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南大門:2013年1月に再建へ 聖伝のミサ:完全な復活はいつ?

2008年05月21日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで
アヴェ・マリア!

「崇礼門復興基本計画」のニュース


愛する兄弟姉妹の皆様、

 ソウルの南大門は、朝鮮王朝を建て太祖・李成桂により建設され、1398年に完成されました。世宗の治世の1448年と成宗の治世の1479年とに大きく改築されて、二階建てになったそうです。
 しかし、愛する兄弟姉妹の皆様もおそらくご存じのように、今年の2月10日午後8時50分頃、南大門の名で親しまれている韓国国宝第1号、崇礼門(ソウル市中区南大門路4街)は70歳の老人によって放火されたため、翌11日には、木造2階建て延べ約177平方メートルの楼閣が全焼してしまいました。
 消防当局は出火直後に消防車39台と消防隊員88人を動員して消火作業に当たったが、現場での初期消火に失敗し、南大門は出火から4時間後に完全に崩壊したのです。

 私もこのニュースをマニラで知らされたとき、大きなショックを受けました。崩壊の後は、壁が付けられ、その中を見られないようになっています。

 ソウル中央地裁は4月25日、ソウル市中心部の崇礼門(南大門)に放火、全焼させたとして、文化財保護法違反の罪に問われたチェ・ジョンギ被告(70)に対し、懲役10年(求刑同12年)の判決を言い渡したとのことです。判決は「被告の犯行は計画的で、その結果は重大であり、重罰に処するほかない」とし、さらに「被告は崇礼門の全焼を反省しているが、土地補償問題をめぐり依然として国家に対する不満を持っており、再犯の可能性がある」と指摘しました。

 しかし、文化財庁(李健茂〈イ・ゴンム〉庁長)は火災から100日目を迎えた5月20日、火災現場で「崇礼門復興基本計画」を発表しまし、2009年12月までに調査・発掘・考証・設計を行い、10年1月から12年12月まで3年間で復旧工事を行い、2013年1月に再建される計画だと述べたそうです。

 朝鮮日報の社説「現代人の愚かさを知らしめる南大門の残骸」によると、

「崇礼門(南大門)が焼け落ちてからわずか2日後の今月12日から、焼け残った部材の一部や壊れた屋根瓦などが廃棄物処理場に捨てられた。11日午前2時ごろには、ソウル中部消防署が「火を完全に消し止める」という口実で、残骸をショベルカーで壊し始め、市民の抗議を受けた文化財庁の要請で1時間40分後に中断していたことも分かった。火災の翌日の11日朝には崇礼門の周囲を幕で覆ったが、その中ではこのようなことが行われていたのだ。・・・」とありました。

 社説は続けてこう書いています。
「1949年に火災で焼損した法隆寺の金堂の場合、焼け残った部材の一部は再び使用し、残りは収蔵庫で保管している。真っ黒に焼け焦げた柱や大梁、壁画などは引き続き国宝に指定し、1年に1回ほど一般公開している。また、第2次大戦中の1943年に連合軍の爆撃によって破壊された、ドイツ・ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会は、破壊されたままの状態で残し、その隣に現代的な建物を建てた。残骸をそのまま残すことで、戦争の悲惨さや、文化財を粗末に扱った過去を教訓として後世に伝えているというわけだ。
 文化財庁は15日、ようやく誤りを認め、崇礼門の残骸の搬出を中止することを決めた。適切な場所に一旦保管した後、精密調査を行って、再び使用するもの、保存するもの、廃棄するものに分類していくという。崇礼門の残骸は、現代人の愚かさを知らしめる歴史的な証拠として記憶にとどめるべきだ。再建する際に使えるか否かだけで判断してはならない。」


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 カトリック教会のローマ典礼様式のミサ聖祭は、記録に残るかぎり世界で最古の典礼様式であり、記録に残るかぎり少なくとも1500年の歴史を持つものです。

 しかし、愛する兄弟姉妹の皆様もご存じのように、1969年、パウロ六世が新しいミサ典書の使用を許可すると、聖伝のローマ典礼様式のミサ聖祭は事実上「禁止」されてしまいました。

 オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿などは、新しいミサの発表直後にパウロ六世に手紙を送り理由を説明して聖伝のミサ保全作業に当たったのですが、聖伝のミサは事実上完全に「禁止された」のです。こうしてカトリックの信仰宣言であり象徴であり「御旗」だったローマ典礼様式は姿を消してしまいました。

 しかし、ベネディクト十六世は新しいミサ発表から37年目を迎えた2007年7月7日、ようやく、聖伝のミサとよばれるローマ典礼様式は一度も禁止されたことがない、教会が過去に大切にしていたものは大切にし愛さなければならない、と発表しました。

 トリエント・ミサとも言われることから、トリエント公会議(1545年開始)から始まったのものだ、従って、比較的新しいものだ(!)と言いつつ、聖伝のラテン語のミサが無くなってしまったことを嘆く声もかき消されてしまっていました!

 しかし、新しいミサが発表されてからわずかすると、古い祭服やミサ典書などが廃棄物処理場に捨てられました。世界中で「アジョルナメント(現代化)」という口実で、グレゴリア聖歌や古い教会や聖像などを壊し始め、信徒の方々は抗議をしたのですが、中断もせずブルドーザーのように破壊し続けてしていたのです。そして教会の破壊に協力することができないという司教様や司祭たちを厳しく取り締まったのです。跪いて口で聖体拝領をしたいという信徒の方々を蹴散らしていたのです。


 これを見たら朝鮮日報の社説は何と書くでしょうか?(南大門火災:日本の専門家に聞く再建の課題 窪寺茂氏インタビューを参考にしてみました。)
「日本では、古い文化財を大切にする。1949年に火災で焼損した法隆寺の金堂の場合、焼け残った部材の一部は再び使用し、残りは収蔵庫で保管している。真っ黒に焼け焦げた柱や大梁、壁画などは引き続き国宝に指定し、1年に1回ほど一般公開している。春光寺では、キリシタンの南蛮寺の鐘さえも大切に保存していた。
 法隆寺金堂は修理、金閣寺は完全に再建により復元した。金閣寺は全焼した。だから新たに建て直したのだ。法隆寺は残った木材があった。それを残すやり方で修復したため、国宝として残った。
 残がいには文化財としての価値が十分残っている。炭のように見えても、内部の木材が生きていれば修復できる。残った部材を修理して使えば、日本の基準では国宝指定の維持が可能だ。法隆寺金堂には焼損し復元できなかった木材を永久保存している。今の技術では不可能でも、将来はそれを復元できる技術ができるかもしれない。
 もう一度言えば、日本では、古いものを大切にする伝統がある。焦らずに、ローマ典礼様式の聖伝のミサを大切に守り、日本全国で復興してもらいたい。」

 明日は御聖体の祝日です。聖伝のミサの復活を祈りつつ。

主よ、我らを憐れみ給え!
天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

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【関連記事】


聖ピオ十世会創立者マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会内への侵入史 (その10)

2008年05月21日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

近代主義の教会の中への侵入の略史 (その10)

マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)


「信仰を守りなさい。信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」

 しかし、人々は私に「新しいミサがよいものである」或いは「聖伝のミサよりも劣るがそれでも良いものだ」と言わせようとしていますが、私はそう言うことを望みません。私にはそう言うことが出来ません。私には新しい秘蹟がよいとは言うことが出来ません。何故ならこれらはプロテスタントたちによって作られたからです。ブニーニによって作られたからです。ブニーニ自身が1965年3月19日にオッセルヴァットーレ・ロマーノ (Osservatore Romano) やドキュマンタシオン・カトリック (Documentation Catholique) で読むことが出来るように、そう言っているのです。
「私たちのカトリックの祈りやカトリック典礼から私たちの離れた兄弟たち、つまりプロテスタントにとって躓きの影となりうるものを全て取り除かなければなりません。」

 1965年3月19日、つまり全ての典礼改革の始まる前でした。私たちがプロテスタントの人たちに、私たちのミサ聖祭や私たちの秘蹟、私たちの祈り、私たちの公教要理について「どこが気に入らないのでしょうか?」と尋ねに行くことが一体可能なのでしょうか?「あなたたちはこれが好きではないのですね。あなたはここが気に入らない。ああそうならこれを廃止しましょう。」と言うのですか?
 それはあり得ません。もしかしたらそうしても異端にはならないかも知れません。しかしカトリックの信仰が弱められてしまいます。こんな事をしたために古聖所を信ずる人はもういなくなってしまいましたし、煉獄も地獄も原罪のことも、天使の存在ももう信じなくなってしまいました。もう聖寵について信じてもいないし、超自然について話にも上りません。これでは私たちの信仰の終わりです。

 ですから、私たちは絶対に私たちの信仰を守り、聖母マリア様に祈らなければなりません。何故なら私たちだけでは、今私たちのやろうとしていることは巨大な事業であって、天主様の御助け無しにはやり遂げることが出来ないであろうからです。

 私は自分自身の弱さと孤立状態を自覚しています。教皇様を前に、枢機卿様たちを前に、私一人で何が出来るとでも言うのでしょうか?私には分かりません。私は一人の巡礼者、巡礼の杖をついて歩く巡礼者として行きます。私はこう言います。「信仰を守りなさい。信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。秘蹟とミサ聖祭を守らなければなりません。」

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【関連記事】

被昇天のしるしのもとで. 日本におけるカトリックの歴史

2008年05月20日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 新しいNouvelles de Chrétienté 第110号が発行されましたので、お知らせします。

 特に、表紙には今年11月に列福される予定のテクラ橋本の京都での殉教の画像があり、19ページから27ページまで、Sous le signe de l’Assomption, Histoire du catholicisme au Japon(被昇天のしるしのもとで、日本におけるカトリック教の歴史)という題の記事があります。
 28ページは、パウロ永井隆博士に関する記事です。




(以下の文章は、必ずしもNouvelles de Chrétienté 第110号の内容であるとは限りません。)

 1281年6月23日から始まった蒙古軍の襲来により、上陸しようと黒々と埋められていた博多湾の15万人の蒙古軍勢を載せた艦隊は、聖母被昇天の大祝日の8月15日から2日間博多湾を襲った台風「神風」によって、全滅してしまったことがありました。

 聖フランシスコ・ザベリオが鹿児島に到着し、私たちの主イエズス・キリストの聖福音を伝え始めたのは、1549年8月15日、聖母被昇天の大祝日でした。

 最初の都の「南蛮寺」は、高山右近たちの協力によって1576年の8月15日に完成、聖母の被昇天に捧げられる(しかし、秀吉により打ち壊されてしまう)。
 狩野派の画家である元秀(狩野永徳の弟)の描いた扇面に今もその姿が偲ばれます。(神戸博物館蔵)

都の「南蛮寺」 元秀(狩野永徳の弟)の描いた扇面

都の「南蛮寺」 元秀(狩野永徳の弟)の描いた扇面


 右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれている。


都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年



 長崎の原爆は1945年8月9日に浦上天主堂「無原罪の聖母」教会の近くで炸裂、無原罪の御宿りの祝日(12月8日)に始まった戦争は、8月15日に奇跡的な終戦を迎えた。

 永井博士はこう弔辞で言う。「浦上を愛し給うが故に浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめんが為に此世に於て短きを与え給い、しかも絶えず御恵みの雨をこの教会の上にそそぎ給う天主に心からの感謝を献ぐるものでごさいます。」


ダウンロードは、次をクリックして下さい。
Télécharger Nouvelles de Chrétienté n° 110

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聖伝のミサ聖祭(いわゆるトリエント・ミサ)に与りたい愛する兄弟姉妹の皆様へ、時間と場所

2008年05月20日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

■ 聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ式典礼様式のミサ」)にようこそ!

 愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに歓迎します! 

何故なら、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ両枢機卿とがパウロ六世教皇聖下へ報告したように、「新しいミサの式次第は、その全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第二十二総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」からです。

何故なら、「この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明している」から「この新しい信仰は私たちの信仰ではない、カトリック信仰ではない」(ルフェーブル大司教)からです。

何故なら、新しいミサはエキュメニズムのために作られたからです。

<2008年5月の予定>



【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

09日 (金) 午後5時半 教会博士証聖者司教ナジアンスの聖グレゴリオ(3級祝日)白
10日 (土) 午前11時 聖霊降臨の前日(1級)ミサは赤
     ミサの後、聖霊降臨のミサのグレゴリオ聖歌の練習があります。
11日(主)午前10時   ロザリオ及び告解
午前10時半  聖霊降臨(1級)赤

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館2F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

17日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
18日 主日 午前10時  ロザリオ及び告解
午前10時半  聖三位一体(1級祝日)白
     午後2時半  ラテン語の練習
午後3時半  休息
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
19日 月 午前7時
20日 火 午前7時

それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2008.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2008, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2008" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

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【関連記事】
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?
■ モンシニョール・クラウス・ガンバー(Msgr Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」
■ 今日経験している教会の危機は典礼崩壊が原因であると、私は確信する。(ベネディクト十六世)

聖ピオ十世会創立者マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会内への侵入史 (その9)

2008年05月19日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!


近代主義の教会の中への侵入の略史 (その9)

マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)


私は、教皇の側に、ペトロの後継者の側に立っています。

 私は決して教皇様に反対であったことはありません。私は教皇が教皇でないと言ったことも決してありません。私は、教皇の側に、ペトロの後継者の側に立っています。私はローマから分離することを望みません。しかし私は近代主義に反対です。進歩主義に反対、改革においてプロテスタンティズム悪しき破壊的な全ての影響に反対です。私たちを毒している、そして信徒の生活を毒しているこれらすべての改革に反対です。

 ところで、私はこう言われています:「あなたは教皇に反対している」と。いいえ、私は教皇に反対ではありません。その反対です。私は教皇を助けに来ています。なぜなら、教皇は近代主義者でありえないからです。進歩主義者であることはできないからです。

 たとえ教皇様が放任していることがあったとしても、それは弱さによってです。それは起こり得ることです。聖ペトロもまたユダヤ人に関して、聖パウルの前で弱い時がありました。聖パウロは厳しく聖ペトロを叱責しました。「あなたは福音に従って歩んでいない」と聖パウロは聖ペトロに言ったのです。

 聖ペトロは教皇でした。そして聖パウロは聖ペトロを叱責したのです。そして聖パウロは力強く言ったのです。「私は教会の頭を叱責した、彼は福音の法に従って歩んでいない」と。こんなことを教皇に言うなどということは、重大なことです。

 シエナの聖カタリナもまた、数人の教皇たちを激しく非難しました。そこで、私たちは同じ態度をとるのです。私たちはこう言います。「教皇様、あなたはご自分の義務を果たしておられません。もしも教皇様あなたが、教会をもう一度栄えるようにすることをお望みならば、あなたは聖伝に戻らなければなりません。もしも教皇様あなたが、これらのすべての枢機卿や司教たち(彼らは近代主義者です)聖伝を迫害するがままにさせているなら、あなたは教会の荒廃を引き起こすことになるのです」と。

 私は、教皇が心の中では、深く心配しておられ、教会を刷新する手段を探しておられると確信しています。私たちの祈りと犠牲、そして聖なる教会を愛し、教皇を愛する人々の祈りによって私たちが(カトリック教会をして聖伝に立ち返らせることに)成功すると期待し確信しています。

 特に聖母マリアへの信心によって[可能]でしょう。もし私たちが聖母に祈るならば、聖母マリアは、自分の御子を見捨てることがおできにならず、御子が建てられた教会つまりその御子の神秘的花嫁を見捨てることがおできにならないでしょう。

 (教会が聖伝に立ち戻ること)それは難しいことでしょう。そのようなことは奇跡でしょう。しかし、私たちは成功するでしょう。

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ベネディクト十六世 「同性同士の似非婚姻のような形態が、真の人間解放かのようにされている。・・・」

2008年05月17日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで
アヴェ・マリア!

同性同士の似非「婚姻」

愛する兄弟姉妹の皆様、
 「苺畑より」というブログによると、カリフォルニア最高裁で同性結婚を禁止する州法が合憲かどうか審議されていたが、5月15日この法律は違憲であるという判決が下ったそうです。

 ベネディクト十六世も次のように言っています。「今日、自由な結合(婚姻ではない同棲)、『試しの結婚』(気に入らなければ別れる「結婚」)、そして同性同士の似非婚姻などのような婚姻の風化の様々な形態が、真の人間解放であるかのように間違ってなされた無秩序な自由の表現とされている。・・・」Benedict XVI Address at the Diocesan Convention in Rome at the Lateran Basilica June 6, 2005

 婚姻の第1の目的は、天主がそれを創った通り、子孫の繁栄と教育です。もしも、婚姻の第1目的が「両性の相互愛と援助、両性のペルソナの完成」に取って代わると、客観的な自然の掟ということから、主観的な満足ということに重点が移ってしまいます。そして、天主の無い、自然法のない、自分の自由追求にひたすら突き進むことによって、結局は、婚姻はその全ての基礎を失ってしまうのです。

 将来、もしもリベラル派が多数派になったあかつきには、同性の「結婚」の次に、犬との結婚とかサルとの結婚、などの「自由」を認めよ、ということになるでしょう。今は、「まさか!」と笑っている愛する兄弟姉妹の皆様もおられるかも知れませんが、そのような主題が映画になり、テレビに出たりすると、マスメディアに操作されて多くの人は「その自由を認めてあげよう」ということになるのかもしれません。何故なら、同性「結婚」を婚姻と認めることを法律化するなど、少し前では想像を超えていたことだからです。


将来の「結婚」?
「私たち夫婦は、将来、モルモットを養子にします。」


 カリフォルニア最高裁に話を戻すと、「苺畑より」のカカシさんによると、この判決は、61%の圧倒的な州民の支持で通過していた「カリフォルニアにおいては一夫一婦の間でのみ結婚が正式に認められる」という州法に反するものであり、また、この法律を覆す議案が二回通っているが、「州民に意志を尊重する」と言いつつカリフォルニア州知事は、二回とも拒否権を使って拒絶してきたことに反するものだそうです。

 まさに問題はここにあると思います。ヨーロッパに「絶対君主」と呼ばれた王がいたことがありましたが、民主主義のもとでは市民は、この「絶対君主」よりも絶大な権威を持ち、人民は神々となり、自然に反することさえも法律に定めることが出来ると幻想していることです。(ちょうど、プロテスタント主義が、人間は聖書さえ持つと、その解釈は自分の権威において自由にすることができると幻想させ、聖伝や教父に従って解釈する究極の教導権の保持者である教皇様よりも更に大いなる権威を持っているかのように教えるのと同じようです。)

 天主を忘れることにより、人間はますます狂気さえをも自由と勘違いしてしまっているようです。

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聖ピオ十世会 フランスでの聖霊降臨の巡礼(シャルトルからモンマルトルへ)

2008年05月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

フランスでの聖霊降臨の巡礼(シャルトルからモンマルトルへ)の写真をご紹介します。

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

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聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

聖ピオ十世会、聖伝のシャルトル・モンマルトル(パリ)の聖霊降臨の巡礼 Pilgrimage of the Tradition in France (Chartres - Paris) SSPX

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【関連記事】

聖ピオ十世会創立者マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会内への侵入史 (その8)

2008年05月15日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

近代主義の教会の中への侵入の略史 (その8)

マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)

ローマへの共産主義の影響

 皆さんは、イエズス会士、レピディ(Lepidi)神父による『モスクワとヴァチカン』という書物を読むべきです。これは素晴らしい本です。この本は、共産主義者たちがローマにおいて持っている影響力、そして彼らが司教たちの任命、そして二人の枢機卿さえも:レカイ(Lekai)枢機卿とトマセック(Tomaseck)枢機卿の任命さえも、どのようさせたかということを示しています。

 レカイ枢機卿はミンゼンティ(Mindszenty)枢機卿の後継者であり、トマセック枢機卿はベラン(Beran)枢機卿の後継者でした。ミンゼンティ枢機卿とベラン枢機卿は二人共、信仰の英雄そして殉教者でした。

 ミンゼンティ枢機卿とベラン枢機卿の代わりに、パックスの司祭たちを任命したのです。つまり、何よりもまず共産主義政府と同調することを求め、伝統的な司祭たちを迫害することを決心したパックスの司祭たちによって取って代わられたのです。

 密かに洗礼を授けるために田舎に行き、秘密に公教要理をするなど、カトリック教会の司牧の業を続けようとした司祭たちを、これらの新しい司教たちは告発するのです。

 司教たちは彼らにこう言うのです。「あなたたちは共産主義政府の規則を遵守しない権利を持っていない。あなたたちは、法律に反して行動することによって、私たちに害を与えている。」

 しかしこれらの司祭たちは、子どもたちの信仰を守るように、家族における信仰を守るように、そして秘蹟を必要としていた人々に秘蹟を授けるように、自分の生命を捧げる用意ができていました。
 明らかにこれらの国々においては、もし聖体の秘蹟を病院へ運ぶ、あるいは何であれ何かをしたいと思ったならば、常に許可を求めなければなりませんでした。彼らが香部屋を出るやいなや、これらの司祭たちは、共産党に、あれこれのことをする許可を求める義務を負わされていました。こんなことは不可能なことです。人々は秘蹟を授からずに死んでいくのです。子どもたちはもはやキリスト教的なやり方では教育されませんでした。

 ですから司祭たちはもちろん、これらのことを秘密裏にするのです。もし彼らが逮捕されるとすると、司教たち自身が彼らを迫害したからです。それは恐るべきことです。

 ウィシンスキー(Wyszynski)枢機卿もスリピ(Slipyi)枢機卿もミンゼンティ枢機卿もベラン枢機卿もこのようなことはしませんでした。彼らはその反対に彼らに次のように言いながら善い司祭たちを励ましていました。

「どうぞ、やりなさい。さあ、がんばってやりなさい。もしあなたたちが投獄されるなら、あなたたちは司祭としての義務を果たしたことになるのです。もしあなたたちが殉教しなければならないならば、殉教者となりなさい。」

 このことは彼ら共産主義者たちがどのように大きな影響力をローマに対して持っていたかを示しています。私たちがそのことを想像するのは非常に困難です。私たちはそのことを信じることさえできません。

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聖霊降臨の火曜日

2008年05月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 今日は、聖霊降臨の火曜日ですね。また、ファチマの聖母のご出現91周年でもあります。

 聖霊降臨の主日には、大阪で歌ミサをすることができました。天主様に感謝!30名には至りませんでしたが、25、6名の兄弟の皆様がミサ聖祭に与りました。

 ただ今、第2回目の沖縄での聖伝ミサで嘉手納に来ています。昨日は、生まれたばかりのミカエル君に洗礼式がありました。お祈りください。

 昨日は、偶然に、一昨日までオーストラリアの聖ピオ十世会の小神学校にいた今は軍人さんにもバッタリ出会いました!

ファチマの聖母よ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会創立者マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会内への侵入史 (その7)

2008年05月13日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日はファチマの聖母マリア様の御出現の記念日ですね。
 マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録 「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」 1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)をお読み下さい。

近代主義の教会の中への侵入の略史 (その7)


少なくとも私たちに自由を残しておいてほしい

 彼らは、私が教皇様の元に出向いて聖伝の自由を勝ち取るために努力をしているのを知るとすぐさま、反対する同盟を組みました。願わくは人々が私たちをそっとしておいてくれるように。願わくは、以前人々が数世紀にもわたって祈りをしていたその通りのやり方でそのまま私たちが祈るのを放任するように。私たちが以前神学校で学んだことをそのままやり続けることを許してくれるように。願わくは、皆さんがまだ子供だった頃教わったことを、つまり私たちを聖化する最高のやり方をそのまま続けることを許してくれるように。

 私たちは最高の聖化の方法を神学校で学びました。私はこれを司祭だったとき実践していました。私が司教だったとき私の元にいる全ての司祭たち、神学生たちに私自身がこう言っていました。
「ミサ聖祭を愛しなさい。教会があなたたちに与えるものを、すなわち秘蹟と公教要理を愛しなさい。何も変えてはいけません。20世紀にもわたって続いている聖伝を守りなさい。これがあなたたちを聖とするのです。これが多くの聖人たちを聖としてきたのです。」

 それなのに今になると全部変えろと言うのですか?それは出来ません。少なくとも私たちには今までのことを続ける自由を残してくれるべきです。

 さて、彼らがこのことを耳にするやいなや勿論彼らはすぐさま教皇様の元に駆けつけてこう言うのです。
「ルフェーブル大司教に何も与えてはいけない。聖伝に何も与えてはいけない。とりわけ決して後ろに戻ってはいけない」と。

 彼らは例えばカザローリ枢機卿のように政務次官であり非常に重要な地位にあるので、教皇様はあえて何もしようとされないのです。ところで、ラッチンガー枢機卿のように中には聖伝に対して好意的に考えている方もおられます。セペール枢機卿(Cardinal Seper)が1981年の御降誕祭に亡くなると、ラッチンガー枢機卿がその後継者となりました。ラッチンガー枢機卿は公会議の時には非常にリベラルでした。彼はラーナーとかハンス・キュンクとかスキレベークスなどと言ったリベラル派の友でした。しかし彼がミュンヘンの大司教区の大司教という重責を任命されると、彼は少し目を開いたようです。彼は今では改革の危険に気が付いており、聖伝に基づいた規律に戻ってくることを望んでいるようです。彼と共に列聖聖省長官のパラッツィーニ枢機卿(Cardinal Palazzini)や、聖職者聖省のオッディ枢機卿(Cardinal Oddi)等がいます。これらの3名の枢機卿は聖伝に自由を残すことを望んでいます。しかしその他の方がもっと大きな影響力を教皇様に及ぼしているのです。

セペール枢機卿


 私は5週間前にローマにいました。そして教皇様によって聖ピオ十世会、私自身に関して、教皇様と私の間をつなぐ仲介者として、セペール枢機卿の後を引き継ぐように命じられたラッチンガー枢機卿と面会しました。セペール枢機卿は、ヨハネ・パウロ二世教皇が私に許された謁見の折に教皇様と私の仲介者として任命されました。ヨハネ・パウロ二世教皇様はセペール枢機卿を呼び寄せてこう言ったのです。
「枢機卿様、ルフェーブル大司教と私との間の関係をあなたが維持して下さい。あなたは私の仲介人です。」
そして、今教皇様はラッチンガー枢機卿をそれに任命したのです。

 私はローマに彼に会いに行きました。私は彼と1時間45分話し合いました。確かに、ラッチンガー枢機卿はもっと肯定的で良い解決策を引き出す能力がある人のようです。今かなり鋭い難問として一つ残っているのはミサです。そもそもの最初から、結局のところ、ミサが常に問題でした。何故なら彼らは私が公会議に反していないと言うことをよく知っているからです。公会議の中には私が受け入れることが出来ないことが幾つかあります。私は宗教の自由についての文書にサインをしませんでした。私はこの世における教会についての文書にサインをしませんでした。しかし、これを以て私が公会議に反対しているとは言うことが出来ません。ただ聖伝と反している私たちが受け入れることが出来ないことがあると言うだけです。このことのために大げさになってはなりません。教皇様ご自身も「公会議を聖伝の光によって見なければならない」とおっしゃったからです。もしも公会議を聖伝の光によって見るなら、私にとって何も問題とはなりません。私は「公会議を聖伝の光によって見なければならない」というこの文章にサインをしたいくらいです。何故なら聖伝に反することは全て明らかに排斥されなければならないからです。

 教皇様によって許された謁見の際に、ヨハネ・パウロ二世教皇様は私にこう尋ねました。

「それではあなたはこの言い回し(訳者注:「公会議を聖伝の光によって見なければならない」ということ)にサインをする準備が出来ているのですね。」
私は答えました。

「その言い回しを使ったのは教皇様自身です。私にはサインをする用意があります。」

「それでは私たちの間に教義上の難点は無いではないですか。」

「私はそう期待します。」

「では、今何が残っているのですか?あなたは教皇を受け入れるのですか。」

「勿論です。私たちは教皇様を認め、私たちは全ての神学校で教皇様のために祈っています。世界中でもしかしたら教皇様のために祈る神学校は私たちの所ぐらいしかないかも知れません。私たちには教皇様に対する大きな尊敬があります。教皇様が私に来いとおっしゃったときには私はいつもすぐに参りました。しかし、今典礼に関して問題があります。これは本当に難しい問題です。典礼は今教会を破壊し、神学校を崩壊させているとことです。これは非常に重要な問題です。」

「いや、これは規律の問題です。大したことではありません。もしこれしか問題がないのなら私は何とかなると思います。」

 そして教皇様はセペール枢機卿を呼び、枢機卿はすぐに来ました。もし彼が来なかったら私は教皇様は協定にサインをする用意があったと思います。セペール枢機卿が来て、教皇様は彼にこう言います。

「ルフェーブル大司教と話をまとめるのに、事はそれほど難しくないと思います。解決にたどり着けると思います。大して難しくもない典礼問題しかありません。」
すると枢機卿は声を上げてこう言いました。

「あぁ!ルフェーブル大司教に何も譲ってはいけません。この人たちは聖ピオ五世のミサを御旗にするのです。」

私は言いました。
「御旗、勿論ですよ。ミサこそが私たちの信仰の御旗ではないですか。Mysterium fidei 私たちの信仰の偉大な神秘です。そんなのは明らかです。これは私たちの御旗です。これは私たちの信仰の表明です。」

 これに教皇様はひどく動揺されたようです。教皇様はほとんどすぐに態度を変えられたようです。私の思うには、このことは教皇様が強い男ではないと言うことを示しています。もし強い男だったら、こう言っていたことでしょう。
「私がその面倒を見ましょう。典礼については私がまとめましょう。」

そうではありませんでした。教皇様は直ぐに恐れをなしたかのようでした。

 教皇は恐れるようになられました。そして執務室を離れられたとき、教皇様はセペール枢機卿に言われました。

「さあ今から、あなたは(ルフェーブル大司教と)話をしてもよろしい。ルフェーブル大司教とことをまとめるように計らってしてよろしい。このままここにいてもよろしい。私はバッジオ(Baggio)枢機卿と会いに行かなければなりません。彼は司教たちに関して非常に多くの書類を私に見せなければなりません。私は行かなければなりません。」

 教皇は去られるとき私に言われました。
「止めてください。大司教様、止めてください。」

教皇は変わってしまいました。数分の間に教皇は完全に変わってしまいました。

 私が一人のポーランドの司教から受け取った手紙を教皇に示したのはこの謁見の間でした。このポーランド人司教は一年前、私に手紙を書いてよこしたことがありました。それは、エコンに設立した神学校、そして私が養成している司祭たちについてに褒めるためでした。このポーランド人司教様は、私が全聖伝と共に古いミサを守ることを望んでいました。

 彼はこうつけ加えて言いました。自分が唯一の人間ではない、複数の私たち司教は、あなたに敬服し、あなたの神学校に敬服し、あなたが司祭たちに与えている養成そしてあなたが教会内部で守っている聖伝に敬服している、なぜなら、私たちは、信徒に信仰を失わせるために新しい典礼を使うことを強いられているからだ、と。

 それがこのポーランドの司教が言ったことです。教皇様に会いに行くときにこの手紙をポケットに入れて持って行きました。何故なら「教皇様は確かにポーランドについて私に話されるだろう」と思ったからです。

 その通りのことが起こりました。教皇様は私に言われました。

「しかし、知っているでしょう。ポーランドではすべてが非常にうまく行っています。なぜあなたは改革を受け入れないのですか?ポーランドでは何の問題もありません。人々はラテン語を失ったことをただ悲しんでいるだけです。私たちはラテン語に非常に愛着がありました。なぜならそれは私たちをローマに結びつけていましたし、私たちはまさにローマ的なのだからです。それは残念なことです。しかし私に何をすることを望むというのでしょうか?神学校にも、聖務日祷書にも、ミサにももはやラテン語はありません。残念です(unfortunate) 。仕方がありません。ポーランドを見て下さい。改革を受け入れましたが、問題はありません。私たちの神学校は神学生で一杯です。そして私たちの教会は信者で一杯です。」

 私は教皇様に言いました。
「私がポーランドから受け取った一通の手紙をお見せすることをお許しください。」

 私はそれを教皇様に見せました。教皇は、司教の名前を見たときこう言われました。
「おお、この人は共産主義者たちの敵の中で、最大の反共の人です。」

「それはよい人物証明です」と私は言いました。

 教皇はその手紙を注意深く読まれました。私はその手紙の中で二度繰り返されたそれらの言葉に教皇がどのように反応されるかを見るためにその顔に注目しました。「私たちは、信徒に信仰を失わせるために新しい典礼を使うことを強いられている」という言葉です。

 明らかに教皇はこれを容易に受け入れることはできませんでした。最後に教皇は私に言われました。

「あなたはこの手紙をこうやって受け取ったのですか?」

「はい、そうです。持って来たのはそのコピーです。」

「それは捏造に違いない」と教皇は答えられました。


 私は何を言うことができたでしょうか?私はもはや何も言うことができませんでした。教皇様は私に言われました。

「ご存じでしょうが、共産主義者たちは司教たちの間に分裂を引き起こそうと、非常に狡猾です。」

 それゆえ、教皇様によれば、これは共産主義者たちによってでっち上げられ、そして次に私に送られた手紙だったとのことです。私は教皇様の説を非常に疑っています。何故なら、この手紙はオーストリアで投函されたものだったからです。私の思うには、それを書いた人は共産主義者がそれを途中で奪い、それが私に届かなくなることを恐れたのではないか、ということです。それが彼がオーストリアでそれを投函した理由です。私はその司教に返事を出しましたが彼からはそれ以上何の返事もありませんでした。

 私がこのことを言うのは、ポーランドにおいてさえ、重大な分裂があると私は考えるということです。さらに、パックスの司祭たち(訳者注:PAX という親共産党の団体(Stowarzyszenie PAX)に所属する司祭たちのこと)と聖伝を堅く守ることを望む司祭との間に常に分裂が存在してきたのです。これが鉄のカーテンの背後での悲劇であったのです。

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聖ピオ十世会総長の友人と恩人の皆様への手紙 第72号

2008年05月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア! 聖霊来たり給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 今日は、聖霊降臨の月曜日ですね。
 聖ピオ十世会総長の友人と恩人の皆様への手紙 第72号が、日本語でアップされていますのでご紹介します。

聖ピオ十世会総長の友人と恩人の皆様への手紙 第72号


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聖ピオ十世会創立者マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会内への侵入史 (その6)

2008年05月12日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

近代主義の教会の中への侵入の略史 (その6)

マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)


何故私は「従順」ではないのか

 では、何をしなければならないでしょうか。私はこう言われます。
「あなたは従順であるべきだ。あなたは不従順だ。あなたは今していることを続ける権利がない。あなたは教会を分裂させている。」

 では、法とは何でしょうか。法令とは何でしょうか。何が私たちをして従順たらせるのでしょうか。レオ十三世教皇はこう言います。「法とは共通善のための理念の秩序である」と。つまり、法とは善のためにあるのであって悪のためにあるのではありません。もしあることが悪のためであると言うことがはっきりと分かっている場合にはそれは法ではありません。レオ十三世がそのことを「リベルタス」という回勅の中ではっきりと説明しています。共通善のためではない法はもはや法ではなく、これに従ってはならない、と。

 ローマの多くの教会法学者たちは「ブニーニのミサは法ではない」と言っています。新しいミサの法はありませんでした。ただ許可、許しが与えられただけです。仮に今ローマからそのための法が、すなわち共通悪にあらず「共通善のための理念の秩序」が発布されたとしましょう。ところで、新しいミサは今まさに教会を破壊し、信仰を崩壊しているところです。これは全く明らかです。モントリオールの大司教グレゴワール大司教(Mgr Grégoire)は、ある手紙を発表しそう言っていますが、それは非常に勇気のあることでした。グレゴワール大司教はそのような手紙をあえて書き発表することの出来るまれな司教たちのうちの一人でした。その中で彼はモントリオールの教会を苦しめている諸悪を告発しています。

グレゴワール司教

「私たちは残念ながら多くの信徒たちがその小教区を去っているのを見ている。私たちはこの大部分を典礼改革の責任であるとする。」
グレゴワール大司教はこれを言ってのける勇気があったのです。

 私たちは今教会の内部で現在の枢機卿たちによる本当の意味での陰謀を前にしています。例えばノックス枢機卿(Cardinal Knox)はラテン語のミサと聖ピオ五世のと言われるミサについて全世界で有名な調査をしました。これはヨハネ・パウロ二世教皇様に影響を与えるために作られた明らかで明白な嘘の調査です。これを見て教皇様に「聖伝のミサを望んでいる人がこれほどの少数でしかないなら、何もしなくても自滅してしまうだろう。」と言わす為だったのです。こんな調査は何の価値もありません。教皇様は1978年の11月に私を迎え受けて下さった時には、司祭は自由に自分の選択で自由にミサを選ぶことが出来るという文書にサインする直前だったのです。教皇様はそこまでする準備が出来ていたのです。

カザロリ枢機卿

 しかしローマには聖伝に真っ向から反対する枢機卿たちのグループがあります。修道者聖省長官であるカザローリ枢機卿(Cardinal Casaroli)、世界中の司教たちの任命を取り仕切る非常に重要な役職の一つである司教聖省の長官であるバッジオ枢機卿(Cardinal Baggio)、それから悪名高いヴィルジニオ・レヴィ(Virginio Lévi)、彼は典礼聖省の第2の地位にいますがおそらくブニーニよりもずっと悪いと思います。また、アメ枢機卿(Cardinal Hamer)、彼は検邪聖省の第2の地位にいるベルギー人の大司教、ルーヴァン地方出身でルーヴァン大学のありとあらゆる近代主義の概念に染まっている人です。彼らは聖伝に真っ向から対立してます。彼らは聖伝について話を聞きたくもありません。もし彼らが私の息の根を止めることが出来たなら、彼らはそうしていたことだろうと思います。

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聖霊降臨の祝日

2008年05月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 今日は、聖霊降臨の大祝日ですね。お喜びの挨拶を申し上げます。
 聖霊、来たり給え、信者の心に満ち給え!
 聖母よ、我らのために祈り給え!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】