出来ない位の
状況だったのです。

それでも、卒業式。
緊張気味の子ども達の顔は、どの子も、みんな同じように輝いていました。
卒業証書授与の場面で、校長先生が、困ったちゃんの子どもたちに、長々と声をかけている
場面を見て、クスリと笑えてしまうほど、どの子もあどけないのです。
どの子もみんな、同じ。悪い子なんて、いないのですよね。
パワーの使い方を、ちょっと間違えてしまっているだけなのです。
どうにかならなかったのだろうか?答えは、私の中でも、まだ見つかりません。

さて、そんな卒業式が終わった後の最後のホームルーム。
後から、保護者たちがクラスに到着し、「さあ、花道に向かうために廊下に並びましょう」
となったとき、先生が、おっしゃいました。
「さあ、みんなで最後に暗唱しよう。間違えてもいいからねー!」
詩は、もちろん、『雨ニモマケズ』。先生は、やっぱり、最後まで、先生だったなー。

その後は、子ども達、特に、先生を熱狂的に支持していた男の子達の涙が止まらず、
先生も、つられて泣き出してしまうというハプニング。
周りで見ていた母親達も、涙
強がりの息子くんは、最後まで涙を見せることはありませんでしたが、やはり、先生から
離れることが出来ないようでした。
でもね、と、帰り道に息子が、教えてくれました。
「卒業しても、時々は遊びに来て、ドッチボールしていいんだって。ボールは、
貸してあげるけど、出来たら、持ってきてくれると嬉しいって言ってたよ、先生。」



ほーんとに、楽しい2年間だったね。
本物のオヤジ先生の言うオヤジギャグ。はじめて貰ったゲンコツ
放課後、一緒に野球をやってもらったこと。
詩を通して、自分を表現する素晴らしさを教えてもらったこと。
テストの前は、家で勉強するものだということも、間違えたテストこそ大切なのだということも、
教えてもらったね。
社会は、調べることの大切さ、理科は、観察することの大切さを教えてもらった。
(あまりに面白く、素晴らしいノートが完成していくので、母は、いつも楽しみにしていたのです
図工では、どんなに夢中になっても、時間がかかってもいいんだということを、はじめて
許してくれた先生でもありました
何より、クラスみんなで作り上げることを、大切にしておられた先生でしたね。

思い出すのは、「行ってきます。」と出て行った後、友だちに意地悪されて、泣きながら帰って
くる息子を、こちらまで泣きたくなるのを我慢して、送り出した日々。
殴ったり、蹴ったりされた経験のない息子に、喧嘩のやり方を教えた日々。
辛いことも、悲しいことも、悩んだことも、もちろん一杯あったけれど、それすらも、
この日につながっていたのだと、思えてくるから不思議です。
(今は、立派に喧嘩もこなすようになったことが、正しかったかどうかこれも答えが
出ないままなのですが・・・・・・・・)

素晴らしい先生、楽しい仲間、そして、親友と呼べる友との出会い。
何より、素晴らしい笑顔で卒業証書を抱くことが出来たこと、これに勝る幸せがあるでしょうか。
ハラハラしっぱなしだったけれど、君のお母さんで、本当に良かった
ありがとう。ありがとう。ありがとう。


最後の授業

2009-03-16 16:00:03 | つぶやき

もう、体操服いらないって。
もう、絵の具いらないって。習字の道具も、裁縫箱も。
理科も社会も、今日で、終わりだって。
一つ一つ、「終わり」の授業が増えていって、とうとう、算数と国語と卒業式の練習
しか、授業がなくなりました。あと3日で、卒業式です。

そして、迎えた、最後の「詩の授業」。
卒業に向けた今の想いを、何でも良いから、色紙の上に、好きなもので表現して
みようと言われ、息子は、桜の絵と「絆」の一文字を書きました。

「絆」って、書いたんだ!と息子が教えてくれたとき、心の中で「なんだ詩じゃないのか」
って、ちょっとガッカリした母さんでしたが、いいえ、それが一番息子らしいのだと、今は、
心から思います。
形になんて囚われず、自由に、心のままに表現する。表現することの素晴らしさ。
それが、一文字だって、格言だって、絵だって構わない。
それこそ、息子が、2年間かけて、先生から学んだことでした。
スポンジのように、先生から、色々なことを吸収した2年間だったと、改めて思います。

そんな先生が、最後の最後に選んだ詩は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
暗唱しようと言われたとかで、何度も何度も読み込んで、宿題に、国語のノートへの
書き取りが出た日もありました。
3月に入ってから、何度も、クラスみんなで、声をあげて読みあったのだとか。
息子が言うには、どんどん声が大きくなって、最後に「ワタシハナリタイ!」と、みんなで
声を張り上げるのが(たぶん、男子だけだと思うが)、とにかく、面白いのだそうです。
誰が、一番声がデカイとか、誰は、顔を真っ赤にして叫んだとか。
そんなことを、楽しそうに話します。詩の内容は、あれ?どこかに忘れているみたい

この詩の凄さ、素晴らしさ、この詩のように生きることの難しさを理解できるのは、
まだまだ、先のことかもしれなくて、
今は、ただ、みんなでふざけて読んで楽しかった!という思い出でしか、なかったとしても、
それでも、卒業を前にして、先生が選んでくれたのがこの詩であったということに、いつか、
感謝する日が来るんだろうなと思います。
もしかしたら、その時、はじめて、スゴイ先生に教えてもらったのだと気づくかもしれません。
心の奥底に残った言葉が、ふとした時に蘇ってくる日が、いつか、きっとあると思う。
その時、みんな、どんな大人になっているんだろうね。
先生、子ども達に、素晴らしい授業のプレゼントをありがとうございました。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ 
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ


2歳の誕生日

2009-03-13 23:23:21 | 赤ちゃん日記~娘さん日記

 少しずつ、集めています♪

3月12日は、娘の誕生日でした
その日は、旦那さまの通院に、息子の制服の受け取り、幼稚園の未就園児教室の
手続きと朝から大忙し
大好きな公園に、連れて行ってあげられなくて、可愛そうなことをしました。
それでも、夕方には、前日に焼いておいたケーキにクリームで飾りつけをして、
楽しい「誕生日パーティ」の始まり~

なのに、電気を消してロウソクに火を灯したら、びっくりしたのと恥ずかしいので、
毎度、唾をペッと吐き出した娘 ・・・・・・・・
プレゼントを渡され、ようやく、いつもの笑顔に戻って、家族みんながホッとしました

おばちゃまから、長新太さんの絵本とあみぐるみが届き、
お兄ちゃんから、厚紙とタコ糸の「びゅんびゅんゴマ」と「折り紙で作った犬」をもらい、
パパとママからは、スピールフォーム社の動物をもらいました。

動物は、サンタさんからもらったものと合わせて、全部で7匹と1羽に
少しずつ集めたいと思っているのだけれど、何を買おうかと考えるのが、とにかく楽しくて
プレゼントする方も、大満足のおもちゃです
最近、コーギーの大くんと散歩して見つけた牛舎に、子牛が生まれたのを記念して
今回は、牛の親子を注文しました。
「もーもー」が、歩いて行ける距離にいるなんて、なんて、幸せなのかしら
実際の子牛さんは、すでに、娘よりずっと大きくて、娘にしてみたら、子牛も親も同じ
ように見えているかもしれないのだけれど、それでもやっぱり、親子を購入

娘は、一つずつ並べて、名前を唱えるのがお気に入り
息子は、重ねて遊ぶのがお気に入り これでも、もうすぐ中学生デス。

 息子作「なんちゃってブレーメンの音楽隊」
2歳になった娘は、自己主張が強く、頑固で譲らず。
おかげさまで、娘と出かける勇気もなく(電車に乗るのが怖くて)、最近の母の息抜きは、
もっぱら、車で出かけられる「託児付き講演会」への参加です。
人見知りをしないので、これだけは、救われます。
今日も、生協の講演会に参加しましたが、笑顔で、母に「ばいば~い!」と
手を振って、ボランティアさんと部屋から出ていきました。
みなに驚かれるほどの自立?度なのだけれど、反面、未だに、昼夜問わず授乳して
いるし、オムツは、一向に外れないしデス。

そんな娘さん。これからの一年、どんな成長を見せてくれるのかな
まずは、元気で過ごせますように。そして、出来れば・・・願わくば・・・・
もう少し、言うことを聞いてくれるようになると嬉しいです。(母より)


春風

2009-03-10 20:49:06 | つぶやき

お友だちから、春風のような絵葉書が届いた日、村上春樹のエルサレム賞授賞式を
めぐってのインタビューと、講演の原文が掲載された「文芸春秋」を手にしました。
読みながら、また、涙が込み上げてきて、何度も何度も、
「どうか、この世界が、良いほうに進んでいきますように」
と、祈らずには、いられませんでした。
世界中の人たちに、春が訪れますように・・・・・・。

本当に、全文を読んで良かった!
一つ一つの言葉が、深く深く、胸に沁みていく、そんな文章でした。
これは、ファンだから・・・だけでは、ないと思うのです。
どうか、多くの人に読んで貰えますように。そして、多くの人が、このことについて
考えてくれますように。
「文芸春秋」は、今日発売です。(立ち読みできる量です)

私は、あの夜から、何故か、ずっと頭にちらついている『世界の終わりとハードボイ
ルド・ワンダーランド』を、再読したいな。


『ねずみ女房』

2009-03-06 15:35:49 | わたしの読書



『ねずみ女房』 R・ゴッテン作 W・P・ディポア画 石井桃子訳

自分の住む家以外の世界を知らず、その狭い世界の中で、平凡に暮らしているネズミ。
ねずみ女房が、他のネズミと違うのは、ただ、「いまもっていない、何か」が、ほしかった。
ただ、それだけでした。

ある日、ねずみ女房が暮らす家に、一羽のハトが、捕らわれてきます。
ハトは、ねずみ女房に、外の世界について、話して聞かせてくれます。
家の屋根や、気の梢や、丸い形の丘や、たいらな畑地や、遠くの山のこと。
そして、飛ぶということについて。
ねずみ女房が、ハトを逃がしてやることで、この物語は、結末を迎えます。
結局、ねずみ女房は、外の世界に旅立つことはなく、平凡なネズミのまま終わるのです。

ハトが飛んでいってしまった時に、ねずみ女房が流す涙に、若い頃の私だったら、きっと
今と違う感情を抱いただろうなと思います。
運命を変えることなく、受け入れることにした彼女に、きっと、「自分は、こうはならない!」と
鼻息荒く、思っただろうと思います。
どうして、ハトと一緒に、外の世界に出て行かないのかと。

でも、不思議なことに、今の私は、すんなりと彼女の一生を受け入れました。
それどころか、ねずみ女房の小さな幸せに共感し、その生き方を、心から愛おしいと思ったのです。
働かず、ヤキモチからか?不安からか?妻をかじってしまう旦那さんとの生活を変えなかったことも含めて。
それが、正しいことなのか、そうでないのかは、わかりません。
ただ、確信しているのは、ねずみ女房の一生は、それでもきっと、幸せだったということ。

人の幸せは、何を得たとか、何を成し遂げたとか、きっと、そんなことではないのです。
どんなに小さくても、夢があり、憧れがあり、不思議に思う気持ちがあり、そして、心の中に
宝物を(それが、たった一つであったとしても)持っていること。
そうです。なんと言っても、ねずみ女房は、星を見たのですもの。

小さな小さな物語でした。
深い、深いところに、キラキラと輝く何かが隠されている、そんな物語でした。素晴らしかった。
この物語と出会えたことに、心から感謝を。


ひなまつり

2009-03-03 15:31:43 | 赤ちゃん日記~娘さん日記



寒い、寒い「ひなまつり」。
それでも、子ども達の好物「いちごのババロア」は、やっぱり作ろう!と、
朝から、ぷちぷち苺のヘタとりをしました。

ようやく終わって、昼食のスープを温めているとき・・・・事件は、起こったのです。

「バナナたべたい!」言い出した娘。
パパが、「もうご飯だから、駄目。」と言ったのが、たぶん、お気に召さなかったのだ。
・・・・・たぶんね。

昼食の食卓につこうとせず、一人、隣の部屋におかれたジムに、もたれかかる娘。
「ごはんよ。」
そう声をかけると、ペッと唾をはきだし、無言の抗議。
なんたること!

手をかえ、品をかえ。しかし、
結局、一口も食べず、
「仕方ないわね・・・」と、問題のバナナを出してきても、口を一文字。
どうやら、ストライキを決め込んだようです。
恐るべし、一歳児のど根性!

あー。今日は、ひなまつりだよー。
夜は、お祝いだよー。
チラシ寿司にババロアに、少しだけど、ステーキも買ったのに。
お昼寝から目が覚めたら、忘れていますように


『あの犬が好き』

2009-03-02 15:14:58 | わたしの読書



シャロン・クリーチ作 金原瑞人 訳

詩を書く。
それは、なんて、楽しいことなんだろう。なんて、切ないんだろう。
詩を書く。
主語が何で、述語がなんだとか、段落がどうとか、そんなこと
いちいち考えなくても書けてしまうという、素晴らしい特典つき。
「文の途中で主語が変わってるよ?」なんて、注意されたりしない。(ね、息子くん)
会話にはカッコをつけるなんてルールも、無視したければ、無視すればいい。(ね、息子くん)
いや、もしかしたら、それさえも、魅力の一つになってしまうんだから!詩は、やめられない!

この本は、そんな私の詩への想いを充分に満たしてくれるものでした。
詩なんて女の子の書くものだ!と言っていた男の子・ジャックが、先生との
やり取りを通して、どんどん、詩にハマッていく姿は、とても愉快で、温かい気
持ちにさせてくれました。

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もうすぐ、息子の卒業式。
最後の個人面談で、2年にわたり、詩を通して、自分を表現することを教えて下さった
担任の先生にお礼を言いました。
個人面談で、絶対に伝えようと思っていた感謝の言葉。こんなこと、あんなこと。
けれど、先生のお答えは、とてもショックなものでした。
「残念ながら、そう言って下さる保護者の方ばかりでは、ないのですよ。」

「先生は、詩や絵にばかり、力を入れるのですね。」という抗議が、あったとのこと。
それよりも、算数などの授業に時間を割いて欲しいと思われる親御さんが、多いとのこと。
そのため、6年生になってからは、書かせる場面を、極力少なくしたとのこと。
知らなかった・・・・・。
詩を書く機会が少なくなったのは、息子が、残念がっていたから知っていたけれど
それは、行事が忙しくて、時間がとれないだけなのかと思ってた・・・

保護者からの抗議で、教育方針を変えていくことについては、先生に対しても、色々と
思うところがあるのだけれど、こういうご時勢だからと、お気の毒に思ったり・・・・
でも、「何故?」ばかりが、心に残ったままでした。

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詩を書くときに、一番必要なのは、自分の心と向き合うこと。
自分の中の悲しみや喜び、気づき、美しいと思う気持ち、時に人を憎む気持ち。
そんなものと、正直に向き合う。それこそ、生きる力の源だと思うのです。
でも、それは、
反対する親御さんの考えと同じように、一個人の抱く、一つの考え方でしかない・・・。
保護者面談の日から、悲しい気持ちが、心の中に、ずっと残っていました。
そんな私に、この本は、エールを送ってくれているようでした。
ジャックなら、こんな風に言ってくれるだろうか?

「そういう考え方、たぶん、間違ってないと思うよ。うん。たぶんね。
だってさ、詩のおかげで、僕の犬は、いつまでも、大好きな僕の犬でいてくれるんだから!」

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私の中で、子どもの詩と言ったら、何と言ってもこの本!
この本が、もっともっと、有名になったら、
「先生、子どもに詩を書く喜びを教えて下さってありがとう!」と言ってくれる親御さんが
増えるのではないか?と、密かに思っているのだけれど・・・・・駄目かな。



『たいようのおなら』 灰谷健次郎 編  長新太 画