『右の心臓』 佐野洋子
佐野洋子さんのエッセイが好き。
始めて読んだとき、この人は、絵と全く同じ文章を書く人だなあと感心した。毒々しいとはこのこと。あちらこちらに、所構わず噛み付いて、仕舞いには、ぎゃあぎゃあと泣き出してしまう。
読み手は、「あ~あ」と呆れたり、的を得ていて大笑いなんてこともある。そして、いつも、この人と友だちになりたいなあ~と思う(無礼者でゴメンなさい)。
この人と一緒にいたら、きっと、世の中の色は、すべて違う色になっちゃうような気がするのだ。
今回のエッセイでは、少女の頃の洋子さんが、嫉妬し、意地悪し、軽蔑し、愛しいと思い、愛されたいと思う。
あまりに赤裸々に綴ってあるので、その醜さに、ゲンナリする人もいるかもしれない。コジキの子がいれば、汚い!こっちにこなければいい!と思い、弟が死んだときと兄が死んだときとでは、母親の悲しみ方が違うと分析し、自分がとった賞の授賞式に、お化粧してスマシテやってくる母親を軽蔑する。知的障害の子を怖いと感じ、それを隠そうとする大人を不思議に思う。
だけど、私は、こんな幼い洋子さんを愛してやまない。子どもって、こういう残酷なものだなと思う。もちろん、自分のことだけれど・・・。
今回、エッセイの中に度々登場してきた、亡きお兄さんのことが多く描かれていて、エッセイファンとしては、とうとう、お兄さんのことを詳しく知ることができるのだという、ドキドキを味わうことにもなった。
お兄さんの死の日。それを迎える幼い洋子さんの心模様が、彼女独特の激しい文章で語られる。そして、死の後の洋子さん。
この人は、きっと、ず~っと、このことを引きずって生きてきたんだろうなあと思う。感情がストレートすぎて、もらい泣きすることもないというのが、佐野エッセイなのだが・・・読んでいるうちに、ふと『100万回生きた猫』を思い出した。
昔の子どもは、いつも身近に死があった。家族が死に、近所の人が死ねば、みんなで埋める、火葬する。お父さんが、飼っている動物をさばき、それを手伝わされる。かわいがっていたうさぎをシメルとき、耳を持っているように命じられ、気持ち悪くなってしまう洋子さんが、夜、「うさぎ鍋」をおいしいと言って食べる場面には、感じるものがある。
彼女の絵本の中に描かれるブラックユーモアや、絵の迫力の原動力を感じることができる、そんな一冊でした。