『ワン ワン ワン』 とよたかずひこ/脚本・絵 (童心社)
懲りずに、またまた、図書館のおはなし会へ。
時間を1時間も間違えて、早く着いてしまったのだけれど、
大興奮の娘を追いかけていたら、あっという間に、1時間がたってしまいました。
ああ、恐ろしや。
今回は、早くついたこともあって、おはなし会のグループの先輩の方と
始まる前に、ゆっくりお話も出来ました。
「いつも、騒いで途中で出て行くのですよ」と、私が笑って言ったら
「平気よ、平気よ。最後まで聞いて行って」と。
よーし!今日こそ、最後までいられるかな?
で、・・・・・・・・・・・楽しみにしていたのですが、
結局、「はじまりの歌」と紙芝居だけで、いつものように、出てきてしまいました(笑)
読み手の前を行ったりきたりの「一人かけっこ」が始まったかと思ったら、
「あ!」「これ!」などと、絵本の絵を指さし、お友だちの顔をのぞきこむ始末。
他の子ども達が、絵本よりも、娘の動きを追い出したのを見て、「出よう」と判断しました。
娘さん、何度か、膝に乗せようとチャレンジはしてみたのだけれど、「離せよぅ!」
とばかりに叫ぶので、今日も、お膝で絵本の夢は、夢で終わりました。トホホ。
少しずつ、参加していられる時間が長くなるだろうと思って、楽しみに
出かけておりますが、今回も、全く成長みられず。いや、
「嫌なのぉ!」の叫び声は、確実にパワーアップしておりますな。トホホ。
それでも、紙芝居『ワン ワン ワン』だけは、とても気に入ったようでした。
繰り返しのお話で、かつ、簡潔な文章。集中力のない赤ちゃんでも!大丈夫です。
何より、娘のママ以外に話せる、唯一の名詞が「ワンワン!」ですからっ!!
(犬だけでなく、動物全般が「ワンワン」です)
「ワンワン!ワンワン!」と、読み手の「お耳やお口は、どこ?」の台詞は、
全く無視で、喜んでおりました。
紙芝居の時だけは、私の膝にも何回か座ってくれて、最後の「ほっぺをペチペチ」
するシーンを、紙芝居の中の親子と一緒に、楽しむことも出来ました。
・・・・・・・・・・・ま、これだけでも、良しとしますか。トホホ。
そうだ。「良し」のキーワードで、もう少しだけ書いておこうと思います。
会が始まる前から、部屋を走り回り、最近得意のポーズ「四つんばいになって、
足の間から顔を出す」をやって見せ、
大勢の子どもにびっくりして泣いている子にも、おかまいなしで近寄り、
遊ぼう!遊ぼうと服をつかんで招き入れる娘。
「あんな子が入っていいのなら、うちの子も」と、思ってくれたお母さん、いてくれたことでしょう。
そしてまた、これもいつものことですが、歌や読み手の言葉に合わせ、
どの子よりも早く、かつ!にこやかに、軽やかに拍手していました。
盛り上げ役としては、ぴったりなんですけどね・・・なにせ・・・ね、トホホ。
いつか私だって、他のママみたいに最後まで!
コラージュのバースディカード♪
息子、12歳の誕生日。
「ケーキよりも佐藤錦がいい」と言う息子に、山形から『さくらんぼ』のお取り寄せ。
それでもやっぱり、ケーキがないのは寂しいと、ロールケーキも作りました。
ロールケーキとさくらんぼ
誕生日の風景としては、ちょっと不思議な・・・
本当は、旦那が学習机(今更ですが)を作って、プレゼントする予定だったのですが、
色々あって(私のせい)、間に合いませんでした。
まあ、仕方ありませんよね。息子くんには、もう少し待ってもらうとしましょう。
頑張ってね、旦那さま!
そんな訳で、間に合ったプレゼントは、おばあちゃんに買ってもらった「ウォークマン」と、
ことり文庫さんから届けてもらった『ヤマネコ号の冒険』(ツバメ号も、とうとう3巻目!)
コラージュのバースデイカード。これ、8時間以上、かかったのですよ。
うーん。もはや、息子のためでなく、自分のためだけに作り上げたと言ってよいでしょう
ウォークマンは、
「ipodが欲しい。友だちは、みんな持ってる!おばあちゃんから貰った一万円に、
自分のお小遣いを足す」と言い張る息子くんを無理やり説得して、
頂いたお金で買えたsonyのものを。
だって、2万円を超えるものを小学生に持たせるなんて・・・・・うーん
一生懸命ためたお小遣いなのだから、好きに使って構わないと思うけれど、
やっぱり、OKが出せませんでした。硬い頭の親で、ごめんよ、息子。
高校生位になって、もっと、音楽を聴くようになったら、お小遣いをためて買ってね。しかーし、購入したウォークマンの音の良さには、ビックリしました!
これだって、小学生には、もったいないでしょー。
そんなこんなで、今年も、ひともんちゃくあった誕生日では、ありましたが・・・
(たしか、去年は、「みんな、wiiを持ってる」「みんな携帯持ってる」で、
その前は、「みんな、PSを持ってる。」だった気が )
家族で祝う誕生日会は、楽しかった
この日が、とにかく、楽しいだけの一日になってくれて、大満足。
だって、君が、私たちのところへ、来てくれた、大切な日だものね。
可愛い、可愛い、だった息子が、もう12歳。本当に、早いです。
昨日も、友だちと川に魚を採りに出かけ、鯉と戦ってビショビショに濡れて帰って来たりと、
まだまだ、幼い息子くん。でも・・・・・・
息子なりのスピードで、心も身体も、成長しているなって思います。
そんな成長が、嬉しくてたまらないこれからが、楽しみでたまらない
君のお母さんになれて、本当に幸せだよ。
でもね。なぜか、夜、一人で起きだして、まどさんの『あかちゃん』の詩を読んで、
泣いてしまった母なのでした 駄目ねえ。
それにしても、まどさんの『あかちゃん』には、何度泣かされたことか・・・・・
本当に、良い詩です。読んだことがない方は、是非、一度。
『赤ちゃんとお母さん』まど・みちお (童話屋)
「アロワ・カリジェの本を揃えたい。」
ずっとずっと願ってきたのですが、いつも、誕生日やクリスマスの記念日がくると、
他に欲しい本が出てきてしまって(笑)買えずにいました。
今年の誕生日こそは!
かなり前から意気込んで、他の本のことは一切考えないようにして臨みました。
暴れん坊の娘のおかげで、雑誌やネットを開く時間がなかったことも幸いだったかな(笑)
無事に我が家に届いたアロワ・カリジェの絵本。
「私に内緒で2冊選んで送って下さい。」という、またまた無理難題の注文でしたが、
ことり文庫さんが、快く引き受けて下さいました。
届いたのは、図書館で読んだことのある『ウルスリのすず』と、
未読の『ナシの木と シラカバと メギの木』。絶妙のセレクト!
店長のこうめさん、知ってましたか(笑)!
スイスの自然に暮らす人々の、慎ましやかな生活。子どもたちの輝き。
何か特別な事件が起こるわけでもなく、何かを訴えるのでもなく、
ただ、その美しい自然と人々を描いていく。
アロワ・カリジェの作品は、とても静かで、とても温かいのです。
そして、何と言っても、その美しい絵は、いつでも私を魅了します。
なんとも、不思議な魅力を持った絵なのですよ。
送って頂いた2冊は、どちらも宝物になりました。
そうそう。スイスは、私にとっては、とても思い出深い国。
遠い昔、新婚旅行で訪れた場所です。その頃、山歩きにハマッテいた私が、
「アラスカ、ニュージーランド、スイス、モンゴル。さあ、どの国で歩く?」
と言って迫り、旦那さんが選んでくれた国なのです!
(今思えば、二人で行く新婚旅行なのに、この横暴な態度。私ったら!!)
2冊の本を、娘が昼寝している少しの時間を使って、少しずつ読んでいきました。
本を閉じ、あの、言葉では、とても表現できない美しい風景を
記憶の奥底から引っ張り出してくる作業が、なんと心地良かったことか。
ちょっとだけ現実逃避の午後。
次のカリジェは、クリスマス・・・・・・・かな?カリジェの絵本。岩波から、こどもの本として復刊されるとか。
あの小さいサイズは、結構好きなのです。こちらも、手元に欲しいなー。
同じ物語でも、本のサイズで随分、雰囲気が変わりますものね♪
でも、絵の雰囲気を楽しみたいのなら、断然、大きい本がおススメ!かな。カリジェとの出会いは、『大雪』でした。記事はコチラ→ ★
元気一杯!興味一杯!考えるよりも行動!の娘
悪戯も半端でなくて、「赤ちゃんだから」と許しておける範囲では、なくなってきました。
よって、叱られることも倍増。
こんなに小さくても、叱られているのは、しっかり理解できている様子。
感情をストレートに出す娘は、叱られた後、叱られたストレスを周りにぶつけます。例えば、食事中にテーブルの上に乗る娘を引きずりおろすと・・・・・
怒って、テーブルの上のものを投げる。お皿をひっくり返す。例えば、授乳中に、オッパイをふざけて噛む(涙が出る程痛い)ので、
「いけない!」と怒ってみたり、「痛いよ」と泣いてみせたりすると・・・・・・
怒って、私を叩いたり、髪の毛を引っ張ったりする。例えば、お兄ちゃんのノートに悪戯書きしている娘をやめさせようとすると・・・
怒って、鉛筆を床に叩きつける。ノートを破る。お友だちの目や鼻に指を突っ込もうとするのをやめさせると・・・
怒って、その場に大の字にひっくり返る。周りにあるものを投げる。
etc・・・・。
*ちなみに、先日、娘は
パパが目を離したスキに、
娘を構いたくて仕方がない、近所の小学生の女の子を泣かしました
どうやら、娘に顔を近づけて構おうとした瞬間、目に指を突っ込まれたとか・・・・。
息子が一言、
「は、凶暴なんだから、やられる覚悟がないんなら、構うなって言ってるだろ!」
・・・・・・・・・・・・・・。ああ、娘よ!!
そんな娘ではありますが、やってはいけないということは、最初から理解しているようで、
ただ「あ!」とか、「ちゃん」と声をかけるだけでも、上記の破壊行動を起こします(笑)
娘を見ていると、叱られるストレスって、本当に大きいんだなあ・・・と、感心してしまいます。
娘の破壊を見ていると、ああ、今、それだけのストレスがかかったんだなあと感心します。
息子は、どんなに怒られても、しくしくと泣くだけでした。目に涙をためて、それだけでした。
同じだけのストレスが、かかっていた筈なのに・・・・・・・・・・。
私は、それをどこまで理解していただろうなあ。
叱るときは、ちゃんとそこを理解しなくては、いけない。
娘が教えてくれたこと。
今からでも、遅くないね。ごめんよ、息子。
しかし、娘さんよ。お願いだから、もう少し大人しくなって下さい
最近、あまりに周りの人に迷惑をかけるので、気軽に外出できなくなってきました。トホホ。
気を使いすぎて、帰るとヘトヘトです
『名探偵カッレくん』が、あまりに面白く、読みやすかったので、「次の巻は、一人で読んでみる?」と聞いてみたのだけれど、「いや、これは二人で読んだほうがいい」と言った息子。
息子よ。君は正しかった。母は、このドキドキに・・・きっと、堪えられない。
何しろ、今回の事件は「殺人事件」で、おまけに、カッレたちが、犯人に銃を突きつけられるシーンもあるのです。
その章を読み終わったとき、母と息子は、あまりにドキドキしすぎて、タメイキしか出ませんでした。
そこに、旦那の一言。
「ねえ、それ・・・本当に子どもの読む本?」
・・・・・・・・・。たしかに!
これを、大人の推理小説への登竜門などと思ってはいけません。
カッレくんがすごいのは、子どもたちが、きっと一度はやってみたいと思うであろう「遊び」のシーンが、ふんだんに盛り込まれていて、しかも、それが・・・最後には、犯罪解決への道筋になるという所でしょうか。
恐るべし、リンドグレーン!!
ちなみに、そのドキドキの章を読んだ日の夜、2階から物音がして、クラース兄さんが入ってきたかと焦った母。
すると、息子が起きてきて・・・
「俺、興奮しちゃって身体が熱くて眠れない。」と。
氷枕を作ってあげた後、ふざけて
「ねぼけて叫ばないでよ~。助けて~とか、犯人は、この人です!とか。」
と言ったら、真顔で
「そしたら、絶対に、起こしてよ!」と懇願されてしまいました。
犯人に銃を突きつけられたまま、朝まで夢を見続けるのは、辛いからと(笑)
ここまで子どもを興奮させる。これこそ、児童文学の真髄でしょうか(笑)
最後に、この本が日本で発行された年を見たら(私って、本当に、このページが好き・・・)
1965年。なんと、私は、まだ生まれていませんでした!!
ということは、原作は、もっと前・・・
これは、ピッピよりも、さらに激しい反対運動を起こされたのではないかしら?
だって、子どもが銃を突きつけられるシーンですもんねー(笑)
それより、スウェーデンの子どもは、夕飯の後も外で遊んでいるというのは、その頃の常だったのだろうか?まさか、今も?という疑問が、ふつふつと・・・

息子は、もちろん・・・羨望の眼差しでございました!!
もちろん・・・人の家の屋根にのぼって、パチンコで、捕虜になった指揮官を助け出すシーンもね。
先日、玄関に、二股の木と輪ゴムで作ったパチンコが落ちていて、思わずニヤリとしてしまった母。
やってる、やってる

そうそう、その前の日には、近くの林に行って木登りをし、見事墜落して戻ってきた息子くんなのであります。
白バラ軍のように、軽やかに屋根を渡るようになるには、まだまだ、練習が必要なようです。
頑張れ、我が家の白バラ軍!
本を読んでなくても、いつものように、息子についてきてくれる友達にも感謝。
どうか、どうか、お母さんに怒られませんように。
『フランチェスコとフランチェスカ』 ベッティーナ作・絵 わたなべしげお訳
携帯やインターネットで本が読めるご時勢。それでも、私は「本」が好きです。
紙に印刷された「本」が好きです。
本は、作家さんの手を離れたところからスタートし、新しい物語がいくつも追加され、
読者の手に渡ったときに、まさに、世界にたった一つだけのものとなります。
しかも、それで終わりではありません。永遠と・・・燃やされてしまうまで、その物語は続くのです。
その、作者さえも知らない、新しい物語に想いを馳せるとき・・・・・・・
私は、なんとも幸せな気持ちになるのです。
この『フランチェスコとフランチェスカ』は、私にとって、特別な、特別な一冊です。
はじめて、この本と出会ったのは、小学生の時。
その頃、お誕生会を開くことが、女の子たちの間で流行していて、母が、友だちへの
プレゼントにと選んだのが、この本でした。
薄い包装紙から透けて見える表紙には、色鮮やかな外国の風景が描かれていました。
日にすかして、何度も、何度も、その表紙を見たのを覚えています。
そして・・・私は、すっかり、その本の表紙にとりつかれてしまったのです。
「何か買ってあげる」と言われても、「結構です」と断るような、可愛くない子どもだった私。
それなのに、この時だけは、自分を抑えられなくなってしまったのです。
覚えている風景は、わんわんと泣きじゃくる自分の姿と、母の怒った顔。
玄関に出されて、泣きながら家の中の話し声に聞き耳をたてていました。
怒った母の
「人の物を欲しがるなんて、いやしいことだ。」という声が、深く心に残っています。
そして、しばらくたった後、父が言った言葉。
「あの子が、あんなに欲しがるなんて、きっと、どうしてものことだ。もう一冊、買ってあげなさい。」
友だちが持っているからという理由で、おもちゃを買ってもらえる現代の子ども達を見るにつけ、
あの時の、母の言葉を思い出します。
そして「あの子が欲しがるなんて、どうしてものことだ」と言った父の言葉を。
そうして、友だちのプレゼントになるはずだった本は、そのまま私のものとなりました。
苦い、苦い思いと共に。
「あれだけ読んでみたかった本は、いったいどんな本だったのだろう?」
大人になってから、ずっとずっと、その思いに捕らわれていました。
自分でもびっくりなのですが、題名も、ちゃんと覚えていました。けれど、すでに絶版。
古本屋さんを探してまわったけれど、どうしても見つけることが出来ず・・・・・。
もう、諦めていたところに、かなり前にお願いした古本屋さんからメールが入りました。
「まだ探していますか?」と。
インターネット上のやりとりだったにも関わらず、覚えていてくれた古本屋さんに感動し、
お礼のメールを書きました。
「この仕事をしていて良かったと思える瞬間」と、店主さんが返信して下さったのが、
強く心に残っています。
実は、今年、また新たに、この本にまつわるストーリーが増えました。
誕生日のプレゼントに、妹が送ってくれたのです。
しかも、箱に入った1976年のもの。年もぴったりです。
まさに、私が小学生のときに発行されたもの!!
久しぶりにページをめくると、また、ほろ苦い思い出がよみがえってきました。
包装紙ごしに私を虜にした挿絵。今になってみると、ごく当たり前の外国の風景です。
色の鮮やかさも、何か特別という訳ではありません。
でも、あの頃の私にとっては、それはそれは、まぶしく輝いていたのだろうな。
そこまで胸をときめかせることが出来た少女時代に、ちょっとだけ嫉妬なのでした。
・・・・・・・・・そんな、子どもの頃の思い出とともに、
遠い九州の古本屋さんが、この本を手にしたときのことを想い、
妹が、私のプレゼントにこの本を探してくれたことを想い、
(もちろん、そこから、また別の古本屋さんが繋がっているのです)
そしてそして、この2冊の「本の元の持ち主」のことを考えてみたりする。
元の持ち主は、誰に、どうやって買ってもらったのだろう?
こんなに美しいまま保管していたのは、その子のお母さんだったのかしら?
そして、改めて・・・・
やっぱり、私は本が好きだなあと思うのです。
ずっと寝室に置いて、
娘が興奮して寝てくれない時や、娘が夜中に起きて遊び始めた時に、
少しずつ、少しずつ、読んでいきました

100ページにも満たない、この本を、いったい何日かけて読んだのでしょう!
読めなかったということは、、その分、私は夜寝かせてもらえたということで、
それはそれで、嬉しいことなのですけれど

でも、「本なんか読んでないで遊んでよ!」という夜もあったので、読書のペースとは
完全に比例してないかな。ふふ。
さて、物語・・・
古い劇場だった建物の片隅にある、ヴァン・ゴッホ・カフェ。
そこでは、毎日、素敵な魔法が起こります。ごくごく、普通に。当たり前のこととして。
だから、お客さんも誰も大騒ぎなんかしないのです。ああ、また魔法だなってね。
正直に言うと、最初は、何かしっくりきませんでした。
読むペースが遅かったのは、娘のせいだけなく、そのせいもあったと思います。
ぽつん、ぽつんと語られる物語は、流れが止まっているような感じ?がして、ちょっと違和感。
読むのやめようかな?どうしようかな?そんなことを考えながら、少しずつ少しずつ読んでいきました。
いや・・・・図書館で借りていた本だったら、途中で、やめていたかもしれません。
その時がくるのも知らずに。
でも、これは妹から借りた本。いつものように、長期間貸し出しの本なのです。
と、そのうちに、なんだか、その独特のペースが心地良くなっていました。不思議。
流れが止まっているような・・・は、いつの間にか、どこかにかくれている魔法を、
じっと目をこらして探しているような、待っているような、そんな心地良さに変わりました。
そう、クララのように。
クララはいまになにか起こる、きっと起こると思いながら、どきどき待っているのが好きでした。どきどき見まもっているのが好きでした。
魔法は、きっとありますね。確信しました。
娘

ちょっと気を抜いてしまったがために、ソファーにボールペンで悪戯書きをされたり、
庭に脱走されたり、玄関の靴をタオルの引き出しにしまわれたり・・・
ますます、気を引き締めて子育てに臨む母なのです!
おかげで、読書は、一日数ページペース。ようやく、ようやく読了しました。
ちょっと寂しい雰囲気のリンドグレーン。いつか読んでみたいと思っていました。
変わった題名なので、以前から、なんとなく気になっていたのですが、逆に、題名が地味・・・というか、古臭い?ような気がして、開かずにきました。
けれど、図書館で開いたとたん・・・・・まるで魔法のように・・・・・とりつかれてしまったのです。
そのまま、お持ち帰り~(笑)
夢中になりすぎて、近所の子どもたちが、娘

なんと、外にまで持って出て、玄関に座って読んでしまいました。
少し読んでは、娘の姿を確認し・・・・という、なんとも忙しい読書ではありましたが、
面白かった!
まさに、今までのリンドグレーンとは違う物語。ぐん、ぐんと引き込まれるようでした。
いったい、この方は、どれだけの世界をお持ちなんでしょう。
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孤児のミオは、養子にもらわれた家で、悲しい日々を送っています。
ミオは、まだ見ぬ父親を慕い、誰かに愛して欲しいと求めます。
そして、それらをかなえてくれる「はるかな国」にと、足を踏み入れるのです。
読み進めるうちに、大人の読み手である私は、この「はるかな国」は、もしかしたら、ミオの空想の国なのでは?という疑問を抱いてしまいます。
読んでいる間は、夢中で忘れているのだけれど、ふとした拍子に、いつもどこかに引っかかっている「それ」が、頭をもたげてきて、不安にさいなまれてしまいます。
どうか、どうか、悲しい終わり方をしませんようにと。。。
ミオが、どんなに幸せなときを過ごしていても、何故かいつも、寂しさがつきまとっているように感じるのです。
この幸せが壊れてしまうような何かが、隠されているような気がして・・・
きっと、読み手それぞれの解釈があると思います。
この本を読み解くには、もう一度、時間を置いて読んでみないと、と思います。
心に響いたのは、
困難にぶつかった時に、ミオを支えてくれたのは、たった一つ「ミオよ わたしのミオ」というお父さんの言葉だったこと。
子どもにとって大切なのは「愛情」それ一つなのだなあ・・・その想いが、何度も、こだまするようでした。
「愛してるよ」という直接的な言葉ではなく、「ミオよ わたしのミオ」という言葉であることが、また、心に残りました。
そしてもう一つ、心に残ったこと。
そもそも、残酷な騎士カトーとは、何者だったのだろう?ということ。
剣を湖に捨てるシーンも、ミオとの戦いのシーンも、小鳥のシーンも、深く、深く、心に残りました。
あー。大人は、つい、深読みしようとしていけません。
もっと素直に、ただ単純に読むべきなのかもしれません。
子どもたちは、きっと、心からミオを応援し、安心して・・・幸せな気持ちで読み終えることでしょう。
ミオが、いつまでもいつまでも、幸せでありますように。
世界中の子どもが、幸せでありますように。
そう願わずにはいられない、物語でした。