前にトラウマで夢の事を書いて以来あの夢にうなされる事がなくなった だがまた新しい夢が私を襲うようになった 。
最初はいつものベットの上に姑が胡坐をかいて私を睨み付け「じいさんを見て来い」と低い声で怒鳴るのだ
「嫌です。もう嫌なんです」と泣き叫んで汗びっしょりで目が覚めた
その夜は何度寝ても姑と舅が出てきて「遊びに来たぞ」とか「今日は何食べる」とか形を変えて夢に出てきたその度に何度も何度も目が覚めた
私はその夢の事を夫には言わずに自分の中に収めていた
年末も最後の頃やっぱり見た
もう苦しくてたまらなくて夫に言った
「何度も何度も夢に出てくる。私を呼んでいるのだろうか」言葉にすると涙がでた
夫は黙って聞いていた
すっと立ち上がるとタバコを吸いに奥の部屋に行ってしまった
しばらく泣いていると少し落ち着いてきた
夫が戻ってきて「気持ちの奥に心配な気持ちがあるんじゃないの」と言われた
「そうかもしれない。もう話したから大丈夫かも」と思っていた
でも夕べも夢に出てきた親戚中が私を囲み「これでいいのか?」と聞いてくる
目が覚めてまた眠ってもまた出てきて「もう十分だろ。帰ってやれ」と皆に責められた
最後は自分の「もうやめて」の声に目が覚めた
苦しい。
共依存症の血が騒いでいるのだろうか
共依存症の人は生活が落ち着くと物足りなくなってあの頃を懐かしく苦しかったけれど誰かのために奔走していた頃を恋しくなるという
私もそうなのだろうか
いくら考えてもあの頃に戻りたいとは思えない
それなのにあの家の前に立っている自分を想像してしまう
私は前に進んでいないのだろうか
また迷路の入り口に向かっているのだろうか
不安だ
私は普通の感覚になれた気がしていただけなのかもしれない
本当は何も変わってなどいなかったんじゃないか
私は自分を自分の作った世界に置く癖がある
空想の世界だ
子供の頃も辛い家庭環境を自分の中で作り変えて人には
「優しいおばあちゃんに。優しくて忙しいお母さん。そして腕が自慢の職人の父」と言って友達に自慢していた
私もなんて幸せなんだと空想の自分と現実の自分と区別がつかなくなることがあった
そしてある時現実を見せ付けられて愕然とするのだ
本当はもう抜け出したつもりでいたのに自分では少しも抜け出してはいなかったんじゃないか今もがっちりと舅達に意識を奪われているのかもしれない
私は今何処にいるのだろう
迷ってしまったのかどうかも分からなくなってしまった
どう生きようか?迷ってらっしゃるちっこさんが。
ちまりも迷っています。
どう生きようか?どういう風に生きたいのか?
迷いながら揺れながら「生き方模索中」の
今日一日を生きています。
ちっこさんの重荷はちっこさんだけのもの
誰にもわからない
ちまりの重荷もちまりだけのもの
ちまりにしかわからない
それでも…
ちっこさんの話を聞いて、
ちっこさんに話を聞いてもらって、
ちっこさんの心に、ちまりの心に
寄り添い支えあえる間柄でいたいと願う。
何はともあれ
♪* ""♪
♪
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
♪☆今日がいい日でありますように☆♪
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
§^。^§【一期一会】☆感謝☆(^^)v
そうですね。
ありがとう。ちまりさん
迷っても一人じゃないんですよね
ちまりさんの絵文字
ちまりさんが本当に笑ってくれているようです
大丈夫だよって
意識してなくても心の奥で何かがざわつく。
昨夜私も同じ迷路に迷い込んだ気がします。
今までのものを急に変えることはできない。
でも迷い込んだと認識できているなら、
冷静に自分を見れているのだと思う。
応援メールじゃなくてごめんなさい。
でも、その迷路には私も一緒に迷い込んでます。
二人がゴールできることを・・・。
時間がかかってもゴールに辿り着ければいい。
今までのものを急には変えられない
共依存症は環境を突然変えたりしない
自分も長い間舅達に囚われていた感情を
変えられないでいるのかもしれません
でも迷い込んだと認識できているなら、
冷静に自分を見れているのだと思う。
といって貰えて嬉しかったです
戻っては進み、進んでは戻りの繰り返しなのかもしれませんね
また今日からですね