ある朝、娘が言った。
「ねえ、こひつじノート、忘れて行きたいんだけど。」
こひつじノートとは、幼稚園の出席シールを貼るためのノート。
健康の記録や、月に一度、先生が、幼稚園での様子も書かれます。
娘ったら、これを「忘れて行きたい」と言うのです。
「忘れていったら、シール貼れないよ。」と言ったら、
「大丈夫。忘れた分は、後で貼れるから。」と、返します。
「みんなが貼ってるのに、自分だけ貼れなかったら、きっと、悲しいよ。」と言えば、
「ううん。全然、嬉しい。」だって!
「カバンから出したり、入れたりしていると、そのうち、失くしちゃうよ。」と言えば、
「大丈夫。お母さんの本棚に入れておくから。」
そうして、勝手に、ノートを本棚に入れました。背伸びして。
あー。そうですか。もう、忘れるって、決めてるんだ。それなら、一度、忘れて行きたまえ。
自分だけ無かったら、恥ずかしいって思うでしょう。
ところが、帰ってきて、明日の支度をしようと言ってノートを渡したら、娘さん、
「明日も、忘れたい」と。トホホ。母、甘かった。
「えー。だって、今日、忘れて、困ったでしょう。」
「全然。困らない。」
「今日の分のシール、貼れなくなっちゃうよ。」
「あとで貼るから平気。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
このまま忘れ続けるにしても、一応、忘れる理由を説明しておいた方がいいかなと思い、
娘が昼寝している隙に、幼稚園の先生に電話してみたら、どうやら、その前日に、
ノートをめぐる、ちょっとした「やり取り」があった模様。
朝の支度の時間に遊んでいた娘に、先生が、「先に、シールを貼ろう。」と声をかけたところ
娘ったら、なんと!「今日は、忘れた。」と、答えたのだそう。
(嘘ですよ。これぞ、本当の嘘です。トホホ)
その様子が、ちょっと変だった為、これは、本当は忘れていないな・・・と感づいた先生、
「そうかな。探してごらんよ。入っているかもしれないよ。」と言って、カバンを探させたのだそうです。
もちろん、ノートは入っていて、その日は、いつも通り、シールを貼ったのですが・・・・
翌日、「忘れて行きたい。」になってしまったという訳でした。
朝の支度がしたくないのか?
「入っているかも・・・」と嘘を見抜いた先生に、本当に忘れた所を見せたかったのか?
先生と、そのやり取りを再現して、構ってもらいたいのか?
運が良いのか、悪いのか。調度、月末となった朝、
「今日は、きっと、ノートが幼稚園にお泊りして、先生が、お手紙書く日だと思うなー」
と言ったら、娘さん、すんなり、
「じゃあ、今日は、持っていく。」と言いました。
明日から、7月。さあ、ノートが帰ってくるぞ。
あさってから、どうするかな?
ああ。どうして、君は、そうやって、大人を困らせることばかりするのかなー。
母、磨かれます。
そして、ドキドキの7月。明日からだよ!
朝、犬とお散歩に出かけたら、近所の田んぼが、キラキラと輝いていて・・・
思わず、見とれてしまいました。周りの緑が映る田んぼ。美しいなあ。
この頃の田んぼを「早苗田」というのですよね。
この、美しい風景は、早苗の時期のお楽しみ。ほんのつかの間のお楽しみ。
もう少しすると、今度は、力強い稲の青さを楽しむことが出来るでしょう。
村上春樹さんのスピーチを読みました。
賛否両論あるようですが、私は、「3・11以降、私の思ってきた、そのままを言葉に
してもらったなあ・・・」と思いました。
日本人が、はかない自然の営みに、美しさを見出してきたこと。誇りに思います。
そういう文化に育ったことを誇りに思います。そして・・・
私たちは、被害者であり、加害者であるということも、ずっと、同じように思っていました。
原発は、自分で選んだ訳じゃないけれど、知ることも、考えることも放棄していたのだから
「NO!」と言える国に住んでいて、声に出さなかったのだから、やっぱり、同じように
責任があるのだと思うのです。
スピーチの全文は、毎日新聞のページで→ ★
なんと、スピーチの画像も→ ★
こうやって、いち早くニュースを見ることが出来、編集されていない、そのままの画像を
見れる世の中になったことが、悪いことだとは思えない。
だからこそ、考えないといけないのだなと思う。
だから、どうすればいいのか。やっぱり、考えないといけないのだと思う。
もう、誰かを非難して、誰かのせいにするのは、やめなければ。
「聖夜」からは、あっという間だった5月の読書。
ようやく、ようやく、読みたいスイッチが入ったようで、自分が止められない。
どうして、あんなに読めなかったのかわからない位、今、本が面白くて止まらない。
気になっていた本、あれこれ。梅雨の読書に突入です。
5月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:1180ページ
小さいおうち
軽快に語られる物語。薄っぺらいという意味でなく、軽く、読みやすかった。最後の方は、説明?が長くて、少々、ウンザリするところもあったけれど、それはそうとして、楽しい話だった。戦争を前にした時代が、ウキウキと弾むように描かれ、キラキラと輝いていていることに驚く。なんだか、幸せな気持ちになる。
読了日:05月29日 著者:中島 京子
わたしを離さないで
NHKの特集で、作者本人が作品について語っているのを見て(素敵だったので)興奮気味に読み始めた。驚きの設定は、描きたいことを描くためのもの。描きたいこととは「記憶」。イシグロは「記憶」の作家であるとナレーターは言った。おかげで、ストーリーそっちのけで、描かれているはずの「記憶」を探す読書に。彼が、何を描きたかったのかを、ひたすら考える読書。統制のとれたストーリー運びも、何故だろう?とかんぐって、結局、最後まで、わからず仕舞い。物語に夢中になることもできなかった。反省。テレビは読んだ後にすべきだった。
読了日:05月27日 著者:カズオ イシグロ
聖夜 ― School and Music
中学生の息子への誕生日プレゼントを選ぶ為に、図書館から借りてきた。初・佐藤多佳子。息子が理解できるか?気に入るかは???だけれど、私は、最高に好きだ。読みかけの本を置き去りにして、久しぶりに、一冊を一日で読みきった。どんなに面白くても、一日で読みきれる情熱的な読書って、そうあるものじゃない。なんだか、嬉しい。祖母の告白の場面からは、熱い涙を流しながら読んだ。あー。なんか、すっきりした(笑)
読了日:05月25日 著者:佐藤 多佳子
トットちゃんとカマタ先生の ずっとやくそく
「君は大きくなったら何になりたいの」と聞かれ「生きていたい」と答えたという少女。ユニセフ親善大使の徹子さんのお話も、カマタ先生のお話も、涙なしには、とても読むことが出来なかった。日本が、どんなに幸せで、どんなに不幸せなのかについて考えた。ぐるぐるぐるぐる考えた。「みんな一緒」そう言った校長先生の言葉通り、その時のまま、今も行動しているトットちゃん。ずっとやくそく。約束できる素敵な大人と出会えることが、子どもにとって、どんなに大切なのかと思う。今の子どもは・・・と言う前に、私自身が、素敵な大人でいなくては。
読了日:05月13日 著者:鎌田 實,黒柳 徹子
読書メーター
想像遊びが、大好きな娘。
お布団の中で、今日あったことをお話するのが、母娘の楽しみなのだけれど、そこでの会話まで
本当にあったことと想像したことが、ごっちゃになってしまいます。
幼稚園での出来事をペラペラと語るのだけれど、半分以上、想像のことがあるのです。
「へ~!」と、感心しながら聞いて、翌日、先生に「昨日は、大変でしたねー」と、ねぎらいの言葉を
かけたら、「何のことですか!?」と、びっくりされるということが何度か続き、話の一部、もしくは、
半分以上が想像のことだと気づきました。
はじめは、そんな娘を理解できず、何を聞いても疑ってしまい、「なんなの!この嘘つき娘は!!」
と、思ったりした母。
でも、のびやかに「一人ごっこ遊び」をしている娘を見ていたら、語られる、驚きと興奮の避難訓練も、
てんてこまいのお弁当の時間も、素晴らしく良くできた体操の時間も、「嘘」なんて言葉で片付ける
べきじゃないんだ・・・と思うようになりました。
最近では、この話は本当なのかな?想像なのかな?と、考えることもやめました。
まあ、どっちだっていいじゃん。幼稚園での出来事は、どっちにしろ、娘のものなんだから ね。
そんな娘さん、今日も、熱心に、お話を作っていました。
まずは、お兄ちゃんが、修学旅行のお土産に買ってきてくれた、ご当地キティちゃんのメモ帳の物語。
全部、同じ模様のメモ帳なのに、どうやら、娘には、めくるごとに絵が変わって見えるようです。
メモ帳を、本のようにペラペラめくって、お話が進みます。
キティちゃん、おさんぽ。てくてく おさんぽ。
どこに行こうかな。
ほら、公園にきましたよ。
てな具合。てくてくおさんぽ、というところが、どこかで聞いたことがあるリズムだよなー。おかしい。
途中で、母が聞いていることに気づき、小声になってしまったので、公園の先からは、聞き取れず。
残念!と思ったら、お次は、絵本を出してきました。
びっくり。この絵本、おばけが出てくるので、「こわいから、や!」と言って、一度しか読んだことがないのです。
そうかー。自分が作ったお話なら、いいんだ。
がたん ごとん がたん ごとん
でんしゃがいくよ。
おばけやさんのおばあさんが言いました。
「おばけがでますよ。こわいですよ。」
がたん ごとん がたん ごとん。
でんしゃがいくよ。ほら、こんなおばけ。
まるいのもいます。こわいですよ。
ほら、このおばあさんがおばけやさんです。
こんな感じで、最後のページまで、読みきっていました。
おはなしのリズムは、どうも、こちらの絵本のようで
まあ、こちらの方は、よく読んでいるからね。そしてそして、「おばけやさんのおばあさん」!!
くすくす。これは、明らかに、あの本の影響を受けてるなー。
幼稚園の一つ上のお姉さんが、このシリーズが、とても大好きなのだと聞いて、借りてきたのです。
(一巻は、お姉さんが借りていきました。二回目だって!)
なんと、うそつきやのおばあさんが出てくる物語。
うそつきやのおばあさんのポケットからは、ご注文の品の嘘が出てきます。
ちなみに、母は、「うそつきやさんなんて、娘にぴったり!」と思ったのですが、当の本人は、
嘘をついているつもりがないので、嘘って何なのか、良くわからないようなのでした。
そうだね。嘘って、なんなんだろうね。娘といると、嘘って何なのか、よくわからなくなります。
今、毎晩読んでいるこの本。
「わかんないなー」ってな顔で聞いているので、つまらないのか・・・と思っていたのだけれど
実は、そうでもないのかも
娘への読み聞かせ。
息子は、周りもグイグイ物語の中に引き込むようにして聞く子で、おかげで、母も、随分、
面白い思いをさせてもらったのですが、娘は、息子とは、全く違うように展開していくのが、
これまた、本当に愉快。
子どもによって、物語の受け取り方って、こんなに違うのだなー。