ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『ビーバー族のしるし』

2009-07-27 09:55:34 | 息子が一人で読んだ本

『ビーバー族のしるし』エリザベス・ジョージ・スピア こだまともこ訳


あっという間に読了。
予防接種の時間待ちにも、部活に出かける前にも、時間を惜しんで読んでいました。
まさに、夢中になって読んだ本。
ときに、食事も寝る時間も過ぎて、怒られることがあったけれど、まあ、それも良しとしましょう。

おもしろくて、おもしろくて仕方がなかったと息子くん。
最後の最後、本当に最後まで、ラストがわからないというのも魅力の一つだったね。
それでも安心して楽しめたのは、包み込むような優しさ、懐の深さみたいなものが、
物語全体に流れていたからかもしれません。

今のところ、これで感想文を書こうかなと考えているようです。
さて、次は、何を読むのかな?
漢字と英単語に負けずに、せめて、有意義な読書ができるといいね。
今日から、私は、娘と実家に行きます。郷里の夏祭り!
息子よ~!パパと大くんと、留守を頼んだぞ!
(パパは、4時起きで息子を送り出してから会社頑張って下さい)


愚痴・愚痴・愚痴

2009-07-26 15:21:24 | つぶやき

ようやく、夏らしい空になりました。
朝、4時に起きて朝食をつくりながら、その朝焼けの美しさにウットリ。
4時半に起きてきた息子は、朝焼けを見上げる余裕もなく出かけていきましたが、
登校中に、一度ぐらいは空を見上げたでしょうか。
県大会も決まって、さらに、先生のテンションも上がっています
帰ってきてからも、素振り200回!それが、楽しそうにやるからオカシイです。
まさに、剣道馬鹿部活の後も、剣の道について、熱く語ってから帰ってくるそうで・・・

そんな、はじめての中学生の夏休み。
部活以外は、すべて宿題に追われるという毎日を送る息子です。
手をやいているのが、思いがけず国語。漢字の書き取りです。
一年生で習う漢字を調べて、ノートを作るというものなのだけれど、うちの息子のように
凝り性の子どもは、どんなに頑張っても、一日、2文字か3文字しか進みません。
(部活がなければ、もう少し進むだろうけれど)
何しろ、作り上げたノートは、まるで辞典並みの詳しさなんだから
それを、百数十字もやるっていうんだから、たまりません。

夏休みに入ってから、テレビすら、1時間も観ていないのです。
思わず、「もう少し手を抜いたら?」と言ったのだけれど、「これでも、かなり手を抜いてるんだ!」と息子くん。
本当は、書き順コーナーも、使用例なんかも書きたかったのに、我慢してるんだそうです。

この課題、どんな風にノートを作るかは、自由。
やりたくない子は、漢字と訓読み・音読みだけを書いて終わりです。
でも、丁寧にやれば、きりがないのです。
一学期もやってきた課題なので、丁寧にやる子が、どれだけ頑張っているのか、
先生もわかっているはずなのに、どうして、こんなに範囲を広くしたのか?疑問でなりません。
漢字のアレコレを調べることを楽しんでいる子が、楽しみを半分で切り上げなくちゃ
いけないことも、納得できません。
息子は、辞典を読み始めると、面白くて面白くて仕方ないのに。
夏休みって、こういう好きな勉強を、テストに縛られずに、思い切り勉強するための期間じゃないの?

早く、多くをやらせることが目的なら、内容を自由にするのではなく、読み方まで調べればヨシ!
などと、統一ルールを作ればいいのに・・・。
毎日、毎日、国語辞典と漢和辞典とにらめっこしている息子を見たら、中学校の勉強って、
なんなんだ?って、思わず、叫びたくなりました。
漢字が大好きな息子くんは、ノートづくりに手を抜くことも、挑戦したかった漢字検定の勉強をすることもできません。
(こんな宿題出すんだったら、漢字検定を勧めるなって!)
点数が下がらない程度に丁寧に宿題をこなし、漢字検定の勉強も、きちんとやって合格する。
こういう要領が良い子だけが得するように、出来てるのかなー。中学校って。

このままだと、一週間ある部活の休みには、キャンプに宿題を持っていくことになりそうです。
えー。有り得ないー。
漢字と英単語で、夏休みが終わるのかなー。あー。

夏の日の午後。
息子が広げていったままの国語の宿題をながめながら、思わず、愚痴でした


『あたらしい図鑑』

2009-07-23 11:34:28 | 息子が一人で読んだ本

         『あたらしい図鑑』 長薗 安浩


今月のことり便は、息子のために、この本を選びました。
やはり13歳の男の子が主人公。この夏、同年代の男の子を主人公にした本を探しましたが、なぜか、みんな13歳。
13歳の男の子って、主人公になりやすいのかな?

ことり便には、毎月、素敵なおまけが付いてくるのだけれど、今回は、また、夏らしいオマケが一つ。
この本の表紙のブルーの上に置かれた、そのオマケは、本当に素敵で・・・。
まだ、本を読んでいない母なのに、なぜか、胸がキュンとしてしまいました。
夏って、なんだか、胸がキュンとしてしまうことが多いです。子どもの頃の思い出が詰まっているからかな。

オマケのせい?息子が、一番に選んで読み始めたのは、この本でした。
そして、「面白いよ!」そう言って、あっという間に読んでしまいました。
なんでもスローペースの息子くんが、こんなに早く読み終わるなんて!ビックリ!!

ある朝、食事中に、
「今読んでる本の主人公ってね、140センチしかないチビで、イ○モウに憧れてる所が、他人とは思えないんだよねー」
と言い出したので、旦那と二人、吹き出してしまいました。
そうかあ。背が低いことがコンプレックスなのは知っていたけど、そんなものに憧れているとは、全く、気づかなかったよ。
中学生男子も、色々、大変なんだねー。

さてさて、そんな風に、読書を楽しんでいる息子ですが、一応、この本は、読書感想文用図書として購入したのです。
お願いしている通信教育の教材に「夏休みの宿題特集」がついてきて、そこに、読書感想文の書き方ポイントがのっていました。

『本を読みながら、これは!というところに、どんどん、ポストイットを貼っていこう!』

なーるほど
早速、「実践してみなさいよ!」とアドバイスしたのだけれど、「わかった!次の本からやる」だって
夢中になりすぎて、とてもじゃないけど、ポストイットなんて貼っていられないらしい。
ちなみに、すでに次の本を読み始めたのだけれど、その本にも、今のところ、貼る気配なし。というか、貼る余裕なし。

「読書感想文用に買ったんだから、ちゃんとやりなさい!」
なんて、野暮なことを言う気になれない母は、結局、そのまま放置しているのだけれど
これは、絶対に、今年も泣くな・・・・・・。
面白い本は、読書感想文が書けないのだろうか?という、究極の結論に達してしまいそうなのだけれど、まあ、その結論は、夏休みの終わりに出すことにして・・・
今は、こんなに夢中になれる本との出会いに感謝しようと思います。


夏休み

2009-07-17 14:47:35 | つぶやき

あついー。あついー。あついー。梅雨があけたと思ったら、この青空!
青空って、気持ちいいなー。
早速、カメラを片手にベランダに立ち、パシャリ。娘には、プールも完成したよ!
(今日は、一転、梅雨空に逆戻り。どんなに駄目だと言っても、プールに入ってしまった娘さんデシタ)



先週の日曜日、三年生の参加する最後の大会があったにも関わらず、息子は、
土曜日の夜から発熱。おまけに、這って移動するほどの具合の悪さ。
これがまた、新型インフルエンザが本校生徒に確認されたというプリントが配られた
翌日だったので、検査やら何やら、大変な騒ぎでした

終わってみれば、ただの夏風邪。っていうか、たぶん、プール熱?
39度を越す高熱が3日も続き、4日目にケロッと治る。これは、どう考えてもプール熱だと
思うのだけれど、どうだったのでしょう。

検査を受けた大学病院では、「インフルエンザじゃないから・・・(やることないです)」
とのことだったので、「プール熱の検査もして!」と言い出すのも何だなあと、
早々に帰ってきてしまいました。先生が、熱が下がったら学校に行ってよいと言うので
二日休んで、学校も部活も再開デス。

息子が休んでいる間に、先輩たちは、見事、市内大会を突破して、次なるブロック大会
への出場権を獲得していました
誇らしげに、先輩の優勝を報告してくれる友達、そして、嬉しそうに飛び上がる息子。
あー。なんか、いいなあー

友だちや先輩の活躍に興奮したり、自分のことのように喜んだりする経験って、
大人になってしまうと、なかなか、出来るものではありません。
たった4ヶ月で、まあ、なんと固い友情で結ばれたことでしょう
配布された部活の「夏休みの予定表」を見て、ウンザリしていた母だけれど、
息子たちのの顔を見ていたら、応援してあげなくちゃ!という気持ちになってきました。

 近くの福祉農園の脇は、ミントでイッパイ♪

二日も学校を休んだら、もう終業式だって
部活よりも、もっと驚く宿題の山。140もある英単語を10回ずつ書くという英語の宿題には
息子くん、かなりショックを受けていました ガンバレー
すでに、終わらないかもしれない・・・と弱音を吐いています。くすくす。

息子に頼まれていた感想文用の本は、とりあえず4冊選びました。もう一冊だけ、自分の読まず
嫌いの
悪い癖をなおす意味を込めて、人気の作家さんの本(課題図書に選ばれた作家さんの小説)
を読んでみようかなと思っています。ただ今、図書館の予約待ち・・・

『風の靴』 朽木祥
『ビーバー族のしるし』 エリザベス・ジョージ・スピア
『あたらし図鑑』 長薗安浩
『はてしない物語』 ミヒャエル・エンデ

友情、正義、価値観の違いを超えて理解しあう心。
私なら、このテーマで書くな・・・と、明確に提示できるもので、息子が読みやすそうな
文章、ストーリーであるものを選んでみました。
(『あたらしい図鑑』だけは、未読。今月のことり便から選んでみました)
・・・・・ファンタジーは、「意味わかんないー」の人なので、エンデだけは読まないかもしれないな。

もちろん、母の「私が書くなら・・・」のテーマは、息子には内緒。
息子は、どんなテーマを見つけるのかな。本は、楽しんでナンボ、それで終わりの息子くん。
それでいいじゃないかーと思ってきたけれど、中学生になったのだから、テーマを見つけて
読んでみるのも良い経験かもしれません。
自分の心の中を、もがきながらでも言葉にしてみる。これも、良い経験です。
読書感想文も、良い方へ良い方へ解釈してみれば、意義が見つけられるものです。
そういう私も、小学生のときに読んだ課題図書がきっかけで、福祉の道に興味を持ったのですもの。

毎日6時からはじまる夏休みの部活。山のような宿題。
始まる前から目がまわりそうだけれど、どうか、楽しい夏休みになりますように


『ビーバー族のしるし』

2009-07-11 13:02:27 | わたしの読書

『ビーバー族のしるし』エリザベス・ジョージ・スピア こだまともこ訳

少年をテーマに読み進めてきましたが、ここまできて、一つの結論に達しました。
「読書感想文を書きやすい物語は、ない。書く子は、ルパンだって書く!」
そんな結論が出た後ではありますが、図書館から予約を入れておいた本が届きました。

時代は、18世紀、アメリカ。主人公は、もうすぐ13歳!!!になる少年・マットです。
父さんと、新しい土地を開拓し、丸太小屋を建て、畑を作ったマット。
そして、その日がやってきます。
父さんが、街に残してきたかあさんと妹、それから、生まれているはずの赤ちゃんを迎えに
行くのです。マットは、トウモロコシ畑と炉の火の守をしながら一人残ることに・・・。
たった一人、開拓地の森の中で暮すことになったのです。

マットは、家を守るという仕事をこなしながら、父さんとの約束の日を待ちます。
そんなある日、飢えに耐えかねて、「みつばちの巣」に手を出してしまうマット。
襲い掛かるミツバチから助けてくれたのは、二人のインディアンでした。
インディアンの長、サクニス老人と孫のエイティアン。
老人はマットに、孫に白人の文字を教えてくれるように頼みます。そのかわりに
毎日狩の獲物を届けよう、と。

マットは唯一彼が持っていた本「ロビンソン・クルーソー」を教材に使い、勉強をはじめます。
けれど、白人を敵視するエイティアンとの距離は、なかなか縮まることがありません。
インディアンは白人たちにとって、自分たちよりも劣る野蛮人。
そういう価値観の中で育ったマットにとって、誇り高く、森で生きていく智恵を備えた
少年エイティアンは、衝撃でした。

食べる分だけの動物しか獲らない。殺したものは、必ず、役に立てなければならない。
小さい魚は、逃がす。子どものいる動物の雌は殺さない。
その一つ一つが、マット、そして私の胸を大きく揺さぶります。
なんと言っても、一番感動的なのは、マットが、エイティアンとの別れを前にして、
ずっと、聞きたくて聞けなかった一つの質問するシーン。
マットは、白人達がインディアンの土地を奪っているのではないか?もしかすると
自分たちがお金を出して手にいれた、この土地も、実は、エイティアン達のものだった
のではないのか?と、考えていたのです。
その質問に対するエイティアンの答えには、涙せずにはいられませんでした。

私たちは、なんと愚かなのだろう。
地図に線を引くことでしか、自分たちを守れなくなった人間は、その他の「自分を守る術」を、
すべて捨ててしまったのかもしれません。
それならば、今、私は、この地図を捨てることが出来るだろうか?
出来ないのなら、何が出来るのだろう?そんなことを、何度も考えました。
そしてなにより、全く違う価値観を持った者同士が、そのままの自分を大切にしながらも、
理解し合え、尊敬し合えるという物語に、深い感動を覚えずにはいられませんでした。

最初、サニクス老人が、食べ物と引き換えに、孫に文字を教えて欲しいと頼むシーンを読んだとき
白人たちが、インディアンが字を読めないことを良いことに、自分達に都合の良いように
契約書にサインをさせることを憂いての申し出だと、信じて疑わなかった私ですが、最後の
旅立ちのシーンを読んでから、あれは、ただ、マットを助けるための申し出だったのではないか?
と考えるようになりました。
老人は、当たり前のこととして、13歳のマットのプライドを守ってくれたのではないか?
そんな気がしたのです。

お互いがお互いのまま、尊敬しあえる世界。
13歳の少年達の物語に、この世界の明るい未来を思わずにはいられませんでした。

感想文はともかく、是非とも、息子に読んで欲しい本。本日、注文です。


『風をつむぐ少年』

2009-07-09 13:13:58 | わたしの読書

 『風をつむぐ少年』 ポール・フライシュマン著/片岡しのぶ訳

息子からのリクエストにより、中学生の子が楽しめそうな本をテーマに、読んでいます。

主人公のブレントは、17歳。
車で自殺を図り、自分が死ぬ代わりに、見知らぬ少女を殺してしまいます。
遺族が、償いのためにして欲しいと言ったのは、アメリカ大陸の4つのはじっこ
に、娘の《風の人形》を作って立てること。
両親の反対の中、ブレントは、バスに乗って旅立ちます。

体裁ばかり気にして、生きてきたブレント。
旅の中で、ブレントは、自分の内面と向き合い、成長していきます。
そして、本当に大切なものを見つけるのです。
その成長の過程が、とても自然で、さりげなく、とても心に染み入りました。

ただ、(亡くなった)少女との出会いが、ブレントに新しい人生を切り開かせてくれた
のかもしれないというような、ラストの言葉には、正直、違和感を感じました。
それは、私が信仰をもたないからかもしれません。
その言葉を遺族が言ってくれたなら、こんな違和感は、抱かなかったかもしれません。
たしかに、そうなんだけど。そうなんだけど!・・・って。考えすぎかな、私(笑)

そうそう、ブレントの旅の物語の中に、彼が立てた《風の人形》の別の物語が織り
込まれているのが、とても良かった。
それは、それぞれの場所で、《風の人形》を見た人たちの物語。
こういう、何かを接点にして、全く違う世界に生きる人たちが結ばれていく物語って
とても好きなのです♪

人形が、見知らぬ人たちの心を癒し、救いを見出したりすることで、少女の死が、
永遠に、誰かの『生』と結びついていくというメッセージなのかな・・・とも思いましたが、
色々と詮索するのはよして、素直に、この清清しい風を受けようと思います。
どんな孤独な人だって、必ず、どこかで、自分の思いもよらぬところで、誰かと繋がっている。
こういう物語を読むと、いつもそのことを考えて、それだけで、心が温かくなるのです。
ああ、前を向いて、生きていこう!って思うのです。


うわばみ

2009-07-06 14:32:27 | 息子と読んだ本のこと・児童書



日曜日は、息子の剣道の級審査。
4時起きを二日間、頑張った母は、ぐったりと、家で朗報を待っていましたが、残念ながら不合格でした。
不合格に納得いかない息子は・・・どこにも向けられない悔しさと悲しさに号泣。
剣道の級審査は、審判員の先生方の考え方によって、大きく判定が変わるし、
なぜ、不合格だったのか?を教えてもらえないので、自分の中で消化するのに、とても苦労するようです。

今までも、何度か不合格をもらったことはあったのだけれど、今回は、かなり頑張って臨んだ審査。
思いいれも強かったのでしょう。部屋に閉じこもったきり出てこない息子。
友だちの家族が「お疲れ様会しようよー」と誘ってくれたのだけれど(友だちも不合格だったので)
「今日は、やめとく。」の一言で断りました。

3歩歩けば忘れるだった息子くんも、大人になったものだと、母は、ちょっぴり驚きつつ、
どうにか、なぐさめられないかと、色々、言葉を探してみました。
けれど、適当な言葉が見つからず・・・・・かわりに、
早々に寝る支度に取り掛かった息子に、「久しぶりに本を読もうよ!」と、半ば強引に迫りました。
この一ヶ月、すっかりお休みしていた「読み聞かせタイム」。
「もう、眠いんだよ!」と、迷惑そうに吐き捨てて、布団にもぐってしまった息子の横で、
「じゃあ、寝てもいいから。」と、急遽、本棚から出してきた『星の王子さま』を読みはじめました。
その5秒後でした。

「うわばみの絵って、どれ?」
息子が、起き上がって本をのぞきこんでいます。
あの、有名な「うわばみの絵」。帽子じゃないんだよ。うわばみだよ。
王子さまの強引な「羊を書いてよ!」シーンまで読んだのだけれど、ずっと、挿絵を
のぞきこんだままでした。

本を閉じ、「おやすみ」「おやすみなさい
気持ちよく言えて、本当に良かった。

ぼくの言う通り、大人は、訳を言葉にしたがる。
でも、本当に子どもが欲しいのは、言葉なんかじゃない。
大切なことって、頭じゃなくて心で感じることだよね。
うわばみの絵と、王子さまが喜んでくれた羊の箱が、息子の心を、言葉にならない何か
大切なもので、満たしてくれたようでした。
王子さま、ありがとう。物語の力に、久しぶりに圧倒されながら、眠りについた夜でした。


手遊び大好き

2009-07-02 14:08:25 | 赤ちゃん日記~娘さん日記



最近の娘さんのオハマリゴトは、「手遊び」。
幼稚園やコミュニティ保育で、先生が教えてくれる
「とんとんとんとん ひげじいさん~」のような、手遊び歌はもちろん、
わらべうたの会でも、大好きだった身体をつかったものより、手遊び歌の方を好みます。
今、一番好きなのが「れんげ摘もか」のわらべうた。

レンゲつもか 花つもか
今年のレンゲは よう咲いた
お耳をまわして スットントン
も一つまわして スットントン


向かい合って座り、歌に合わせて、お互いの両手を重ねて遊びます。
女の子って、どうして、こういうのが好きなんだろう。
私も、毎日、飽きもせずやった思い出が・・・。今の小学生の女の子もやるのかな?
(「みかんの花が~♪」とか「アルプス一万尺♪」とか)

先週のわらべうたで、もう一つ、同じような手遊び歌を教えてもらいました。

林の中から おばけがニョロニョロ
おばけの後から 豆腐屋がプープー
豆腐やの後から こぶたがブーブー
こぶたの後から 子どもがジャンケンポン

最後がジャンケンなのが、ちょっとだけお気に召さない娘さん。
レンゲのように、最後まで手遊び歌の方が好みのようです。それでも、手を合わせる
ことと、おばけや豆腐やのジェスチャー(?)が気に入った様子。
一時は、このオテンバ娘は、いったい、どうなってしまうのだろう?と心配しましたが、
こういった好みといい、今では、すっかり女の子♪にくらしいところも女の子♪です。

もう一つ、「ぶたがぶたれた」という、わらべうた?語り?も気に入って、毎日一回は、
必ず、母がやってあげるという日課継続中。
こちらは、幼稚園のわらべうたの集いで、先生が、見せて下さったのが最初なのですが
最後の「ごつん!」が、かなり強烈なイメージを残したようで、その日以来、ずっと、
両手をぐーに結んで「ごつん!」「ごつん!」と、やっていた娘さん。

ぶたがぶたれた ぶたにぶたれた なぜぶたれた?
一で いばって
二で にらんで
三で さわいで
四で しかられて
五で ゴツン! 
ぶたがぶたれた

母は、ブタの手袋がないので、そのままやります。でも、面白くて仕方がないみたい。
そしてやっぱり、最後の「ゴツン!」が好き。
そこだけは、自分も両手をぐーにして「ゴツン!」とやります。

このわらべうたは、前から、本で読んで知っていたけれど、「ぶたれた」とか、「ごつん!」は、
あまり好きじゃないなーと思って、やったことは、ありませんでした。
でも、そんなのは、大人頭の考えることなんですね。

楽しそうに、「ゴツン!」「ゴツン!」。
昔話やわらべうたの意味不明の物語や、残酷さもまた、その魅力かなあと思ったりする
今日この頃なのでした。


『殺人者の涙』

2009-07-01 12:48:00 | わたしの読書

『殺人者の涙』 アン=ロール・ボンドゥ 伏見操(訳)

読んでいる間中、ずっとずっと、孤独や悲しみ、虚しさに占領され続けた。
まさに、地の果てのような深い絶望の穴に、心が、飲み込まれてしまったかのようだった。

物語の舞台は、チリの最南端、太平洋の冷たい海にノコギリの歯のように食い込む地の果て。
誰も寄り付かないその土地に、ひっそりと暮す家族の元に現れたのは、
「天使(アンヘル)」「歓喜(アレグリア)」という名前の殺人者だった。
殺人者は、ただ、逃亡の旅を終わらせたいという理由だけで、いとも簡単に、
そこに暮していた夫婦を殺してしまう。残された息子・パオロ。
自分の年さえ知らない男の子が、生きるために選べる道は、たった一つ。
その両親を殺した殺人者と暮すことだけだった。。。

あまりに強烈な始まり方。
パオロへの愛情から、変わっていくアンヘルの心を、喜びを持って受け取ることすらできない
「虚しさ」が心を支配して、荒れ果てた荒野をさ迷い歩いているような読書だった。
途中、警察に追われるアンヘルとパオロが、きこりのリカルドと出会い、希望と、人間の生きる意味を
悟る場面に辿りついたときですら、その虚しさの霧は、晴れることがなかった。
そして、やはり訪れる悲劇。
なんと、救いのない物語だろう。。。リカルドの死を読んだとき、絶望の淵に突き落とされたような
気持ちになり、どうして、パオロは、あの時、海に飛び込まなかったのだろうかとさえ思った。

ところが、最後に、物語は一変する。
始まりからずっと、モノクロのイメージで、色も音もない世界だった物語が、最後、
大人になったパオロが、一人で、その地の果ての家に戻ってきたところで、一変するのだ。
送られてきた色とりどりの葉書、絨毯、洗いたてのカーテン、ろうそく。そして、本棚。
物語は、突然、色を身にまとい、温かい湯気を感じさせる。そして、流れるバッハ、こぼれる詩。
誕生した、小さな「天使」と「歓喜」。

最後の3行を読んだ瞬間、この物語のすべてを理解できたような気がした。
それは「、アンヘル・アレグリアという殺人者もまた、神の子だった」それを、心から理解できた瞬間。
突然、涙が溢れ、しばらく、涙が止まらなかった。
最後の3行で涙するという、なんともいえない物語。

また、殺された両親の血の上のテーブルで、パオロが、殺人者とスープを飲むシー
ンが強烈で、そのシーンを読んでから、ずっと、その画像が胸に突き刺さったままで
いたのだけれど、ラストで、それが、きちんと引き抜かれたことも印象的だった。
本当に、素晴らしいラストだ!

実は、このラストにたどり着くまで、
「たしかに、とても面白いけれど、どうして、こんな物語がYA本なんだろう?」
と思っていたのだ。
子どもに、こんな人殺しの本を読ませるのか?救いのない物語を読ませるのか?と。
でも、ラストを読んで納得。

ただ、私が息子に紹介するなら、最後まで読み込む力が、息子に備わった時かなと思う。
この凄いラストシーンまで、きちんと読むことができるようになったら・・・。
そうしたら、読んで欲しい。そして、考えてほしい。
罪について。正義について。人間の生きる意味について。
そして、感じてほしい。
人は、変わることができる、絶対に。ということを。