「ミツバチの羽音と地球の回転」
お隣の市の市民団体さんが、開催してくれた自主上映会。
ずっと気になっていた映画でした。
息子に、一緒に観にいこうよと誘ったら、意外にも「いいよ。」と言ってくれた。
久しぶりに、二人で映画を観ました。
ドキュメンタリーが好きなので、かなり期待して行ったせいもあり、正直に言うと
ちょっと、がっかりした感があったことは、否めない。
内容が、ではなく、あくまでも、画像とか、編集とか、完成度とか、そういう面において。
でも、それは、私が、自主上映作品というのに、慣れていないせいかもしれない。
せめて、あと10分短かったら、もう少しまとまった?とか、思ったりして。
素人考え。でも、本当に長かった。
人の集中できる時間を、遥かに超えている気がする。
でも、このタイミングで観ることができて、本当に良かったと思う。
映画のテーマは、イマイチ見えにくかったけれど、原発について、エネルギーについて、
私たちが目指す社会のあり方について、考えさせてくれた。
あの日から一年たった。
私たちは、ただ、「反対!」と言うのではなく、ちゃんと、その先を考えないといけないのだ。
そういう気持ちにさせてくれる映画だった。
映画の前の監督のトークも、興味深かった。
同じ女性として、とても魅力的で、素敵な方だった。
この日に、色んなことを考えさせてくれて、心から、「ありがとうございました。」
最後に。
できることなら、同じ島に住んでいる賛成派の方の意見や生活も知りたかった・・・かな。
同じ島に住みながら、同じ歴史を共有しながら、仲違いしなければならなかった事実が、
現実が、個人的には、原発建設と同じくらいに、とても悲しかった。
どうして、こんなことになっちゃったんだろうな。
『MISS POTTER』。NHKのBS放送で放映されたそうで・・・。
録画したものを見せてもらいました!
ピーター・ラビットの作者、ビアトリクス・ポターを描いた映画です。
観に行きたかったけれど、行けなかった映画。嬉しい。
思った通りの映画で、さらに嬉しい。
素敵なロンドンの街並みや、湖水地方の息を呑むほどの美しさに圧倒され、
ストーリーに感動して号泣し、見終わったときには、まさに、夢の中でした。
欲を言えば、後半、悲しみの底から立ち直るまでを、もう少し丁寧に、
時間を割いて描いてもらえたら、もっと嬉しかったかな。
でも、その小さな不満を入れても、最高の映画でした。
何より、「ビアトリクスが、どれだけ、ピーター達を愛していたのかを知ることが
できたこと」これが、一番の嬉しかったことでした。
登場人物として、ではなく、友人として愛していたということが。
こうやって紡ぎだされた物語だからこそ、世代を超え、国を超えて、人々を
惹きつけるのだなあと、深く頷きました。
観終わった後、久しぶりに、ピーター・ラビットの絵本をひらきました。
小学生の息子と、大切に大切に読んだ思い出が、今でも、輝きを失うことなく、
そこに残っていました。
近い将来、今度は、娘と読む日が訪れるはず。待ち遠しい。
そして、もっと遠い将来、必ずや湖水地方を旅行しようと、心に決めたのでした。
もちろん、アマゾン海賊たちも探さなくてはなりませんね。
いくら、もうすぐ家に閉じこもりきりになるとはいえ、最近、ちょっと出歩きすぎ?連続の映画鑑賞・・・。少し反省です。
でも、本当は、今日の映画だけが、前々から決まってたのよ・・・ 。黙って駅まで送ってくれる旦那様に、心の中で言い訳の朝なのでした

さてさて、映画です

古井みずえ監督による、このドキュメンタリー映画は、イスラエルとパレスチナの紛争問題を、ガータというパレスチナ人の女性の視点から描いたもの。
その現場にいて、戦争の悲劇や恐怖を目の当たりにしたら、ついつい、そちらに視点が移ってしまいそうですが、監督が描くのは、最後まで反れることなく、そこに生きる女性の日常、考え、想い。
ガータが、「派手な結婚式なんてしたくない!」と言い出したり、「親戚や姑の台所チェックが本当に嫌なのよね!」と愚痴ったりするのが、本当に、おかしくて・・・。おまけに、料理が苦手で旦那様にやらせたり・・・。うふふ。日本で暮らす女性と、なんら変わりがないのですね。
正直、イスラム圏の考え方は、ちょっと理解し難いと思っていました。
女性への特別な慣習もあるし、女性にとっては、まさに地獄のようなところなのかと思っていたのです。ですから、ガータのような自由な考え方を持つ女性もいるのだと知ることは、私にとっては、かなりの驚きでした。
それに、その忌まわしい慣習に縛られている女性たちでさえ、その中で、明るく歌をうたい、踊り、彼女たちなりに旦那さまを愛し、支えているのだという事実。(もちろん、苦しんでいる女性もいるのだろうけれど)
当たり前のことなのですが、彼女たちは、私たちと同じ「人間」なのです。
パレスチナ問題。どうしたら、良い方向に向かうのでしょうね?
しわくちゃのおばあさんが言うのです。ユダヤ人がやってくるまで、私たちは、本当に平和に暮らしていたのですと。その悲しげな顔が、ずっと頭の片隅に残っています。
この平和な国・日本に暮らす私たちに、いったい何ができるのだろう?
自主上映会の会場を出たら、すっかり日が暮れていて・・・
キラキラと光る繁華街のネオンが、なんだか、不思議な光に見えました。今、このときも、瓦礫の中で暮らしている人たちがいるのです。銃声の中で、遊ぶ子どもたちがいるのです。
さて、今回の映画会。チケットを予約したりする関係で、何度か、メールでやり取りしていた「町田でガータに出会う会」の代表の女性に会うのが、楽しみの一つでした。本当に感じの良い対応だったのです。
その彼女は、ハツラツとした若い女性。監督との舞台トークの進行もされていましたが、本当に、生き生きとした女性で・・・その姿が、映画の中のガータと重なってしまいました。
同じ女として、こういうパワフルで、素敵な女性に会えるというのは、とても嬉しいですね。
もしかしたら、世界を変えることができるのは、女性なのかもしれないぞ!
追伸:この素敵な映画を紹介してくれた友人にも、感謝です。
『名犬ラッシー』
とにかく、素晴らしい映画でした!
最初から最後まで、ずっと映画に惹き込まれっぱなしでした。本当に、良かった他に、言葉が見つかりません。
それにしても、ヨーロッパ映画独特の、あの映像の美しさは、何なのだろう?
物悲しいというか、はかなげというか、なんというか・・・あの美しい映像を見ただけで、心が震えてしまいます。主人公の男の子も準主役の女の子も、ちっとも、美少年でも美少女でないところがいい。素朴で可愛らしくて・・・
きっと、ヨーロッパ映画が私の感性と合う、というだけのことなんだろうけれど。
息子の感想は、
「やっぱり、冒険の話はいいなあ~。冒険って、おもしろいなあ~。」でした。
うん。ラッシーの冒険は、それはそれは、魅力的でしたからね。イギリスの風景も、また美しい!
ラッシーの冒険。もちろん、悲しいこともたくさんあったけれど、素晴らしい出会いも、たくさんありました。
人間の愚かさや残酷さに腹が立ったり、絶望感を味わったり・・・観ていると、もう、どうしようもないジレンマを感じます。けれど、逆に人間の優しさや温かさに、心が救われるのです。
そういうニ面性が、押し付けがましくなく、自然に描かれていたことが、私にとって、この映画の最も素晴らしい所でした。そして、最後の最後、愚かな人間代表だったような公爵が、変わっていくという救い・・・。
何が、人々の心を動かすのか?ラッシーが、名犬だからじゃないのです。ラッシーの、大好きな主人に会いたい、そのひたむきな心が、自然に、周りの人々の心を動かすのです。
ラッシーと道中を共にする旅芸人が、別れ際に、ラッシーに言います。
「オマエは、人間の言葉がわかるのに、人間には、犬の言葉がわからない。でも、人間の方が賢いことになってるんだよな。」
本当にね。自分の方が賢いと思ったところから、人間の過ちは、始まっているのかもしれません。シンミリと感じ入りました。
息子は、貧しいという理由だけで、大好きなラッシーを奪われる少年の理不尽な怒りを、きっときっと、身体全体で感じたのではないかと思います。そして、それを貰い受ける、お金持ちの少女ですら、幸せではないということに、どんな葛藤を感じただろう。
帰り道、もう真っ暗な道のりを、二人それぞれ、想いに耽りながら帰ってきました。ハンカチは、一枚では足りない一本でした。お気に入りの映画館は、相変わらすの観客数で助かりましたが
今年の初映画は、『シャーロットのおくりもの』。
今回は、珍しく、原作よりも先に映画を観ることになった訳ですが・・・恥ずかしながら、シャーロットが蜘蛛だということを知りませんでした。映画を観終わってから、よくよく、英語の題名を見てみれば「web」。
日本語の題名と映画の宣伝から、少女と子豚の(どちらかがシャーロットかと思っていた)友情物語だと思っていましたが、いえいえ、素敵なファンタジーでした。
映画に関していえば、大人には、ちょっと物足りない部分もあったかもしれません。
ストーリーの運びとか、もっと、丁寧に描いて欲しいところがあったような・・・そんな物足りなさが、あったように思うから。でも、これはこれで、楽しめたかなとも思います。なんと言っても、動物たち、女の子が、とても可愛かった
もちろん、息子は大興奮
隣で、声をあげて笑うは、泣き出すは(シャーロットの起こす奇跡には、感動の涙がこぼれます)・・・で、大変なことでした。朝一番で、観客が少なくて、本当に良かった
そして、お約束・・・。映画が終わった後は、お気に入りのキャラクターの台詞を繰り返しては、一人、笑っておりました。まったく、よくもまあ、台詞を暗記してくるものです。翌日になっても、ちゃんと暗記してるんですからねえ。びっくりです。
「勉強にも、この才能を使ってくれたら、スゴイ秀才くんになると思うんだけどなあ~」と、毎度、心の中で、いらんツッコミを入れる母なのでした。
息子のお気に入りは、もちろん、自分勝手な「ねずみくん」。こういう、一風変わったキャラクターが、好きなんですよね。母は、やっぱり蜘蛛のシャーロット。
『いちばん美しいクモの巣 (アーシュラ・K. ル=グウィン著 長田 弘訳)』を読んでから、密かに、蜘蛛の巣ファンになっている母。またもや、蜘蛛の巣の芸術に、魅了されそうです。
映画の中で、お医者さまが「蜘蛛は誰にも教わらずに、あれほどの美しい巣をかけることができる。それこそが奇跡です」というような台詞を言うのですが、本当に、そうだなあと・・・この世は、奇跡であふれているなあ・・・と、一人、感動してしまいました。
『シャーロットのおくりもの』。是非とも、原作を読んでみようと思った映画でした。
観たいなあ~と思っていた映画でしたが、残念ながら、近くの映画館にまで来てくれませんでした。そんな話を職場でしたら、利用者さんが「今度、市民センターの映画会でやるよ!」と教えてくれたのです。なんて、ラッキー!
即日、その利用者さんと、そして、やはり行きたいという同僚と一緒に、行くことに決定。もちろん、息子も一緒に
これは、島田洋七の小説『佐賀のがばいばあちゃん』を映画化したもの。
この、がばい(すごい!)ばあちゃんは、洋七さんのおばあちゃまなんですって。
(公式ホームページ→コチラ)
昭和三十三年。母と兄と暮らす広島から、佐賀の田舎に預けられた八歳の明広。
そこで待っていたのは、祖母との貧乏生活でした。
しかし、家にはいつも笑いが溢れているのです。だって、ばあちゃん曰く「貧乏には、明るい貧乏と暗い貧乏がある。うちは、明るい貧乏だ。よかったなあ。」ですから!
なんと言っても、祖母の人生哲学が素晴らしい!?楽しい!?
そして、明広を温かく見守る学校の先生や近所の大人たちが、また良いのです。
最初の場面では、お母さんが恋しくて泣いてばかりいた明広が、勉強は出来ないけれど、前向きで、かけっこと野球が得意な少年に成長していく様は、観ているだけで、勇気をもらえるようでした。
そして、訪れる旅立ち・・・。
つくづく、子育てって、親だけでするんじゃない!と思う。
社会全体で、育てていくものなんですよね。
子どもを取り巻くすべての大人たち、そして、豊かな国に生まれた子どもたちに、是非、見てほしい一本でした。泣いて、笑って・・・忙しい映画ですけれど。
息子は、お母さんが、佐賀行きの汽車に、明広を突き飛ばして乗せるシーン(お母さんは、最後まで、祖母に預けるということを言い出せないのです)で、思わず、泣き出してしまいましたが、その後は、奇想天外なばあちゃんに、笑いっぱなしでした
日本にも、こんな時代があったんだね。信じられないよね。
息子には、よほど、カルチャーショックだったんでしょう。
今朝も、ご飯を食べながら、ばあちゃんの台詞「一生懸命は、いかん!腹が減るからな!」を独り言。思い出し笑いしていました。
さてさて、映画とは、関係ないのですが・・・
今回の市民センターでの映画会は、私にとって、始めての体験でした。
正直言って、映画が始まっても大声でおしゃべりを続ける(これが、会場全体だから驚きです!)、まだ、キャストのテロップが流れている途中なのに、「早く電気つけてよ~」と言い出す、などなど・・・おばちゃんたちのマナーの悪さには、呆れるしか出来ませんでした。(そういう、私も、おばちゃんなんだけれど)
送り迎えをしてくれた旦那に、早速、愚痴を言ったら・・・。「田舎だからなあ。」と。
田舎だからって、公共マナーってものがあるでしょう!と思うんだけれど、そういう価値観の人は、やっぱり映画館に行くべきなんだな。きっと
今回、映画館は、映画館なりの利点があるのだなあと実感しました
もう、決して「チケットの割引してほしい」とか言いません。映画館さん。
日曜日、映画『カポーティ』を観てきました。
もちろん、派手な演出もないし、盛り上がりもない。不気味な程、静かに物語が進んでいきます。そして、トルーマン・カポーティが、一家4人惨殺事件を小説に書くという作業を通して、次第に崩れていく様が、淡々と・・・本当に淡々と、描かれていきます。
正直に言って、
面白かった?と、きかれたら・・・・・?Yesとは、言えない。
でも、つまらなかった?と、きかれたら・・・ きっぱり、NO!と答えたい。
そんな、映画でした。
とにかく、痛烈に感じたのは、
映画を観に行くという目的のために、読了したといっ て言い『冷血』だけれど、映画は、『冷血』の描きたかった深 い所までは、描けなかったんだな・・・と、いうこと。
ある意味、『冷血』の深さ、凄さに、気づかせてくれた映画 だったかもしれません。
まあ、この映画は、『冷血』を映画化したものではないので、それは、求めてはいけないのかもしれないけれど・・・。
小説『冷血』の中には、カーポティの影は、ほんの少しも見つけられません。
それなのに、彼が、深く、深く、この作品に入り込んでいたことが読み取れる。映画を観て、物足りなさを感じ・・・なおさら、そのことに気がつきました。
事件の取材過程は、もっと丁寧に描くべきだったのではないか?それに、犯人の一人に、必要以上に自分を投影していくカポーティを、もっともっと、丁寧に描いて欲しかった・・・そんな感想を持ちました。でなければ、あんな作品は、書けないはずだもの!
あらおかしい。映画を観て、ただ、読んだはずの『冷血』が愛おしくなった。不思議。
映画は、決して、つまらなくはなかったのです。
特に、カポーティの揺れ動く心理を、その表情や仕草だけで魅せてしまう俳優・ホフマンには、もう、脱帽です(彼は、この作品で、ゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞したとか)。どんどん、崩れていく様とか。もう、すごかった。
彼の演技を見ているだけで、カポーティって、ものすごく寂しくて、孤独で、悲しい人だったんだなあ・・・ということが、ヒシヒシと伝わってきました。
愛も名声もお金も手に入れ、取り巻きにチヤホヤされながらも、結局は、子どもの頃に受けた悲しみと孤独の穴を、埋めることはできなかった。そして、それに気づかせてしまった、殺人犯。
カポーティにとっては、会わなければ良かった、運命の人だったのかもしれない。
その彼が、自分の目の前で死んでいく(絞首刑で)。彼が、この作品後、何も書けなくなってしまった理由が、言葉ではない何かで、伝わって来た気がしました。
他のカポーティ作品を読んでみたいと、思わせてくれた映画でした。
★トルーマン・カポーティに興味のある人、『冷血』を読んだことがある人・これから読んでみようと思っている人に、おすすめの映画かな。(読まないで観たら、どう感じただろう?という興味があります。読んじゃったから、その感想を得ることは、もう出来ないけれど)
また、ホフマンのファンの方は、必見!
そんな訳で、観てきました!『フラガール』!!
ただ今、帰ってきたばかりで、もう、何を書きとめておいたら良いのか判らない位に、興奮しています。その位、素晴らしかった

最初に、その題名を目にしたのは、『かもめ食堂』をやっていた小さな映画館。題名を見て、今ブームの「フラダンス」を題材に、女の友情とか、生きがいとか、そんなものを描いた映画なのかな?と、勝手に想像していました。
でも、実際は、全然違うらしい・・・・それを知ったのは、つい最近。
「良かったよ!絶対に観てくるべきだよ!」
映画好きの同僚に強く勧められ、2時間も映画館で座ってられるかしら?という不安も多少ありましたが、行くことにしました。
舞台は、福島県いわき市。時代は、昭和40年代。
日本を支えてきた炭鉱が、少しずつ消えていく中、今までの価値観を背負って生きている人々と、どうにかして生き残りたい、自分たちにも、もっと違う世界が開けているのではないか?と夢見る人々が、互いにぶつかり合いながら、それでも、同じように、山を愛し、明日に向かって生きていく。そんな、人間臭い映画。
・・・さびれた炭鉱の町に、常磐ハワイアンセンターができるまでの実話を元にした物語だそうです。そのせいですね。とにかく、リアルに迫ってくる映画でした。
何より、女のたくましさが、生き生きと描かれていて、それは、感動という言葉の他には、何も思い浮かびません。
家族に反対されながらも、新しい時代を夢見てフラを踊る主人公の少女。彼女を家から追い出してしまう、古い価値観から抜け出せない母親。
反目する母娘。でも、どちらも背筋をピンと伸ばし、力強く生きている。
女って、すごい。
どちらが良いとか、そういうのではなく・・・・・とにかく、女ってスゴイよ!
涙腺がイカレテいる私は、最初から泣き通しで、途中から、ハンカチタオルは、もう涙を吸ってくれなくなり・・・溢れる嗚咽を殺しきれなくなり、仕方なく、口を手で覆いながら観ておりました。(一緒に行った友人は、恥ずかしかったかもしれません。ごめんね。でも、お客さんも少なかったから・・・・大丈夫?)
これは、『シザーハンズ』『ニューシネマパラダイス』以来だなぁと思う位に、泣いてきました。泣くという行為は、身体にとって、とても良いことらしいから、きっと、浄化されたに違いないと思います。
それに、あの最高のハッピーエンドを観たおかげで、もう、40歳が見えてきた今の私でも、まだまだ、何か出きるんじゃないか?そんな気持ちになることが出来ました。今の私・・・エベレストに挑戦できるような、そのくらいの勢いです

勇気づけられるって、こういうことなんだな。きっと。
もう一回観たい!そう思わせてくれる映画でした。
追伸:
物語だけでなく、女優さんたちの踊り、ジェイク・シマブクロの音楽も最高でした。
『ノラや』のコメントで頂いた、映画会の情報。
頂いたアドレスでは、何故か、すぐにとべなかったので、こちらでご紹介したいと思います。早速、検索してきました。
「音声ガイド付きの映画」というのを知ったのは、ごく最近。「目が見えなくても映画が観たい」という想いを、私は、それまで、想像したこともなかったのです。音で感じる映画。(目が見える私たちにとっては、いつもと同じ映画ですが)
会場は、どんな雰囲気なんだろう?どんな方が、ボランティアを続けておられるんだろう?こんな映画上映が、当たり前となる日が来るのだろうか?そんな想いを込めて・・・観てみたいなあ。
仕事は、偶然にも休み。・・・でも、息子が午前授業だ。しかも、遠い。ううむ~息子と要相談です。
詳細は・・・(以下、転記)
●7月14日● 上映作品:「まあだだよ」1993年 黒澤明監督作品 場所:調布市文化会館たづくり2階 くすのきホール 時間:15時の回/19時の回 開場時間:各回1時間前 鑑賞料:無料 主催:City Lights 内田百先生をモデルにした作品で、あの黒澤監督の遺作のようです。 『ノラや』以来、内田百先生に興味がある私には、まさに、ピッタリ! しかも、その顛末の一端が、映画の中に描かれているそうです!内田百を語るとき、ノラちゃんは、きっとかかせないのですね~。 作品の詳細は「アマゾン」さんにありました。コメントでは、賛否両論!ますます、惹かれます。 それにしても、内田百は、もと教師(しかも、偏屈おやじなのに生徒に人気があった!?)なんですね。へえ~。ますます、他の小説も読んでみたくなりました。 追伸: 色が緑でわかりずらいのですが、キーワードにリンクを貼ってあります。 |
『かもめ食堂』
人間って、強がってても、悪態ついても、結局のところ「誰かと一緒にいたい」。そういう、生き物なんだなぁと思う。
小さな、古ぼけた映画館で、一人、そんなことをボンヤリと考えていた。
「かもめ食堂」の女主人は、たった一人、フィンランドで、流行らない食堂をやっている。お客の来ない店内で、ただ、グラスを磨く毎日。
そこに、一人、また一人と人が集まってくる。それぞれの人が、それぞれの人生、それぞれの事情を抱えてやってくる。何が起こる訳でもない。人々は集い、微笑みあい、おしゃべりをし、そして食べる。ただそれだけ。
シミジミ、幸せって、こういうものなんだなあと思う。そうやって、人は、幸せになるんだなあと思う。フィンランドに行ってみたくなった。森の静けさの中に、身を置きたくなった。どこか遠くに旅してみたくなった。私でも、何か新しいことが出来そうな気がしてきた。友だちとおしゃべりしたくなった。そして、お腹がすいた!
・・・・・そんな映画。
派手な映画も良いけれど、こういう映画は、もっと良い。
残念ながら、こういう映画は、近くの映画館まで来てくれないし、小林聡美は、いつも同じような演技してるし。でも、良いんだなあ~
変な感想(笑)!でも、そんな不思議な映画でした。
(やはり観たいと言っていた)『ドラえもん』は、私の妹が、連れていってくれると立候補してくれたので、こちらに、私が付き合うことになったのです。
いつも、母に付き合ってくれる息子なので、たまには、ね。
正直言って、おもしろかった。ものすごく。
ストーリーもしっかりしていて、何より、懲悪の対象がいなかったので、安心して観ていられたのが良かった。
息子と同じで、私も、完全なる悪の存在には弱いのです。
しかし、なにより驚いたのは、スピードの速さ。
台詞まわしも場面の展開も、目が回るほどの速さなのです。
私が子どもの頃に見たアニメは、もう少し、ゆっくりしていた気がするなあ。
宇宙戦艦ヤマトの時代の話ですが・・・
読書離れが騒がれていますが、このスピードに慣れてしまったら、本なんて、まどろっこしくて読んでられないよなぁ・・・と思ってしまった私です。
こんなアニメばかりを一日中観ていたら、どうなっちゃうんだろう。頭。
そんな余計な心配を、なんの根拠もなく、悶々と考えながら帰ってきた母でした。
それでも、ワンピースはおもしろかった。
たまに観る分には、ジェットコースターに乗るみたいでね。
サンジくん、かっこよかったしね(笑)
久しぶりに、予定のない休日。
前から観たいと思っていた映画の最終日と重なった。これは、絶対に観なくては!そのような訳で、今日は、映画の日記。
観てきたのは、『歓びを歌にのせて』(公式HPhttp://www.elephant-picture.jp/yorokobi/)。
舞台は、スウェーデンの小さな村。
そこに、重大な病(心臓病)を患った、世界でも有名な指揮者がやってくる。
ここは、彼の生まれ故郷。小さい頃イジメにあって、逃げるようにして離れた場所。
死に場所を求めるように帰ってきた彼を待っていたのは、村の小さな聖歌隊だった。指揮者は、聖歌隊を指導することになり・・・
聖歌隊のメンバー、そして指揮者自身が、音楽の本当の素晴らしさに気づき、音楽によって、それぞれの心を解放させていくというお話だ。
イジメなどのトラウマを抱えた指揮者だけでなく、一見、静かで幸せそうな小さな村の聖歌隊のメンバーたちも、実は、それぞれの心に大きな闇を持っていて、それが歌によって解き放たれるというのがテーマ。
DVやイジメ、権力などの暴力、それを見ないフリをして、幸せを保ってきた村人たちが、自分たちを変えていく姿が素晴らしく、その力強さには、もう両手をあげて感動するしかない。けれど、そのおかげで、暴力や権力にあぐらをかいてきた者たちは、崩れていくしかなくて・・・
指揮者自身が幼い自分を救うというラストは、もう、圧巻でした。
本当は、始めて愛した女性と永遠に別れるという悲しい最後だったのに、「よかったね。」と涙せずにはいられない不思議なラスト・・・
アメリカ映画のように、美男美女は一人として現れず(唯一のヒロインさえ、少々太り気味)、ハラハラさせるような起承転結もないのに、何故か、観る者の心を大きく揺さぶるのが、さすが!という感じ。
美しい歌声とキャストのテロップが流れる中、感動の余韻に静かに浸っていた私でしたが、一人の男性が拍手して立ち上がり、びっくり。そんな感動表現の仕方もあるのね・・・
派手で楽しい映画も好きだけれど、繊細で、魂を揺さぶるようなヨーロッパ映画は、やっぱり好きだなあ。
明日は、この映画を紹介してくれた友人に、ありがとうを言わなくては!