姑が脳梗塞で倒れて右半身不随の後遺症が残ってしまいました
それまで、あまり付き合わないようにしていましたがそうもいかなくなってしまいました
姑はリハビリによって右手は完全に動かない状態、かろうじて杖をついて歩くことはできたので、トイレなど自分の事はできました
まだ若かったし、ショックも大きかったようですが、5年待っての孫が産まれたのでそれが支えとなったようした。そして私も2週間に1回は通う様になりました
舅も会社に通いながら買い物などをして姑も左手で魚を煮たり焼いたりしながら生活をしていました
そんな生活が壊れ始めたのは舅が定年してからでした
お盆や年末に泊まりに行くと舅は酷く酔って姑に暴言を吐いたり、しつこく人に絡んだりするようになりました
ある時親戚の法事に泊まりで出かけたとき、まだ小さかった息子が夜泣きをしました。すると酔った舅が部屋に入ってきて、私と息子の寝ている布団の中に入って来たのです
私は寝ながら母乳を与えている所でした
びっくりしてその場から逃げ出しました
夫は隣で寝ていました
次の日その事を姑、夫に話すと「仕方ない人だ。酔ってたんだからしょうがないでしょ」と言ったのでした
私は「この家は、いい家だね。酔えば何してもいいんだ」と思わず言ってしまいました。夫は何も言いませんでした。舅が酔って事件を起こしてばかりいたので、そんな事は別になんでもないことだと思っていたのかもしれません
その時はまだ舅がアルコール依存症だとは思いもしませんでした
ただ、ただ今度は何が起きるだろうとそればかり恐れていました
夜遅くに親戚の家で酔って階段から落ちたりして呼び出されて小さい息子を抱えて高速に乗って迎えにいった事もありました
ある時は家の階段からまた落ちてガラス戸を突き破り血だらけになって姑が電話をかけて来た事もありました。
次の日にガラスと血だらけの玄関を吐き気をこらえながら掃除したりもしました
一番悲惨だったのは酔った舅に追いかけられて階段から姑が落ちて大怪我をした事でした
腰の骨が砕けていたのに救急車も呼ばず一晩家で洗面器で排尿をしながらすごしていたのです
とにかく何か事件が起きても自分たちで解決する能力が全くないのです
救急車一台呼ぶことすらできなのです
そして「兄ちゃん、なんとかしてくれ」です
そして夫も「またかよ」と言いながら急いで駆けつけて処理するのでした
私もまた「大丈夫ですか。」といい嫁ぶってその日から泊り込みで世話をしたりしていました
それでも誰も舅を攻めることもなく、ひたすら皆で舅の尻拭いをし続けたのです
なにか事件がおこすと舅は酷く反省して「もう、酒はやめる」とか言って1週間位おとなしくしているのです
そうすると夫も姑も上機嫌で姑が「お父さんにお酒買ってきてあげて」とか言い出すのです
夫もそんな神妙にしている舅を「かわいい」とか言っていました
そして義理両親たちは私にも「ありがとう。ありがとう」と感謝するのです
共依存症の私にはもうこれ以上のご褒美はないので、ますます役に立たなくちゃと
ひたすら舅の尻拭いをし続けたのでした
それまで、あまり付き合わないようにしていましたがそうもいかなくなってしまいました
姑はリハビリによって右手は完全に動かない状態、かろうじて杖をついて歩くことはできたので、トイレなど自分の事はできました
まだ若かったし、ショックも大きかったようですが、5年待っての孫が産まれたのでそれが支えとなったようした。そして私も2週間に1回は通う様になりました
舅も会社に通いながら買い物などをして姑も左手で魚を煮たり焼いたりしながら生活をしていました
そんな生活が壊れ始めたのは舅が定年してからでした
お盆や年末に泊まりに行くと舅は酷く酔って姑に暴言を吐いたり、しつこく人に絡んだりするようになりました
ある時親戚の法事に泊まりで出かけたとき、まだ小さかった息子が夜泣きをしました。すると酔った舅が部屋に入ってきて、私と息子の寝ている布団の中に入って来たのです
私は寝ながら母乳を与えている所でした
びっくりしてその場から逃げ出しました
夫は隣で寝ていました
次の日その事を姑、夫に話すと「仕方ない人だ。酔ってたんだからしょうがないでしょ」と言ったのでした
私は「この家は、いい家だね。酔えば何してもいいんだ」と思わず言ってしまいました。夫は何も言いませんでした。舅が酔って事件を起こしてばかりいたので、そんな事は別になんでもないことだと思っていたのかもしれません
その時はまだ舅がアルコール依存症だとは思いもしませんでした
ただ、ただ今度は何が起きるだろうとそればかり恐れていました
夜遅くに親戚の家で酔って階段から落ちたりして呼び出されて小さい息子を抱えて高速に乗って迎えにいった事もありました
ある時は家の階段からまた落ちてガラス戸を突き破り血だらけになって姑が電話をかけて来た事もありました。
次の日にガラスと血だらけの玄関を吐き気をこらえながら掃除したりもしました
一番悲惨だったのは酔った舅に追いかけられて階段から姑が落ちて大怪我をした事でした
腰の骨が砕けていたのに救急車も呼ばず一晩家で洗面器で排尿をしながらすごしていたのです
とにかく何か事件が起きても自分たちで解決する能力が全くないのです
救急車一台呼ぶことすらできなのです
そして「兄ちゃん、なんとかしてくれ」です
そして夫も「またかよ」と言いながら急いで駆けつけて処理するのでした
私もまた「大丈夫ですか。」といい嫁ぶってその日から泊り込みで世話をしたりしていました
それでも誰も舅を攻めることもなく、ひたすら皆で舅の尻拭いをし続けたのです
なにか事件がおこすと舅は酷く反省して「もう、酒はやめる」とか言って1週間位おとなしくしているのです
そうすると夫も姑も上機嫌で姑が「お父さんにお酒買ってきてあげて」とか言い出すのです
夫もそんな神妙にしている舅を「かわいい」とか言っていました
そして義理両親たちは私にも「ありがとう。ありがとう」と感謝するのです
共依存症の私にはもうこれ以上のご褒美はないので、ますます役に立たなくちゃと
ひたすら舅の尻拭いをし続けたのでした
とても興味深く、一気に読ませていただきました。
私もアダルトチルドレンと大学の頃、心療内科の先生に診断されて、以来、克服に向けて歩んでいます。
「交流分析」などで、客観的に見れるように多少はなっていましたが、大きく影響を与えたのは越智啓子先生や飯田史彦先生のスピリチュアル的な捉え方でした。
必ず、解放できる日が来ることと思います。こうしてブログに綴るにまできているので、よい方向に向かっていますね。
応援していますね。
ただ沢山の本やいろいろな人の話を聞いているうちに自分を整理したくなりました
優しいコメントにちょっとウルウルしてしまいました
ありがとうございました